第303話 黒衣の男①


 マギア大聖堂で起こったことを観察していた『鷹目』だが、特に動くことなく情報収集に徹していた。今の彼が見ているのは崩れ去った神子居住区。そして倒れる神子セシリアである。



(これは気になる展開ですね。あの黒衣の男……)



 『鷹目』はその一部始終を目撃していた。

 黒衣の男が聖杯を掲げ、シンクを消し、そして神子から左目を奪い取ったのだ。そしてあろうことか、自分自身の左目を抉り取り、奪い取ったセシリアの眼を嵌め込んだ。

 辺りは神子を保護しようとした聖騎士の血で真っ赤に染まっており、死体ばかりが転がっている。眼を奪われて気を失っているセシリアを彩っているようにすら思えた。



「さて、あの人物についても気になりますが……問題は神子ですね。今なら誘拐するチャンスとも言えますし、計画に組み込んでみま――」



 そう呟く『鷹目』は咄嗟に頭を下げた。するとすぐ頭上を何かが通り抜ける。彼は転移でその場を離れ、近くの瓦礫の上に着地した。

 不意打ちで攻撃した犯人はすぐに判明する。



「あなたは……」

「逃したか。思ったより勘がいい」



 黒衣の男。

 髪や肌の白さとは対極に、漆黒で包まれた彼は『鷹目』の視線に気づいていた。だからこそ監視を撒くようにあの場から消え、不意打ちを仕掛けたのである。明らかに首を狙った一撃で、転移しなければ二の太刀が『鷹目』を屠っていたことだろう。



(分が悪いですね。ここは逃げるのが賢明です)



 相手は『剣聖』とまで称されたシンクを剣で打ち破ったほどだ。まともに戦って『鷹目』が勝てる道理はない。魔装で転移を発動し、この場から離れようとした。

 だが、それは失敗する。

 移動先の座標を設定すると同時にかき消されてしまった。



「これは……」

「転移は封じさせてもらった。逃がしはしない。脱出を封じる結界だ」



 黒衣の男からうっすらと光る鎖が伸び、その先で時計のような悪魔が現れる。『鷹目』ですら知らない未知の悪魔だ。魔刻巍クロノ・ギというこの悪魔は時間を操る。その能力によって周囲の時空間的連続性を掌握され、転移不可の結界を作られてしまったのだ。

 幸いなのは、結界内部であれば転移できることだろう。そこならば座標設定に失敗しないことを『鷹目』も即座に確かめた。また遥か遠くの景色が見えるということは、光などを遮断しているわけではないのだろう。



(そうなると物理的に素通りできるかどうか、ですね)



 『鷹目』は転移できる限界の領域まで移動する。そして結界表面に手を触れた。すると空間中で『鷹目』の手が停止する。壁にぶつかったような感触はなく、単純にそれ以上進めないという結界だ。



(なるほど、一定以上の運動エネルギーを通過させない条件でも組み込んでいるのでしょうね。これなら私だけが通れない。そして外からは結界が張ってあるようにも見えない。これは良くない状況ですね)



 珍しく『鷹目』は焦りを覚える。

 そんな彼の背後に黒衣の男は着地した。更には無言で刀を突き出し、『鷹目』の心臓を貫こうとする。普通なら回避不可能な速度の攻撃だったが、『鷹目』はその攻撃そのものを転移させることで防御した。刃の一部が空間を飛び越えて黒衣の男の後ろ側に出現する。

 すると刃は黒衣の男を貫いた。



「なるほど」



 しかし黒衣の男は揺らがない。さっさと刀を引き抜いた。

 すると彼の体から見る見るうちに傷が消えていく。自己再生の領域にまで至ったその回復力のお蔭で、あっという間に無傷となった。



「空間を飛び越える能力。そういう使い方もできるのか」

「ええ、所詮は初見殺しですが……」

「その通りだ。今ので俺を殺せなかった。お前は終わりだ」



 黒衣の男は目視不可能な速度で刃を振るう。即座に『鷹目』は空間を接続するゲートを出現させ、その出口を黒衣の男のすぐ後ろに設定した。

 だがここで驚愕すべきことが起こる。

 男の剣は捻じ曲げられた空間ごと斬り裂き、そのまま『鷹目』まで斬ってしまったのだ。



「なっ……!?」

「終わりだ」



 とどめとばかりに黒衣の男は返しの太刀を放つ。その刃は青白く光り輝き、間違いなく『鷹目』の魂を刈り取る威力を秘めている。

 故に『鷹目』はほぼ反射的に転移を発動し、その場から逃れた。離れた場所に現れた彼は懐から神の霊水を取り寄せ、一気に飲み干す。これによって肩から脇腹までの深い傷を一気に治癒した。

