第292話 A史接続点①
その日、メンデルス大聖堂では大規模な礼拝が行われることになっていた。大規模といっても市民が参加できる礼拝ではなく、神官たちによる部外秘の礼拝である。これは特に珍しい話ではなく、儀式的な意味合いから月に何度かは行われているものであった。
だが、今日の礼拝は少し色合いが違っていた。
本来はメンデルス大聖堂司教ラスティが進行するはずだが、今日に限ってはマギア大聖堂からやってきたアステアが司式を行っている。その理由は、このメンデルス大聖堂が既に聖杯教会によって侵食されているからであった。
「見よ。祈りは偉大である。矮小な人間の言葉に耳を傾けられる神は偉大である」
アステアは聖杯教会の教皇らしく、毅然とした態度で儀式を進める。祭壇の上には青白い半透明な杯が安置されており、点滅しながら光っていた。
「神を降ろす器は満たされた。祈り、エル・マギア神に呼びかけよ」
ここにいるのは全員が聖杯教会に傾倒する神官たちだ。
マギアもまさかこれ程の大都市に異端が侵食しているとは思いもしない。マギア大聖堂に潜んだ異端派リーダーが揉み消してきたからだ。
アステアは実に効率的に聖杯を完成させた。
神子として使い潰された娘のような存在が二度と生まれぬように、神がこの世に降ると言われる終末を意図的に生み出すのだ。神が作り出す、楽園のような世界を夢見て。
「神よ! 世界を救いたまえ!」
神聖暦三百二十一年、三月三十四日。
聖杯は起動する。
大量に集められ、内部に蓄積された魔力によって術式が起動した。
◆◆◆
メンデルスは神聖グリニアでも二番目の都市といわれるだけのことはあり、充実している。人口も一千万ほどであるため、隅々まで治安が及ぶとは言い切れない。一人や二人ほど不法侵入者がいたとしても、気づかれることはない。
故にシュウとアイリスは堂々とカフェテラスで少し早いランチタイムを過ごしていた。
「気付いたか?」
「はい。大きな魔力が起動していますね」
「おそらくそれが『鷹目』の言っていた聖杯だな」
「召喚魔術が込められた魔道具の一種なんですよね? 止めるのです?」
「いや、観察する。アゲラ・ノーマンがかかわっている可能性があるからだ」
「そうなのですか?」
「古代ディブロ大陸で途絶えた魔術属性を扱えるとすれば、アゲラ・ノーマンくらいだろ。仮に他の奴らが開発していたとしても、神を降ろすなんて大それた術式にはならないはずだ。少なくとも禁呪級の術式でないと、そういう風には言わない」
予想でしかなかった聖杯の仕組みも、『鷹目』からの情報提供でその概要が掴めた。聖杯教会は密かに『鷹目』とも繋がっているらしく、彼の情報操作のお蔭で聖杯教会はこれまで隠れ続けることができた。
裏切られることを想定していなかったのだろうかと思わざるを得ない。
「仮にアゲラ・ノーマンと無関係だったとしても神聖グリニアが混乱するなら問題なしだ。その間にバロムとコルディアンを落とし、包囲網を構築する」
「本当にそれだけなのです?」
「あわよくば、という目的もある。たとえば突如としてこの街に強力な魔物が召喚されたとする。すると次はどうなる?」
「聖騎士が鎮圧する、なのですよ!」
「ああ、そうだな」
子供でも分かる答えだ。
この世界の神はルシフェル・マギアのこと。つまり魔神教が魔物と称する存在の中に神はいる。強力な存在を召喚するのが聖杯だとすれば、それに準じて魔物が召喚されると考えるのが普通だ。尤も、そこまで考察できるのは世界の真実を知っているからこそだが。
聖杯教会はエル・マギア神を降ろすつもりなのかもしれない。
だが、膨大な魔力と召喚魔術によって降臨するのは彼らが魔物と呼ぶ存在なのである。彼らの最後の儀式が完成すれば、それすなわち強力な聖騎士をおびき寄せることが可能ということである。
「俺の役目は、集まってきた強い聖騎士を討ち取ること。最後の戦いで邪魔になるのは、覚醒した聖騎士だからな」
「シュウさんが直々に戦うなんて珍しいですね」
「ああ。そろそろ上層部が世代交代しているからな。俺の恐怖を思い出してもらうつもりだ」
この日、神聖グリニアに冥王が降臨することが決まった。
◆◆◆
その印象は『黒』であった。
メンデルス大聖堂の奥にある祭壇に、『黒』は降臨した。
(これが……神なのですか……?)
