第267話 大戦への備え②
コントリアス・バロム国境戦線はコントリアス側へと押し込まれていた。精強な軍勢と奈落の民による迎撃により敗北することはなかったが、それでも戦線の引き下げを強いられることになった。
「陛下、やはり」
「ああ。分が悪いようだな」
イグニアス国王は苦い表情を浮かべる。
既に国境沿いの街では避難を進めており、そこに留まっているのは軍人のみである。また大量の兵器車両も集めていた。しかし大砲や機関砲を装備した機動兵器も、殲滅兵を相手には心細い。
「奈落の民のお蔭で撤退には成功しました。しかし彼らの援護があっても敗北しないだけという結果になる始末です」
「マリアス殿では無理だったのかね?」
「一人では限界があるということですよ」
「それもそうですな」
魔神教勢力と軍事的に対立してしまった以上、下手をすれば国を滅ぼすまで戦いが終わらないということもあり得る。覚醒魔装士、殲滅兵、そして禁呪弾まで保有する神聖グリニアに対し、コントリアスが取れる手段は限られている。
コントリアスが中立を勝ち取るには、神聖グリニアに対して割に合わないと思わせる他ない。だが殲滅兵という無人兵器がある以上、神聖グリニアは大きなコストを支払うことがない。コントリアスが一方的に疲弊していくのみだ。
「大帝国はどう動くつもりだね? 外務卿が手を回していると聞いたが……」
「開戦の動きはありますが、もう少し時間がかかるでしょうね」
外務卿は溜息を吐きながら答える。
コントリアスが生き残る道はただ一つ。大帝国同盟圏と魔神教勢力が本格的に開戦し、神聖グリニアがコントリアスに向ける戦力を減らすというものだ。コントリアスと戦っている余裕がなくなれば、仕向けられる殲滅兵も減り、覚醒聖騎士が派遣されることもなくなるだろう。
ただ彼はデバイスを操作し、テーブル上に仮想ディスプレイを出現させる。またディスプレイを回転させて全員に見えるようにした。
「陛下。大帝国からの援護は望めません。しかし外交ルートを通じて戦力の提供を提案されました。この人物になります」
ディスプレイに映されていたのは初老の男。
だがその人物の呼び名としてはっきりとこう記されていた。
「『黒鉄』……まさか黒猫の」
「その通りでございます。陛下、恐れながら今は彼らの力を借りるしかありませぬ。またスバロキア大帝国も我々が敗北することを望まないとのことで、我らのために雇ってくださることになりました。第三勢力による援軍とお考え下さい」
イグニアス王は納得し、唸る。
だが一方で軍務卿は懐疑的な声を上げた。
「しかし『黒鉄』か……あれは個人の護衛を専門にしていると聞きました。それならば『暴竜』と呼ばれる幹部の方が良かったのではありませんか?」
「陛下の護衛を彼に任せ、近衛師団を戦場に向かわせるということですかな?」
「あるいは『死神』に暗殺を依頼するというのも……」
軍務卿を皮切りに好き勝手なことを言い始める。
思惑があるとはいえ、大帝国が厚意で戦力を提供してくれているのだ。文句を言うのは筋違いというものである。だが彼らも不安だったのだ。神聖グリニアという大国が大量の兵器を持ち込み、聖騎士まで連れて自分たちの国へ攻めてきた。いつ滅ぼされるかもわからない不安は想像を絶する。
またここにいる者たちはコントリアスという国が板挟みにあい、どちらに転んでも良くない未来にあることをよく知っている。本当に奇跡のような微かな道筋の果てに生き残れる未来はない。彼らの抱えるストレスは相当なものだった。
イグニアス王は強く咳払いする。
余計な話をしていた者たちも口を閉ざし、王へと目を向けた。
「仮にもあの大帝国を名乗っているのだ。おかしな真似はしないだろう。それにこちらに寄越してくれるのは伝説と名高い黒猫の幹部。戦力増強になるのは間違いない。それとハデスグループに禁呪弾の取引について交渉を持ち掛けよ」
「陛下! それは……!」
「致し方あるまい。脅しとして一つは保有する必要があるのだ。間に合うかどうか分からんがな」
戦争は人間の殴り合いではなく、虐殺兵器による脅し合いへと移行しつつある。
時代の変遷に追いつくため、コントリアスもハデスの兵器を頼ることにした。
◆◆◆
魔神教には異端審問部という部署が存在する。
本来の活動は異端の神を祀る集団の摘発、悪魔信者の討伐、また危険思想を持つ者の調査と逮捕である。そして時には暗殺といった手段も使用するのが彼らだ。
彼らは
かつて緋王を誕生させてしまった場所でもあり、一度は滅びた。しかし重要な場所であるため、再建されて元の姿よりも更に堅牢となっている。
「済まない。遅れてしまった」
神官服とは微妙に異なる衣服をまとった異端審問官が五名、その部屋で待っていた。遅れて入ってきた男の胸元には特別な首飾りがあり、それが彼の位の高さを示している。
