第289話 呼び水


 マギアは世界最先端の都市だ。

 穢れのなさを象徴するかのような白き聖堂を中心として、計画的に作られた円形の都市が広がっている。永久機関から供給される無限のエネルギーにより、その明かりが途切れることはない。摩天楼の如き聖堂よりも高い建造物を作ってはならないという法律もあり、都市全体が秩序立って見えた。

 だが、その秩序にも必ず影がある。

 ビル群の陰で、監視カメラを縫うように二人の男が移動していた。一人はフードで顔を隠した長身の男であり、いかにも不審者だと主張しているようである。そしてもう一人はこのご時世で仮面などを装着し、見つかれば職務質問は免れない姿であった。



「本当にここで合っているのか?」



 フードの男、シンクが小さく問いかける。

 すると仮面の男、『鷹目』は半分ほど振り返って肯定した。



「私のお蔭でこうしてマギアに入り込むことができたのですよ? もう少し喜べばいかがですか?」

「……正直、転移結界すらすり抜けるとは思わなかった」

「こう見えても黒猫の幹部ですから」



 シンクは接触してきた相手の大きさに驚くばかりであった。裏社会で名を馳せるその組織は、古くから存在が確認されている。神聖グリニアの記録によれば、建国した当初からすでにその影はあったそうだ。徹底的に裏の存在を排除する聖堂の意思すらはねのけ、黒猫という組織は今も跋扈している。

 その一人が目の前の男だというのだから、信じられないという思いすらあった。



(だがこの男に頼るしかないのも確か。転移をすり抜けたことから俺を罠に嵌めるために来た異端審問官ということも考えられるが……)



 正直、シンクは罠を覚悟で『鷹目』を名乗る男の提案を受け入れた。最悪の場合、聖なる刃によってすべて切り開けばよいと考えていた。反魔力を司る彼の魔装ならば、大抵は乗り切れるからだ。

 それに成果を得るためならば多少のリスクは負うしかない。

 覚悟を決めたうえでの選択だった。

 そんな彼の内情を理解したのか、『鷹目』は優しく語りかける。



「心配なさらずとも、罠にかけるような真似はしませんよ。貴方には利用価値があります」

「……そこまではっきり言われると、思うところもあるな」

「それだけ評価しているということです」



 二人は闇の奥へと進み続ける。

 ビルの間を通り抜け、地下水道へと入り、都市の中心へと向かっていた。







 ◆◆◆







 地下水道を進み続け、最終的に辿り着いたのは隠し部屋であった。地下水道の壁へと巧妙に隠された奥の空間は、一通りの生活ができる程度には整えられていた。だが、注目するべきはそこではない。部屋の更に奥であった。



「これは……空間干渉? いや、隠蔽? なんだ? ただの魔術陣ではない……」

「ほう。思ったより知識があるようですね。ほぼ正解です。これ自体に空間を移動する力はありません。しかし空間移動を禁じる結界をすり抜け、感知されないようにする効果があります」

「また転移するということか?」

「はい。この上に乗ってください」



 促されたシンクは床に刻まれた魔術陣の上に乗り、待機する。すると『鷹目』も同じように魔術陣の上に乗って魔装を発動させる。最も希少で価値の高いと言われる転移の魔装を。

 一瞬の暗転もなく、視界が塗り替わった。

 そこはシンクも見たことのある部屋であり、また目の前に座る人物を目にして思わず構える。



「やはり罠か……アステア司教!」



 デスクに両肘を置いて手を組み、柔和な笑みを浮かべていたのは初老の人物であった。シンクもよく知るマギア大聖堂司教の一人、アステアである。

 また同時にここへ連れてきた仮面の男へと目を向けたが、彼は丁度シンクの左背後にいた。攻撃するにはワンテンポ必要な絶妙かつ面倒な位置取りである。

 そうして警戒するシンクに対し、アステアは諭すように語りかけた。



「待ってくださいシンク殿。私はあなたの協力者です。私が彼、『鷹目』に依頼し、シンク殿をここへ連れてきてもらいました」

「……どういうことですか?」

「私は裏切者なのですよ。魔神教にとってね」



 彼はまず、衝撃的な言葉から始めた。








 ◆◆◆







 神聖グリニアにはフォーチュンステラ家という名家が存在する。代々神官を輩出する伝統的な家系で、この家の男子は聖堂に入って神官となる。アステアもその一人であった。

 彼は正義感の強い男で、三十を超えた頃には司祭として活躍していた。だが、そんな彼に転機が訪れる。アステアの六歳の娘が魔装を発現させたのだ。それも魔神教において最も神に祝福された魔装と言われる、未来視の魔装を。



「君の娘をマギア大聖堂で引き取りたい。ひいては君もマギア大聖堂へ異動となるだろう」



 だが、この名誉ある話に対してアステアは渋い表情を浮かべるばかりであった。神への信仰が薄いというわけではない。確かに名誉あることで、喜ばしいことなのだ。しかし問題は、彼の娘が病弱で魔装に堪え得る体でなかったということだ。



