第259話 ヘルヘイム


 第一次東ディブロ海遠征。

 そう名付けられた遠征は神聖暦三百二十年の第五の月に行われた。東ディブロ海に面する第四都市には二十六隻の戦艦が並び、そこには一流の兵士たちが搭乗する。当然、魔神教の聖騎士や専属魔術師も数多く参加していた。

 しかしながら、そこに覚醒した聖騎士の姿は無かった。



「あれだけの戦力を用意しておいて俺たちは出るな、か。おかしな話です」



 出航していく戦艦を眺めつつシンクは呟く。

 隣にいたセルアも同意した。



「不自然ですね。大方、再び私たちが失われることを恐れたのでしょうけど」

「そのようなやり方は彼らを捨て駒にするのと同義です。マギア大聖堂は何を考えているのか……」

「名目上は調査だから私たちが出る必要はないということでしたが」



 今回の遠征は観測魔術が機能しないディブロ海を直接調査することが目的となっている。大艦隊を用意しているものの、戦闘目的ではない。だからこそ覚醒魔装士を乗せる理由はないというのがマギア大聖堂の主張だ。

 しかしそれは覚醒魔装士を失うことを怖がって言い訳しているようにしか思えなかった。



「今の魔神教は前回の失態を取り戻すことに必死です。本来の長期計画を無視して、短絡的に成果を求めようとしています。一体何が教皇猊下を焦らせているのか……」

「シンク……何か知っているのですか?」



 セルアもシンクが独自に調査しているのは知っていた。

 魔神教はディブロ大陸へと手を出し始めてから変わっていった。人々に寄り添うのではなく支配的になり、魔王討伐の目的を優先するようになっていった。

 ハデス財閥の台頭によって資本がものをいう世界になっていったというのも理由の一つだが、人々は豊かな生活の享受によって神を求めなくなった。これも魔神教が焦る理由なのかもしれない。



「何かが……いや、何者かが魔神教内部で蠢いている気がします。魔神教内部の派閥バランスが急激に変わったり、本来の方針から大きく離れたり」

「つまり人為的に和を乱そうとする者がいると?」

「いえ、そこまで断言はできませんが」



 シンクとて自信を持って裏切り者がいるとは言えない。

 裏切りを調べるのに誰かに調査を頼むわけにもいかず、専門家でないシンクでは調査能力に限界があるのだ。シンクでは精々、違和感があるという程度しか掴めなかった。



「素人なりに金の流れを追っているのですが、どうしても途中で分からなくなってしまって。しかし隠さなければならないことがあるという時点で怪しさはあります」

「シンク、くれぐれも無茶はしないでください」

「分かっています」



 二人は水平線に消えていく艦隊を眺め、見えなくなるまでそこを離れなかった。






 ◆◆◆





 ハデス財閥の二代目会長ということになっているエレボスは、西方都市群連合のある場所を訪れていた。そこは獄炎の消えた旧スバロキア大帝国帝都であり、今は完全な廃墟となっている場所である。

 しかし、そこには彼女だけでなく多くの人々がいた。



「工事の進捗はどうかしら?」

「少し遅れています。住居区は八割が完了したのですが……工場区がどうしても」

「理由は?」

「魔神教が聖堂の建造を優先しろと言ってきたもので。それで少し議論になってしまい……」

「……はぁ」



 エレボスはあからさまな態度で溜息を吐く。

 実に面倒だという感情を隠すこともしない。この場には聖騎士も神官もいないので、誰も咎めはしなかったが。



「ここはハデスが買い取った地域よ。私が全て決めるわ。聖堂の建造なんて後回しよ。現場には私が命令したと言いなさい」



 この旧帝都が獄炎に包まれていた頃、シュウはハデスを通して西方都市群連合から辺り一帯を買い取ったのだ。どうせ獄王の炎で利用できなかったということもあり、元老院は土地の権利を格安で譲り渡すことにする。それがおよそ二年前の話だ。

 ハデスは獄炎を取り除き、そこにハデス財閥が支配する都市を築くことに決めた。

 今年の初めにシュウが獄炎を冥界に封じ込めたので、こうして開発できるようになったのだ。そこからハデスと傘下企業で旧帝都を丸ごと再建している。魔術を利用した高速建築により、旧帝都は新しく生まれ変わろうとしていた。



「それと新本社ビルはどうなっているのかしら?」



 エレボスは都市中央部へと視線を向ける。

 そこには外観だけ完成した巨大建造物があった。六角柱状のメインビルを囲むようにして六つのビルが並んでいる。それらのビルはメインビルの半分ほどの高さであったが、それでも超高層と呼ぶに相応しい大きさであった。

