第258話 冥府の炎


 神聖暦三百二十年、再び神聖グリニアは遠征を発表した。

 今度は大量の戦艦を揃え、東ディブロ海を探索することになっていた。東ディブロ海は観測魔術の他、魔装も通用しないエリアがある。そこに何があるのか探るための遠征である。

 シュウはその一報をアポプリス帝国で聞いた。



「そうか。よく知らせてくれたなエレボス。忙しかったんじゃないか?」

「いえ、早急にお知らせする必要があると考えましたので。それにこの国への転移が許可されているのは私を含め僅かですから」



 アポプリス帝国に滞在するにあたって、シュウにも魔術の使用権が認められた。それはシュウだけでなくアイリスを始めとした側近クラスの人物に配布され、こうして転移でアポプリス帝国まで来ることができるようになったのだ。

 ハデス財閥を預かる者として、エレボスも緊急連絡用に使用権を得ている。



「先程行われた教皇による年始の挨拶で発表されました。戦艦は既に完成しているとのことです。各国からの徴兵を募っていました」

「やはり徴兵か。各国の反応はどうだ?」

「慎重な意見が多いように思えます。神聖グリニアに近い東側国家はともかく、西側ではかなりの反発意見が出ているようです。まだ表立ってはいませんが、東側国家の勝手に巻き込むなという意見が主流となっております」

「そりゃ正論だな」



 六年前の遠征失敗は大きな傷跡を残したままだ。

 百万人にも昇ると言われる死者数から分かる通り、各国では若者が不足している。兵士を出せと言われて素直に出す方が難しいだろう。



「で、教皇は何て言ってた?」

「魔王討伐に貢献した国には特別な祝福があると」

「まぁ、そんなところだろうな」



 シュウは嘲笑の笑みを浮かべる。

 実に主権国家らしいやり方だ。スラダ大陸のほぼ全土に影響を持つからこそ、そのような上からの物言いが通用するのだ。神聖グリニアは魔神教を通して各国に影響を与えることができる。神聖グリニアという国家が魔神教を主体にしているためだ。

 つまり教皇が祝福を与えると言えば、それは国そのものを優遇するということに他ならない。

 故に各国は悩むことだろう。教皇の要請を無視して自国の力を蓄えるか、犠牲を覚悟で神聖グリニアによる庇護を求めるか。



「他に関連情報は?」

「こちらは『鷹目』からの定期報告になりますが、マギア大聖堂では熱心党がより勢力を増しているとのことです。しかしその中に過激派の影もあり、幾つかの影響を受けていると」

「具体的には?」

「徴兵に応じない国は潰せ、などと」

「それは過激だな」

「はい。また企業にも資金援助を求めています」

「金なら幾らでも稼げる。たっぷり渡しておけ。どうせ失敗する遠征だからな。より金を出した方が落胆も多くなるだろ。それに信頼の失墜もな」



 今やハデス財閥は多数の企業グループを抱え、多方面に多国籍で展開する大組織だ。当然ながら保有資産も国家予算並みとなっている。重要役職は全て妖精郷から派遣した妖精たちに任せているので、裏切りも皆無だ。

 失敗すると分かっている遠征のために無駄・・な寄付をする程度には稼いでいるのだ。

 印象操作のための投資だと思えば安いものである。

 エレボスもそれは承知していた。



「取り掛からせます。他にご要望はおありでしょうか?」

「資産を少しずつ西に移動させる準備だ。今年中に世界が動くぞ」

「はっ! お任せください」

「戻れ」



 シュウが命じると、エレボスは魔術陣を展開して消える。

 それと同時にシュウも立ち上がり、部屋を出た。






 ◆◆◆






 シュウとアイリスはアポプリス帝国の国賓という扱いで神の塔バベルに居室を与えられている。それは塔の高層部であり、回廊の窓から神殿の如き島全体を見渡すことができた。

 そこを歩いていたシュウは道中で『黒猫』と遭遇する。



「おや? 『死神』じゃないか」

「丁度探していた。今は時間空いているか?」

「僕は大丈夫だよ。何か用かい?」

「知っていると思うが、神聖グリニアが遠征を発表した。あの件はどうなっている?」



 具体的な説明はしなかったが、『黒猫』はどれのことを言っているのか理解したらしい。特に悩む素振りもなく頷いて答えた。



「もう進めているよ。アデルハイトとサーシャの件だよね?」

「ああ、二人の様子は? サーシャには本当のことを教えるんだろう?」

「そっちはギルバート・レイヴァンに任せることになったよ。彼もこっちの協力者さ。僕たちが黒猫だと知って協力してくれている」

「順調だな」

「本当にね」



 そして今度は『黒猫』が尋ねた。



「そっちこそ、ルシフェル様から依頼された件はどうだい?」

「冥界のことか? それなら目途は付いた」



 魂の回収システムとして冥界の作成を依頼された。それが六年前になる。そこからシュウも研究を重ね、死した生命体の魂を回収して漂白し、再び送り出す仕組みを作り出そうとしていた。

 ものがものだけに時間が掛かっており、まだ理想とはいえない。しかし、基礎的な構想はある程度固まりつつあった。



「ひとまず冥界の基礎となる異空間を作るつもりだ。そこに死魔法を張り巡らせて、冥界としての基本機能を法則化していく。時間はまだかかるな。本当は魂を自動回収できるようにしたかったんだが、取りあえずは担当区域を決めて精霊にでも回収させるのが良さそうだ」

「でも魂は肉体が死ぬと消滅するよね? どうするんだい? まさか生きたまま魂を……」

「この世界に重ねる形で死魔法の次元を作り出す。その次元上なら魂だけで活動できるようにな。精霊にはそれを回収させる」

「そんなことして大丈夫なのかい?」

「法則が大きく変わるから、たとえば蘇生魔術が一時的に使えなくなるかもしれないな。一応は調整するつもりだが」

「うーん……難しいね」



 世界の在り方を変えるのだから、シュウもこのくらいは覚悟していた。法則の改変は死魔法で問題なく可能だが、それを微調整するのに膨大な時間と労力が必要となる。



「俺は計画に備えて先に冥界を形にする。計画が発動すれば、死人も大勢出るからな」

「じゃあ仕上げは僕と『鷹目』でやっておくよ」

「俺の担当分はエレボスに伝えてある。頼めば何でもしてくれるはずだ」

「分かった。その時は頼んでみるよ……ああ、地獄の炎のこと、そろそろ頼むよ」

「忘れてたな。分かった、先に片付けておく」



 数か月後には始まるであろう遠征に備えて。

 そしてその後に待っている計画に備えて。

 二人は動き出した。






 ◆◆◆







 マギア大聖堂では遠征の発表と共に膨大な処理に追われていた。

 主に神聖グリニアと繋がりが深く、魔神教の影響が強い国からはすぐに協力するという返事が寄せられたからである。



「思ったより反応が少ないな」



 しかし教皇の心の内は芳しくなかった。

 アギス・ケリオン現教皇は熱心党を率いる男であり、布教に関してことさら熱心である。だからこそ、反応の少なさに苛立ちすら覚えていた。



「しかしケリオン教皇猊下、まだ発表したばかりです。各国では上層部が協議しているのではないかと思われます。また各国も各国で新年行事がありますから……」

「優先するべきは神でしょう」

「それは……そうですが」

「しかしまだ一日経っていないのも確か。もう少し待ってもいいでしょう。君は協力を申し出た国との交渉準備を進めなさい」

「はっ!」



 命令を受けた神官は踵を返して去っていく。

 一人になったケリオンは再び報告書を読み始めた。



(やはり西側諸国の反応が悪い。西方都市群連合に不穏な動きがあるとも聞きますし……)



 以前から西方都市群連合と周辺国家は聖堂に対して好意的ではない。前回の遠征の際もあまり協力的ではなく、見せしめとして関税強化などの嫌がらせをした。しかしあまり堪えた様子はなく、寧ろ西方域での結束を強める結果となった。

 正直、ケリオンからすれば面白くない。



(ただの経済制裁も意味をなさない。このままでは神から離れてしまう。私も布教のために手を尽くしたが、手遅れだったというのか)



 彼とて西方を冷遇したい訳ではない。

 ただ、長年の魔神教のやり方によってすっかり西方国家からの信頼を失ってしまったのだ。表向きは従順でも、腹の内では怨みを抱えているとケリオンも思っている。だからこそ、神という一つの力の下に結束する必要があると考えた。



(この国は大帝国を恐れ過ぎていた。また、あの強大な国家が蘇るのではないかと過剰に恐れ、冷遇することで力を押さえつけようとした。しかし我々は同じ人だ。結束し、七大魔王を討ち果たさなければならないのだ)



 ケリオンは資料をめくり、別の報告へと目を通す。

 それは力を増しつつある過激派であった。過激派は熱心党とも一部癒着しており、熱心党をまとめるケリオンとしては目を逸らすわけにはいかない案件である。



(熱心過ぎるが故にやり過ぎてしまうのも問題だ。愚かなことに走らなければいいのだが)



