第290話 A収束①
シンクとアステア司教の契約は単純なものであった。
聖杯に魔力を注ぎ込む代わりに、神子セシリアの下へと向かう方法を手配する。だがすぐにというわけにはいかなかった。シンクは『鷹目』に案内され、マギア内のある集合住宅の一室へと移動する。尤も、転移により一瞬での移動だったが。
「この部屋は好きに使って頂いて構いませんよ。食料は冷蔵庫や冷凍庫に入っています。それを食べてください。おそらく数日はかかるでしょうが、その間は部屋を出ないようにお願いします」
「……こんな堂々とマギア内に入り込んでいたとはな」
「転移が使えますから」
「マギアの転移阻害結界を簡単に抜ける奴がよく言う」
その阻害結界を作ったのはハデスなので『鷹目』が抜け道を知っているだけの話だ。しかしこのことを口にする『鷹目』ではない。曖昧に誤魔化した。
「早ければ二日後、遅くとも五日後にはもう一度報告に来ます。その時に貴方の撤退ルートも差し上げますよ」
「恩に着る」
「私も私なりの目的があって動いていますから。ではまたお会いしましょう」
仮面の男、『鷹目』はさっさと消えてしまう。
シンクはサッと周囲を見渡し、魔力感知で魔術的な仕掛けが施されていないか確認する。その結果、ひとまずは安心できるという結果であった。
そこで置かれていたソファにゆっくりと腰を下ろし、目を閉じて力を抜く。
(信頼できるとは言い難いが、今は手段を選んでいる場合ではない。本当なら誰かに相談したい話だが……今はソーサラーリングも信用できないからな)
自分とセルアが異端認定される発端となった、コントリアス国王との会談の録音。なぜ流出したのかはまだ不明だが、ソーサラーリングが乗っ取られ、録音された可能性が濃厚とされている。
この件からシンクも情報の扱いには特に気を付けるようにしている。
盗聴一つで命取りとなることを実感したばかりなのだから。
「俺たちだけで本当に止められるのか?」
始まった世界大戦。
渦巻く陰謀。
壊れていく日常に不安を隠せなかった。
◆◆◆
旧エリーゼ人民共和国に滞在するシュウとアイリスは、相変わらず魔神教異端派の調査と支援を行っていた。異端が力を付ければつけるほど、魔神教には負担となる。二人の仕事は非常に地味だが、確実に圧をかけていた。
「どうやら、バロムは撤退を繰り返しているらしい。近い内に……決まるな」
「意外と早かったですね」
「ああ。俺の予想以上に航空兵器に対する対策が遅い。殲滅兵に対空プログラムが組み込まれることを予想していたんだが」
「何機落ちたのです?」
「まだゼロだ。ただ幾つか攻撃が当たって破損した機体はあるらしい。アゲラ・ノーマンなら照準プログラムをさっさと完成させてもおかしくないが……別の仕事にかかりきりなのかもな」
「ある意味怖いですねー」
音速飛行する航空兵器のアドバンテージが崩れることはない。だが、殲滅兵の性能ならば追加プログラムによって対応できるようになるはずである。対空性能が高まれば、一機か二機は落とされるのではないかというのがシュウの予想であった。
だが、その予想に反して被害は軽微。
この予想は追加プログラムをアゲラ・ノーマンが手掛けることを考慮したものであるため、実はアゲラ・ノーマンが別の仕事をしているのではないかという推測に行き着く。
「そっちは『鷹目』待ちだな。あいつもマギア大聖堂の内部を色々調べているらしい」
「あの人も色々やってますよねー」
「奴の願いもいよいよ大詰めだからな。随分な執念だ。ディブロ大陸での失敗をきっかけに神聖グリニアの支配も壊れつつある。西は大帝国、内部は異端……色々な方面で忙しいだろうな。そう言えば幾つかの異端の内、聖杯教会を使って仕掛けると言っていたな」
「それって私たちが初めに手を出したところですよね?」
「ああ」
『鷹目』から送られてくる情報は正確だ。
そして『鷹目』の情報操作は完璧である。
「あいつ、本格的に潰す動きを始めたな。俺たちはひとまず傍観に徹するぞ。計画通りなら、放置しても神聖グリニア包囲網は完成するはずだ」
「異端派にはもう手出ししないのです?」
「『鷹目』が聖杯教会を選んだのなら、それで充分だ。神聖グリニアが手一杯になるまで混乱させてくれるだろうよ。俺たちに役目があれば、また連絡を寄こす。それまで待つぞ」
「踏んだり蹴ったりですねー」
お気の毒に。
それが二人の偽らざる本音であった。
◆◆◆
