第255話 魔神と冥王の契約
冥王アークライトとして恐れられる魔物が元人間である。
その事実は確かな衝撃であった。
「シュウさん?」
「……隠していたつもりはないが、事実だ。聞かれなかったから言ったことがない」
だがアイリスとて愚かではない。
まだ『王』として覚醒する前から独自に魔術を解析し、自在に操っていたことを思い出す。それは確かな強い意思を有していたことの証しである。大抵の魔物は本能という最低限の思考機能が備わっているだけであり、理性と知性が伴っているとは言えない。シュウはまだ弱かった時から特殊であった。
『黒猫』も興味津々である。
「へぇ。元人間の魔物なのに不死属じゃないんだね」
「俺の場合は少し特殊だ。そこの神は分かっているようだが」
「勿論だ。貴様が現れた時から特殊な生まれを理解している。流石に予想外だったぞ。まさか――」
「それは言う必要のないことだ。いずれ分かるからな」
「――ほう。まぁ、それもそうか」
シュウとルシフェルが意味深な会話を繰り広げる中、アイリスは頬を膨らませる。
「シュウさん、私にも秘密にしていたのですか? 他に何を隠しているのです!?」
「その内な。それより、本題に入りたい。古代ディブロ大陸が滅びた理由は分かった。それで俺に何を頼みたいんだ?」
ある程度分かっていながら、あえてそれを尋ねる。
一方で後回しにされたアイリスは不機嫌な様子である。しかし重要な話に戻ったことを悟ったのか、今は何も言わなかった。
そして問われたルシフェルは思い出したかのように答える。
「ああ、貴様に頼みたいのは死魔法を使って虚飾王を滅ぼして欲しいということだ。残念ながら俺の力魔法は創造を司るのでな。殺害には向かん」
「別にいいが、条件を付けさせろ」
「なんだ。言ってみろ」
「虚飾王を殺すのは俺のタイミングだ。準備も必要だし、確かめるべきこともある」
「構わん。最終的に殺すなら何千年でも待ってやろう」
シュウは意外そうな目を向けた。
まさか何千年という猶予をくれるとは思わなかったのだ。虚飾王を月に封印しているとはいえ、ルシフェルの子ともいえるアダムが共に封じられているのだ。早く解放して欲しいというのが願いだと思っていたので、拍子抜けした気分である。
「なんだ? 不満か?」
「いや、条件を飲むということならいい。それほど討伐は急いでないのか?」
「どうせ封じているのだから脅威にはならん。それなら貴様の準備が整うまで待つのが当然だろう」
「なるほど。それで虚飾王とやらの魔法は? 流石に分かっているんだろう?」
魔法はその特性が分かっているかいないかだけでも対処に違いが出てくる。先に戦った怠惰王ベルフェゴールの魔法も最後までよく分からず、シュウですら倒し切ることは不可能と断じた。
とはいえ、シュウにも一つの予測がある。
「まさか反魔力の魔法なのか?」
『黒猫』が見せた記憶の中で、トレスクレアが聖なる光を使っている光景もあった。端末機がそれを使っているということは、本体もそれに関連する魔法である可能性がある。もしそうだとすれば、ルシフェルとは相性最悪ということだ。勝っても大きな被害を受け、最悪は相打ちで滅ぼされることだろう。
だからこそ死魔法を得たシュウに頼んだというのが予測だった。
しかしそれに対し、ルシフェルは首を横に振る。
「そんな魔法なら誕生した時点で俺が滅ぼしている。世界を滅ぼせる……いや完全消滅させる可能性を持つわけだからな。普通の魔法とはわけが違う。奴が獲得したのは位相魔法だ。少なくとも虚飾王パンドラはそう呼んでいた」
「位相魔法?」
「ああ。根源量子がベクトルを有し、固有波動を獲得することで魔力という性質になる。魔法は位相違いの魔力が由来だ。位相魔法はその位相を自在に操る」
シュウは言葉を失った。
それはすなわち、自由自在に魔法を生み出せるということだからだ。不死王の崩壊魔法、緋王の血液魔法、暴食王の分解魔法、強欲王の錬成魔法、そしてルシフェルを含む他の魔王たちの魔法も。勿論、シュウの死魔法も例外ではないだろう。
「……それは苦戦するはずだ。寧ろよくぞ封印できたな」
「ああ。俺の力魔法と……そこにいるアスモデウスの精神魔法を使って何とか封印した」
「精神魔法?」