 教皇も楽な仕事ではない。

 十年以上もこなしているが、改めてそう思った。






 ◆◆◆






 シュウは久しくアポプリス帝国から出て、スラダ大陸に戻っていた。冥界設立にはルシフェルの協力も必要であり、綿密な計画を立てる必要がある。だから神の塔バベルに留まっていた。しかし、黒猫の計画で一つ忘れていることがあり、一時的に戻ってきたのだ。



「ここも久しぶりだな」



 転移でやってきたのはスラダ大陸の遥か西。

 現代では誰一人として近づかない荒れ果てた土地である。戦争の跡を思わせる痕跡が散らばっており、草や蔦が絡みついている。

 そして遥か前方では衰える様子のない黒い炎が天まで上っていた。



「旧帝都。獄王に燃やし尽くされてもなお燃え続けるか」



 かつてシュウはスバロキア大帝国を滅ぼした。それはシュウを始めとする黒猫の計画だったが、実質的に滅びの原因となったのは獄王ベルオルグである。獄炎魔法は消えることのない地獄の炎。あらゆるものを燃やし尽くしても燃え続ける。

 三百年間、地獄の炎は帝都をずっと燃やしていた。



(改めて見ると面白いな)



 獄王が滅びてもその魔力は残り続けている。

 つまりこの世界に法則として定着しているということだ。魔術は魔力によって現象を書き換えているに過ぎない。そのため、効果を及ぼす時間は有限である。しかし獄炎魔力は燃えるものが尽きても永久に残り続けるだろう。

 死魔法による冥界設立を考えている今だからこその発見であった。



「さて、冥界の実験がてら獄炎を確保するか」



 シュウは旧帝都に死魔法を向ける。

 しかしそれは殺すためではない。死魔法を法則化のために発動する。空間魔術の応用で死魔法による別次元を生み出すのだ。本来、魔力と死魔力は別次元の固有ベクトルを持つ。よって死魔法によって獄炎魔法を絡めとり、死魔法の次元へと引きずり込むことで隔離する。

 広大な旧帝都を覆う黒き炎が消失していく。

 端から順番に、といった分かりやすい消え方ではない。全域で一気に獄炎が消失していた。



「よし」



 勿論、死魔法で殺したわけではない。

 死魔法によって作った冥界の隔離空間へと閉じ込めたのである。獄炎はこの瞬間をもって文字通り地獄の炎となったのであった。






 ◆◆◆







 神聖暦三百二十年になって一か月が経った。つまりケリオン教皇が東ディブロ海の探索を公表してから一か月ということである。

 実を言えば海ではなく巨大な塩湖なのだが、それを知る由もない。寧ろそれらの未知を調査するために遠征するのだから。

 そしてディブロ大陸の開拓を命じられているシンクは、来るべき遠征の日のために今日もデスクに向かっていた。



「……予算が足りない」



 元から利益のある事業ではないので、金は消費されていく一方だ。一応はディブロ大陸で開拓した都市の税金をそのまま予算にできるが、それだけでは足りない。

 建造された二十六隻の戦艦、修理部品、禁呪弾、医療品など、ありとあらゆるものに莫大な金がかかっている。また兵士の練度を上げる訓練をさせる必要もある。予算が全く足りていないのだ。



「そもそも予算が少ない。どうなっている?」



 シンクにとって疑問だったのは、遠征のために組まれている予算が少な過ぎるのだ。予想される支出に比べて圧倒的に少ない。その理由として永久機関があるからということになっているが、それでもほとんどが兵器研究の方に予算を吸われている。

 最悪の場合、経済効果を無視して全ての物資を永久機関で賄う計画すら提案されているほどだ。

 永久機関に殲滅兵に禁呪弾と充分な兵器が揃っているにもかかわらず、マギア大聖堂の教皇や司教たちは更なる兵器を求めているのだ。



(だが以前の失敗を思えば当然、なのか?)



 前回の百万を超える死者を畏れ、機械兵器の開発に心血を注いでいるという見方もある。そう思えば納得の采配だ。

 ただ、その研究内容がシンクにまで明かされないのは理解に苦しむことであったが。



(今回の遠征……何か別の思惑も絡んでいる、のか?)



 かつて予言の神子セシリアに言われたことを思い出す。彼女は永久機関が危険だと断定していた。

 だからこそ、シンクは批判的な目で遠征を判断している。永久機関に頼り切ったやり方が世界のためになるのか、それを調べていた。相変わらず不審な点は見つからないが、それでもシンクはセシリアを疑ってはいなかった。







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