神聖グリニアでは大帝国による空襲を受け、都市機能の分散という試みが行われていた。正確には都市機能の予備を配置するというだけの話であり、実際に分散するわけではない。だがマギア大聖堂と密に連絡を取り合う副都市を制定し、最悪の場合は機能を代行する仕組みを作ろうとしたのだ。
その担当者として立候補したのが、アステア・フォーチュンステラ司教であった。
「アステア様、聖堂に到着いたしました」
「む? ご苦労様です」
アステアは開いていた仮想ディスプレイを閉じる。車に揺られてどれだけ時間が経ったのか。彼はソーサラーリングの機能で確認した。
(随分と集中してしまったようですね)
思ったよりも時間が経っていたと気付き、一気に疲れが押し寄せた。だがスッと背筋を伸ばし、深く呼吸して整える。その間に運転手が回り込み、彼の座る後部座席の扉を開いた。
アステアはすぐに車外へと出て、軽く見上げる。
マギア大聖堂とまでは言わないが、芸術的で神聖さを感じる聖堂であった。そして視線を正面に戻せば、高位の神官服を纏った人物がいる。
「お久しぶりですアステア司教」
「あなたも壮健で何よりです。ラスティ司教」
「勝手知りたる仲です。まずは奥へ行きましょう。どうやら今日は深く話し合わなければならないようですから」
「それがいいでしょう。お願いします」
彼が訪れたのは神聖グリニアで第二の首都とも呼ばれるメンデルスであった。またこの都市はフォーチュンステラ家の屋敷もあり、アステアの故郷であった。メンデルス大聖堂の司教ラスティは彼の甥にあたる。
アステアがマギア大聖堂の司祭となる前はこのメンデルス大聖堂に勤めていた。彼にとって、ここは勝手知りたる場所であった。
「やはりここに来ると帰ってきたという気がします」
「しかしアステア司教はマギアで働いている期間の方が長いのではありませんか?」
「故郷とはそういうものですよ。心の中で強く残り、年月が経つ毎に美化される。娘を失い、追うように妻も召された。だから余計にそう感じるのでしょうね」
「アステア様……」
「おっと。暗くしてしまいましたか」
一人残された者として、寂しさを感じないはずがない。アステアは名家の生まれということもあり、親戚は豊富だ。しかし妻と娘に先立たれ、孤独に思う時がある。
神は何と残酷なのか。
あるいは信仰を捨てぬかどうか試されているのか。
幾ら考えても答えは出てこない。矮小な人間如きの思考が神に匹敵するとは思えない。
「ラスティ、全て整ったと聞きました」
改めてアステアは問いかける。
それに対し、ラスティは目だけで周囲を確認した後、小声で答えた。
「伝書鳩でお伝えした通り、魔力は充填しました。後は儀式を行うだけです」
「そうですか。それは素晴らしい。『剣聖』……いえ、今は異端者ですか。彼の力で満たされたのですね」
「元から完成間近でしたが、あの方のお蔭で数か月分は計画が早まりました」
「あと十数年はかかる見込みでしたが、思わぬ進展ですね。どうやら旧エリーゼの辺りに配置したものから大きな魔力を回収できたのが大きいようで」
「私も驚きました。集団で魂ごと奉げたのではないかと考えて調べさせたのですが、どうもよく分からないようでして。申し訳ありません」
「必要なのは魔力が集まったという結果です。私たちは奉げられた魔力に応えるとしましょう」
メンデルスを神聖グリニアにおける第二首都とするためにアステアはやってきた。しかしそれは表向きの理由に過ぎない。大帝国によるマギア空襲を理由に、アステアは堂々とマギア大聖堂から離れることができた。
「時は来ました。世界を救う時が」
これで聖杯教会教皇として、最後の仕上げにかかれるというものである。
当然ながら、このメンデルスは聖杯教会の本当の隠れた拠点である。彼は長い年月をかけて聖杯教会の手の者を浸透させ、人事に干渉してメンデルスに集めていた。
最も疑われない密偵とはどんな人物か。
それは一人の神官として真面目に聖堂に仕え、着実に実績を残してきた者である。アステア然り、ラスティ然り、魔神教内部には聖杯教会の信者が根深く入り込んでいた。
「七日後、聖杯に神を宿します。全ての信者たちに通知する準備を」
「はい。準備を進めます」
「私はカモフラージュのためにも本来の仕事をこなす必要があります。貴方に任せましたよ」
アステアは魔神教司教としてではなく、聖杯教会教皇として命じた。そして魔神教徒としては対等であるはずのラスティは深く頭を下げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます