第270話 因果の傷
瀕死の重傷で逃げ帰ってきたベウラルの治療は困難を極めた。
その理由は受けた斬撃にある。
「未来の因果に縛られた呪い……と?」
『ええ、そうですよ教皇猊下』
「本当かねアゲラ・ノーマン博士。実際に見たわけでもないのだろう?」
『データを拝見すれば明白ですよ』
謎を解き明かしたのは例の如くアゲラ・ノーマンであった。
彼はベウラルの右肩に残る魔力の痕跡や解析データから原因を突き止めたのだ。
『ベウラル・クロフ殿は時を超えた傷によって侵されています。あれは未来に斬られた傷。それと同時に現在でも斬られている。すなわち、現在から未来に渡って傷の状態が約束されており、どのような治癒で癒そうとしても無効化されるのです。故に因果の呪いとでもいいましょうか。普通の治癒魔術で回復することは不可能ですよ』
「方法はないのかね?」
『ありますよ。つまり因果から外れれば良いのです。例えば同じ時を操る術によって因果を塗り替える』
「そんなことは不可能だろう? そのような魔術も魔装もない。例外は……時の魔女アイリス・シルバーブレットのみだ。別の方法はないのかね?」
『であるならば、肉体改造によって治すしかありませんね』
「どういうことだね?」
『いわゆる義手のようなものです。腕の切断は未来まで確定していますが、それに義手をつけるだけならば問題ありませんよ。宜しければ私がベウラル・クロフ殿を
どこか含みを感じる言い回しだったが、ケリオン教皇は気にせず了承する。
「では治癒をお願いしよう」
『メラニアの研究所に移送してください。そこで施術を行います』
「よかろう。手配しておく」
メラニアで人体を強化する実験が行われていることは教皇も知っている。その詳細までは知らないが、そこなら治療も問題ないのだろうと納得した。
この決断がとんでもない間違いだとも気付かずに。
◆◆◆
ディブロ大陸第一都市の総督府にて、シンクはいつもの書類仕事をこなしていた。隣ではセルアが手伝っており、いつもの仕事風景となっている。
それが変わったのは一通の通信が入ったからであった。
メールによる報告書の送付であり、それを読んだシンクとセルアは驚愕した。
「まさかコントリアスが撃退したのか……」
「驚きました……」
二人とも言葉を失い、まずは詳細を読み込む。
一度は殲滅兵とベウラルの魔装によって押し込んでいたこと。スレイ・マリアスを一か所に縛り付け、その間に南北から殲滅兵を回り込ませてジワジワとコントリアスの継続戦闘能力を削っていたことがザックリと記されていた。
しかしそれが変わったのが昨日。
突如として謎の攻撃を受け、殲滅兵の軍団が破壊され始めたのである。
それも一か所だけではなく、転移でもしたかのように次々と異なる場所でそれが起こったのだ。更に極めつけは時の呪縛によって治癒不可能となったベウラルの腕である。
「時……時の魔女?」
「しかしコントリアスに魔女がいるというのですか?」
「いえ……ただ一つ気になるのは斬撃という話ですね。殲滅兵もベウラルさんも斬撃でやられたようですから」
「今どき珍しいですね」
「……」
「シンク?」
「え? あ、すみません」
深刻な表情を浮かべるシンクに対し、セルアはまさかという思いを抱きながら尋ねる。
「シンク、まさかハイレイン様のことを……?」
「はい」
「しかしあれだけ探しても情報が集まらなかったのですよ? 剣聖とまで呼ばれた方が世に埋もれるなど有り得ません」
「だから俺も師匠は死んだと思っていました。ですが実際に師匠が死ぬ瞬間を見たわけじゃありません。冥王と戦って連絡が付かなくなっただけです。時の呪縛、斬撃の跡……繋がると思いませんか?」
「それは……そうですが」
あながち考えすぎと言い切れない。
だからセルアも反論しなかった。また彼女もハイレインには生きていて欲しいと願っていたのである。
「もしかしたら師匠の痕跡があるかもしれません。俺はコントリアスに行きます」
「ですがどうやって?」
「和平交渉の使者として行きます。教皇猊下は……何とか説得するつもりです」
「コントリアスとの戦いは敗北も同然。このまま追加で殲滅兵を送ろうものなら、ただコントリアスという国を滅ぼすまで止まらないという意思表示になってしまいます。ええ、確かにこの条件なら会談によって平和的に解決することもできるかもしれません」
「こちらが譲歩して……中立の保障をすると言えばコントリアスも納得してくれるでしょう。それにここまでして中立を貫いたのですから、大帝国側に流れないという証明にもなります。中立を保障しても神聖グリニアの面子は……まぁ多少は保てるかと」
シンクとセルアは早速とばかりに条件を話し合い、教皇に提出するための書類を纏め始める。仮にコントリアスとの戦争が止まるのであれば、中立国を緩衝として魔神教勢力と大帝国同盟圏の間に平和的解決法が浮かび上がるかもしれない。
そして何より、ハイレインの手がかりがあるかもしれない。
期待を胸に、今日の仕事を全て放り出して熱中するのであった。
◆◆◆
魔神教異端審問部によるスバロキア大帝国皇帝暗殺計画は着々と進行していた。実行部隊は旅行者や短期労働者など適当な理由でそれぞれ入国し、時を待つ。また手引きする者たちは上が立てた計画に従って行動を起こし、手引きの準備をする。
ただ一つ問題があるとすれば、それが全てシュウに筒抜けであったことだ。
「アイリス、実行日が決まったようだぞ」
「いつなのです?」
「来月の二十日だ。まだ一か月以上余裕がある」
