第304話 黒衣の男②


 シュウは黒衣の男を観察し、その変化からある程度の警戒をしていた。一つは使用している剣である。折れたところから再生しているので、間違いなく魔装だ。鎖を使った能力を含めれば二つということになる。二つの魔装といえば『黒猫』のような過去の実験体や、『聖女』セルアを思い浮かべる。だが黒衣の男は額に第三の眼を保有しておらず、少なくとも関係があるとは思えない。

 何よりも大きな変化は左目であった。血のような赤であったはずが、宝石のような青になっている。そのせいか大きく印象が変わっていた。



「その目はどうした? 色が変わっているな」

「……」



 黒衣の男は無言で剣を構える。

 その間に周囲を青紫の蝶が舞った。



(この蝶、魔物か)



 シュウは死魔法を発動して蝶を殺し尽くす。

 すると黒衣の男の姿が掻き消えた。



「なるほどな。幻影を作り出す系統の能力だったか」



 やはり黒衣の男は極端にシュウと戦うことを避けたがっている。それだけは理解できた。また想像以上に気配や魔力を消すのが上手く、シュウもすでに追いきれない。

 思い切りのよい判断と多彩な悪魔の能力が黒衣の男の強みだ。こうして逃げに徹されると追跡するのは難しい。しかし不可能というわけではない。

 シュウはマザーデバイスを起動し、多数の仮想ディスプレイを展開する。そして密かに撮影しておいた男の画像データを取り込ませた。これによって世界中のハデス製カメラの映像から検索し、黒衣の男を探し出すことができる。シュウのデバイスがあらゆる魔晶のマスター権限を保有しているため、この技術が使われた映像デバイスは監視カメラに変貌する。それはソーサラーリングも例外ではない。あるいは街中に設置されている監視カメラの中にもハデスの技術が利用されているため、問題なく情報を取得できてしまう。

 また検索している間、アイリスにも連絡した。



「アイリス、ターゲットが逃げた。メンデルスで遭遇した例の奴だ。居場所を予知しろ」

『無茶苦茶!?』

「奴の能力はかなり高い。こちらの戦争計画を乱されかねない。下手をすれば中途半端に戦争が止まり、三百年前の拮抗状態に戻りかねないぞ。大帝国同盟圏が魔神教勢力に威圧的な今のうちに戦禍を広げる必要がある。大量に悪魔召喚されて、戦争が一時でも止まったら困る」

『と、とりあえず探すだけ探してみるのです。期待しないでくださいよー』

「適当でもいい。探せ。俺もハッキングで捜索する」



 逃亡した黒衣の男を確実に仕留めるべく、シュウとアイリスは動き始めた。






 ◆◆◆








 無事に虚構星雲ネビュラス・テラを仕留めたことで、マギア大聖堂は安堵に包まれていた。悪魔による襲撃という大惨事を無事に解決できただけでなく、それを永久機関に落とすことで莫大なエネルギーを確保できた。これだけでお釣りがくるほどである。

 実際、地下研究所で一息ついていたアゲラ・ノーマンも機嫌がよかった。



「これで例の兵器を完成させるエネルギーが補填できましたね。これならディブロ大陸にもエネルギーを送って追加建造することも可能……要塞を三機、水壺すいこも四機は堅い。ならば資材の多くを水天すいてんに回して生産数を上げておくことも考慮するべきですか。となると製造ライン計画を組み直す必要もありますね」



 彼は大量のディスプレイに囲まれつつ今後するべきことを呟く。大帝国との戦争で神聖グリニアを盟主とした魔神教勢力はかなり追い詰められている。

 現在の戦線は主に二つ。

 一つはロレア・エルドラード連合軍とバロム共和国軍が戦う北の戦線。もう一つはエリス・モール連合軍とコルディアン帝国が戦う南の戦線だ。

 殲滅兵を派遣しているものの、スバロキア大帝国が開発した航空兵器により一方的な爆撃を敢行され、戦線は徐々に押されている状況であった。このままの状況が維持されれば数か月以内にバロム共和国とコルディアン帝国は落とされるだろう。

 だからこそ、神聖グリニアはアゲラ・ノーマンに対して航空兵器の開発と建造を要請していた。



「ふむ。これならば三か月もあれば一機は投入できそうですね。であればそのデータを採取して残る兵器にもフィードバックすれば……」



 兵器さえ完成すればアゲラ・ノーマンは神聖グリニアに対して義理を果たしたことになる。そして元の研究に戻れるのだ。

 しかし順調だと思っていたところで再び異変が起こる。

 幾つもの警報器が連続して鳴り響いたのだ。



「これは……また侵入者ですか」



 アゲラ・ノーマンは監視システムにアクセスし、侵入者の姿を画面に映し出す。よほど動きが速いのか画像が掠れており、はっきりとは見えない。しかし幾つかのデータを参照し、解析することですぐに詳細を導き出した。