「アスモデウスは感情や記憶に干渉する魔法が使える。俺の魔法で奴を物理的に閉じ込め、そこに異空間を作った。そこにアスモデウスの精神魔法を応用して奴の記憶からループ世界を生み出している。奴は世界がループしていることに気付かず、古代文明の滅びを何度も体験している。そしてこれから何度も体験することになるだろう。幾度となく繰り返される世界で、奴が本来はあり得なかった選択をするならば解放してやろうとも思ったが……」
「効果は無かったと? ああ、だから何千年でも待つって」
「そういうことだ」
ある意味でシュウのことも保険なのだ。
虚飾王がループする世界を体験し、その中で本来の歴史とは異なる選択をすればそれで良い。だがそれも期待できないので死魔法による完全消滅を新しい選択肢に入れたのだ。
「それともう一つ、貴様にはやってもらいたいことがある」
「まだあるのか?」
「こっちは俺の個人的な依頼だ。対価も用意している」
「なんだ?」
「貴様は死という概念に目覚めた。その魔法を利用し、死の世界を創れ」
「死の世界?」
シュウはその意味がすぐには理解できなかった。
死の世界と言われて先に思いつくのが、生命の消失した停滞世界だ。あるいは不死属の世界という見方もできるだろう。しかし世界の繁栄を望むルシフェルがそのような真逆の世界を創るように依頼するはずがない。
数秒の後、意図を理解した。
「ああ、死後の世界という意味か」
「そうだ。現状では生命体は死後、魂を消失させて消える。消えるといっても記録として過去には残る。蘇生系の魔術はそれを利用しているから、正確には再構築の魔術ということになるな」
「つまり、俺に死後行きつく世界を創らせ、死後の魂を管理させたいと?」
「その通りだ。現状、この世に誕生する魂は俺の手で創っているからな。半自動とはいえ労力を少しでも減らしておきたいのだ。魂の循環が完成すれば、俺の仕事が一つ減る」
「理解した」
これまで、この世界において死とは無であった。
死ぬことは魂の消滅を意味しており、蘇生魔術も消滅した魂を過去の記録を基に再現しているだけだったのだ。シュウへの依頼は輪廻転生の仕組みを創れということになる。
「それで対価とはなんだ?」
「魂は基本性能を司る術式に記憶や人格を司る魔力構造物が蓄積されていく。つまり魂の再利用はこの記憶や人格部分を消すことが必要となるのは分かるな?」
「ああ、理解できる」
「その記憶や人格部分の魔力構造物を貴様にやる。いうなれば、魂の浄化に伴って魔力を手に入れることができるということだ。恒常的に魔力を獲得する手段があれば便利だろう?」
「確かに」
死魔法によってあらゆる物質から質量エネルギーすら奪えるシュウからすれば、それほどメリットもないように思える。しかし、結局は世界を破壊して手に入れる魔力だ。あまり褒められた行為ではない。
(一部とはいえ、魂を形作る魔力が手に入るなら充分な報酬だな。人は毎日のように死ぬ。そのシステムがあるなら、常時大量の魔力が流れ込んでくる計算になるか)
問題は大量の死者の魂を浄化する仕組みだ。
自動化できないならば意味がない。死魔法によって世界の在り方を変え、死した肉体の魂が冥府ともいえる場所へと辿り着くようにする。世界の法則そのものを変える大魔法が必要になるだろう。
(大量の魔力を使うことになるが今の俺なら問題ない。どうせ……すぐに補充できる)
結論を出すのは早かった。
シュウは必要な魔法を考えつつも了承の意を示す。
「それでいい。引き受ける」
「これで俺の世界がまた一つ完璧になったな。やはり再生と滅びを一体化させなければ美しくない」
数学者が数式に美学を見出すように、神ともなれば世界の在り方に美学を当てはめるらしい。スケールの大きい話にアイリスはついて行けず、黙るばかりであった。
そしてシュウの服の裾を引きながら小声で話しかける。
「シュウさん、そんな簡単に引き受けて良かったのです? 私たちにはやることが……」
「問題ない。それに計画にはまだ数年の余裕がある」
「それならいいですけど……」
シュウはこれでも忙しい。
妖精郷で行われている研究の管理、ハデス財閥の状況把握、また西方都市群連合で開発中の新兵器にも気を使わなければならないし、『死神』の仕事もある。虚飾王の討伐も引き受けたところだ。その上、世界改変規模の仕事を引き受けるとなると完全にキャパシティオーバーになりかねない。
アイリスはそれを心配していたのだ。
