第306話 黒衣の男④


 黒衣の男が新たな力を使い始めてからは戦いが更に激化した。手を翳せば空間が歪み、周囲のものが吸い込まれて消滅する。空間を抉り取る攻撃に対処法はなく、避けることしかできない。あっという間に幾人もの聖騎士が犠牲となった。

 それだけではなく《空翔フライ》などの魔術で宙を浮く聖騎士に鎖を伸ばし、捕える。同時に召喚した適当な悪魔と共に縛り上げ、不気味な色合いの魔力を流し込むことで強制融合もさせていた。魔物と人間を融合させた謎の存在は黒衣の男の眷属となって聖騎士に襲いかかる。



「くそ! 止めろルドウィン! どうしちまったんだ!」

「馬鹿野郎! 容赦するな。あれはもう魔物だ」

「でも……」

「見ろ!」



 躊躇う聖騎士に見せつける形で異形の頭部が半分ほど吹き飛ばされる。だが次の瞬間、肉が盛り上がって吹き飛んだ部分が修復した。即死の傷ですらこのありさまである。もはや人とは思えない。



「あれは魔物だ。殺すぞ……それが奴のためにもなる」

「くっ……」



 聖騎士と魔物が強制融合させられた場合、その個体は魔装に加えて魔物の特徴を得る。文字通りの融合なのだ。更には凄まじい再生力を持っており、中々殺せない。

 いや、まだ殺せる条件が分かっていない。

 人体における急所を破壊しても再生してしまう場合があるからだ。

 全てはアゲラ・ノーマンの解析待ちである。



『人間と魔物の融合によって魂の強度を強める……限界突破の法とでも呼称できるでしょう。他の魂を取り込むことで強い力を得るという手法は古来より存在します。ある意味、その応用が魔石や賢者の石ですからね』

「あの禁制品の?」

『今や人工的に魂に似た構造物を生み出す魔晶の技術がありますから、意外と身近に溢れていますよ。しかしあれは厄介ですね。ひとまず、魔物と融合した人……仮称で魔族・・とでも呼びましょうか。あの再生力を見るに、どこかコアとなる部分を持っているはずです。再生にも魔力を使いますから致命傷を与え続けるだけでもいつかは倒せるでしょう。しかしそのコアさえ破壊すれば一撃で殺せると思いますよ』

「そのコアっていうのは? どこにあるの?」

『魂の融合によって魔石に似た何かを体内に形成し、そこに魂や魔力を保持しているというのが私の予測ですよ。計器では丁度心臓部に魔力濃度が集中していますし、先程から胸を庇うように動いています。おそらくは……』

「そこを潰せばいいのね?」



 アロマは何の躊躇いもなく樹海を操り、魔族の一体を枝で取り囲む。そして全方位から一斉攻撃を行い、その全身を縛り上げた。高位悪魔グレーター・デーモンと融合したその魔族は、無詠唱で炎魔術を発動して樹木を燃やそうとする。だが魔力を吸い取るアロマの魔装にそれは悪手だ。余計に縛りが強化されてしまった。

 そしてあっさりと太い枝によって胸を貫かれる。



「手応えあり、ね。何か大きな魔力を吸収したわ」

『コアを破壊したのでしょう。見てください。魔族の身体が崩れていきます』

「あそこが本当の急所ということね」



 弱点と倒し方は把握した。

 そこでアゲラ・ノーマンはソーサラーリングの通信機能を利用して全ての聖騎士に周知させる。その間、アロマは次々と樹木を放って反応炉全体を彼女のフィールドにしようとしていた。

 しかし簡単ではない。

 黒衣の男は空間を抉り取る攻撃によって範囲を消滅させ、更には射程限界の見えない斬撃によって切り刻み、悪魔までも召喚して捕えた聖騎士と融合させるなどしている。果てには未来視まであるという、どうすれば倒せるのか分からないほどの強敵だ。



『さて、幸いにもあの悪魔使いは時間稼ぎでもするかのように戦っています。ここから考えられる推測は大きく二つ。一つは未来で起こる何かの布石として動いている。そしてもう一つは悪い未来しか見えておらず、好転するのを待っている』

「どっちかしらね」

『おそらく後者でしょうね。あちらはその気になれば我々を全滅させることもできるでしょう。まだ何か能力を隠しているようですし。ですが、そうしてしまえばあの悪魔使いは目的を果たせない。そんな未来が見えているのではないかと予測します』