 画面に現れたのは黒衣に身を包んだ純白の男であった。まるで病人のような肌であり、あらゆる色素が抜けてしまったかのようである。ただ瞳だけは宝石のような青であった。

 当然ながら見覚えなどない。

 しかし猛烈な速度で迷いなく聖堂地下を進み、研究所へと向かっていた。

 そこでアゲラ・ノーマンは通信を開き、連絡する。



「また侵入者です。現在は八番ゲートを通過し、一直線に地下へと進行中。黒衣に身を包んだ男です。捕えてください」



 マギア大聖堂は再び騒ぎに包まれた。










 ◆◆◆










 聖騎士たちは虚構星雲ネビュラス・テラを倒し、一息ついていた。しかし休んでいる暇はない。重要設備である神子居住区の確認が必要だからだ。聖騎士の一部は状況不明の神子を探すために派遣されていた。そして黒衣の男によって左目を奪われ、気絶していたセシリアが発見される。

 慌てて治療され、神の霊水を与えられたがその目が復活することはなかった。



「どういうことでしょう? 欠損部位すら再生させるはずですが……」

「再生の魔術を使いますか? 《常回復リジェネート》ならばあるいは」



 それで試しに《常回復リジェネート》を発動するも、やはりセシリアの眼は治らない。血は止まっているので効いていないということはないのだが、眼球は再生しないままであった。



「ひとまずは保護だ。神子様を安全な場所にお連れせよ。それに爆発で街のほうにも不安が広がっている。司教様方が対処しておられるが、我々もすぐに見回りに行かねばならない」



 今、神聖グリニアは大帝国との戦争で劣勢を強いられている。この情勢でシンボルたるマギア大聖堂が崩れれば、国民の不安は広がっていくばかりだ。犯罪率の上昇や、敵国のプロパガンダ作戦に繋がりかねない。そのため、聖騎士による市街の見回りは急を要することであった。

 ただでさえ『剣聖』と『聖女』の異端化により不安が広がっている。

 彼ら聖騎士ですら、良くない先行きを案じていた。








 ◆◆◆








 地下へと潜入した黒衣の男は地面を切り裂きながら下へ下へと移動していた。途中で遭遇する聖騎士も一刀のもとに切り伏せ、強引に進んでいく。

 聖騎士たちは機器の後ろに隠れつつ銃で応戦するも、全て回避されるか弾かれるかで意味をなさない。逆に伸縮する刀により一撃で障害物ごと切り殺される始末だ。



「来い、凶響鬱アナトリア



 黒衣の男の周りに青紫の蝶が舞う。

 幻影を操る群体の悪魔がこの凶響鬱アナトリアだ。広範囲を蝕む幻覚が聖騎士たちをかき乱し、黒衣の男を見失わせる。彼らは幻術によって惑わされ、同士討ちを始めた。



「ぐああああああ!」

「や、やめっ!?」

「馬鹿な! 味方に銃を向ける奴があるか! 止めろ、止め――」

「クソ。聞こえていないのか? 馬鹿、ここでそんな魔術を撃つのは」



 そしてある者が《大放電ディスチャージ》を発動する。周囲を巻き込む雷撃により聖騎士たちは感電死する者が続出した。更には電気設備をショートさせ、地下が停電に陥る。

 たった一体の悪魔に翻弄されていた。



『落ち着くのよ。総員、攻撃停止! こちらは誘い込んだわ!』



 通信機からアロマの声が響く。

 混乱する聖騎士の一部はそれすら耳に入らないが、大部分は攻撃を停止した。今回の作戦は黒衣の男を誘い込み、アロマの領域で戦うというもの。そのために聖騎士たちは遠距離攻撃を中心として足止めに徹していた。時間を稼ぎ、アロマの準備を整えるためである。

 尤も、マギア大聖堂の優秀な聖騎士を以てしても黒衣の男を止めることはできなかったが。

 金属で組まれた床を切り裂き、下へと降りた黒衣の男は目撃する。大型兵器などの試験に用いられる地下実験場が彼の落ちてきた空間であった。そこには床から壁まで一面に樹木が張り巡らされており、脱出の隙間など存在しない。



