第305話 黒衣の男③
アゲラ・ノーマンは研究設備の奥に立てこもり、時間を稼ごうとしていた。緊急用の隔壁を次々と下ろしていき、また魔術防壁をかけていく。更には電撃やレーザーなどのトラップも多数起動した。しかし黒衣の男はそれらを全て一刀で切り伏せ、着実に近づいていくる。
まるで未来が見えているかのようにトラップすら見透かしていた。
「……また監視カメラが壊されましたか」
何よりも怖いのは隠しカメラすら的確に破壊してくることだ。監視用のカメラを尽く破壊するせいでまともに状況を掴むことができない。精々、カメラが破壊されたことからその位置に黒衣の男がいるであろうことは分かるが、それが分かったところで対策のしようがない。
僅かな時間で八割の防壁を突破され、目前まで迫っていた。
アゲラ・ノーマンがいる場所は研究設備の最奥であり、ここよりも奥になると永久機関が設置されている炉しかない。つまり逃げ道がないのだ。
「非常用エレベーターも機能停止。こうもピンポイントに配線を潰されますか」
黒衣の男には隙がない。一手ずつ追い詰めるように仕掛けてくる。
こうしている間にも着実に近づいており、もう間もなくここへやってくるだろう。彼だけの研究施設ということも相まって、ここにはアゲラ・ノーマン以外誰もいない。頼れるのは自分だけ。間違いなくアロマたちの援護は間に合わないのだから。
そしてこのままでは殺されると察したアゲラ・ノーマンは、急いで機器を操作し、高速でキーを叩いて何かのプログラムを作り上げる。
「この速度なら間に合うはずで――」
しかしその瞬間、彼の右腕が肩から斬り飛ばされた。更には向かい合っていた機械も切断され、火花が散って画面が暗転する。
アゲラ・ノーマンは残る左腕で何とか操作を完了させ、プログラムを実行した。
そして振り返る。
すると厳重にロックされた隔壁が切り刻まれ、崩れ落ちる瞬間であった。
「見つけた」
黒衣の男は無表情で告げる。
そして容赦なく剣を振り下ろし、アゲラ・ノーマンを真っ二つに引き裂こうとした。だが、それは光り輝く盾のようなもので受け止められる。
これこそがアゲラ・ノーマンの真の魔装であった。
尤も、虚飾王によって与えられた人工魔装なのだが。
彼は全身を覆うように反魔力の盾を生み出し、落ちていた右腕を拾う。そしてこれを右肩へ触れさせると、一瞬で繋がって元通りになった。彼は人間ではなく、古代兵器トレスクレアの端末に過ぎない。その身体を構成するナノ粒子は自由自在であり、魔術を使うまでもなく再生可能だ。
更に彼は反魔力を凝縮して弾丸のように放ち、黒衣の男を攻撃する。
しかし黒衣の男は剣でそれらを弾き落とした。
(私の反魔力で対消滅しない? この男の剣はどうなっているのでしょうね)
反魔力はこの世を構成する魔力と反対の性質を持つ。濃度を高くすれば物質すら消滅させてしまうのだ。それが機能しないということは、黒衣の男の剣が特別ということ。
(まさかあの剣……反魔力で作った魔装とでもいうのですか?)
