第299話 A史接続点⑧
地下水道を抜けたシンクは、マギア大聖堂の奥の間を進んでいた。ここでは人工知能が組み込まれた警備システムも稼働しており、認証キーを持っていなければ即座に警報が鳴り響く。そうなると聖騎士が駆けつけるという仕組みだ。
既にシンクの持っていた認証キーは無効化されているため、本来ならば侵入と同時に警戒音が鳴る。しかし実際はそんなことなどなく、更には警備の聖騎士とも遭遇していなかった。
(まさかここまで簡単とはな)
もう少し苦戦することになるとシンクは考えていた。だが実際はほぼ一直線に神子セシリアの居室へと向かうことができている。
残る問題は神子を直接守護する聖騎士だ。
不意打ちを防ぐため長い通路の間に神子の部屋は置かれている。如何にシンクが気配操作の達人であっても、限度があるのだ。
(あるいは師匠ならば突破してしまうのかもしれないな)
思い出すのは神出鬼没な師、ハイレインだ。
厳重な警備が敷かれているコントリアスの王宮へと簡単に侵入し、シンクすら気付けない何かの方法を持っていた。あれがどういった技術なのかは不明だが、自分の練度不足が際立つ結果となった。
「さて……」
壁を背に、目を閉じて気配を探る。
すぐ隣を曲がれば神子の部屋に繋がる長い通路がある。二人の聖騎士が神子の部屋の前で警戒しており、一人がこの辺りを巡回している。この巡回路はシンクの現在地も含まれているため、まずはこの聖騎士一人を無力化することが先決だ。
「これで本当に裏切り者だな」
自嘲しつつ、魔装の刀を具現化させた。
◆◆◆
慣性の法則に影響されないシュウは、瞬時に黒衣の男へと追いついた。しかしかなり時間を稼がれてしまったらしく、もうメンデルスの外縁部も目前となっている。
(まぁアイリスの《縮退結界》もあるし、逃げられはしないがな)
シュウは死魔法で黒衣の男を狙う。
盾として周囲を飛び回る
だが、魔法のために意識を集中させた瞬間、あることに気付いた。
(こいつ、覚醒している)
根源量子にベクトルを与え、魔力として取り込む能力は特徴的だ。魂を観測するシュウは、渦のような魔力の動きをしっかりと捉えていた。
そして死魔法はエネルギーを奪い取ることで結果的に死を与えるという性質上、覚醒魔装士には効果がない。エネルギーは奪えるが、死にまでは至らない。
(あれだけ悪魔を召喚して操っているからもしかしてとは思っていたが、面倒だな)
そこでシュウは死魔力を練り上げ、全身から解き放つ。黒衣の男はシュウが厄介と思う程度には強い。下手に様子見するくらいなら、本気で攻撃する方がよいと考えたのだ。蓄え続けた無尽蔵の魔力から死が放たれ、黒衣の男と
すると黒衣の男は迎撃ではなく、回避を選択した。
これにはシュウも驚かされる。
(避けた? 時間操作や雷撃には耐性で抵抗したのに? ただ死魔力の効果を予測できなかったから安全策を取ったのか、それとも俺の能力を知っているのか)
黒衣の男はシュウが冥王であることも知らないはずである。だがあれほどの力を持っていながら、シュウと遭遇した瞬間に逃げを選択し、更には死魔力に対しても迷わず回避を選んだ。
また空中に身を投げた彼は、また悪魔を幾つか召喚する。しかもそれはシュウの妨害をするためではなく足場とするために呼んだものだ。雑魚とはいえ召喚した魔物を足場として使い捨てることから、まだまだ召喚ストックはあるのだろう。
シュウは死魔力を操り、黒衣の男を囲い込むことを優先した。
だが黒衣の男は振り向かずともそれを察したのか、袖の奥から光る鎖を伸ばし、建物に突き刺して自分の体を引っ張らせた。これによって空中とは思えない機動力を獲得し、あっという間に包囲網から逃れてしまう。
これによって建物に紛れ、シュウの視界からも外れた。
「なら、仕方ない。広域に爆撃すれば腕の一本くらい奪えるだろう?」
そう告げたシュウは手元に立体魔術陣を構築した。緻密な横魔術陣によって効果を設定し、縦魔術陣によってそれらをフロー通りに繋ぐ。これによって禁呪級魔術ですら人間の頭くらいの大きさにまで圧縮することができるのだ。