 また地上部にはこれまた巨大な六角形の建造物があり、各ビルはそこから生えるようにして建てられていた。現在は神聖グリニアにあるハデスグループ本社ビルの機能は、いずれこちらに移されることになっている。



「本社ビルは最優先で内装を仕上げております。また地下研究所はセキュリティの観点から少人数で建造しておりますので、進捗は三割ほどかと」

「そう。完成は予定通りかしら?」

「勿論です」

「それならいいわ。あとは工場区の視察を……」



 エレボスのソーサラーデバイスがコール音を発する。

 言葉を遮られた彼女は一瞬だけ不機嫌そうにするも、説明を担当してくれている男に手ぶりで断りを入れて電話に出た。



「私よ。どうしたの?」

『実は会長に面会を求める方がいらしています』

「誰かしら? 急を要するの? 私は忙しいのだけど」

『マギア大聖堂の司教様です。会長は不在と申したのですが……電話でもいいから面会させろと言われては追い返せなくて』

「はぁ……こういうのは事前に約束するということが分からないのかしら?」



 呆れと同時に不快感を覚えつつも、仕方のないことだと割り切る。最近の魔神教が勝手なのはエレボスも知りたるところだ。



「分かったわ。車に移動するからそれまで応接室で待たせなさい。こっちから折り返すわ」

『かしこまりました。お待ちしております』



 電話を切ったエレボスは案内役の男に断りを入れる。



「申し訳ないけど急用なの。少ししたら戻ってくるわ」

「いえいえ、そんな。お待ちいたします」



 男からしても財閥会長に文句を言う気はない。確かに男はこの都市建設における責任者の一人で、大きな地位を得ている。しかしそんなものは会長の一言で吹き飛ぶ程度のものだ。

 エレボスはひとまず車へと戻ることにした。







 ◆◆◆







 ハデスの会長ともなれば、利用する車は特注品である。銃弾すら通さない特別な装甲に守られているというだけでなく、内部には軍事レベルの通信装置も揃っている。彼女が扱う情報はどれもが機密で守られるものばかりだからだ。

 エレボスはシートに腰を下ろした後、自身のデバイスを車のシステムへと接続して、本社を任せている秘書にコールした。数秒の後、画面に本社ビル応接室が映される。そこには秘書と、対面には司教が座って待っていた。



「お待たせしました。私にお話があるそうですね?」

『エレボス会長。お忙しいところを失礼します。マギア大聖堂司教の一人、ムートです。実はあなたに確認しなければならないことがありまして……』

「それで事前の約束もなくいらしたのですか? 私はこれでも忙しいのです。いつも本社ビルにいるとは限らないのですよ」

『それほど急を要することです。我々はあなたに問わなければならないことがあります』



 ムートの口調は罪人へと問いかけにも似ていた。

 言い逃れは許さないと言わんばかりの眼差しに対し、エレボスは悠々とした態度を崩さない。



「それはいったい?」

『惚けるつもりですか? 聞きましたよ。本社ビルを西方に移すと』

「ええ、それが? 何か問題ですか? それとも私たちは聖堂の許可がなければ本社の場所も決められないのですか?」

『他の企業であればそうですね。しかしハデスは違います。あなたには経済界をほぼ単独で支配できるだけの力があります。我々としては、そんな力が手元にないというのは酷く不安になることなのです。聞きましたよ。かつての大帝国があった場所に新しい本社を作っていると』

「ええ。二年ほど前に西方都市群連合から買い取った土地を正式に開拓しているだけです。それに正直に申し上げたらいかがですか? 本社がなくなることで税収が減る。それは困ると」

『それは……』



 ハデス財閥は世界を股にかける大組織である。

 当然、その利益は莫大なものとなる。本社ビルが存在する神聖グリニアは、ハデスからもたらされる税金によって潤っているのも確かだ。しかし本社が他国へと移設されるということになれば、当然ながらそれは得られない。いかに神聖グリニアでも、他国の税金を掠めとるのは不可能だ。

 だからこそ、ムートはハデス本社の移設を踏みとどまらせなければならなかった。



『我々はエレボス会長が望む土地を引き渡すこともできます。その土地を一つの都市として管理することも許容できます。なぜ、西方都市群連合に? その行為は魔神教に反旗を翻す行動にも映ります』

「それは被害妄想ですわ」

『だが……』

「私たちは充分な寄付金も渡しているでしょう? 憶測でそのようなことを述べるのであれば、私も相応の態度を取らせて頂きます。それともハデスが魔神教に害をもたらそうとしている証拠があるとでも?」