「来たわね!」



 待ち構えていたアロマは樹木龍を生み出して前面に出す。更には実験場のゲートが開き、そこから六機の殲滅兵が現れた。

 この殲滅兵は回収した戦闘データを元に改良した新型であり、対空を意識した砲台が左右に取り付けられている。六機の殲滅兵は瞬時に黒衣の男へと照準を定め、砲台から次々と魔弾を発射する。これは『魔弾』の聖騎士コーネリアが保有する魔装を応用したものであり、命中精度は非常に高い。

 次々と弾丸が黒衣の男を貫いた。

 しかしそれは揺らいで消えてしまい、別の場所に現れる。貫いたと思ったのは幻影だったのだ。



「厄介ね。まずはそれを始末しないと」



 蔦が伸びて次々と青紫の蝶へと絡みついていく。魔力を吸い取って成長する彼女の魔装は、凶響鬱アナトリアという魔物にとって最悪の相性だ。群体として存在している以上、一つの強固な実在を維持することができない。あっという間に養分として取り込まれ、凶響鬱アナトリアは撃滅される。

 これによって広域幻影が解除され、本物の黒衣の男が現れた。



「……邪魔をするな」

「そうもいかないわね。まずは何者か答えてもらうわよ。大方、大帝国からの刺客ってところかしら? 覚醒魔装士を使い捨てにするなんて、随分な扱いね」



 アロマは黒衣の男が大帝国からの差し金だと勘違いする。

 しかしこれも仕方のないことだ。マギア大聖堂の奥にまで潜入し、破壊工作を仕掛ける存在などそれくらいしか思いつかない。

 また当然ながら黒衣の男は何も言わない。

 ただ剣を振るい、迫りくる樹木龍と蔦を切断していた。その剣技は凄まじく、強大な魔物すら吸い尽くして葬る樹木龍を完全に消滅させてしまう。



(強い。私の樹木龍は魔力を吸う。ただの剣技でアレを倒すなんて)



 しかしこの樹木を張り巡らせた領域内ならばアロマに分がある。樹木は次々と種を生み出し、その種は魔力を吸って新しい樹木となる。この領域に閉じ込められたら最後、脱出などできない。強固に編み込まれた樹木を腕力で剥ぐことはできず、魔装や魔術を使おうものなら樹木に吸収されてしまうのだ。

 更に黒衣の男は目にも留まらぬ速度で動き、刃を伸縮させながら空間中を駆けまわる。あっという間に殲滅兵が分解され、次々と爆発した。

 しかし再びゲートから新しい殲滅兵が投入される。



「降伏しなさい。こちらは今の兵器を幾らでも出せるわ。あなたに逃げ道はないのよ」

「……逃げる必要はない」

「そう。なら仕方ないわね」



 黒衣の男は足元に震動を感じる。ほぼ反射で退避すると、先程までいた場所が無数の樹木によって貫かれていた。あのままいたら全身を串刺しにされていたことだろう。

 またこれらは逃げる黒衣の男を追いかけ、全方位から襲い来る。

 しかし黒衣の男も慌てた様子はなく、回避したり樹木を切断したりと簡単に対処していた。だがその間にも改良型殲滅兵は砲台を向けて魔弾を掃射する。これによって完全に逃げ道がなくなり、遂に地面から伸びた枝が黒衣の男を貫いた。

 これによって動きが止まり、男は全身を穿たれる。



「終わりよ」



 貫いた樹木を通して魔力を吸い取る。

 これによって黒衣の男は痙攣し、そして顔が消失する。目も鼻も口も耳もない卵のような頭部に変貌し、また体は骨が抜けてしまったかのようにグネグネと蠢く。纏っていた黒衣も幻影のように消えてしまい、気味の悪い人型の何かがそこに残っていた。

 アロマはこれを見て目を見開き、そして慌てる。



「まさか影重魔実ドッペルゲンガー!?」



 自分の他の生命体の姿と能力を真似るという能力を持った悪魔系の魔物だ。相手が格上の場合は劣化してしまうが、その精度は凄まじい。見た目から見破ることはまず不可能だ。

 また同時にアロマへと通信が入る。

 その相手はアゲラ・ノーマンであった。



『急いで私の研究区画に。例の男が侵入してきました』

「……こっちで相手していたのは影重魔実ドッペルゲンガーだったわ。やられたわね」

『トラップと隔壁で持ち堪えていますが、長くは持ちませんよ。近道を送信しますので、そのナビに沿って来てください』



 同時にソーサラーリングのマップが更新され、地下設備の立体図とルートが表示される。

 アロマは急いでアゲラ・ノーマンの研究室を目指した。





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