第279話 大戦の引き金


 アデルハイト・ノアズ・スバロキアは西側諸国の象徴として立ち上がった若き皇帝だ。王の中の王として西側諸国の宗主となるべく、今は各国の首脳と会談を重ねていた。無論、皇帝である彼が他国へと赴くわけではない。各国の首脳を呼び出し、彼の城で何日もかけて話し合っていた。



「シュウさん、暇ですねー」

「そうだな。奴らもかなり慎重になっているらしい。情報では会食のタイミング、就寝時、そして各国首脳の帰還パレードで狙ってくるそうだ」



 その城の中でシュウとアイリスはある部屋を借り、待機していた。

 『黒猫』が伝手で用意した部屋で、自由に使って良いことになっている。二人がこの部屋にいる理由は、皇帝を暗殺する計画を阻止するためである。

 魔神教が異端審問部を利用して暗殺する計画は既に掴んでいるので、その現場を押さえるのがシュウに与えられた役目であった。



「どのタイミングで捕まえますか?」

「会食のタイミングだ。給仕係に紛れて侵入する計画を立てているようだな」

「他の国の人たちの迷惑になりませんか?」

「問題ない。寧ろ魔神教を排除しなければならないと植え付けることができる」



 今回の会談ではロレア公国、エルドラード王国、カイルアーザ、ロアザ公国、エリス共和国、プラハ王国のトップが訪れている。西側諸国の中でも特に大きな国ばかりだ。今回の件はより結束を固めるイベントになることだろう。

 ただ、そのためには完璧に襲撃者を捕らえなければならない。

 一つ間違えれば不安を抱かせるだけになってしまう。



「会食にはメディアも入るらしいからな。手際よく捕まえて、神聖グリニアに対する敵対心を強めるのが狙いだ。開戦には民衆の声も必要だからな」

「そんなに上手くいきますか?」

「後は『鷹目』の仕事だ。それにメディアもハデス系列のものを入れているしな」

「やりたい放題!?」

「そういうことだ」



 神聖グリニアは国力に自信を持っている。まさか西側の国家が暗殺を防げるとは夢にも思っていないだろう。だからこそ隙を突くことができる。

 襲撃者を捕らえ、拷問でも証拠の捏造でも魔神教関係者であることを公表すれば神聖グリニアに対するカウンターとなるだろう。かの国が暗殺という手段に走ったというだけで、国際的に追い込むことができるからだ。宗教を中心とした国家は強い結束を生むが、暗い部分が一つあるだけで揺らぐ。



「相手は大帝国という影を無駄に恐れている上に、油断もしている。あくまでも自分たちの秩序に従わない大勢力を怖がっているというだけだからな。神聖グリニアにはもう少し油断していてもらおう。戦争が始まったら一気に追い詰める。その計画は既に始まっている」

「まぁ、シュウさんがいればまず負けないですけどねー」

「それは本当の最終手段だな。アゲラ・ノーマンを始末することを考えればあまり取りたくない手段だが」



 その気になれば大陸を消し去れるが、シュウにその気はない。

 どれだけ面倒でも、人間が気に入らなくても、目的のために滅ぼすわけにはいかない。ルシフェルと邂逅して世界を知った今、新しい目的を得たのだから。



「アゲラ・ノーマンだけ殺すなら煉獄をもっと発展させて、全世界に張り巡らせる必要がある。残念ながらまだまだ技術的にも時間的にも足りていないがな」

「戦争までに冥界も完成しますか?」

「今のところ冥府は形だけだし、煉獄も全世界には足りていない。スラダ大陸ですら埋められていない状況だからな。あと千年くらいはかかるかもしれん」

「地道ですねー」

「この世界に定着させる必要があるし、適当に作るわけにもいかない。それにミスがあればいちいち修正も必要だ。構想は完成しても、実際の完成までは遠いな」

「私も手伝いたいですけどね」

「死魔法が必要だから無理だ。残念ながら、俺が一人で少しずつやるしかない」



 世界を変えるというのは難しい。

 また死魔法はあらゆるものを殺しつくすため、新しい次元の世界を創るにしても慎重にならざるを得ない。下手なことをすればこの世界を殺してしまう。あくまでも別次元の別法則として織り込む必要があるのだ。その点で冥府はまだしも、煉獄は簡単ではなかった。今のところ、最優先で作った西側諸国あたりにしか張り巡らされていないのだ。



「アイリス」



 唐突にシュウが呼びかける。

 雰囲気が変わったことに気づいたのか、アイリスも表情を引き締めた。



「来たのです?」

「ああ。動き出したぞ」



 時が来た。

 この日が世界が戦乱へと突き進む転換点となる。






 ◆◆◆






 スバロキア大帝国の象徴となる城は元老院が議論を重ねる場として利用していた古城だ。機能面でも型の面でも古くなっており、スバロキア大帝国復活に伴ってハデス系列企業が大改修した。