 直後、空間を歪ませて黒衣の男が現れる。

 魔刻巍クロノ・ギの能力によって空間を移動してきたのだ。



「逃げることさえ封じればいいと思っていたが、予想以上にやる。なら、空間移動そのものを無効化すればどうなる?」

「……勘弁してほしいですね」



 そう言いつつ、『鷹目』は密かにソーサラーリングを操作し、救難信号を発信した。







 ◆◆◆








 アポプリス帝国へと転移したシュウとアイリスは、ひとまず魔神ルシフェルに謁見していた。その目的はシュウが感じた未知の魔力である。この世界の全てを創造し、全てを知るルシフェルならば情報を提供してくれると考えたのだ。

 壁と一体化した荘厳な玉座で、その存在はシュウに尋ねる。



「どうした冥王。冥界の進捗報告か?」

「そちらは順調に広げている。今は致命的な欠陥を探している途中だ。それと冥府の魂浄化システムが試験稼働状態にある。スラダ大陸の戦争が本格化しつつあるからな、そこで生じた死者を優先的に浄化しているところだ。ただ、残念ながら全てには手が回っていない。取りこぼした魂もかなりあるはずだ」

「そうか。ならば良い。報告だけか?」

「いや、聞きたいことがある。人間と魔物を融合させる魔法に心当たりはあるか?」

「ないな」



 ルシフェルは即答した。

 ならば知らないというわけではなく、存在しないということだろう。そこでシュウは言い方を変えて尋ねる。



「つまりこの世界にその魔法は存在していないと?」

「ああ。強いて言うならば俺の力魔法ならば可能だろう。だが現存する『王』の中で俺以外にそれが可能な者は存在しない。三体の竜の『王』もその手の魔法ではない。怠惰王の地竜は近いことができるかもしれんが、奴がそれをする理由もないからな」

「そうか」

「だが……確かに俺は別時空から訪れた者の存在を感知した。貴様が言っているそれのことだろう?」

「ああ。どの程度の遠さだ?」

「貴様ほどではない。そもそも貴様は異常なほど遠かった。今回はかなり近い時空からの召喚だ」

「召喚、ということは意図的な呼び寄せか……」



 そこはシュウにも予想通りである。聖杯教会が使用した聖杯により、何かが呼び出された。寧ろルシフェルの発言によりシュウの予測が補強された形となる。

 問題は何が召喚されたのか、ということである。

 魔法のような普通とは異なる魔力を感じた。しかしおそらくは『王』そのものではなく、その魔力を宿しているだけというのがシュウの予想である。それが気になっていた。

 ルシフェルも訳知り顔で問う。



「貴様の目的は人と魔の分離だったな。それを融合させる存在は邪魔ということか」

「そうなる。それに魂に魔法が絡むと冥界の機能にも支障がでるからな。始末しておきたい。例のタマハミとかいう化け物といい、面倒なのが次々と来る」

「ふん。予想外だからこそ面白いのだ。決まった未来が見えているということはつまらないものだぞ? 俺も未来予知はしないからな。千里眼や過去視くらいが丁度良いのだ」



 そんな時、シュウのデバイスに通信が入る。シュウが意図することなく自動的に仮想ディスプレイが開かれた。この挙動は緊急を要する場合に機能するものであるため、シュウも多少は驚く。