『しかしハデス本社移設は我々としても許容できることではありません』

「だからどうしたというのですか? 私たちには関係のない話です」

『そこを何とか』

「もうハデスが決めたことですので」



 まさに暖簾に腕押し。

 ムートが何を言おうとエレボスは応じない。旧帝都にハデスグループの新本拠地を建設することは決まっていることで、もう始まっていることだからだ。

 だからこそ、エレボスはそれを印象付ける言葉を最後に言い放った。



「ヘルヘイム。それが新しい都市の名ですわ」

『ま、待って下さい!』

「ではごきげんよう」



 エレボスは電話を切る。

 神聖グリニアからの印象は大きく下がったと思われるが、それを気にする彼女ではなかった。エレボスにとって恐れるべきは人の国ではない。妖精郷の『王』にして冥府の主、シュウ・アークライトただ一人である。

 それに魔神教こそ、ハデス財閥の不興を買わないよう気を付けるべきなのだ。

 世界を経済的に支配し、文明という文明にかかわっているハデス財閥に敵対するのは致命的だ。



「栄華を極めた神聖グリニアの終わりも近いわね」



 そう呟き、彼女は車を降りる。

 視察の続きをするために。






 ◆◆◆






 ディブロ大陸第四都市から艦隊が出発して三か月が経った。

 ルシフェルが広げている魔力を無効化する魔法により、通信も転移ゲートも使用不可能となっている。つまり音沙汰なかった。

 しかし二十六隻の艦隊が一隻も帰ってこないというのは異常だ。三か月も経っているのだから、連絡のために一隻くらいは帰還していても不思議ではないというのに。

 追加で戦力を送り、合流を図るべきではないか。そんな議論がされ始めた頃に理由が判明した。



「これが……あの艦隊の一部だと?」



 戦艦の一部と思われる巨大構造物が漂着した。

 そんな報告を受けてシンクは北へと向かった。東ディブロ海と呼ばれる海域――実は湖なのだが――は大陸を分断するようにして横たわっている。それによってディブロ大陸は南北に分かれており、第一都市などがある西端部で辛うじて繋がっている程度だ。

 そして報告があったのは北ディブロ大陸からである。北ディブロ大陸は南側が海岸線となっているのだが、そこで壊れた戦艦と思われる残骸が見つかったのだ。



「シンク様、この残骸はオリハルコンです。水に浮くよう浮力を調整されていまして、だからここまで漂着しました」

「だが一部が……その、なんだ、結晶化といえばいいのか? 水晶みたいになっているぞ。あんな処理されていたか?」

「はい。私たちもそこを重点的に調べてみたのですが、単なる水晶でした。戦艦の建造にあんなものを使うはずもありませんから、後天的に変化させられたと考えた方が良さそうです。恐らくは魔物の攻撃でああなったのではないかと考えております」

「物質を変化させる攻撃か」

「そうなります」



 報告する調査員も不可解だと言いたげである。彼もよく分かっていないのだ。

 実際、流れ着いた戦艦の一部と思われる構造物には部品の型番号が刻まれていた。それを照合したので、送り出したはずの戦艦だったものであることに間違いはない。またそのことから、船底から側面にかけての装甲部であることも分かっている。

 ただ分からないのは、側面装甲と思われるオリハルコンの一部が水晶に変化していることだ。オリハルコンと水晶の間に継ぎ目はなく、綺麗に繋がっている。魔術やそれに準じる方法で変質させたと結論付けたのはそれが理由だ。



「この部品が無くなったとして、沈んだと思うか?」

「確実に。少なくとも船底に大きな穴が空いているはずですから、そこから海水が侵入し、沈んだ可能性は高いです。修理用の錬金術が搭載されたソーサラーデバイスも積荷にあったはずですから、それで修理できていたら……あるいは」

「望み薄か」

「連絡が全くないという状況と合わせれば、そのような結論になるかと」



 一国すら滅ぼせるであろう兵器を備えた戦艦が全て沈んだ可能性が高い。それを知ったシンクは自然と唇を噛んだ。



「犠牲者は……送り出した全員。五万人ほどか」

「全て沈んでいたとすればそうなります」

「六年前の再来だな。これは」



 六年前の百万を超える死者と比べればマシのように思えるが、それでも五万人という死者は膨大と言わざるを得ない。また多くの兵力を失った各国から更に搾り取った五万人だったのだ。反発は六年前の比ではないだろう。



(これは荒れるな)



 そしてシンクの予想は的中する。

 まるで予定調和のように、あるいは雪崩のように、スラダ大陸は狂乱の坩堝へと変貌したのだった。








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