 今日の会合は大帝国同盟圏の結束を固め、現状を把握するためのものだ。しかし同時にこの新しくなった皇帝の城をお披露目する機会でもあった。



「今日、我らが盟友たちが一堂に会したことを嬉しく思う」



 新皇帝アデルハイトはグラスを片手に会食の挨拶を始めていた。今回はメディアも入って良いということであり、各国の交流がよく分かるよう立食形式となっている。

 アデルハイトの隣にはサーシャ皇妃が佇み、周囲には護衛が立っていた。一人はこの国の覚醒魔装士であり、サーシャ皇妃の父親でもあるギルバート。そしてもう一人はハイレインの代わりに皇帝を守護するシュウ・アークライトであった。



「まさかあんたがいるとはな。シュウ」



 皇帝の挨拶がなされている中、ギルバートは小声で話しかける。

 彼とシュウは二十年前、共に戦った仲だ。ギルバートの中でも強く印象に残っており、初めは驚かされてた。場所が場所なので大げさな表現はできなかったが、今も混乱している。



「昔言っただろう。俺はそれなりの地位にいるってな」

「まさかハデスの覚醒魔装士だとはな」

「……」



 まるで歳を取っていない様子のシュウを見てギルバートは勘違いしていた。シュウにとっては都合の良い勘違いであるため、そのままにしておいたが。

 シュウは視線だけギルバートの後ろに向け、口を開く。



「そっちも久しぶりだな、キーン」

「ええ。本当に久しぶりです。まさかあの時の言葉がこのような形で実現しようとは思いませんでした」

「言っただろう? いずれ役に立つってな」

「その通りでした」



 ギルバートの背後に控えるキーンも魔王討伐戦の時に共に戦った人物だ。死魔力を込めた特製弾を渡した相手であり、彼は随分と歳をとった。まだ現役軍人としてギルバートを支えているものの、現場からは引いて書類仕事などを引き受けていた。

 キーンは元から落ち着いていたが、経験を積んだことでより厳格な雰囲気になった気がする。



「私は大帝国同盟圏の盟主として、卑劣な真似をするあらゆる国を許さない。神聖グリニアが横暴な振る舞いをするというなら、打ち倒してみせよう。私たちにはその力がある。今ここに私たちは改めて結束し、私たちが栄えるために戦おう」



 アデルハイトはグラスを掲げた。

 それに呼応して会場に集まった各国の代表もグラスを掲げる。

 これは西側諸国が一つにまとまり、神聖グリニアの横暴に立ち向かうことを誓ったという瞬間を民衆にまで知らしめる意味がある会食だ。集まったメディア関係者もこの歴史的瞬間に立ち会い、アデルハイトへと注目し、一斉にカメラを向けていた。





 ◆◆◆






 撮影用のカメラはソーサラーデバイスの一種だ。ハデスが開発した魔術道具であり、光を取り込んで記録するという魔術が付与されている。一見するとソーサラーリングと似ており、見分けることは難しい。

 メディア関係者が仮想ディスプレイを展開しつつ歴史的光景を映像へと収めている中、ある人物だけが全く別の動きをしていた。

 その男はあるメディア誌の取材で訪れたということになっているが、正体は異なる。皇帝暗殺を企む魔神教異端審問部の実行員であった。



(狙いは今しかない)



 彼は撮影用デバイスに似せたソーサラーリングを用いて、土の第四階梯《貫通撃スパイク》を発動する。魔術陣を展開することなく即時発動できることがソーサラーリングの利点だ。

 この《貫通撃スパイク》という魔術は物質変形の魔術であり、対象となる物質が必要となる。物質の強度によって消費魔力が変わるため、第四階梯魔術といっても奥が深い。



(確か天井の照明にオリハルコンが仕込んであったはず)



 この会場設営のために業者が入り込んでいたのだが、そこの従業員の中に工作員がいた。その手によって天井に充分なオリハルコンが仕込まれており、《貫通撃スパイク》の効果を受け付けやすいような加工も施されている。それによって皇帝を狙うというのが彼らの暗殺手段の一つ目・・・であった。



(死ね! 神に歯向かう悪逆の徒め!)



 彼がソーサラーリングへと魔力をこめようとした瞬間、彼の目の前は真っ暗になった。そして彼は会場から一瞬にして消失する。誰もが皇帝へと注目していたが故に、誰も彼の消失には気づかなかった。






 ◆◆◆






(シュウさん。言われた人を回収しましたよ。四人目なのです)

(よくやった。これで奴らは最終手段を取らざるを得なくなったはずだ)



 暗殺を目論む異端審問官たちのことは初めから把握していた。

 当然、彼らが企む暗殺方法についても。



(で、連れ去った奴らは?)

(予定通り、時間凍結しているのですよ。私が触れない限りは目覚めないのです)

(後で情報を引き抜くからそのまま凍結させておけ)

(はーい)



 時間を止めて好き放題できるアイリスは犯人を次々と捕らえていた。彼女の能力はしっかり対策していないと絶対に勝てないという類である。異端審問官如きがそんな対策をしているわけもなく、五人中四人が既に捕まっていた。



(奴らの計画によると、全てのパターンが失敗した場合は残りの一人が自爆特攻をするらしい。その瞬間は俺が何とかする)

(分かったのですよ!)



