第269話 コントリアス国境防衛戦②


 秘奥剣聖ハイレインが始祖となるハイレイン流剣秘術はかつてスバロキア大帝国の帝都で道場が開かれていた古流武術だ。時代に伴って剣による戦いから銃火器による戦いへと変遷し、今やその道場すらも失われている。

 表向き、ハイレイン流剣秘術の使い手は世界にただ一人ということになっていた。



「ふぅぅぅ……」



 深く息を吐いた『剣聖』シンク。

 彼は修練場で久しぶりに剣を振っていた。元は姫の護衛騎士でしかなかった彼も、今では神聖グリニアを代表する偉大な聖騎士である。またディブロ大陸開拓の総督に任命されてからは特に仕事も多く、剣を振る機会は大きく減っていた。

 本来の領分であるはずの修練が息抜きになってしまうほどに。



「シンク、気は晴れましたか?」

「はい。セルア様も付き合わせてしまってすみません」

「いいえ。私もシンクの剣を見るのは好きですから」



 修練の様子を見学していたセルアは笑みを浮かべていた。

 彼女にとってもシンクが剣を振るう様子は息抜きになる。舞のように美しいシンクの動きは彼だけのものだ。聖騎士の中にも剣を会得しようという者は少なく、また『剣聖』に手ほどきをという考えに至る者がいないことからハイレイン流剣秘術は誰にも受け継がれていなかった。



「シンク、その剣を誰かに教えるつもりはないのですか?」

「俺も忙しいですし、何より剣を使う聖騎士なんてほぼいないですからね。最近は聖騎士でもソーサラーリングに頼り切りの人も多いですから余計に。今は銃の時代ですし、最前線は殲滅兵に任せますから剣を握って近づく必要もない、ということです」

「時代も変わりましたね。色々と、本当に」

「はい」



 最も新しいSランク聖騎士は、つまり魔王討伐戦で力に目覚めたものたちにあたる。シンクとセルアはそのひとつ前の世代の覚醒聖騎士だ。だがそれでも八十年ほど昔のことであり、近代化が始まってしばらくといった時代であった。

 僅か百年足らずで世界は大きく変わった。

 剣や槍は特注でもしない限り作られなくなった。

 ソーサラーデバイスによって魔術は誰にでも使えるようになった。

 聖騎士の役目は本来のものから大きく変わり、殲滅兵の監督になってしまった。

 永久機関の完成により神聖グリニア一強の時代が完成した。

 そして大帝国が復活し、大陸を巻き込む戦乱が巻き起ころうとしている。



「シンク」

「どうかしましたか?」



 深く憂いを帯びた表情のセルアは少し躊躇いつつ、そして周りに誰もいないことを確認してから改めて口を開いた。



「この戦争、本当に必要だと思いますか?」

「……それはコントリアスとの戦争ですか? それともスバロキア大帝国との? あるいはディブロ大陸のことですか?」

「そうですね。では一つずつシンクの見解を聞かせてください」

「分かりました。まずはディブロ大陸についてですね。こちらは総督という立場ですから本来はあまり言いたくありませんが……」



 魔装の刀を消し、シンクはソーサラーデバイスを起動する。

 それによって音を遮断する結界を張った。



「正直、ディブロ大陸を征服する意味はありませんね」



 シンクは聖騎士として、総督として相応しくない発言をする。

 しかしこれが偽らざるシンクの本音であり、そのために音を遮断した。



「ディブロ大陸を調査して分かりました。あの大陸の魔物は秩序を保っています。こちらから手を出さない限りは向こうも何もしないでしょう。少なくとも確実にこちらがディブロ大陸の『王』を上回っていると確信できない限りは戦うべきではありませんでした」

「そうですね。怠惰王と思しき存在と邂逅した時には九死に一生を得ましたから、やはり私たちではまだ勝てないでしょう」

「その点、スバロキア大帝国の復活も納得ですね。ディブロ大陸であれだけの失態を重ね、遺憾の意を表明したロレア公国では聖騎士による大公殺害までしてしまいました。寧ろ非はこちらにあるかと」

「私もそう思います」

「まして中立を宣言し、外交手段によって平和的解決を持ち掛けていたコントリアスに戦争を仕掛けるなど恥知らずもいいところです。そうでなくとも天空都市を神呪弾で滅ぼしてしまったというのに。聖騎士になったのは間違いだったのではないかと最近では思って……」



 その口からは次々と魔神教や神聖グリニアに対する批判が出てくる。ディブロ大陸における総督として難しい立場に置かれているシンクだからこそ、色々と考えさせられたのだ。ただ剣を振るっていればよかった昔と異なり、今は多数の思惑が渦巻いている。シンクもその中に巻き込まれている。