「レイ」
ルシフェルが『黒猫』へと呼びかける。
「アークライトとその娘を案内してやれ。俺の国に来たのだ。少しは観光していくがいい」
「任せてください。『死神』も魔女も、それでいいよね?」
「そうだな。折角の機会だ。アイリスはどうだ?」
「はぁ……私もいきますよー」
シュウとアイリスは妖精郷の配下と共に船でここまで来ている。危険を承知で同行した部下への配慮も必要だろう。
「ルシフェル、俺の部下たちも休ませたい。手配してもらえるか?」
「ああ。アスモデウス、お前が冥王とその一行をもてなせ」
「かしこまりました。冥王の配下の方々も
「それでいい」
世界の神に、古代文明崩壊の真実に、八番目の魔王。
また引き受けた仕事のためにも色々と情報を整理したいところだ。
(『黒猫』にはもう少し詳しいところを聞いておくべきだな)
シュウは後で話をしたいという意味で『黒猫』に視線を送った。
ひとまずはこの気を抜けない謁見を終わらせることにする。
数々の強者を屠り、世界最強クラスになったシュウでも、長い時間ルシフェルの前にいたいとは思えなかった。
◆◆◆
「……びっくりしましたね。神様なんて」
「俺としてはエル・マギアが実在したことに驚きだったがな。世界の創造主か」
「それも六千六百年ほど前のことなんですよね。何で記録に残ってないのか不思議なのですよ!」
「トレスクレアなんて余計なものを開発したからな。大方、アスモデウスが精神魔法で記憶消去したってところだろ。確か記憶なんかにも干渉できるとか言っていたし」
「じゃあ魔神教って」
「ルシフェルを崇めていた奴らが、残された記憶を基に作ったんだろ。それに魔装を人間に与えたのが神だってのも案外事実だったしな」
シュウからすれば意外という他なかった。
元からエル・マギア神など信じていなかったし、神が実在するとは思っていなかった。まさか世界が魔王によって創造されたなどとは考えつくはずもない。
またシュウにとって、今回の話は色々と考えさせられるものであった。
(トレスクレアが月に……ということはやはり……そういうことなのか?)
ジッと思案するシュウは完全に一人の世界へと没入しており、周りが見えていない。アイリスは反応が薄くなったシュウを見て、思い出したかのように肩を揺らしながら耳元で叫ぶ。
「シュウさんシュウさん! そういえば元が人間だったなんて初めて聞いたのですよ! どういうことなのか説明するのです!」
「どうもこうも、ただそれだけだ」
「……転生魔術、ですか?」
「いや、違う」
シュウの転生経緯は普通とは異なる。
人が肉体を捨てて魂だけで活動できる存在へと昇華するのが魔物化だ。肉を持つ生命の魂が魔力で新しい身体を生み出し、乗り移るのが魔物転生魔術ということになる。普通の人間が魔物化すれば不死属となることから、霊系魔物になったシュウはそれだけで特別といえるだろう。
「アイリス、そもそも俺はお前に会った頃は記憶がほとんどなかった。知識は残っていたが、親の顔も思い出せないほど特定の記憶が消えていた。思い出したのは、妖精郷に移り住んだ頃だな」
「それでも三百年前じゃないですか」
「今更言う必要もないと思ったからな」
「確かにそうかもしれませんけど」
「改まって言うことでもない」
そういうことは理屈ではない。
冷静な説明をされるほどに、アイリスは言い表しようのない苛立ちのようなものを覚えた。ただしそれをぶつけるほど子供でもないので、心の内に降り積もり、不機嫌さとして表れる。
シュウはアイリスを宥めるように続けた。
「それと、俺自身も転生について掴み切れていない部分があったからな。話すとしても全部理解してからにしようと考えていた」
「それなら……仕方ない、ですけど」
「全部わかったら話す。それに俺の予測が正しいなら、アイリスにもいずれは協力してもらうことになるからな」
「分かったのですよ」
ひとまずは納得したらしい。
アイリスは追及の姿勢を止めた。
そしてタイミングよく扉をノックする音が聞こえる。
「僕だよ『死神』。入れてくれるかな?」
「来たか、入っていいぞ」
後で来いという意味の視線を正しく理解していたのだろう。
扉を開けて、猫耳フードの少女が入ってきた。
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