「今は
アポプリス帝国へと赴いたシュウは、世界の真実に辿り着いた。その中には失われてしまったアポプリス式魔術の知識も存在する。人間の始祖アダム=アポプリスが生み出したとされるその魔術は全部で百五十存在する。しかし現存しているのは炎水風地光闇に十五個ずつの合計九十個のみだ。
残る四つの属性の内、シュウが使用したのは錬金属性である。
物質の加工などの効果がメインとなっているこの魔術は、特徴として発動に材料を必要とするのだ。今回の場合、その材料は破壊されたメンデルスの街並みであった。
大地が揺れ、それらが引き千切られて小さな塊となり、宙に浮く。また小さな塊は変形して鳥のような形状となり、羽ばたいて空を舞った。次々と大地より大空へと飛び立っていく無尽の人造鳥は、群れを成して一つの塊のようになった。
これによって大地と建造物が剥がされ、黒衣の男の姿も露わとなる。
それでも男は《縮退結界》の境界面であるメンデルス外縁に向けて走り続けていた。
シュウはその背中を目視し、片手を上げる。すると空を舞う無尽の人造鳥が渦を巻きながらシュウの周りを飛び始めた。
「吹き飛べ。《
錬金の第十二階梯魔術《
これは大地を剥がして無数の人造鳥を生み出し、操るというものである。この人造鳥は群体として扱うため、大雑把な命令しか下せない。しかしそれで充分だ。
なぜなら、この人造鳥のひとつひとつが爆弾なのだから。
シュウは腕を振り下ろした。
その瞬間、飛び回っていた人造鳥の群れが黒衣の男を狙って急降下し、その身体を光らせる。この人造鳥型爆弾が無尽蔵に大地へと降り注ぎ、爆撃によって蹂躙するのがこの魔術の恐ろしい部分である。発動すれば対魔術防衛機構のないものは全て剥がされ、爆弾として利用される。都市に対して発動すれば壊滅は免れられない。
次々と破壊音が鳴り響き、土煙が空高くにまで舞い上がる。それでも空飛ぶ爆弾は尽きることがなく、大地へ向けて特攻を続けていた。
このまま続ければ一時間以上、継続して爆撃することができる。都市を丸ごと滅ぼすには充分すぎる時間と物量だ。これを対個人として放てば、死体も残らないはずである。
(《
また死ねば煉獄へと魂が流れるので、それを選別すれば黒衣の男の魂も確認できる。仮に過剰攻撃で肉片すら残らなかったとしても問題ではなかった。
むしろ魂ごと消滅させる死魔力よりましである。
ちなみにこの辺りに逃げて生き残っていたメンデルス市民のことは欠片も考えていない。逆に余った人造鳥爆弾でより広範囲を爆撃し、殺害しているほどであった。
(今回の戦争で可能な限り人間の魂を冥界のルールに組み込む。流石に全滅はさせられないが……これで多少は管理も楽になるな)
禁呪《
シュウは魂の次元を観測し、黒衣の男を探した。
仮にも覚醒していた魂だ。発見さえすれば一目で見分けられる。だが、かなり広範囲にわたって探しても目的の魂は見つからない。
「どうなっている? 《縮退結界》で反対側に逃れたということもなさそうだが」
《縮退結界》は空間を完全に閉じてしまうという隔離用結界魔術だ。少なくともシュウは魔術だけで再現が難しいと判断するほど複雑で、アイリスは魔装と組み合わせたからこそ発動できている。そう簡単に抜けられるものではない。
世界が閉じているため、東側から脱出しようとして境界面に触れると、そのまま西側に出てしまうのだ。丁度、地図の端まで行けばもう片方の反対側へと出てくるように。
シュウがいるあたりはメンデルス北東部なので、反対に抜けたとすれば南西部にいるはずだ。そこでシュウは空を飛び、北東部結界境界面へと向かった。まだ地上では土煙が待っているのでよく見えないものの、死体探しは不可能と考えた方が良さそうだからである。魂が見つからないなら、結界によって南西側に抜けたと考えるのが自然だ。
だが、そうして《縮退結界》の境界面に辿り着いたところで違和感を覚えた。
(なんだ? 空気の流れが……まさか!)