「未来視ってのは不自由ね」

『それが見えてしまうということですよ』



 未来が見えているからこそ動けない。

 これが事実だとすればアロマたち聖騎士側からすればチャンスである。このまま好転させないように立ち回れば勝機は訪れるはずだからだ。

 ただ、問題は黒衣の男が何を目的としているかである。

 これについてアゲラ・ノーマンは一つの答えを持っていた。



『私の抹殺が目的の一つであることは間違いないでしょう。先程、かなりしつこく狙われました』

「知り合いなの?」

『そんなはずないでしょう?』

「そうなると、やっぱり大帝国の刺客かしら? こっちの技術を支えるあなたを始末すれば、戦力的有利を取れるでしょうし。とはいえ、色々と不可解ね……」



 以前に出現したタマハミといい、今回の魔族といい、常識を覆すような存在が次々と現れている。アロマにはこれが作為的な何かに思えてならない。

 ただその考えはひとまず端へと追いやり、アロマは甲魔蟲鎧グロリアスを狙う。この巨大悪魔が永久機関反応炉の口を塞いでるために黒衣の男に足場を与えてしまっている。この悪魔を始末すれば戦いは有利に傾くという判断だ。

 そしてそれは正しい。

 しかし正しいからこそ未来視に捉えられてしまう。



「させん」



 アロマが操ろうとしていた樹木を的確に狙い、空間ごと抉り取る。また刃を伸ばしてオリハルコンの壁を切り裂き、内部の配線を切り裂くことで様々な妨害も行っていた。移動用のエレベータが停止したり、隔壁が閉じられて通路が通行不可になったり、消火用スプリンクラーが作動したり、迎撃システムが誤作動したりと聖騎士からすれば散々な目に合わされる。

 黒衣の男は確実に未来を見通し、的確に対処していた。

 また不用意に攻撃して貂魔鏡ミラダンテに跳ね返され、攻撃を受けてしまった聖騎士を光る鎖で捕まえて悪魔と融合させ、魔族に変えてしまう。

 魔物を召喚する能力。

 未来視。

 伸縮自在の剣。

 万物を飲み込む闇の穴。

 そして魔族を生み出す謎の鎖。

 まだ能力を隠しているのかもしれないが、とにかく多彩である。



「後少し時間を稼いで!」



 まもなくアゲラ・ノーマンから送信された魔術がダウンロードされる。アロマはそう叫びつつ、魔装を一層激しく操った。木の葉が弾丸のように飛び、枝が槍のように射出され、巨大な樹木が龍の形を成して突撃を仕掛ける。

 そして黒衣の男も嫌な未来が見えているのか、全力で抵抗していた。

 更にはここで驚愕の能力を発動させる。

 彼を中心として植物が芽を出し、樹海となり、アロマの樹木攻撃を迎撃したのだ。ここに来てアロマと全く同じ魔装を繰り出したのである。反応炉空間を埋め尽くす二つの樹海のせいで一般の聖騎士は近づくことが困難だ。もはやアロマと黒衣の男の一騎打ちになっていた。



(この男……まさか魔装をコピーして……?)



 五つ目の魔装を使ってきたあたりでアロマの黒衣の男が使う能力に目途をつける。魔装をコピーする魔装というのは有名だ。コントリアスの騎士、スレイ・マリアスがその使い手である。アロマもスレイに会ったことがあるので、目の前の男が本人だとは思っていない。しかし、少なくとも魔装コピーの能力とでも考えなければこれだけの能力に説明がつかないのだ。

 狙ったようにアロマと同じ魔装を使ったことでその可能性に行き着いた。

 二つの強大な魔装により魔族も次々と貫かれ、消滅していく。稀に再生してる魔族もいたが、胸のあたりを貫かれた途端に消滅していた。



「くっ……強い。早くしなさい」

『あと十五秒です。術はこちらで遠隔発動するのでアロマさんは魔力だけ貸してください』

「長いわね」



 一秒が長い。

 黒衣の男の攻撃密度は凄まじく、アロマは徐々に押されていた。樹木による質量攻撃に加えて闇の穴による問答無用の消滅攻撃が特に厄介だ。また下手な回避をすれば斬撃で真っ二つとなる。

 アロマは無数の樹木を使って視界から逃れ、空間を削る穴を感知した瞬間に移動、ということを繰り返すことで攻撃から逃れていた。

 『樹海』の聖騎士、最も古い聖騎士、最高位の聖騎士、そんな風に呼ばれるアロマですらこの有様だ。聖騎士側にとって有利な状況でありながらここまで追い詰めてくる黒衣の男が異常なのだ。



『空間を削る攻撃が来ます。回避を』



 アゲラ・ノーマンが空間湾曲を観測し、すぐにアロマへと伝える。これがなければ空間を削り取る闇の穴を回避することすら難しいだろう。



『今です、狙撃を』



 また隠れ潜むコーネリアがチャージショットで援護する。

 未来が見えている黒衣の男は容易く弾いてしまうが、アロマに攻撃を集中させないという意味で充分な役割を果たしていた。

 二人の覚醒魔装士に加えて、マギア大聖堂を守る優秀な聖騎士が一致団結して黒衣の男を攻撃する。

 アゲラ・ノーマンの的確な指示の通りに動き、拮抗を続ける。



『あと五秒』



 もう間もなく。

 その安堵からか僅かに気が緩む。ほんの少し気を取られただけで、油断しているようにも見えなかったはずだ。しかし黒衣の男は剣を伸ばした。丁度放たれたチャージショットを防ぎつつ、角度だけを調整して刃を延伸する。