魔神教異端審問部執行課一等級執行長官。
それが彼の地位であった。
「レーヴェル長官、お疲れ様です」
「また資料整理ですか?」
「まぁそんな感じだ。今回は大仕事になりそうでな」
部下から労りの言葉を受け取りつつレーヴェルは空いた席に腰を下ろす。そしてデバイスを起動し仮想ディスプレイを展開した。そのディスプレイは六つに分かれてそれぞれの前に移動する。
「さて諸君、今回は教皇猊下が直々に依頼を下さった重要任務……それも暗殺任務だ。その資料を見てもらえばわかると思うが、標的は大帝国を名乗る皇帝となる。標的の男、アデルハイト・ノアズ・スバロキアは神意により滅びた悪逆の国を復活させた大罪人だ。言葉によって説くことは不可能。神の意に反する者は殺さなければならない」
一国の王を殺害するというのに、彼らの中に反対意見を述べる者はいない。エル・マギア神に叛逆する者は死んで当然という考えの持ち主ばかりがここにいる。
逆にそれだけ特異な思想を持っているからこそ皇帝暗殺という任務に選出されたのだが。
「諸君の任務は暗殺の実行だ。いつも通り、機密上の問題から全体を伝えることはない。君たちは仲間の手引き通り侵入し、神の鉄槌を下す。それだけだ」
レーヴェルはそう語るが、話は簡単ではない。
警備は厳重であり近づくことすら困難だ。よって実行部隊の他、情報収集や侵入の手引きなど、見知らぬ仲間と手を組みながら目的を達成することになる。特に侵入を手引きするため予めスバロキア大帝国へと入り込んでいた。
「手引き部隊は生まれながらにあの国で働いている。もはや一般人にしか見えぬが、我らの味方だ」
神聖グリニアは全国に聖堂を建設し、魔神教を普及させる中で様々な工作もしてきた。その一つが一般人に紛れさせたスパイを配置する作業だ。いざという時はその者の手引きによって暗殺などを決行することになる。
それらのスパイは現地生まれの人間を教育することによって育成しており、何十年とかけて信頼を築いている。また何十年という信頼はたった一度の手引きのためだけにつくられたもの。その決定的な瞬間のため、スパイは使い捨てにされることすら厭わない。
「諸君らは当日に向けてシミュレーションを重ねたまえ」
五人の異端審問官たちは深く頷いた。
◆◆◆
シュウはスバロキア大帝国において特に地位があるわけではない。だが『死神』として出入りしており、皇族の警護にも一役買っていた。ハデス財閥の影響力もフル活用して裏からスバロキア大帝国の戦力を握っている。
『ええ、どうやら皇帝を暗殺するつもりのようですね』
「やはりそうか。その動きは掴めるか?」
『シェイルアートに私の手のものを潜ませておりますので問題ありません。そちらは?』
「ああ。こっちも潜んでいる工作員は全て把握しているからな。動きがあれば分かる」
黒猫という組織は何百年も前からスバロキア大帝国に潜み、また大帝国が滅びた後も蔓延ってきた。また組織内には寿命を超越した者が複数いる。更にはハデス財閥、『鷹目』、黒猫の酒場を利用した情報網により工作員は既に炙り出して監視していた。
また『鷹目』は定期的に情報提供してくれるので非常に役に立っている。
『そういえば信頼を得るために暗号文を渡しましたよ。宜しかったのですか?』
「あれか。別に構わない。どうせ解けないからな」
『自信ありますね』
「まぁ、まず無理だろうな。仕組みは誰にも明かしていないし、一部の人間しか使えない。暗号機の現物があるならともかく、暗号文からあれは読めん」
『私から見てもあれは鬼畜でしたねぇ。解き方は教えてくれないのですか?』
「解けるなら解いてもいいがな」
情報戦を重要視するシュウは念には念を入れて『鷹目』にも暗号解読法を教えていない。ハデスグループが戦争用に開発した最重要暗号機『悪魔の口』は主要国家の上層部にしか配布していないのだ。
「そういえばアゲラ・ノーマンの居場所は炙り出せそうか?」
『彼がいたと思われる場所は絞れますね。しかし現在進行形で滞在している場所までは難しいです』
「候補は?」
『マギア大聖堂、メラニア、それとディブロ大陸にもいたという情報が』
「メラニアといえば学園都市のメラニアか?」
『そのメラニアです。密かに兵器開発も行っているという噂がありますから、それに関係しているのではないでしょうか?』
「一応、調べておくか。いずれ潜入してみる。手引きは可能か?」
『準備しておきますよ』
この戦争の目的は『鷹目』の願いを叶えることでもあるが、アゲラ・ノーマンを暗殺することも含まれている。大陸を巻き込む大戦を引き起こすことでアゲラ・ノーマンの活動を調べやすくするという作戦なので、世界が戦争へと進んでいく中でもシュウはそのために活動していた。
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