 見て見ぬふりをしてきたが、我慢の限界も近かった。

 だがハッとしたシンクはセルアに頭を下げて謝罪する。



「すみません。愚痴をこぼすことになってしまって」

「気にしないでください。私が聞いたのですから」

「ありがとうございます。俺の結論として、戦争は必要なことではないと思います」

「あなたもそう考えるのですね」

「もしやセルア様も?」



 セルアはただ頷く。

 また彼女はここだけの話だという断りを入れてから続けた。



「実を言えばコーネリアさんが聖騎士を辞めたいと。何度も禁呪弾を使っている内に、何が正義か分からなくなったと言っておられました」

「あの人が……」

「天空都市に神呪弾を撃つよう命令されたことが決定的になったようですね」

「やはりそうですか」



 『魔弾』の聖騎士コーネリア・アストレイは無口な女性ということで有名だ。あまり感情を表に出さず、淡々と仕事をこなすイメージがある。そんな彼女がすっかり参っているというのは相当だ。寧ろそんな彼女だからこそストレスを溜め込んでしまったのかもしれないが。



「シンク、なんとか平和的解決ができないでしょうか」

「色々と手は打っています。ただ、正直難しいです」



 ただ、シンクもセルアも勘違いしていた。

 戦争になれば一方的な虐殺が始まってしまうものだと考えていた。

 コントリアスが滅ぼされる前に動かなければならないと思っていた。





 ◆◆◆





 ハイレイン流剣秘術の神髄は足である。

 あるいは気配の読みも重要だが、何よりも歩法に重きを置く。剣は特定の型に沿って放つのみ。この剣を相手にした者は気付かぬうちに死んでいる。そういった技だ。



 ――奥義・星喰そらぐい



 それが放たれた瞬間、殲滅兵が直線上に裂けた。

 また奥義は連続して放たれ、数万もの殲滅兵が見る見るうちに消えていく。南側から首都を目指して進撃していた殲滅兵はたった一人を仕留められない。



「さて、こちらですかな」



 ハイレインはただ一人戦場に飛び込み、剣一本で殲滅兵を殲滅していた。彼は一度たりとも殲滅兵に認識させず、一瞬で刈り取っていく。これでは戦闘ではなく収穫だ。恐ろしいまでに一方的なのだ。

 刀身の長さを自在に操るハイレインにとって間合いなどあってないようなもの。

 ただ一度横薙ぎに振るうだけで数百もの殲滅兵が切断される。

 彼にとって殲滅兵など片手間に倒せる程度のもの。殲滅兵が魔術を放つ前に全てを切り裂き、逆に滅ぼし尽くしてしまう。

 しかし殲滅兵に搭載された人工知能も何者かによって次々と切り裂かれていることは理解している。すぐに対応策として自爆を作動させた。魔晶は供給される永久機関のエネルギーを自爆術式へと流し、大爆発を引き起こす。



「これは……」



 辺り一帯の殲滅兵が次々と青白く輝く。

 ハイレインの位置を認識できないので、一斉自爆によって広域に破壊を撒き散らそうとしたのだ。彼は知る由もないが、自爆に利用された術式は炎の第七階梯《大爆発エクスプロージョン》を応用したものである。そのままでも充分な威力を誇る《大爆発エクスプロージョン》だが、改良によって更なる威力へと底上げされている。

 次の瞬間、辺り一帯が赤色の爆炎に包まれた。

 数キロに渡って炎が埋め尽くす様は禁呪にも匹敵する威力となる。

 たった一人に対して放つべき威力ではなく、ここが何もない平原の街道でなければ大きな被害が出ていたことだろう。

 これで生き残れるとすればまともな人間ではない。

 しかし残念ながらハイレインはまともではなかった。




「自爆ですか。浅はかな」



 彼の目には爆炎と土煙が地平線より立ち昇っているように見えた。

 つまり先程までいた場所から一瞬で移動したのである。距離にして五キロ以上であり、彼の移動は空間を飛び越えたかのように見えた。

 ハイレインはすぐに背を向け、ソーサラーリングからワールドマップを呼び出す。そして自身の位置情報と殲滅兵の位置情報を比較し、再び移動を始めたのだった。








 ◆◆◆







 殲滅兵が謎の強襲を受け、壊滅している。

 その報告を受けたベウラル・クロフは苛立ちを露わにした。



「何故原因が分からない! データぐらいは残っているだろ!」

「それが殲滅兵の観測データを解析してもまるで分からないとのことでして。遠距離から狙撃されたわけでも、魔術で破壊されたわけでもなさそうです。また人影も観測できず……」