 切先は目にも止まらぬ速度でアロマを貫き、背後に張り巡らされていた樹木にまで貫通する。即死は避けたが、脇腹に激痛が走った。



「くっ……」

「アロマ様を助けろ!」

『やめなさい』



 縫い留められて動けないアロマを助けるべく、他の聖騎士たちは一斉に銃口を黒衣の男へと向ける。だが生半可な攻撃は貂魔鏡ミラダンテに弾かれてしまう。アゲラ・ノーマンが止めてもすでに遅く、何人かは反射された攻撃の餌食になってしまった。

 また黒衣の男は縫い留めたアロマに向けて手を伸ばす。

 発動するのは空間を削り取る闇の穴。

 今度こそアロマを仕留めるためだ。



「させんっ!」



 そこで動いたのが聖騎士パルキアである。

 珍しい空間に干渉する魔装を持った彼は、アロマを狙った闇の穴を弾き飛ばしたのだ。彼の魔装は空間を揺らす衝撃波によって攻撃するというものであり、自由に空間を歪めるものではない。しかし空間の穴といった通常は移動させることのできないものに干渉し、座標をずらすことくらいはできる。残念ながらコントロールできるものではなく、座標をずらされた闇の穴は予測不可能な位置で発生する。

 それに巻き込まれて六人の聖騎士が消滅し、反応炉内壁がお椀状に抉り取られた。

 犠牲の上に成り立った絶好の隙で準備していた魔術が完成する。



『発動します。《絶魔禁域ロスト・スペル》を!』



 魂属性魔術の第十四階梯魔術《絶魔禁域ロスト・スペル》。

 この属性はその名称の通り魂に作用させる。今回発動させた禁呪は魔力活動を無作為化する妨害領域を展開する。そのためこの領域内ではまともに魔力を扱うことができず、魔術どころか魔装すらまともに発動することができない。

 この魔術が発動している領域において魔物は力を失い、魔装士ですら普通の人間に戻る。唯一封じることのできない魔力は魔法の魔力だけだ。

 本来は対魔物を想定した禁呪なのだが、人間に対して使えばどんな強者さえも等しくただ人にすることができるのだ。

 すなわち黒衣の男はただの人間になった。

 森羅万象を見通す未来視が消えた。

 伸縮自在な剣が消失した。

 空間ごと万物を削り取る闇の穴が使えなくなった。

 アロマからコピーした樹海の力も言うことを聞かない。



『今です。敵は普通の人間になりました。撃ち尽くしてください』



 《絶魔禁域ロスト・スペル》は敵味方関係なく領域的に作用する。つまり聖騎士たちも今はただの人間でしかない。故に彼らは純粋な物理で構成された火薬兵器を手に取り、引き金を引く。

 目視不可能な速度で射出される無数の弾丸が黒衣の男を貫き、その肉を引き千切り、骨を砕こうとした。

 完璧な戦術管理による詰みの状況だ。

 アゲラ・ノーマンですら勝利を確信する。

 黒衣の男を守る悪魔も、聖騎士と融合した魔族も、魔力の活性を失って苦しみ悶えている。寧ろ魔物は体そのものが魔力である分、溶解液の海に放り込まれたような感覚だろう。

 全方位から飛来する弾丸は間違いなく黒衣の男へと突き刺さった。










 そして弾かれた。



「何ですって……?」



 アロマは思わずそんな言葉を漏らす。

 絶対に勝ったと確信できるタイミングだった。禁呪《絶魔禁域ロスト・スペル》までも使って黒衣の男を完璧に封じたはずだったのだ。

 彼は纏っている黒一色の衣服を取り去った。

 真っ白な髪、真っ白な肌が完全に露わとなり、碧眼が宝石のように輝く。



「やめだ」



 白い悪魔はそう告げる。

 どういう意味か考察する間もなく、その身体は変形し始めた。肉が引き千切れ、骨が砕けるような音がする。身体全体に純白の鱗が生じ、燐光が発せられる。



『これは……永久機関の稼働率が急速に低下……まさかエネルギーを吸っているとでもいうのですか!? この《絶魔禁域ロスト・スペル》の領域で!』



 珍しくアゲラ・ノーマンが慌てた声を上げた。

 彼の告げた通り、永久機関は光を失いつつあった。その理由は純白の悪魔がエネルギーを吸収し、変化したからだ。

 現れたのは透き通る白をたたえる竜。

 頭部からは鋭い角が二本生えており、牙は鋭く、羽毛に覆われた翼は高貴さすら感じる。

 しかしその一方でこの世のものとは思えないほど悍ましい色をしたオーラを放っていた。白い竜と化した黒衣の男は、その牙の並ぶ口内へとオーラを圧縮する。

 永久機関から吸い取ったエネルギーを存分に使った一撃は閃光となって放たれた。





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