 丁度、皇帝による乾杯の音頭も終わり、立食パーティも本格的に始まった。様々な人物が動いている今が自爆特攻の好機だろう。またその自爆手段も既に分かっている。

 それは単純明快。

 魔術でもなんでもない、火薬式爆弾を身体に巻き付け起爆するというものだ。

 現代は魔術優位であるため、ソーサラーリングの持ち込みなどは厳しくチェックされる。しかし体に巻き付けられた爆弾は予想の範囲外であり、意外と気づかれないのだ。



(爆弾は既に湿気させてある。もう爆発しない)



 だがそれが分かってさえいれば、魔術による爆発より対処は簡単だ。あらかじめ魔術で火薬を湿気させておけば発火せず、爆発もしないのだから。






 ◆◆◆






 男が何通りも用意していた暗殺手段が全て失敗したと気づいたのは、パーティも終盤に差し掛かった頃であった。本来ならば何らかの方法ですでに皇帝暗殺は成っているはず。しかしまだ皇帝は生きており、仲間の異端審問官は会場に見当たらない。

 何らかのトラブルで作戦が失敗したことは明白であった。



(仕方あるまい。神に命を捧げる。何を畏れることがあろうか)



 腹に巻き付けた強力な爆薬入りの爆弾を意識する。魔力を送れば術式が反応して発火し、爆薬に引火して大爆発を引き起こす。近くにいる人間なら数人は吹き飛ばせる威力だ。礼服に馴染むように作られているため、まず気づかれない代物である。

 何らかの理由をつけて皇帝に近づき、起爆する。

 これが最終手段として用意していた方法だ。

 命が失われる恐怖はあるが、それが神のためならば厭う必要はない。彼は正義の死によって神の元へ導かれると信じているのだ。

 尤も、実際に魂が向かう場所は煉獄だが。



(チャンスだ。皇帝のグラスが空になっている)



 彼は給仕係として潜入している。

 故に条件さえ揃っていれば最も自然に皇帝へと近づけるだろう。彼は足音を立てることなく、グラスを乗せたトレーを片手にアデルハイトへと近づいていく。

 何ら不自然な所はない。

 誰も疑いの目すら向けない。

 ごくごく普通の光景がそこにあった。

 そしてアデルハイトまで残り五歩、といったところで彼は動く。



「死ね! 地の底で悔いるがいい!」



 走り寄る彼を皇帝の護衛が抑え込もうとするが、これだけ近づけば意味がない。小さな発火の魔術により火薬が大爆発を引き起こす……はずだった。

 しかし不発に終わる。



「なっ、に……」



 そのまま男は押さえられた。

 シュウによって火薬に湿気を含まされてしまった以上、彼の自爆は意味をなさない。

 彼は哀れな道化。

 スバロキア大帝国が神聖グリニアへと宣戦布告するために踊らされていたに過ぎない。



「なるほど。その者が紛れ込んでいた鼠のようだ。何者か分かるか?」



 そこでシュウは男の首元を探り、魔神教聖職者の付ける首飾りを手に取る。ちなみに暗殺者が自分の身分を証明するものを持っているはずがないので、これはシュウが男から取り外すふりをしただけだ。

 アデルハイトは冷静にやはり、と呟く。

 周りが騒然とする中、彼は何一つ慌てていなかった。なぜなら、彼は知っていたのだ。暗殺者が紛れ込んでいるということに。またこれが神聖グリニアと決定的に敵対するための茶番であることを承知していた。

 故に声高く宣言する。



「この場の皆が証人だ。神聖グリニアは卑劣にも私を殺そうとし、西側諸国が団結することを拒んだ。暗殺という野蛮な行いに手を染めたあの国を誰が清廉と認めようか。否! かの国は従わぬ者の命を奪うことすら厭わぬ邪知暴虐である!」



 この時点で暗殺に及んだ異端審問官は悟る。

 初めから暗殺計画は漏れており、止めるどころか逆に利用されてしまった。皇帝暗殺未遂はスバロキア大帝国へと大義を与え、神聖グリニアへの宣戦布告を正当化させることだろう。



「私は友に対しては親しく振舞うが、敵対者に容赦しない。アデルハイト・ノアズ・スバロキアの名において神聖グリニアと戦うことを誓おう」



 今までは明言しなかった完全な敵対。

 集まった同盟国の首脳陣は戸惑いつつも、歴史が動くことを理解する。絶対の大国、神聖グリニアと正面戦争を強いられる時代が始まるのだ。

 だが、アデルハイトの力ある宣言は彼らを自然と動かした。

 会場の各地から拍手が上がる。

 初めは小さく。

 だが次第に大きく。

 やがてあらゆる声をかき消すほどに。

 スバロキア大帝国の標準時間における翌日の夕方、神聖グリニアに対して宣戦布告が行われた。






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