第288話 黒竜システムの力
二大勢力がその境界で戦争を始めたことで、神聖グリニアも対応を始めていた。それは資金援助、食糧援助、物資援助の他、やはり一番大きいのは殲滅兵の提供である。バロム共和国、コルディアン帝国に対してほぼ無制限に殲滅兵が寄こされた。
これによりバロム共和国とコルディアン帝国は自国の兵士を守りに専念させ、殲滅兵で攻撃すれば勝利できると考えられていた。
「これはどういうことだ?」
コルディアン帝国軍将軍、エータ・コールベルトは憤怒の表情を浮かべながら問い返す。その彼に報告した情報武官は震え上がり、声をすぼませながら自分の役目を全うするべく続きを語った。
「ほ、報告のままにございます。殲滅兵は謎の飛行物体により全滅。また国境の砦も破壊され、エリス軍が国境内に進軍を……」
「それは聞いた。私が言いたいのは、なぜそのような無様を晒したのかということだ。私のところに報告を上げる以上、分析くらいはできているのだろうな?」
「申し訳ございません。まだ予測の域を出ず……」
「それで良い。見せよ」
エータ・コールベルトはコルディアン帝国の覚醒魔装士である。それだけでなく、現皇帝の弟だ。つまり武力も権力も備えた絶対に機嫌を損なってはならない相手ということ。情報武官は下着がじっとりと濡れていくことを感じつつ、震える指でデバイスを操作する。
ソーサラーリング同士の暗号化通信により、情報部が解析した結果が送信される。エータはすぐにファイルを開封して閲覧し始めた。
その間の沈黙は情報武官の男にとって耐え難く、自然と足が震える。自分が立っているのかどうかもよく分からないほどに緊張していた。
しばらくの後、ようやくエータは口を開く。
「これが大帝国の新兵器か」
彼が眺めているのは辛うじて撮影できた飛行物体の写真であった。写真が一定量の光を取り込んで画像に変換する技術である以上、瞬間を切り取ることは難しい。よって撮影された飛行物体はぼやけた黒い影でしかなかった。
しかしだからこそ、飛行物体の速度も推し量れる。
また飛行物体から稲妻が閃き、地上を蹂躙する画像もある。
殲滅兵はこの兵器によって一方的に破壊され、進軍したエリス・モール連合軍によって国境を突破されてしまったというのだ。
「だが問題はこの兵器の破壊力ではない。そうだな?」
「はっ! その通りであります。敵はどういうわけか、我が軍が機密としている殲滅兵の侵攻ルートを正確に割り出しています」
「工作員が軍内部に入り込んでいる可能性は?」
「ございません。命令プログラムはオンラインから遮断されたデバイスを利用しています。またそれに触れることができるのは軍上層部と専属プログラマーだけです」
「流石にそこまで侵食しているとは思えんか」
「念のため経歴を洗いましたが、特に怪しい部分はありませんでした。今のところ、どこから情報が洩れているのか全くの不明です。あるいは大帝国に未知の索敵技術が存在するのかもしれません」
「あちらにはハデス本社もあるのだったな。その線が濃いか」
エータは自身も身に着けるソーサラーリングに目を向ける。ハデスグループが開発したトライデントシリーズとは異なる、軍用の専用デバイスだ。今となっては手放すことのできないこの機械の技術は、やはりハデスが最も蓄積している。
またトライデントシリーズの機能において最も優れているのが、ワールドマップである。観測魔術により周辺地理情報を取得し、詳細を表示することができる。観測範囲に限りはあるものの、軍事的価値は計り知れない。広範囲に機能するものであれば、敵軍の侵攻ルートや輸送ルートまで簡単に調べることができてしまう。
彼が考えているのは、ハデスが新型の観測魔術を開発して大帝国軍に提供しているのではないかという危惧であった。
「内通者の洗い出しは念のため続けろ。流石にこのレベルの機密にアクセスできるのなら、疑わざるを得ない」
「はっ!」
「下がれ」
コルディアン帝国に供与された殲滅兵の内、既に三割が撃破されている。しかもそれらは国境内を進行中に破壊されており、スバロキア大帝国の投入した新型兵器に軍配が上がっている。
「空、か」
一人になったエータは、新しい戦場の可能性に思いを馳せていた。
◆◆◆
バロム共和国は一応は大国である。
しかしそれは単純に国土が広いという意味であり、軍事力の面では優れていると言えない。よって神聖グリニアから供与された殲滅兵は渡りに船であった。バロム軍上層部は即座に殲滅兵を投入し、ロレア・エルドラード連合軍を打ち破るべく進行させる。
殲滅兵の威力を知るバロム共和国は、一方的に勝利できるものだと考えていた。
「そんな、馬鹿な……」
泥を被り、額から血を流す兵士が呟く。
彼の周りには同じ装備の男が幾人も倒れており、その中には息を引き取った者もいる。また金属の破片が無数に散らばっており、戦場の凄まじさを物語っていた。
「化け物だ。大帝国はとんでもない魔物を操っているんだ!」
「あれはなんだ!