刃を伸縮させ、ありとあらゆるものを切断する。
これはまるで『剣聖』シンクの魔装であった。
そう考えたアゲラ・ノーマンは背を向けて研究室の奥へと向かう。そこにある扉を反魔力で分解し、その中へ進む。彼を追う黒衣の男も駆け足で詰め寄り、刃を振るっていた。その度に周囲の機械が両断され、アゲラ・ノーマンの纏う反魔力結界も削られていく。
黒衣の男は狭い通路内でも容赦なく刃を振るい、左右の壁ごとアゲラ・ノーマンを切断しようとする。通路に取り付けられている機械や配線が火花を散らした。
「くっ……」
遂に刃がアゲラ・ノーマンを捉え、その背を大きく切り裂く。あくまでも人形兵器でしかないアゲラ・ノーマンは決して血を流さない。傷を負ってもナノ粒子が補完するため、あっという間に再生する。これがトレスクレアの強みだ。人型の身体は外装でしかなく、人工魂が損傷しない限りは滅びることがない。更には虚飾王から与えられた反魔力によりあらゆる魔術や魔装を無効化し、物質すら消滅させる。故に古代において脅威とされた。
だが、黒衣の男はそのトレスクレアを一方的に追い詰める。確かにアゲラ・ノーマンは戦闘タイプのトレスクレアではないのだが、別に弱いわけではない。Sランク聖騎士として充分なほどの能力を秘めている。それでも彼の得意分野は別のところにあった。
(わざわざ敵の得意分野で戦う必要もありません。それにプログラムが無事に完了しましたね)
アゲラ・ノーマンの目的は時間稼ぎであった。
彼は逃げる前にあるプログラムを作動させており、それがインストールされるのを待っていた。アゲラ・ノーマンは逃げるのを止め、黒衣の男へと振り向く。
「諦めたか? いや、これは……」
黒衣の男は即座に何かを理解した。
セシリアから奪った未来視の力により、アゲラ・ノーマンが何をしようとしているのか察したのだ。また同時に、どうやってもこのタイミングからはアゲラ・ノーマンを殺せないという未来も見てしまった。
「ちっ……これが未来視の弊害か」
このままではアゲラ・ノーマンを殺すどころか、自分が殺される。
そんな未来を見てしまった。
故に黒衣の男はターゲット殺害ではなく、自分の安全を優先する。ほぼ同時にアゲラ・ノーマンは全身を青白く発光させ、次の瞬間爆発した。自身の外装をパージする自爆攻撃だ。例えば敵に捕らわれた場合でも即座に自爆することでトレスクレアの情報を渡さないようにできるのだ。事前に自身の
ただ、そのアップロード先は現在月に封印されている虚飾王である。
アゲラ・ノーマンはこれを改変し、自身の魂をアップロードできるデータバンクを作っていた。
『アップロード完了。知覚系システムをリンク。再起動中。再起動まで現行人工知能がシステムを代行』
そんなアナウンスは通路が崩落する音によって掻き消される。この最深部研究施設は永久機関を管理するための設備でもあり、この通路は反応炉の真上を通っている。つまりここが崩落すれば、
アゲラ・ノーマンはこれを狙い、自身の外装を自爆させた。
だが黒衣の男は未来視によって予見しており、空を飛べる悪魔を召喚して逃れる。
『最重要深部に侵入者を検知。排除します』
永久機関は人工知能によって大部分を管理されている。特に侵入者に対しては慈悲なく始末するようにプログラムされているのだ。管理者IDのない黒衣の男を検知し、早速とばかりに排除を開始した。
「ちっ……」
落下していく男は壁に向かって鎖を伸ばし、突き立てて落下を防いだ。弧を描いて壁へと向かっていき、その直前に刃を振るって壁を切断する。その奥には左右に通路が広がっていた。
より正確には未来視でそこに通路があるということを理解した上で斬ったのだが。
しかし黒衣の男はその中に着地してすぐに、再び反応炉のある空間へと飛び出していく。その理由は通路から勢いよく飛び出す樹木であった。あのまま通路にいたら全身を串刺しにされていただろう。しかし死角となる左右の通路から押し寄せた完全な不意打ちも、黒衣の男は既に知っていた。
再び反応炉の空間へと身を投げ出した彼は、再び悪魔を召喚する。
更に黒衣の男は空中で器用に体を操り、全方位を切り裂いた。これによって空中を漂うドローンは総じて排除されてしまう。その間に彼は反応炉を塞ぐ
この間にも戦場は激しく変化していく。
「総員! 攻撃開始!」
