第298話 A史接続点⑦


 すっかり人のいないメンデルス大聖堂を進むシュウは、特に急ぐ様子もなく奥へと進む。こうして聖堂の中をじっくりと見学するのは初めてのことで、天上壁画などを眺めながら歩いていた。

 不意にシュウのデバイスが通信を受信する。

 それを開くと仮想ディスプレイが展開され、アイリスが画面いっぱいに映った。



「どうしたアイリス」

『悪魔系魔物が暴れているのですよ。そろそろ逃げる場所もなくなってきたのです。私が倒してもいいですか?』

「残っているのは業魔人デモノイド憑霊伏魔ジン・アラフだったか。メンデルスの生き残りの数はどうなっている?」

『もうほとんどいませんよ』

「俺が戻るまでは結界を維持しておけ。後で魔物も始末する」

『すぐには倒してくれないのですか?』

「無理だと悟ったら逃げてもいい。俺一人で何とかする」

『む。そこまで言われたら黙っていられないのですよ! ちゃんとお仕事を完遂するのです!』



 やる気を出したのか、アイリスの側から通信が切れる。

 如何に彼女が覚醒しているとはいえ、高度な結界を維持させているのだ。あまり無茶をさせるわけにはいかないだろう。



(さっさと終わらせるか)



 シュウはペースを速めて奥へと進む。

 一般信者の侵入が許可されていない奥の間へと踏み込み、すぐにシュウは遭遇することになった。明らかに神官とは思えない、黒衣の男と。








 ◆◆◆








 電波塔の頂上付近に立って結界を維持するアイリスは、ほぼ全滅したメンデルスで暴れまわる二つの悪魔を眺めていた。

 その一体は業魔人デモノイド

 魔力を物質化させて自在に操る破滅ルイン級の魔物であり、アイリスもかつて見たことがある。変幻自在なその能力は使いこなせば驚異的だ。しかも今回の業魔人デモノイドは前回と異なり、領域そのものを結晶化した魔力の世界へと塗り変えているほどである。まるで青白い水晶の渓谷であった。



(もう一体も危険ですね)



 そして別の方角へと目を向ければ、様々な建造物や地面までも取り込んで巨大化した憑霊伏魔ジン・アラフがいる。物質に憑依する特性もあり、その肉体は不滅そのものだ。物質と同化することで無尽蔵の体力と体を手に入れているに等しいのだから、脅威でないはずがない。

 様々な兵器や魔術で攻撃に晒されながらも、止むことなく破壊活動を続けていた。



(どちらも結界を維持したまま倒すのは不可能ですね。憑霊伏魔ジン・アラフはまだ遠いですけど、業魔人デモノイドは近づいていますから……少し警戒した方がよさそうですかねー)



 悪魔たちも自分たちが閉じ込められていることには気づいているだろう。

 アイリスはアポプリス帝国を見学したことで、悪魔という魔物が本当に知能の高い魔物であることを理解している。異形の姿であるからと知能も獣のようだと侮ってはいけない。

 こうして見ると、やはり魔物とは人間と比較して圧倒的な力を持つ。それは進化という特異能力だ。魔物にとって最大の力は進化だといえる。進歩しかできない人間とは種族として格が違う。



「人と魔を別つ……シュウさんの目的に賛同したからとはいえ、あまり見たい光景ではないですねー」



 破壊、悲劇、絶望。

 それらが渦巻き、濃縮される光景を眼下にアイリスは呟いた。







 ◆◆◆







 黒衣の男はシュウの前で立ち止まり、ジッと睨みつけた。

 一方でシュウからしても黒衣の男に目を付け、またその背後に目を向ける。



「お前、何者だ?」

「……」

「何も言わない、か。その背後の悪魔……いや悪魔じゃないな。なんだそれは?」



 黒衣の男に従う青白い肌の何か。

 それらは姿こそ悪魔のように見える。しかし気配と魔力の感覚から魔物とは少し異なるように見えた。そして似たようなものを先程見たばかりのシュウは、ある程度の予測を付けた。