「もういい。予想ぐらいはできているんだろうな?」

「その……切断によって破壊されていたらしいので、人工知能の予測では単独の人間ではないかと」



 それにはベウラルも言葉を失った。

 だがすぐに激昂し、罵りながら叫ぶ。



「馬鹿か!? 殲滅兵に観測すらされず剣で壊滅させただというのか!?」



 あり得ないことだと考えた。

 ベウラルのように遠距離から穴を空けて殲滅するならともかく、剣で斬って数万もの殲滅兵を壊滅に追い込むなど不可能に思える。それならば斬撃を発生させる未知の魔装や魔術だと言われた方が納得だ。

 しかしそれだけ強大な魔術や魔装が発動されれば、その魔力を観測できるはずである。

 それがないということは、やはり何者かが目にも留まらぬ速さで直接斬ったという結論になってしまう。



「しかし現在進行形で殲滅兵が……これを見てください」



 報告する聖騎士はベウラルの気迫を恐れつつ仮想ディスプレイを見せた。

 殲滅兵の居場所を青い点で示したワールドマップであり、数万もの殲滅兵の塊が次々と消えている。最後には殲滅兵が一斉自爆する形で壊滅していた。だが次の瞬間には別の場所で進撃している殲滅兵の一団が破壊され始め、数分と経たない内に自爆シーケンスへと移行する。



「クソが」

「先程からこの通りなのです。敵は殲滅兵の位置を完全に掴んでおり、更には転移のような移動術で瞬時に移動し、剣一本で殲滅させているとしか」

「黙れ! 俺が出る! こんな舐め腐った奴は俺が!」

「お、お待ちください! ベウラル様は失われてはならない聖騎士です。ここは情報を掴むまで一度引いてください! こちらに……」



 聖騎士は簡易で設置した空間接続ゲートを指し示す。



「こちらにゲートも用意しました! これでどうか本国に」

「俺に逃げ帰れと? ふざけるな!」

「しかし」



 殲滅兵が理解不能な何かの手によって消されていく。

 それはまさに恐怖であった。



「仲間の聖騎士からの連絡も途絶えています。ここはどうか」

「俺をお前らみたいな雑魚聖騎士と一緒にするんじゃねぇよ。俺は強い。俺だけで国を滅ぼせるSランク聖騎士様だ。俺が出るなら問題ねぇんだよ。それにこんなことができるとすればスレイ・マリアス以外にあり得ねぇだろ。それならチャンスじゃねぇか」

「いえ。それがスレイ・マリアスは例の要塞都市で姿を確認しておりまして」

「あぁ? じゃあ別の奴なのか?」

「未知の覚醒魔装士の可能性もあると考えております」



 彼の考えは的を射ていた。

 人工知能が出した答えに自分なりの考察を加え、ほぼ正解に辿り着いていたのだ。それもそのはず。この聖騎士は考えるのが苦手なベウラルの補佐として派遣されているのだから、この程度の戦術的考察はできて当たり前だった。

 そしてだからこそ、未知の敵に対して覚醒聖騎士を当てることを良しとしない。

 貴重な戦力は確実に勝てる場面で切るべき。

 このように考えていたからこそ、一度ここで引くことを進言したのである。

 ところがやはりベウラルはそれを聞き入れない。



「はっ! 問題ねぇよ。俺が仕留めて――」



 だがその言葉を言い終わらない内に何かが通り抜けた。僅かに遅れて拠点代わりの仮拠点が切断され、ベウラルは右肩に激痛を覚える。

 咄嗟に見ると右肩が綺麗な面で切断されており、腕がずり落ちると同時に鮮血が噴き出した。



「が、ぐああああああ!? くそがあああ!」



 反射的にポーチから神の霊水を取り出し、口へ含む。

 四肢欠損すら一瞬で治してしまう脅威的な薬品であり、これによってベウラルの右腕も治癒されるはずだった。だがいつまで経っても痛みは治まらず、血が噴き出たままである。



「ぐ、ぞ……何でだ……」



 必死に肩を押さえて出血を止めようとする。やはり腕は治らず、痛みも途切れることがない。

 何とか頭を動かして部下の聖騎士に怒鳴りつけた。



「おい。お前の霊水を寄越せ! お前の――」



 しかし再び言葉を失う。

 頼みの聖騎士も同じように切り裂かれていたのだ。それもベウラルのように腕だけでなく、不運にも体の真ん中から縦に切断されていた。勿論、即死だ。



「く、そ、くそ、が、くそがあああ!」



 苛立ちが収まらない。

 痛みが思考を鈍らせる。

 ベウラルは屈辱を噛みしめつつ、自身の右腕すら残して簡易空間接続ゲートを起動した。本国へと通じているそれによって、彼は逃げたのである。

 その数秒後、殲滅兵はハイレインによる横薙ぎの一閃によって全滅した。







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