第291話 A収束②
Sランク聖騎士『剣聖』とも呼ばれたシンクは世界最強の剣士であると言われている。実際の最強は彼の師匠ハイレインなのだが、その存在は裏社会に埋もれているので表向きにはシンクが最強だ。そんな彼は日々の鍛練を欠かすことがない。
「……ふぅぅぅ」
ゆっくりと息を吐きだし、ただ剣を構えたまま佇む。
彼にとって剣とはただ振るうだけではない。無駄を排した無想の剣こそが求める先だ。彼の師ハイレインが教えた剣術の中に、具体的な剣の技はなかった。間合い、足運び、そして呼吸。これこそが究極の業なのである。
故に室内にいながら、彼は剣の腕を磨いていた。
「……来たか」
シンクは魔装の刀を消し、首だけ振り返る。
するとそこには目元を隠す仮面をつけた『鷹目』がいた。音もなく転移で現れた『鷹目』の気配を瞬時に把握したことから、練り上げられた彼の実力も感じ取れる。
おそらくこの世界でシンクと
この間合いならば『鷹目』は一瞬で殺されてしまうに違いない。だから『鷹目』は決して油断せず、注意深く、まずは軽く一礼して話しかけた。
「準備が整いました。神子セシリアの警備予定、脱出ルート、また脱出用の車、転移ゲートのパス、必要なものは全て揃っていますよ」
「そうか。感謝する」
そう返すシンクに対し、『鷹目』は懐から一つの小箱を取り出した。またそれをシンクへと渡す。受け取ったシンクは無言でそれを開いた。
中身は種々のデータが込められたソーサラーリングである。
「当日はこれを着用してください。脱出ルートの記された地図、車の認証、転移ゲート用パスのデータがすべて入っています」
「分かった。俺が動くべきはいつだ?」
「六日後ですね。その日メンデルスで騒ぎが起こる予定になっています。そこに聖騎士も多く派遣されることでしょう。Sランク聖騎士もね。その日ならばチャンスです」
「そうか」
この神子誘拐においての懸念は覚醒した聖騎士であった。シンクは魔装士として最強クラスであるが、無敵ではない。多くの覚醒聖騎士に囲まれては逃げる術を失ってしまうだろう。一人ならともかく、神子を抱えたままでは難易度は跳ね上がる。
本来ならば覚醒聖騎士たちが各地に派遣され、マギアに滞在している人数が少ない瞬間を狙うべきだ。しかしスバロキア大帝国による空襲を経て、マギア大聖堂は彼らを首都マギアに留めることにした。この問題をどうするかというのが一番の難点だったのだ。
そこまで対処したというのだから『鷹目』の能力には驚かざるを得ない。
「……ちなみにメンデルスで何が起こる?」
「それは秘密です」
「Sランク聖騎士が出動するのなら、また大帝国が攻撃を仕掛けるのか?」
シンクはジッと『鷹目』を見つめるが、表情に変化はない。仮面で目元が隠されているのもあるが、見る限りは呼吸も乱れていない。よほど隠すのが上手いのか、あるいは予想が間違っているのか。残念ながらシンクには判断がつかなかった。
(俺の知らないところで戦乱が巻き起こっていく。歯痒いな)
自分の力はなんと小さいのだろうか。
そう、卑下してしまった。
◆◆◆
世界大戦が始まってから、神聖グリニアは内部に目を向けることが多くなった。本当ならばすぐにでもスバロキア大帝国に殲滅兵や聖騎士を送り込みたいと考えている。しかし予想をはるかに超える内部の荒れ具合に、ケリオン教皇は日々頭を悩ませていた。
「ホークアイ殿、情報提供に感謝する」
「いえ。こちらも仕事ですので」
「しかし我が国の内部だけでもここまで異端が浸透していたとは……」
マギア大聖堂はホークアイ・カンパニーを多用している。魔神教にも情報部は存在するものの、集める情報の多様さと解析能力はホークアイ・カンパニーに及ばない。そこでホークアイ・カンパニーに広く情報を集めさせ、魔神教情報部に裏取りをさせるという使い方をしていた。
とはいえ、裏取りなど必要ないくらいに精度の高い情報ではあるのだが。
「国内もそうですが、やはり例の魔物に滅ぼされた国が一番の問題かと」
「エリーゼ、ドゥーエ、アルべリアだね? 私も報告は聞いているが、派遣した司祭が暴徒による被害を受けたとか。やはり荒れているのか?」
「無法地帯と聞いております。寧ろ異端派が新しい秩序となり、下手に崩せばより大きな混乱を招くことになるかと。何者かによる情報操作の痕跡も見つけました」
「こちらも復興支援できる余裕がなかったとはいえ、短時間にこれほどとは」
タマハミによって滅びた小国では異端派による信者の奪い合いが横行している。また圧倒的な暴力によって蹂躙されてしまったという経緯から、民衆も直接的な救いを求める傾向にある。魔神教の本来の教えとは、清廉とした信仰と生活により優れた世界を目指すというものだ。つまり凄まじく地味なのである。
信じた先に、よりよい世界へと昇華していく。
そんなものを目指すのが魔神教だ。
だからこそ、滅ぼされた国の民たちは直接的な救いを求める。
「異端派は潰すのが難しい。ただ暴力で解体すれば良いというわけではない。本来は彼らのことも本来の教えに立ち返らせなければならない。しかしだからといって誰でも迎え入れるわけにはいかん」
「確かに、潜入した異端派神官により聖堂ごと異端化してしまった例もありますからね」
「うむ。聖堂が異端となってしまえば、都市そのものが異端の温床となる。それだけは阻止しなければならない。だから異端を排除するという思想は必要なのだ。難しいものだな」
「異端ではなく派閥として認めることも考えていると聞きますが?」