儀式を成功させたアステアは、まずその疑問を抱いた。
漆黒の衣服に身を包んだ何かを神と称えることはできなかった。それは他の聖杯教会神官たちも同じであり、ざわざわと不安が広がっていく。
聖杯とは、神の器だ。これは本来の魔神教から変わらない。だが、聖杯教会はこれを人工的に作り出すことを目的としていた。人為的に神を降ろすという行為により、終末を再現しようとしたのである。
失敗したのではないかという思いがそこにあった。
だが畏れることはすれど、怖気づくわけにはいかない。アステアは『黒』の前で跪き、エル・マギア神に対してするように言葉を述べた。
「我らが神、この素晴らしき日を心待ちにしておりました」
彼らの望んだ神は降臨した。
魔神教が語る終末の通り、世界が神の楽園に変わる日だ。
全世界の信徒は神を賛美し、悪人は悔い改めながら裁きを受ける。アステアに続いて神官たちは次々と頭を垂れ、『黒』の言葉を待った。
黒衣のそれは、その内側に純白を秘めていた。雪のように白い肌と髪が対比して鮮やかに映え、目は左右で色が違う。左は血のように赤く、右は宝石のような青であった。その双眼によって跪く神官たちをじっと眺め、やがて手を翳す。
「calin」
そう、小さく呟いた。
すると黒衣の男を中心に複数の魔術陣が展開され、そこから黒い何かが現れた。それらは人型であり、背中や腰からは蝙蝠のような翼が生えている。ある者は子供のようで、ある者は大人のようだった。あるいは正装の貴族を思わせる風貌の者もいた。
その種族的特徴は魔神教の中でも有名であり、思わずアステアが呟く。
「悪魔……」
「アステア様、まさか、そんな。あれは神ではないのですか?」
「落ち着きなさいラスティ」
神聖さからはかけ離れた黒衣の男と、それに従う無数の悪魔。
これを神と称することはとてもできそうになかった。
「
「まさかあれは
「馬鹿な!
悪魔系の魔物は知能が高く、弱い個体ですら人間に匹敵する知能を備えている。つまりそれだけ確固たる意志をもっているということだ。知能の高い存在を従えることが難しいことは明白であり、それを従える黒衣の男はまさに異常だった。
まして
神官の一人が手を翳し、次々と魔術を発動し始めた。
詠唱も魔術陣もなく連続して攻撃性の魔術が放たれ、弱い悪魔が消滅していく。燃やされ、砲弾のような岩の塊に吹き飛ばされ、雷撃に貫かれ、凍り付く。一般人でも高位の魔術を自由に扱えるお蔭で、戦闘など経験したことがない神官たちですら悪魔系魔物を打ち滅ぼしていた。
だが黒衣の男も案山子のように立ち止まっていたわけではない。
彼の白髪と黒衣が宙を舞い、飛来する魔術の間をすり抜けて密集する神官たちの間に降り立つ。そしてすぐ目の前でおろおろと戸惑う初老の司祭に手を伸ばし、首を掴んで持ち上げた。
「が、あ……」
「fusieon」
すると強大な悪魔、
しかしこれで終わりではなかった。
この世のものとは思えない色のそれは流動し、司祭と
「あれはいったい……」
「危険ですアステア様! 下がってください! それと聖騎士を呼ばなくては」
「え、ええ」
早くソーサラーリングの通話機能で聖騎士を呼ばなければならない。
そうは思っていたが、アステアは目を離すことができなかった。
悪魔と共に取り込まれてしまった司祭がどうなったのか、目撃しなければならないという強迫観念のようなものに駆られていた。
殻を破り、現れたのは取り込まれた司祭と瓜二つの異形であった。顔や体格、また服装は元の司祭と全く同じである。しかしその肌は死人のように青白く、腰からは悪魔の翼が生えていた。また彼の手は鉤爪のように鋭くなっており、どこか人の形が失われているように見える。初老であったはずの肉体に瑞々しさが戻っており、顔と比べてアンバランスであった。
「まさかそんな……すぐにマギアに通達をします!」
「しかしアステア様!」
「ええ。ですがそう言っている場合ではありませんよ。人と悪魔を融合する。それが神であるはずがありません。どうやら私たちは大きな過ちを犯してしまったようですね」
「それは……」
「メンデルスの聖騎士だけでは難しいかもしれません。マギアに助けを呼びましょう」
とても認めたくない事実であった。
だが悪魔を召喚し、あまつさえ人間と融合させるなど禁忌の所業だ。シェイルアートに収監されている罪人の中には魔物と融合して限界を超えようと試みた者もいたが、それを完成させて魔術陣もなく実行してみせるなど驚くだけでは足りない。
また悪魔と融合した司祭は虚ろな目で周囲を見渡し、人間を襲い始めた。
「お、おおああああおあおあおおあおあああっ!?」
殴る、蹴る、咬みつく。
そんな原始的な攻撃によって神官たちは肉片となった。魔物を思わせる人外のパワーによって蹂躙していく。また、その間にも黒衣の男は止まらない。
全身から不気味な液体のようなものを放出し、逃げ惑う神官を捕らえ始めたのだ。そして捕らえたら蠢く流体によって包み込み、同時に周囲の適当な悪魔を取り込む。再び脈動し、やがて卵を破るかのように内側から人と魔の融合体が出現するのだ。
アステアは周りの神官たちがソーサラーリングで魔術を連射する中、マギア大聖堂司教だけが持つ特別回線を利用して呼びかける。
「緊急事態です。メンデルス大聖堂に聖騎士を。このままでは大きな被害が出ます。どうか助けを。私は取り返しのつかないことをしてしまったようです」
懺悔と共に、マギア大聖堂へと救援を要請した。
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