 中身はメッセージではない。

 緊急の助けを呼ぶ『鷹目』からの信号であった。



「どうしたのです?」

「珍しく『鷹目』が助けを求めている。座標から見てマギア大聖堂だな」



 シュウは仮想ディスプレイを操作してアイリスに見せつつ、ルシフェルの方を向いた。



「悪いが急用だ。突然訪れて悪かったな」

「構わん。それに俺の知らん魔法というのも気になる。何かわかったら知らせろ」

「分かった。アイリス、その座標に転移だ」

「あの、それが座標が上手く定まらないのですよ。たぶん時空干渉で転移が阻害されているのだと思うのです。ちょっとずれた場所なら転移できそうなんですけど」

「何?」



 それを聞いてシュウは驚くと同時に納得した。

 転移の魔装を使える『鷹目』なら、危険な敵と遭遇しても逃げるという手が使える。転移が阻害されているなら彼の救援信号も納得だ。



「まぁいい。大方、聖堂に潜入していたのがバレたってところか? できる位置に転移しろ」

「分かったのですよ」



 アイリスは魔術陣を完成させる。

 それによってルシフェルの前から二人の姿は消えた。謁見の間で一人になったルシフェルは見事なシャンデリアの飾られた天井を眺めつつ呟く。



「別時空からの訪問者、か。これも一つの因果ならば、消すのは勿体ない。精々、楽しませてもらおう。この俺の世界を面白くしてみろ」



 全能であるルシフェルにとって、世界とは娯楽。

 本来は異端なはずの来訪者ですら許容する。ただあるがままに世界を育てる。これこそがルシフェルの精神こころを慰める唯一なのだから。







 ◆◆◆








 マギア大聖堂の崩れた一角で、『鷹目』は荒い呼吸をしていた。そこに普段の余裕はない。全身に切り傷を受け、更には足や腕には多数の刺し傷もある。また左目から頬にかけて深い傷を負っており、視力も失っていた。



「思いのほか生き延びるな。やはりまだ使いこなせないか」



 黒衣の男は目頭を押さえる。

 彼は神子セシリアから奪い取った眼を移植したことで両目ともに碧眼となっている。そして同時に予言の力を受け継いでいた。いや、奪い取っていたのだ。

 未来を見通す彼は無造作に剣を振るう。『鷹目』はすぐに転移を発動し、その視界から外れるように別の場所へと移動した。

 だがその瞬間、背を切り裂かれる。



「ぐっ……」



 振り返ると遥か遠くより刃が伸びてきており、それに斬られたのだと分かった。

 先程からこの連続である。

 どうにか回避するべく『鷹目』も転移を繰り返しているが、その度に転移先を読まれて伸縮する刀により切り刻まれる。また斬撃を転送して黒衣の男に返そうとしても、歪めた空間ごと斬られてしまうので意味がない。

 まさに最悪の敵であった。

 再び魔刻巍クロノ・ギの力で空間を歪め、黒衣の男が目の前に現れる。そこで『鷹目』はソーサラーリングにより魔術を放った。『鷹目』を中心として薄暗い霧が広がり始める。

 黒衣の男は即座に霧ごと『鷹目』を真っ二つに両断した。

 だが手応えはなく、ゆらりとすり抜けて消えてしまう。



「《幻惑黒霧イリュージョン・ミスト》。やはりそこにはいないか」



 傷を負った『鷹目』が次々と無数に現れ始め、黒衣の男を惑わす。

 これは闇の第六階梯《幻惑黒霧イリュージョン・ミスト》の効果である。霧の範囲に幻影を映し出す広範囲幻術だ。闇魔術は物質や精神など、構造物に不均衡をもたらす属性だ。この薄暗い霧は範囲内の人物へと精神干渉し、都合の良い幻影を見せる。



「だが無駄だな」



 黒衣の男は足元に魔術陣を展開する。

 それは即座に完成し、そこから次々と青紫の何かが湧き出てくる。よく見ればそれは蝶であった。それらはあっというまに《幻惑黒霧イリュージョン・ミスト》の霧を消し去っていく。薄暗い領域が青紫へと塗り替わるまではあっという間であった。

 これにより幻影で隠れていた『鷹目』の姿も露わとなる。



「……ずるいですね。何ですかそれは?」

凶響鬱アナトリアという悪魔の能力だ。覚える必要はない」



 黒衣の男はそのまま剣を振り下ろす。延伸された刃は今度こそ『鷹目』を捉えるだろう。

 未来を見通す碧眼にもその光景は見えていた。



「危なかったな」



 刃が『鷹目』へと触れる直前に、その未来は変わる。



「助かりましたよ『死神』さん」

「結界はアイリスが解除した。転移で逃げろ」



 救援信号を受け取ったシュウが現れ、黒衣の男が振るう刃を消滅させたのである。アイリスはこの間に魔刻巍クロノ・ギの張っている空間転移阻害の結界を解除していた。シュウは『鷹目』に声をかけつつ、治癒系の魔術で傷を癒す。

 すると『鷹目』はすぐにその場から消える。

 これでシュウの目的は果たせた。

 残る問題は黒衣の男である。

 青紫の蝶の群れに覆われたその男は、その場から逃げるべく魔刻巍クロノ・ギに転移を命じた。だがそれは魔力を感じ取ったシュウが死魔法で消し去る。強大な悪魔である魔刻巍クロノ・ギも死の魔法により一撃で弱体化し、二度目の死魔法で完全に死滅した。



「逃がしはしない。ここでお前に再会したのは僥倖。始末しておく」

「……仕方ないか」



 黒衣の男は刃先の消滅した剣を再生させる。

 そして青い両目でシュウを睨みつけた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る