第256話 人と魔と
シュウとアイリスに与えられた部屋は高級ホテルの最上クラスをも上回るほどであった。寝室、リビング、浴室に加えて、魔物には必要のないはずのトイレまで備え付けられている。それぞれの部屋の広さも尋常ではなく、またリビングから繋がるテラスでは神の国を一望できてしまう。
このような部屋を与えられた時点で、シュウが重要な客であると認められた証であった。
そしてここを訪れた『黒猫』は勝手知りたる様子でリビングのソファに腰を下ろす。
「いやぁ、君もこの部屋を貰ったんだね。僕と同じだよ」
「お前はここに住んでいるのか?」
「うん。ルシフェル様の配下かつ友人という立場だからね。正確には同盟関係かな? だから
「そうなのか」
ルシフェルにとって『黒猫』は重要な人物であるということが窺える話であった。シュウにそのつもりはないが、今後も敵対するべきではないだろう。
「で、僕に何の用かな? 聞きたいことがあるんだろう? あんな意味ありげな視線を送ってさ」
「ああ。早速だが、これまで俺に何度か都市ごと滅ぼさせたことがあったな。それはトレスクレアに近い研究をしていたからか?」
「うん。そうだよ」
『黒猫』はあっさりと認めた。
また補足するように追加の説明すらする。
「さっきは詳しく説明しなかったけど、
「レイは本名じゃないんだな」
「ただの識別番号だよ。便宜上、今は名前にしているけどね。元々孤児で研究所に引き取られたから、本当の名前は知らないんだ」
「孤児を利用した人体実験か」
今更何かを思うこともないが、少なくとも気分のいい話ではない。アイリスも眉を顰めている。
一方の『黒猫』は昔の話だと言いながら笑っていた。
「重要なのはそこじゃないよ。それに僕は運が良かった。生き残ったからね。脳を弄られたり、魂の精神部分を弄られたり、場合によって魔物の一部を移植されたり……皆、発狂したり拒絶反応を起こしたりして死んでしまったよ。嫌な実験だった」
「だから似た実験を見つけては壊しているのか?」
「そう、だね。勿論、トレスクレアが再び生み出されないようにする意図もあるよ。元々、そうやって文明をコントロールするために黒猫を組織したんだ。君が創設したハデス財閥のせいで台無しだけどね」
「それは悪かったな」
「謝る必要はないよ。僕は目的のために国を滅ぼしたり、権力者を暗殺したり、時には戦争を起こして文明化を抑制した」
それは覚悟のいることだったはずだ。
悦楽を得るためではなく、目的のために悪を演じることは。
「スバロキア大帝国の時もそうだよ。あの国は魔術人形や、魔装の人工的な覚醒について密かに研究していたんだ。『鷹目』に禁書庫を調べてもらって、それが分かった。だから大国の滅びを容認したんだよ。君が冥王と分かっていながらね」
「なるほどな。メインの活動拠点が潰れることを容認したのはそれが理由か。今後、神聖グリニアの弾圧で黒猫の活動がやりにくくなることも承知だったと」
「魔神教は魔装を神から与えられたものだと教えているからね。人間の手で覚醒させたり、魔装を付与したりなんてことは考えていなかった。だからいっそ大陸全体にその教えが広まることを許容した」
「『鷹目』の奴は神聖グリニアを滅ぼしたがっているみたいだが?」
「そこまで厳密にはコントロールしないよ。特に『鷹目』は優秀だからね」
つまり『黒猫』に思惑はあれど、最上位の優先度を持つわけではないということだ。想像以上に暗躍していたということは初めて知ったが。
またシュウとしても黒猫という組織を便利に使わせてもらっているので文句はない。
するとここでアイリスが質問する。
「あの、アゲラ・ノーマンさんは結局何者なのです? トレスクレアってパンドラという人が宿っていて、月に封印されたんですよね? じゃあ、誰が操っているのです?」
かつてアゲラ・ノーマンの復活に立ち会ったアイリスとしては疑問だったのだろう。当時、アゲラ・ノーマンは目覚めた直後に言語解析を行い、現代語を一日ほどでマスターしている。システム本体が封印されているとして、確かにそれは疑問点だ。
「あ、そのあたりは詳しく言っていなかったね」
『黒猫』は思い出したかのように手を叩く。
「トレスクレアは聖なる光を操る魔装人形を武器とするシステムなんだ。だから中央制御しているトレスクレアが戦術支援することになるんだけど、魔装人形にもそれぞれ人工知能が植え付けられていて、自己判断して動くようになっているのさ。勿論、トレスクレアが上位権限を握っているけどね」
「じゃあ、一応の人格はあるんですねー」
「その人格もトレスクレアにバックアップがあるから、たとえ消滅させられたとしてもすぐに復活しちゃうんだけどね」
「……それって倒せるのです?」
「虚飾王を倒せたら倒せるよ」
「本末転倒!?」
黒猫の仕事としてアゲラ・ノーマン暗殺を依頼されているにもかかわらず、本当の意味でアゲラ・ノーマンを滅ぼすためには上位存在である虚飾王を滅ぼす必要があるのだ。アイリスがそう思うのも仕方のないことだろう。
一方でシュウはアゲラ・ノーマンを狙う理由をより深く考察する。
「独自に思考する上に上位存在がプログラムされているなら、それを取り戻すために動いているということで間違いないな。封印された虚飾王を解放しようとしているわけか。今も虚飾王から指示を受け取っていると思うか?」
「いや、月の封印は強固だし、この星にも水蒸気の結界があるからね。アゲラ・ノーマンが独自に動いているだけだと思うよ」
「なら、今のアゲラ・ノーマンを倒せばひとまずは問題ないと?」
「奴が予備の外装を用意していなければね」
「そこが厄介だな」
トレスクレアは疑似魂をリサイクルしているという点で不死身に近い。それこそ、シュウが死魔法で本当の滅びを与えない限りは何度でも復活する。
「直接会って死魔法で殺すしかない、か」
「そうだね。今までみたいに都市ごと滅ぼすのでは逃す可能性が高い」
「二人とも物騒なのですよ!」
「君はそう言うけどね、トレスクレアが復活することに比べたら些細な犠牲だよ」
この時の『黒猫』は深い悲しみや怒りを込めた声音をしていた。詳細は聞いていないのでわからないが、それだけ古代での犠牲は大きかったということだ。
世界全体のためにある程度の犠牲を了承した、覚悟の声でもあった。
「『黒猫』、これから黒猫の組織として計画している
「うん。アゲラ・ノーマンただ一人を滅ぼすためにね」
「そうか……」
黒猫の中でも『死神』『黒猫』『鷹目』の三人がメインとなって進めている計画は、安定したスラダ大陸を再び戦乱の世に変えてしまうものだ。多くの犠牲と、数えきれない悲劇と、償いきれない理不尽を押し付けることになるだろう。
それについて今更シュウが躊躇うことはない。
悦楽的に神聖グリニアを滅ぼしたい『鷹目』も大賛成だろう。
古代より孤独に戦ってきた『黒猫』は疲れ切っているように見えた。
シュウは彼女に向かって問いかける。
「……俺が何のためにソーサラーデバイスを普及させたか、説明したよな?」
「うん。計画のために、でしょう?」
「ああ、だがそれは表向きだ。今の時代の人間はもう魔術を自力で発動できない。ソーサラーデバイスなしでは魔術が使えないようになった。これからはもっと使えない奴が増えるだろう。いずれは魔術が存在しない世界になるかもな」
「それって」
「トレスクレアみたいなのが開発されない世界だ。時間はかかるがな」
魔術は魂を生み出せる。
電子技術だけではあり得ない、高性能な人工知能が生まれる可能性がある。
その魔術が消えるだけでも『黒猫』の心配は大きく減ることだろう。しかし同時に、本当に魔術を消せるのか『黒猫』は疑問であった。また冥王の目的も不明瞭であり、不気味だ。だから訝しげに尋ねる。