「黒い竜だ! 奴らが炎や雷を放っているんだ!」
超音速で飛行する何かを正確に理解する理性は今の彼らに存在しない。故に見たまま、黒い竜だと考えてしまった。そして恐怖は伝搬する。
「て、撤退を! 撤退を!」
『こちら西方軍指令室。撤退は許可できない。空飛ぶ何かを撃ち落とせ』
「そんなものは無理だ! どうやって狙えと言うんだ!」
『悪いが上層部の決定だ。撤退も許可できない』
「くそ! 上は戦場を分かって言っているのか!」
この悲劇は情報伝達の遅れによって引き起こされた。
いや、正確には大帝国軍による情報かく乱作戦により上層部の認識と戦場の認識がずらされたのである。バロム軍上層部は殲滅兵による攻撃が成功したと信じており、戦場からの報告に取り合わない。戦場へと指示を伝える指令所も板挟みになりつつ下される命令通りに通信を発していた。
『援軍の殲滅兵は送っている。ひとまずは耐えてくれ』
その通信に戦場の士気は大きく低下。
バロム軍は殲滅兵諸共撃破され、戦線を大きく撤退させることになる。
◆◆◆
ロレア・エルドラード連合軍はバロム国境を易々と越えた後、一度も止まることなく進軍していた。国境を越えて八日目には郊外の街を制圧し、十五日目には都市を陥落させた。押し寄せる殲滅兵は航空援護によってバロム軍ごと撃破され、連合軍を足止めすることもできなかった。
「どうなっているのですか? こちらが把握している状況と実際の状況が大きく異なるようですが?」
バロム共和国の首相、ブルメリは眉間に皺を寄せながら問いかける。それに答えたのは申し訳なさを全身から放つ大男であった。
「面目ありません首相。大帝国にしてやられました。情報攪乱です。こちらの通信システムに介入し、真の報告を消して偽の情報を流されました」
「なぜそのようなことに?」
「おそらくは我が軍が採用している通信システムが原因です。我が軍の通信システムはアルトブレイン社のものなのですが、システムの基幹部に搭載されている魔晶はハデス製なのです。現在、ハデスはスバロキア大帝国に本社を置いています。つまり……」
「そういうことですか。厄介な」
ブルメリは苛立ちのあまり舌打ちしそうになる。
しかしそれを目の前の男にぶつけることで解決するはずもない。できるだけ優しい口調で命じた。
「解決の方策を緊急で決めてください」
「しかし解決策といいましても、我が軍は多くのシステムをハデス製の魔晶に頼っております。一般装備のソーサラーリングなどは旧型ですがハデス系列の兵器会社から購入したもの。それらを全て使用しないというのが一番の解決策です。ですがそのようなことをすれば……」
「システムはネットワークを通しているのでしょう? 防壁を構築し、干渉を防げないのですか?」
「魔晶の基礎プログラムはブラックボックスと化しています。解析しようとすれば自動でデータ消去が起動してしまい、何も得ることができません。正直、
これにはブルメリも唸るばかりである。彼は電子や魔術の専門家ではないため、どうすれば解決できるのが具体的に思いつくわけではない。無理と言われてしまえばそうなのかと納得するしかないのだ。
またそんな彼に更なる追撃が入る。
「ネットワークに接続しない機器を使って暗号化も試しました。しかしそれも意味がないようでして、今のところはお手上げです。もはや何がどうなっているのやら……技術士官の連中も日々頭を悩ませておりますが、手の出しようがありません」
「しかしこちらも時間がありません。都市すら奪われているのです。国民も不安を感じていますし、それを抑えようと情報統制してもなぜかそれがメディアに流出して……まさかそれも大帝国が?」
重なる負け戦のせいで、バロム共和国は各地で混乱が続いている。中には暴動まで起こった都市があるとブルメリは聞いていた。彼の支持率も下がる一方であり、有力者に至っては他国に亡命しようとする始末である。
また軍事通信が完全に乗っ取られているからか、まるで意味のない場所に軍を動かされ、包囲されて殲滅された例もある。上層部ですら自軍の動きが把握できていないのは大問題であった。
「……予想ではロレア・エルドラード連合軍が首都に到達するのは何日後ですか?」
「四十日以内かと」
「そうですか」
思わずブルメリも溜息を吐いてしまう。首相としてあるまじき姿だが、今だけは許される気がした。確かに殲滅兵すら撃破するスバロキア大帝国の新兵器は厄介だ。しかし何より、通信システムを利用した情報戦が毒のようにじわじわとバロム共和国を追い詰めている。
正面からの戦いだけならば、殲滅兵の力で空飛ぶ兵器の一機や二機は撃ち落とせたのではないかと想像してしまうほどだ。
「それと軍内部に魔神教を排除し、大帝国に恭順した方が良いのではという意見が現れ始めています」
「分かりました。注意してください。私も政府内部をしっかり見ておきます」
得られぬ勝利のためか、バロム共和国は容易く崩れようとしていた。
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