第278話 タマハミ⑧


 無事に十体のタマハミが処理された一方、コントリアスでは暴食タマハミが猛威を振るっていた。覚醒聖騎士ベウラルをベースとした特別製のタマハミは、魔装の力すら行使する。万能の魔装士たるスレイがいても対応できるものではなかった。



「くそ。殺しきれない」



 コントリアス軍が戦っては撤退を繰り返す一方、暴食タマハミは進撃を続ける。無数の命を持つ暴食タマハミにとって多少の攻撃は引く理由にならない。無数にコンティニューできるという強みはコントリアスを追い詰める一方であった。

 暴食タマハミは食らえば食らうほどに命を増やす。

 どれだけ爆弾で吹き飛ばしても、弾丸を撃ち込んでも、スレイが魔装で仕留めても意味がない。暴食タマハミは止まらない。

 十三度目の撤退を迎えたスレイは悔しそうに呟いた。



「マリアス様、軍は限界です」

「分かっている。だがここで引くとグランディスが」



 撤退したコントリアス軍は傷つきながらも陣地撤収できずにいた。その理由が背後にある大都市グランディスである。コントリアスの中では軍需物資も生産している重要都市であり、他にも民需にかかわる重要な工場を幾つも抱えている。

 よって軍は撤退したくてもできない。

 せめて暴食タマハミを別の場所に誘導しなければならない。



「せめて動きを止めることができればな。神聖グリニアやコルディアン帝国みたいに封印できればいいんだが、我が国にそんな人材も技術もない」

「マリアス様……」

「悪い。愚痴だったな」



 本来、国の英雄たるスレイが漏らしてよい言葉ではなかった。

 だがあまりにも戦況は悪く、思わずといった様子である。

 もう余裕がない。

 焦りと同時に、ある種の諦めのようなものすら心に浮かんでいた。







 ◆◆◆







 無事にタマハミを抑え込んだことで魔神教は周辺国に対する発言力をさらに増した。またタマハミを魔物と発表し、強力な魔物を討伐するためにさらに聖騎士が必要だと呼びかける。ついでとばかりに勝手な真似をするスバロキア大帝国とその同盟圏を非難した。

 魔神教が神聖グリニアを基盤として力を増し、近年では魔物の脅威が少なくなっていた。ディブロ大陸での失敗こそあれ、魔物の脅威は民衆にとってそれほど身近ではなかったのだ。しかし、タマハミの発生によって民は思い出した。自分たちが圧倒的な弱者であることを。



「残るはコントリアスで暴れているタマハミですね」

「苦戦しているようですし、ここは例のスレイ・マリアスを聖騎士に迎える代わりに手を貸しますか?」

「それがいいだろうな」



 マギア大聖堂の奥の間で、司教たちが話し合う。

 彼らにとって暴食タマハミは対岸の火事であり、チャンスであった。これをマッチポンプというのだが、真実を知るのはケリオン教皇とアゲラ・ノーマンだけである。

 狙ったことではないとはいえ、これは歓迎するべき事態だ。

 教皇もしたり顔で頷く。



「その方針でコントリアスに打診するとしよう。とはいえ、かの暴食タマハミは特別な個体のようだ。空間に干渉する力を確認している。禁呪での討伐は難しいかもしれん。新しい封印方法を考える必要がありそうだな」



 問題は暴食タマハミが穴の異能を持っていることである。空間エネルギーの均衡を崩して次元から追放する《星陰通孔アストロ・ホール》は相殺されてしまうらしい。それがアゲラ・ノーマンの見解だ。

 暴食タマハミのベースになっている聖騎士ベウラル・クロフの魔装が《星陰通孔アストロ・ホール》に近い性能であることから間違いないだろう。

 ただ、ここで目敏い司教が最も嫌な話題展開をする。



「そういえば『無限』の聖騎士殿はまだ治療できていないのですか?」

「ふむ。確かに治療中という話しか聞かぬな」

「アゲラ・ノーマン博士に任せたということだ。問題あるまい」



 これには教皇も密かに冷や汗を流す。

 既にベウラルは死んだようなものだ。非道な実験によって暴食タマハミへと変えられ、現在進行形でコントリアスを蹂躙している。



(死んだことにせねばなるまいな)



 またアゲラ・ノーマンとの裏取引が増える。

 後ろ暗いことをしている自覚があるのか、流石の教皇も辟易としていた。

 ただ、今はこの話題を乗り切る必要がある。そこで自然を装いつつ話を戻した。



「それよりも暴食タマハミだが、『聖女』と『剣聖』からコントリアスに向かいたいと意向があった。どうやらあの魔物を封印する伝手に心当たりがあるらしい」

「猊下、それはもしや……」

「『聖女』の生まれを考えれば……かの一族を頼るということだろう。私としては任せて問題ないと考えるが、いかがかね?」



 その問いかけに対し、司教たちは誰も反対しない。

 コントリアスへのSランク聖騎士派遣が決まった。








 ◆◆◆









 神聖グリニアの提案はコントリアスにとって悩ましいものであった。それはすなわち、暴食タマハミを始末する代わりに恭順せよという取引である。中立を貫こうとするコントリアスにとって、簡単に頷けるものではなかった。