「私の娘の配慮を最大限にすること。専属の医師を付けること。他にもいくつか条件を付けさせていただきます」

「宜しい。アステア司祭の提案は全て受け入れましょう」



 最高とも呼べる待遇でアステアはマギア大聖堂へと迎え入れられ、未来視の神子の父として大きな地位を得ることもできた。

 だが神聖不可侵の神子に対し、アステアは簡単に会うことすらできない。

 神子と会うためには司教クラスの人物でなければならないからだ。

 彼は努力した。神への祈りを忘れず、清く保ち、聖堂でも他の神官より心を砕いて働いた。病弱な娘に寄り添い、慰めとなるためだ。まだ六歳の娘の励ましとなるべく、身を粉にして働いた。

 しかしアステアの娘は彼の予想以上に体調を悪化させる。



「なぜ面会すらできないのですか!」

「申し訳ございません。司教しか会えぬ決まりなのです」

「私は父親です! 娘が苦しむその時に側にいてはならぬというのですか!」

「規則を曲げることはできません。私はそれに従うことしかできません。神子様を守る聖騎士として、法を犯すわけにはいかないのです」



 融通が利かないとは言えない。

 いや本音ではそう叫びたいが、決まりを破れば聖騎士として追放される恐れもある。ましてや神子を守るという重要任務に就く聖騎士だ。もしものことを考えれば、例外を作るわけにはいかない。司祭であるアステアにもよく分かっていた。

 だからこそ、彼が清廉で正義感の強い男だからこそ、規則を守ろうとする彼らを押しのけてまで通ることはできなかった。



「……彼女を、よく見てやってくれ」



 彼にはそれを言うのが限界であった。

 だが、アステアはここで押し通るべきだったのだ。後悔したのは二十年後であった。






 ◆◆◆






「私は深い疑問を抱いています。神は祈りを聞き届けられるのだろうかと」



 アステアはシンクに向かって司教としてあるまじき言葉を投げかける。彼は非常に優れた人物として知られており、天地がひっくり返るほど驚かされた。

 だがシンクの驚愕をよそに、アステアは発言を続ける。



「司教として、様々な悲劇を目にしてきました。耳にしてきました。この世界には救われるべき人々が多くいて、そのほとんどが救われることがありません。誰かが利を貪る限り、搾取される人間が存在します。そして弱い人々は祈りが足りない、信心が濁っていると罵られる。何と酷い世の中だと思いませんか?」

「それには同意します」

「ただ、私は神を否定するわけではありません。ただ、人間の愚かさを嘆いているだけです」

「……それは先代神子、リーチェのことを言っているのですか?」



 その問いかけに対し、アステアは答えない。その代わり、笑みが一瞬だけ消えた。すぐに元の表情へと戻ったが、シンクはそれを見逃さなかった。

 長く生きる聖騎士として、シンクは歴代の神子たちをよく知っている。

 誰もが運命に翻弄され、孤独に使命を全うしてきた。神子たちが望む、望まざるにかかわらず。



「リーチェは病弱ながら不穏分子の発見に関する予言を多く残しました。俺も覚えています。彼女はアステア司教の娘、でしたね?」

「ええ。私も娘のことを誇りに思っています。今もね。だがあの子はいなくなってしまいました。私が司教となる四日前に」

「俺も覚えています。葬儀には出席しました」

「ええ。聖堂はあの子を神の御許へと送ってくださいました。ですが、私はあの子を側に置きたかった。あの子の側にいてあげたかった。私はあの子の最期の言葉すら、人伝に聞いたのです」

「……それは聞いても?」



 一瞬迷った後、シンクは尋ねる。

 するとアステアは一切の躊躇いなく、それを口にした。



「『神様は私から奪っていくだけだった』ですよ」

「それは……よく伝えていただけましたね」

「流石にあの子を守る聖騎士も思うところがあったようですね。確かにエル・マギア神は私たちに魔装を与えて下さり、私たちは戦う力を得ました。しかし人間はその偉大なる力を奪うために使っています。教えの本質を失った今の魔神教には、本当の神が必要なのです」



 そこまで言われて、シンクは自分の本来の目的を思い出す。

 ここで長く彼の言葉を聞いている暇はない。彼の演説には考えさせられるものがあったが、今のシンクが手を付ける問題ではなかった。

 アステアの言葉を咀嚼し、彼の本当の狙いを理解する。



「何が目的ですか? どうすれば俺に協力してくれますか?」



 待っていたとばかりにアステアは笑みを浮かべ、顔の皺を深くする。

 彼はデスクの引き出しを開き、そこから半透明の青白いグラスを取り出した。



「この聖杯に魔力を注いでください。そうすればシンク殿の願いに手を貸しましょう」

「聖杯……それは!」

「驚きましたか? 私こそが聖杯教会の創始者にして教皇。アステア・フォーチュンステラなのです。全ては世界の救世のため。本当の教えをこの世にもたらすため。協力してくださりますね?」



 今のシンクに選択肢などない。

 それが異端に手を貸すことだとしても、必ず神子セシリアを手に入れる必要があるのだから。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る