「光の党、天使聖会、真聖典、浄土天命会、神聖律派、聖杯教会。これらが今の有名な異端派だ。しかし初めから異端だったわけではない。初めは派閥として誕生し、その教えが異質であるがゆえに異端と定めることになる。しかしその逆はない。歴史として一度もな」
宗教にとって異端とはそれほど厄介な存在だ。
ただ教えの解釈が異なるというだけならば別派だが、本来の教えを削ったり、新しいものを勝手に加えたり、怪しげな
たとえば現教皇アギス・ケリオンが所属する熱心党は魔神教本流の一派であるが、そこから派生した過激派も存在する。その過激派はロレア公国大公を暗殺し、世界大戦の引き金を引いたとして現在は異端認定されているのだ。それが光の党と呼ばれる派閥である。
ある派閥は魔術の粋を集め、神を降ろす器である聖杯を生み出そうとした。だがその考えは神の領分を侵す異端であり、また生贄の儀式などを行った結果、邪悪と判断された。それが聖杯教会である。
本来の魔神教にとって毒にしかならないと判定されてしまった異端が、別派の一つとして再び認められることは非常に難しい。なぜなら、異端とは何かしらの形で魔神教にダメージを与えているのだから。
「とにかく、異端派の資金源を詳しく調べてもらいたい。反乱の兆しがあればすぐに知らせるのだ」
「そうですね。
「ああ。全くその通りだ」
この時、教皇は最後のヒントに気づかなかった。
かつては聖騎士として活躍したホークアイが、元から敵であると認識できなかった。
◆◆◆
マギア大聖堂の奥には一部の者しか入れないような場所も多い。司教だけが入ることを許される場所、聖騎士だけが入れる場所、そして神官技師だけが入れる場所など様々である。しかしそのどこよりも厳重に警備されているのは、神子の住まう場所であった。
「どうしても予言をしていただけないのですか?」
「……」
「ふぅ……困ったものだ」
その部屋を訪れた司教の一人、クゼンはあからさまに溜息を吐く。現在、神聖グリニアは困っている。追い詰められているというほどではないが、神聖グリニアにとって予言はそれほど大事だった。遥か昔からその力によって常に先手を打ち、勝者として君臨し続けてきたのだから。
しかし今代の神子セシリアは予言をしようとしない。
マギア大聖堂の司教は度々足を運び、何とかして予言を聞き出そうと試みていた。
「未来を見ることで対策を打つことができる。そうすれば何も恐れる必要はないのです。神子よ。あなたは何を恐れているのですか?」
「……未来なんて知っても無駄よ。この世界がどうなるかなんて、もう決まっているわ。今から足掻いても結果は変わらないのよ」
「何が見えているのですか?」
「私たちは一度滅びる。それは変わらないわ」
「我々には力があります。永久機関という無限のエネルギー源があります。どんなものが来ても恐れる必要はないのです。さぁ、怯えずに」
クゼンは努めて丁寧に語りかけるが、セシリアは一向に予言を口にしない。そのせいで実は予言の魔装など持っていないのではないかと疑われるほどだ。だが保有する魔装を調査して能力を分析する機械も発明されており、そのお蔭でセシリアが強力な未来視を持っていることは明らかであった。
だが、セシリアは何も言わない。
一つも予言しない。
「永久機関があってもなくても、未来は変わらないわ。滅びは必ず訪れるの。ほら、ディブロ大陸でも『王』の魔物に敗北したでしょう? あれと同じ。どうしても変えられない理不尽なの」
「だがそれも知らなければ変えられません。私は必要な備えがあれば必ず、どんな未来も乗り越えられると信じています。それが技術というものですから」
クゼン・ローウェルは魔神教技術部を統括する司教だ。故に最新技術の事情もよく理解しており、技術や知識は大きな武器だと信じている。そして必要に備えるためには神子の予言が必須であると考えていた。
しかし何度問いかけても、何度足を運んでもセシリアの答えは変わらない。
またクゼンとて暇ではない。
今日のところはここまでであった。
「また来ます。その時には予言を聞かせてください」
彼は立ち上がり、部屋を出ていった。
普段からこういったことが続いているので、あっさりとしたものである。
一人になったセシリアは、吐息と混じってしまうような小さな声で呟いた。
「……未来が動く」
歴代最高と言われる神子、セシリアは常人とは異なる視点を持つ。彼女の魔装は絶対的な視覚。普通の人間が三次元空間を光を介して認識する一方、彼女は四次元を理解する。いや、あるいは五次元や六次元の世界なのかもしれない。
少なくとも神の視点と呼べるものが彼女には備わっていた。
時空に縛られず、ありとあらゆる世界を知覚する。
それが彼女の真の能力である。
「全ては定められた調和。決まった未来と決まった世界。壊れて破れていたものが繋ぎ合わされていく。そういうことだったのね」
神子を一生の間、閉じ込めておく監獄。
そう表現するのが正確だ。しかしセシリアは何一つ悲観していないし、世界の流れの一部だと受け入れている。彼女には全てが見えている。過去も、現在も、未来も。
全てが見通せてしまう。
だからセシリアは自分自身について関心がなかった。
「あと六日。長い長い、旅の始まり」
そう言いつつ、セシリアはテーブルの上でペンを弾く。神子の持ち物だからと無駄に高級なそれは、回転しながら絨毯の上に落ちた。
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