「人間と魔物を融合させたか」



 すると黒衣の男は何も言わず、サッと片手を上げる。すると異形たちが前に出て、シュウへと襲いかかり始めた。そのような奇襲にもならない攻撃なら問題ない。

 シュウも死魔法を発動し、その魂からエネルギーを抜き取る。魂と肉体を結び付けるエネルギーを消し去られた異形たちは魂が遊離し、煉獄へと消えていく。

 冥界を構築した今は魂を丸ごと奪い取るのではなく、その結合エネルギーを奪い取ることで死を与えている。魂の循環を生み出す仕組みを作った以上、それを最大限に利用するつもりなのである。また冥界そのものが死魔法によって生み出されているため、相性が良い。結果として少ない労力で魂を抜き取り、対象を殺害できるようになった。わざわざ全てのエネルギーを奪う必要が無くなったのだ。それだけ一度に大量の存在をロックオンすることができる。

 瞬時に皆殺しにしたシュウは、続いて黒衣の男へと手を伸ばす。

 しかし男は魔術陣を展開し、無数の悪魔を召喚した。そのほとんどが雑種ウィード級であり、数を優先した召喚だ。しかし視界と感知が惑わされる。



「面倒な」



 そこでシュウは空間中に魔術陣を広げた。無数の斬撃を設置する《斬空領域ディバイダー・ライン》により、雑魚の悪魔は切り刻まれていく。

 しかしこの間に黒衣の男は魔腐鳥カルガリウスという高位グレーター級悪魔の足に掴まって上に逃れていた。この悪魔は全身が硬い羽に覆われた鳥型悪魔であり、高い機動力から繰り出される体当たりが脅威である。その体表を利用して天井を破り、外に逃れたのだ。



「逃すか」



 浮遊して追いかけるシュウを足止めするためか、更なる悪魔が召喚される。



「こいつは甲魔蟲鎧グロリアスか」



 シュウの眼前には巨大な悪魔が出現する。巨大な珍しい悪魔で、蟲のような見た目をしている。長い八本の脚が特徴的だ。この脚によって巨体を高い位置に維持し、腹にある巨大な単眼は睨みつけるだけで対象を石化させる力がある。

 長い脚を使って相手の真上に覆い被さり、石化の魔眼を使ってくる災禍ディザスター級の悪魔だ。

 その巨体が盾となって黒衣の男を隠し、また魔眼がシュウを睨みつける。



「fo mi kigeen」

「何を言っているか分からん」



 死魔法で魂を遊離させても、その身体が霧散するまで時間がかかる。そこで死魔力を使い、強制的に葬り去った。

 崩れ去っていく甲魔蟲鎧グロリアスの死体を突き破り、シュウは黒衣の男を追いかける。既に天井には大穴が開いており、シュウもそこから飛び出した。そして周囲を見渡すと、魔腐鳥カルガリウスの背に乗った黒衣の男が外へ向かって去っていくのが見える。

 そこでシュウは今度こそ邪魔されないよう、ナイフを取り出した。世界の時を遅らせる魔術、《死神グリムリーパー》が発動する。

 これによって世界が停滞し、シュウだけが動ける世界になった。

 だが黒衣の男は停滞することなく移動し続けている。



「時間魔術対策まであるのか」



 黒衣の男の背中から鎖が飛び出て、その頭上に歯車が無数に組み合わさった巨体が出現する。それはまるで時計であったが、文字盤の部分が目玉や牙の並んだ口になっている。

 シュウはその存在を知っていた。



魔刻巍クロノ・ギ……やはり時を操る悪魔も従えていたか。いったいどれだけの悪魔を持っている?」



 少なくとも普通の人間には不可能だ。

 先程から何度も見えている鎖のようなものが秘密なのだろう。おそらくは魔装。しかも覚醒した魔装であるとシュウは考えていた。

 この様子では複数の悪魔を従えることで、その特徴に沿った耐性を得ているに違いない。

 仕方なく《死神グリムリーパー》を解除し、死魔法で魔腐鳥カルガリウスを撃ち落とすべく狙いを定めた。だがその瞬間、シュウの視界を塞ぐようにして青白い水晶が壁となって現れる。

 業魔人デモノイドが邪魔をするべく現れたのだ。



(予想はしていたが、やはりこいつらも……)