潜ませている工作員から逆を辿り、あっという間に実行部隊と計画を立てた上層部まで突き止めてしまったのだ。また『鷹目』が裏を取ることによって確実性も増している。更にいえば不測の事態に備えて煉獄に
まさに完璧な防備であった。
「じゃあ暇ですねー」
アイリスも思わず気を抜く。
そしてベッドに転がった。
二人は帝都に入ってハデス系列のホテルに宿泊して待機していたのだが、ここ最近はずっと部屋に籠っていた。アイリスはまた待機なのかと思い嫌そうにしていたのである。
ところがシュウは首を横に振った。
「いや、この間にメラニアに行く。どうやらハイレインが予想外な仕事をしてくれたみたいでな」
「何があったのです?」
「ハイレインが時間系の呪縛付きで覚醒聖騎士を傷つけたらしくてな。それを治癒するためにメラニアに移送されるそうだ。そして治癒を担当するのが」
「あ、もしかして」
「そうだ。アゲラ・ノーマンだ。恐らくな。わざわざ移送させる訳だし、間違いない」
ひとまず納得したアイリスは、もう一つの疑問点を述べる。
「ところでハイレインさんって時間操作能力を持っていましたっけ?」
「さぁな。前に見せてくれた意味不明な斬撃を改良したものなんじゃないか? 直接見れば分かるかもしれないな」
「んー……気になりますねー」
「ともかく、俺たちは一度メラニアに行く。場所はここだ」
シュウはワールドマップを開き、神聖グリニアの国土を一部拡大した。そこはマギアから南方に進んだ場所であり、ラムザ王国との国境近くである。ラムザ王国はかつてシュウとアイリスが初めて会った場所。色々と感慨深い。
また拡大表示された地図上の都市をタッチすると、メラニアの詳細が別画面で表示された。
「学園都市メラニア。神聖グリニアだけでなく他国からも学生が多く訪れる。それにここには研究機関も多く設置されているからな。まずはどこに手負いの覚醒聖騎士が運ばれたのか……調べる必要がある」
「大変そうですねー」
「こういうのは地下が怪しいと相場が決まっている。煉獄に精霊を配置してローラー作戦で地下空間を調べさせるぞ。とはいえ、精霊の数が全然足りないからな。多少の時間はかかるかもしれんが」
「煉獄用に沢山配置しましたからねー」
「今のところは致命的欠陥もなさそうだが、戦争が本格化する前に煉獄と冥府の機能を整えておきたいからな。各地に配置してデータ収集を優先するのは仕方ない」
仮想ディスプレイを消したシュウは立ち上がり、アイリスに手を差し出す。するとアイリスはシュウの手を握った。
肉体的接触により一つのオブジェクトとして指定する魔術手法である。
「転移するぞ。準備はいいな?」
「なのですよ!」
二人はメラニアに向けて転移した。
アゲラ・ノーマンを今度こそ仕留めるために。
◆◆◆
メラニアへと移送されたベウラル・クロフは、痛みと怒りによって顔を歪めていた。同胞にして同僚たるアゲラ・ノーマンを前にしてもその態度は崩さない。
「……とまぁ、このような治療法を目指す予定でして」
「どうでもいい! 早くしろ」
「一応副作用もありますよ?」
「そんなのは別にいいんだよ! 俺の腕を戻せ! もっと力を寄越せ! 今度はあの国を俺の力で滅茶苦茶にしてやる!」
自分の腕を切り裂くに留まらず、呪縛によって治療すらできないようにされた。
これはベウラルにとって許されざることであった。何としてでもその原因となったコントリアスを滅ぼしてやると意気込んでいた。そのためなら改造手術すら厭わない。今は何よりも力が必要なのだから。
「仕方ありませんね。君、試作型の八号を持ってきたまえ」
「は? しかしあれは副作用が」
「本人が構わないと言っていますからね。問題はありませんよ」
「わ、分かりました」
研究員と思しき白衣の男がどこかへ駆けていく。
その間に他の助手たちはベウラルの体をベッドへと厳重に固定し始めた。それに対して不満気な表情を浮かべたベウラルを宥めるように、アゲラ・ノーマンが説明する。
「これから投与する薬は君の体を作り変えます。エネルギーを蓄え、またそのエネルギーを利用して無尽蔵に再生する強化人間にね。ただそれには苦痛が伴うので、暴れないようにしているのですよ」
「ちっ……早くしろ」
「ええ。きっと君は強くなりますよ。化け物のようにね」
「早く……腕痛ぇ」
研究員や助手たちが着々と薬物投与とデータ採取の準備を進め、すぐに整う。しかしそれは研究室のリーダーにして偉大な聖騎士のアゲラ・ノーマンが命じたからであって、彼らはこの実験に対して少々懐疑的であった。
薬品を持ってきた研究員はアゲラに近づき、小声で話しかける。
「あの、八号は副作用を度外視で作った危険なものです。死刑囚の実験体ならともかく、聖騎士様に投与してもよろしいのですか?」
「問題ないと言っているでしょう? 私が提案し、教皇猊下が許可を出し、本人が望んだ。どこに止める要素があるというのですか?」
「それは……そうですが」
「ですから問題ありません。そして私たちも貴重な実験データが得られる。この八号ウイルスによって覚醒魔装士を変異させれば、新しい結果が得られるかもしれませんよ」
アゲラ・ノーマンにとって人間がどうなろうと知ったことではない。
ただの実験動物に過ぎない。
この場にいる者たちも、教皇も、そしてベウラルもその狂気に気付いていなかった。あるいは、気付いてみて見ぬふりをしていた。それが厄災をもたらすとも知らずに。
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