「君は何がしたいんだ?」
「今日、ルシフェルに会って色々と決心もついた」
シュウは冗談ではないということを示すためか、ある種の殺気のようなものすら放ちつつ続ける。
「俺はこの世から魔術も、魔装も、魔物も……魔に属する法則を全て排除する。この世界からな」
反論することもできず、ただ息を飲んだ。
冥王の打ち明けたあり得ない計画に、『黒猫』は何も言葉を返せなかった。
◆◆◆
衝撃的で長い一日が終わり、その翌日となった。
シュウとアイリスはアスモデウスの手配でアポプリス帝国を観光することになった。
元から知能の高い魔物ということもあり、アポプリス帝国は優れた文明を誇る。それこそ、神聖グリニアなど比較にならないほど。
「改めて見ると凄いな」
シュウは街並みを眺めつつ言葉を漏らす。
どこを見ても芸術的な曲線美が目に入り、文化と文明の調和を思わせる。無機質で箱型の高層ビルは一つも存在しない。中央にそびえる神の塔の景観を損なわないよう煌びやかな装飾もない。美しくも歴史を感じさせる街には感服するばかりである。
「妖精郷とは真逆ですねー」
「あの島は自然をそのままにしているからな。研究区画くらいしか金属やコンクリートはない」
同じ『王』が作っている国でも、方向性がまるで違う。
しかし一つの国を統治しているという点でシュウはルシフェルにある種の親近感を抱いていた。国そのものの景観は参考にならないが、同類にして先輩の国ということになるので思うところはある。
たとえばこの国の天使や悪魔たちの中に単純労働者はいない。
全員が研究や芸術といった趣味で働いている。修理や建設などの労働は全て魔術で賄っているのだ。
魔物は食事の必要がない。ただこの国を満たす魔力を吸収するだけで日々のエネルギーを摂取できる。誰も働く必要がないのだ。
(そのあたりは妖精郷と同じか)
魔物は働く必要がない。
ただ魔力を求めて活動するだけである。知能があればまた別だが、基本は本能で生きている。その意味でも人とは相容れない。
(魔物には魔物の世界があるべき、だな)
世界はまだ広い。
だからこそ、人間と魔物は棲み分けることができている。しかし人が増えればそうもいかない。人と魔物の戦いが始まり、古代の再現となるだろう。人は魔物と戦う術を求めた結果、強過ぎる魔によって自滅しかねない。
シュウは案内役として前を歩く『黒猫』に尋ねる。
「お前は人と魔物が同じ世界に暮らせると思うか?」
「……無理だよ。人と魔物は生きる世界が違いすぎる。寿命も、力も、価値観も違う。魔物は人のレベルに合わせることができるかもしれないけど、人が魔物と同じステージに立つことはできない。かつてパンドラ博士が他の人と価値観を共有できなかったようにね」
「そうだな。そして人は異形を排除しようとする。対等になれないからだ」
「僕もよく知っているよ」
同じ世界に二種類以上の知的生命体が存在するべきではない。
それがシュウの考えだ。
「ルシフェルとも色々話を詰める必要がありそうだな」
世界を変えるのだから、創造主への配慮も必要だろう。
大がかりなことをするだけに、邪魔をされると厄介だ。
「しばらくはこの国に滞在するか。俺たちの知らない技術も沢山ありそうだ」
「ですねー」
「わかったよ。僕からもルシフェル様に言っておく」
また『黒猫』は思い出したかのように続けた。
「あ、それと僕の方で西方都市群連合の件を進めておくよ。そろそろ、ギルバート・レイヴァンにも本当のことを教える時期だからね」
「確かにその段階か。そっちは任せる。ハデスも兵器の量産に移行させておく」
「任せるよ」
そう言って『黒猫』は猫耳フードを深く被った。その裾をギュッと握りながら、遥か遠くで活動させている傀儡人形を操った。
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