 民衆の不安を一身に受け止める首相アトラはすっかり板挟みになって参っていた。



「すまないなアトラ首相」

「滅相もございません。陛下におかれましても随分とお加減が……」

「ああ。王妃からも顔色が悪いと心配されてな。だが休むわけにもいかんのだ」



 イグニアス王としても今回の件はそう簡単に決めきれないことであった。神聖グリニアに恭順するということは、大帝国同盟圏と戦争になったとき最前線にされてしまうということである。

 確かに神聖グリニアの力を借り、スレイを聖騎士として差し出せば今は救われる。

 しかし後の戦いでさらに多くの血が流れるかもしれない。

 そう考えると簡単には決断できない。



「民は神聖グリニアの傘下に入り、聖騎士を招聘するように求めています。またスバロキア大帝国がこれについて特に何も言ってこないことが不気味です」

「せめて大帝国の支援があれば中立を維持できるのだがな」

「先に『黒鉄』を派遣してくださったのは特例だったということでしょうか?」

「おそらくな。しかし分からない。闇組織まで雇って我が国を侵略の手から助けてくれたというのに、今度は何もしないとは。次は対価を取るということかもしれん。何せ、我々はあの圧倒的な力の味をしめてしまった」



 積極的に傘下に収めようとする神聖グリニアと、無言の圧力をかけるスバロキア大帝国。どっちもどっちだが、心証がマシなのは後者だ。



「しかし陛下、民の一部が神官と共に議事堂へ押し寄せる事件まで発生しております。神聖グリニアと手を取らなければ国が割れてしまうおそれが……」

「スレイを犠牲にせねばならぬか。私も動いてはいるが、このままでは間に合わんな」



 イグニアス王にとってスレイは妹の婿ということになる。いわば義理の弟だ。国家のため覚醒魔装士を保有しておきたいという思惑の他、個人的な感情でもスレイが嫌がることはしたくない。スレイという人間は好待遇を示した神聖グリニアの勧誘を蹴ってまでコントリアスに残った忠義の騎士。今は結婚して妻となっているが、かつては主として仕えていたコントリアスの姫のため彼は尽くしてくれた。

 魔神教の聖騎士として引き渡すということは、その忠義に対する裏切りだ。

 故にイグニアス王はその選択を取れずにいた。



「ひとまず、スレイと話してみる他ないか」



 コントリアスは一つの大きな選択を迫られていた。






 ◆◆◆






 グランディス郊外より西へ進んだ場所で、コントリアス軍の陣地が展開されていた。トラップなどによって足止めしている暴食タマハミも少しずつ進んでおり、とても休んでいる暇はない。しかし人間は休まなければ活動できない。

 スレイ・マリアスも歯噛みしつつ、今は体力を回復させていた。



「マリアス様! 秘匿通信です!」

「何?」



 通信兵がテントへと走り込んできたことでスレイは首を傾げる。秘匿通信は主に王族が利用するもので、すなわち国王やそれに近い人物からの通信ということだ。

 まるで心当たりがなかったので、取りあえず指示を出す。



「分かった。俺のデバイスに繋いでくれ」

「はっ! すぐに」



 スレイと通信兵は互いのソーサラーデバイスを操作し、秘匿通信を接続する。そして接続中と表示されている間に彼はテントの奥へと移動した。秘匿通信ということなので、基本的に周りに人を残したまま繋げるわけにはいかないのだ。

 テントの奥にある個室で防音の魔術を発動した途端、通信も繋がった。

 仮想ディスプレイ上に現れたのは予想通り、国王であった。



「イグニアス陛下、このような姿で失礼します」

『いや、良い。あまり時間もないから単刀直入に言おう。神聖グリニアが暴食タマハミの封印を請け負うと言っている。その代償は傘下に付くこと、そしてお前を聖騎士として迎えることだ』

「……またそれですか」

『先に言っておこう。民は不安に耐え兼ね、中立を破棄して神聖グリニアに付くよう求めている。おそらく聖堂に抱き込まれているのだろうな。発信源は聖堂だ。スバロキア大帝国からの支援に期待するにしても似たような代償が必要だろう。尤も、この状況でスバロキア大帝国と関係を持てば国が割れるだろうが』

「つまり、神聖グリニアの提案を受け入れるということですか?」



 その問いには不安が宿っていた。

 彼の気持ちを理解できるイグニアス王は宥めるように語りかけた。



『それは君次第だ。君が妹とこの国に忠誠を誓った騎士だということは知っている。だから聖騎士になりたくないということも知っている。正直、君という騎士を失って国の命運を神聖グリニアに託すのは気が進まない。上院議員たちは皆、そのような意見だ。だから君が望まないということなら、神聖グリニアの要請を蹴ることもできる』



 あらゆる国家運営権を有する上院がそのよう意見ならば、スレイが望む限り聖騎士となる必要はない。ただし、暴食タマハミをどうにかしなければならないという問題は残っている。神聖グリニアの力を借りないのならば、別の手段を考えなければならない。



「対策はあるのですか?」

『あと数日、グランディスに奴を近づけないよう戦って欲しい。可能か?』

「……やってみせます」

『頼むぞ。その間に私の方で色々と伝手をあたっておく。心配するな。我が軍の諜報員が手を打つ』

「分かりました」



 正直、スレイでも時間稼ぎは難しい。

 自信もない。

 だがそれによって道が開けるならばやるしかないのだ。



『我が国の騎士として、その力を示せ』

「はっ!」



 スレイはその場で片膝をつき、頭を下げる。

 その目には決意が宿っていた。





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