樹木と共に現れたアロマが宣言した。国中から集めたゴミを反応炉へと放り込むため、永久機関が設置された空間の壁面にはベルトコンベアが取り付けられている。そこから聖騎士たちが現れ、全方位から一斉に魔装や魔術による攻撃を開始したのだ。
またアロマ自身も魔装の樹木を大量に生成し、反応炉で踏ん張る
そこで黒衣の男は新しい悪魔を召喚した。
魔術陣を通して現れたのは人型の青白い何かである。それが出現した瞬間、殺到していた魔装や魔術による遠距離攻撃が反射されてしまう。反射された攻撃は反応炉空間壁面にぶつかり、爆発や振動を巻き起こした。
「攻撃を止めろ! 崩れたら終わりだぞ!」
これでも崩れないのは壁面が強化オリハルコンによって覆われているからだが、いつまでも保たれるとは限らない。慌てて聖騎士の一人が通信機に向かって叫ぶ。
また目撃例のない魔物だ。
アロマを含め、攻撃が反射されたことを警戒して一度様子見に入る。こうして囲い込んでいる以上、聖騎士側の有利は揺らがない。そう考えての判断だった。
だが黒衣の男はこの隙を使って刃を伸ばし、アロマを貫こうとする。他の聖騎士より内側に出ていた彼女は格好の的であり、左肩を骨ごと貫かれる。咄嗟に反応して身を逸らさなければ心臓が潰されていたであろう正確な一撃だった。
「アロマ様! クソ!」
「あいつを攻撃だ!」
「止めなさい! 攻撃は……」
アロマは肩を抑えつつ止めたが、少し遅い。
四人の聖騎士が一斉に攻撃してしまう。彼らは四人ともが銃の武器型魔装士であり、属性や特殊効果の込められた魔弾が発射される。しかしそれは青白い人型の悪魔が展開する力場に触れた瞬間、跳ね返って聖騎士たちを貫いた。
彼らが悲鳴を上げて落ちていくのを、アロマが樹木を伸ばして受け止める。その間にも黒衣の男は執拗にアロマを狙っており、落ち着く隙もない。樹木を操って刃を逸らし、あるいは自分自身を運んで回避する。
そうしていると耳元にノイズのかかった声が聞こえてきた。
『あれは
「アゲラね。どこにいるの?」
『それはまた後で。まずは私の解析結果を手早く述べます。あの悪魔使いはこちらの攻撃に対して人間の反応速度を超えた対応を見せています。しかしながら私が観測した限り八度、こちらのアクションより先に対処を開始しています。このことから、悪魔使いは未来を見通している可能性が高いでしょう』
「どういうこと? つまりあの男は剣の魔装、悪魔を操る魔装、鎖の魔装、そして未来を見る魔装の四つを持っているとでもいうの?」
『どうでしょうね? しかし幾つ魔装を持っていたとしても問題ありません。これより反応炉全域にある魔術を発動します。死にたくなければ五秒以内に退避してください』
突如として通信してきたアゲラ・ノーマンは、脈絡もなく魔術の起動準備に入る。すると黒衣の男はアロマを狙うことを止め、ある場所に向かって剣を振るった。瞬時に伸びた刃が反応炉空間の内壁を切り裂き、大量の火花を散らす。
だがそこには聖騎士もおらず、ドローンも飛んでいない。ただ無意味に壁を切っただけに見える。
しかしアゲラ・ノーマンからすれば驚くべき一手であった。
『今ので魔術用の回路を潰されました。やはり未来視ですか』
「どうするの?」
『仕方ないのでアロマさんのソーサラーリングに術式を送信します。どうやらそれを防ぐために悪魔使いも執拗にアロマさんを狙っているようですね』
「なら、私が生き残ればいいのね?」
『私の考える勝ち筋はそれだけです。術式のインストールが完了するまでの間、全ての聖騎士は何としてでもアロマさんを守ってください。これから使う魔術は覚醒魔装士でなければ魔力が足りま――』
すると黒衣の男はアロマに向けて手を伸ばす。
『――避けてください』
次の瞬間、空間に巨大な黒い穴が生じた。それは周囲の物質を丸ごと飲み込み、内壁を覆うオリハルコンの強靭さすら無視して一帯を破壊する。
アゲラ・ノーマンの警告がなければ、アロマもそこに飲み込まれていた。
「どうやら五つ目の魔装……みたいね。どこかで見た能力だわ」
ブラックホールの如き破壊能力は、かつて『無限』の聖騎士と呼ばれた男のものに似ている。球状に抉れた壁を見て、アロマは溜息を吐いた。
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