 またそうしている間に背後で地面が揺れた。同時に影が差し、夜のように暗くなる。

 振り向くと大量の建造物や地面を取り込んだ憑霊伏魔ジン・アラフが両手を組み、ダブルスレッジハンマーを繰出そうとしていたのだ。

 しかしそこでシュウは慌てることなく、ただ魔力を込めて呟く。



「邪魔だ」



 すると憑霊伏魔ジン・アラフの腕が吹き飛んだ。

 如何にシュウでもルシフェルのように言葉を魔力として具現化することはできない。しかし、発した言葉を魔術的に増幅し、圧縮することならばできる。振動魔術によって音波を衝撃波に変換したのだ。シュウほどの魔力によって放たれる衝撃波は火山の爆発にも匹敵する。

 腕を破壊された憑霊伏魔ジン・アラフは動きを止めてしまう。

 しかしその間に業魔人デモノイドが魔力の槍を生成し、シュウの邪魔をする。その鋭さも速さも普通ならば対処しようがない。



「邪魔だと言った」



 だが、シュウは睨みつけるだけでそれらを破壊する。

 魔力を固めた槍が業魔人デモノイドの強みだが、実は弱点もある。この魔力物質は本当の意味で物質というわけではない。魔術的に硬さを再現した幻想の質感なのだ。つまり魔術によって維持されている部分を崩してやれば、簡単に破壊できてしまう。シュウは分解魔術によって魔術的効果を相殺させ、破壊したのである。

 賢者の石を有するシュウは願うだけでそれを為せる。



「もういい。面倒だ」



 シュウがそう告げた瞬間、空から二つの黒い柱が落ちてきた。その二つの片方は巨大で太く、もう一つは細い。これらは憑霊伏魔ジン・アラフ業魔人デモノイドを押し潰してしまう。

 光学を応用した物理攻撃魔術《暗黒塔》。

 それがこの魔術の名称だ。

 仕組みは単純であり、シュウの頭上にある球状結界が術の要となっている。この球状結界は三百年ほど前に封印対策として打ち上げたものだ。結界は常にシュウの頭上に存在しており、太陽の光を受けて内部を反射させつつ蓄積する。魔術により外側からは透過させ、内側からは反射により逃さない。つまり無限に光が溜め込まれていくことになる。

 そしてこの結界にはもう一つの術式が組み込まれている。

 シュウの意志一つで結界内側からの屈折率を操作し、光を散乱させることなく一方向に向けて放射するという特性だ。この一方向に放射されるという特性ゆえにその光は目に届かず、真っ黒な塔のように見える。三百年も蓄え続けられた膨大な光は、たとえ一部だとしても破壊的な威力を誇る。あらゆる物質は光圧に耐え切れず蒸発し、仮にシュウが物理的な封印を施されても瞬時に破壊できるだろう。

 勿論、シュウは霊体化してしまえばこの絶大な光を無視できる。

 かつて『浮城』の聖騎士に封印を試みられたことで生み出した対策だ。

 当然ながらこの圧倒的な物理攻撃力によって憑霊伏魔ジン・アラフ業魔人デモノイドは瞬時に蒸発してしまい、この世から消え去る。ただし、憑霊伏魔ジン・アラフは外殻が剥がれただけだ。そこでシュウは最後に死魔法を使い、その本体を殺害した。



「もうあそこまで逃げたか。逃がさん」



 魔腐鳥カルガリウスという悪魔に掴まった黒衣の男は、もう小さな豆粒に見えるほど遠くまで行ってしまった。

 シュウは既に術式の構築を始めている。

 空が暗い雲に覆われ、雷が鳴り始めていた。

 天候を操作し、蓄積した電子を収束して落とす改変禁呪、《雷威槍グングニル》である。瞬間的に天地が光によって結ばれ、直後に轟音が響き渡った。

 これで墜落したであろうと考え、閃光が途絶えた瞬間に注目する。

 だが、黒衣の男は未だに悠々と空を飛んでいた。



「避けた? いや防いだ?」



 どうしたのかは不明だ。

 先に時間魔術を悪魔召喚によって防いだのと同じく、雷に耐性のある悪魔を召喚したのかもしれない。しかしそれをするにしても、雷が降ってくるという前提がなければ防ぐことはできないはずだ。雷速とは神経伝達の速度とほぼ同じである。つまり人間は認識した瞬間に直撃してしまうことになる。あらかじめ知っておかなくては防ぐことなどできない。

 回避などもってのほかだ。



「簡単にはいかないようだな」



 仕方なく、シュウは加速魔術で自分自身を撃ちだし、追いかけた。





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