シュウが注目したのは舞い上がる土煙だ。普通ならば土煙は結界境界面で反対側へと流れていく。だがその一部は結界の外側に流出していたのだ。
《縮退結界》は外側からの侵入は受け付けるが、内側からの移動は完全に閉じ込める。境界面から境界面へと移動させられてしまうのだ。つまり土煙であっても外側に出ることなどあり得ない。
仮に目の前の光景が幻術でないならば、答えは一つだ。
「アイリスの《縮退結界》を一部とはいえ破るとは……あいつ何をやりやがった?」
驚きつつ、風を起こして土煙を払う。
そして《縮退結界》の破られた部分を観察した。
「これは……切断されている? もう奴も転移で逃げたか」
世界を隔てる境界面を切り裂く。
それはすなわち、次元を切り裂く能力の持ち主であることを示していた。そして閉じられた世界から一歩でも外に出れば転移でどこにでも逃げられる。シュウは黒衣の男を完全に逃したのだった。
◆◆◆
シンクは通路の角で待機し、巡回する聖騎士を待っていた。彼ほどになれば気配と魔力を巧みに隠すことで聖騎士の感知すらすり抜けられる。
そして巡回の聖騎士がやってきた瞬間、刀の柄で腹を殴り、指で眉間の急所を突くことで気絶させる。倒れた聖騎士を抱え、通路に寝かせた。
「よし、これであと二人」
あとは神子の部屋の前で警備する二人だけ。
ここからは素早く、警報を鳴らされる前に気絶させるということを優先する。そのつもりで再び神子の居室がある通路へと向かった。
だが、その瞬間に異変が起こる。
少し離れた場所で警報が鳴ったのだ。
(この方向は……奥の間、それも聖騎士本部区画か?)
警報の音は神子の住む区画とは別の場所からだ。つまりシンクとは別の侵入者がいるということなのだろう。この神子居住区は侵入の可能性を減らすために窓がほぼ存在しない。そのため外の様子は確認できないのだが、騒がしそうな気配をシンクも感じ取っていた。
いや、それどころではない。
凄まじい魔力すら感じられる。
この魔力の感覚をシンクは覚えていた。
(まさかアロマさんが戦っている? 何が起こった? く……急いだ方が良さそうだな)
どうせ警報が鳴っているのだからと、少々荒っぽく強引な手段を選択する。シンクは神子の部屋がある通路へと駆けだし、そのまま飛び込んだ。警備の聖騎士二人は当然ながら驚いて警戒体制を取り、またその正体が『剣聖』と呼ばれた裏切り者であることに気付いて動きを止めてしまう。
この区画ではないとはいえ警報がなっており、冷静な判断ができないと踏んで更なる混乱を与えることにしたシンクの作戦勝ちだった。
小さな隙さえあれば、シンクならあっという間に無力化できる。
警備の聖騎士は二人ともAランクだったのだが、一瞬で気絶させられてしまった。警備が少ない代わりに高位の聖騎士を就かせていたのだろうが、賊ならばともかく今回は相手が悪かった。
「さて」
気絶させた聖騎士をそっと寝かせ、シンクは扉をノックしようとする。
だがその直前に内側から扉が開かれた。
「来ることは知っていたわ。入って」
「……流石ですねセシリア様」
神子セシリアは落ち着いた様子でシンクを招き入れた。
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