第253話 黒猫の記憶①


 古代ディブロ大陸において、人類は知的生命体の一つでしかなかった。

 魔神ルシフェル・マギアによって世界が創造され、星が創造され、生命が創造され、そして最後に知性を有する動物として人間が生み出された。

 それが始祖アダム=アポプリスである。初めに生み出した人間であるが故に、ルシフェルは神の国アポプリスの名を贈り、一つの権能を与えた。それは世界を管理させるためであった。

 アダムは神の言葉通りに働いたが、それには限界が生じてしまう。

 何故なら彼は一人だった。



『人が一人でいるのは良くない。不老不死とはいえ、孤独は悪いことだ。ならば彼から女を作ろう』



 ルシフェルはアダムの体から肋骨を抜き取り、それを元にエヴァを作った。

 しかし人がこの世を埋め尽くすことを嫌ったルシフェルはエヴァに不老不死を許さなかった。またアダムとエヴァの間に生まれる子孫たちにも滅びの概念を与えた。他の動物と同じように。

 そしてルシフェル・マギアは人類に一つの命令を出していた。



『生めよ、増えよ。地に満ちて俺の世界を管理せよ』



 人間は世界を管理するために生み出された生命体であった。

 アダムの子供たちは時間をかけて増えていき、技術を磨いていく。

 だが、人間は弱かった。

 一方で魔物は強過ぎた。

 人間の開発する武器で魔物を傷つけることは叶わず、そして魔物は人間を殺すほどに魔力を獲得して強くなる。一度増え始めた人類は一転して絶滅寸前にまで減っていく。増えた人類は魔物にとって、良い餌でしなかったのだ。

 アダムもその権能によって戦うが、彼一人では限界がある。

 故に彼の息子の一人が全能の存在に、力を求めた。父のように人の世界を守るために。



『貴様らに魂の力を授けよう』



 ルシフェルはアダムの息子の願いを聞き入れた。

 人間の魂を改造し、魔装を与えた。またそれを見たアダムは権能から百五十の魔術を生み出し、人々に教える。ルシフェルはそれを気に入り、『アポプリスの魔術』と名付けることを許した。

 魔物と同じく魔力を操ることができるようになり、人間は魔物を倒すようになる。

 しかし人が魔物を圧倒することはなかった。

 そこでアダムは子孫たちを集め、権能により楽園エデンを生み出す。強大な結界に守られたエデンは人を繁栄させる土壌となり、栄え始めた。

 やがて人類は大陸中央に広がる巨大な塩湖・・・・・から西に文明を築く。エデンの結界に囲まれた小さな世界ではあったが、人々は幸福を獲得した。

 同時に反撃の狼煙が上がった。

 赤き滅びの竜サタン塩の海龍レヴィアタン大地の支配竜ベルフェゴールと名づけられた三大魔王、そして後に誕生する魔王と人類の長い戦いが始まったのである。







 ◆◆◆






「この、記憶は……」



 シュウは自身の中に送り込まれた情報群を整理しつつ呟く。

 それを成した『黒猫』が返答する。



「僕の記憶……というより知識だよ。今から五千年か六千年ほど前……人類の創世紀の話さ。僕もまだ生まれていないからね。だからルシフェル様の方が詳しいんじゃないかな?」



 『黒猫』が目配せすると、ルシフェルも頷いた。

 彼女の言葉が正しいということだろう。説明を求めるシュウの視線にも気付いており、軽く手を振って空中に画像を映し出した。驚くべきことに魔術陣を利用した形跡がない。ソーサラーデバイスのようなものを装備しているわけでもない。つまりそれが魔法であるという証拠だった。

 空中に表示された画像の一つには、鮮やかな赤い鱗の飛竜が映っている。二つ目には船を飲み込む巨大な水龍が。そして三つ目には山脈の如き巨大な地竜がいた。

 特に三つ目はシュウにも見覚えがある。



「それが三大魔王……初期の『王』か」

「ああ。この俺が直接創造した世界の抑止力だ。だがいつの間にか強大な自我を獲得し、魔法に目覚め、俺の手から離れていた。人間たちから魔王と呼ばれるようになったのはその頃だ」

「消さなかったのか?」

「俺はそこまで狭量ではない。この俺の手から離れるにしろ、我が子の成長のようなものだ。俺はそれも世界の一部として認めた。それに抗う人間の成長にも繋がるだろうと考えてな。そうでなければ貴様のことも感知した瞬間に消している」



 ルシフェルはそこで言葉を止め、目を閉じる。

 もう話すことはないということだろう。その証拠に『黒猫』が話を引き継いだ。



「細かい話をすると時間がかかるから、少しだけ口頭で説明しておくよ。ずっと昔……僕は軍事研究施設で作り出された実験体魔装士だった」

「作り出された?」

「そうさ。僕の額にある紋章。見たことあるだろう?」

「ああ、『聖女』セルアの額にある紋章だ。それとアゲラ・ノーマンの額にもあったな。あとは――まぁそれはいい。やはり古代由来の技術か」

「そう。賢い君ならもうわかっていると思っていたけど、これは古代の技術だ。『第三の眼トレスクレア』というものだね」

「そのままだな」



 古代語で第三トレスクレア

 シュウは『黒猫』の額をじっと見つめる。そしてふと言葉を漏らした。



「その眼があると魔装を得るのか?」

「そうだね。僕は本来持っていた空間を操る魔装に加えて、この第三の眼によってもう一つの魔装を手に入れている。傀儡の魔装だよ。君の前に現れていた『黒猫』も、黒猫の酒場のマスターも全て僕の傀儡さ」

「二つの魔装か。あり得るのか?」

「第三の眼は外付けの魔装だよ。この眼……というか紋章は脳組織の一部なんだ」

「脳の一部? ただの模様に見えるが」

「正確にはこの紋章部分で魂と繋がっているんだよ。いわば脳と魂の繋ぎ目さ」



 人体において最も重要な器官といえば、それは間違いなく脳だ。全身のあらゆる細胞に命令を下し、あらゆる思考を司ると言われている。しかし本来、思考とは魂が生じるものだ。魂の魔術陣が魔力によって思考を放っている。

 つまり脳とは魂から魔力を受信する器官であると同時に、肉体が知覚したものを魂へと送信するための器官なのである。

 故に脳の活動が停止すれば魂との繋がりが途切れ、死ぬ。あるいは肉体そのものが破損し、脳が活動不可能と判断しても繋がりは途切れる。稀に魂と脳の繋がりが切れていながら脳が活動停止しないこともあるのだが、それがいわゆる植物状態となる。



「それなら、古代は誰もが覚醒魔装を持っていたということなのです?」



 アイリスが当然思い浮かぶ質問をぶつけた。

 覚醒が普遍的技術によって成り立つのだとすれば、それが全ての人間に施されていても不思議ではない。

 しかし『黒猫』は首を横に振った。



「残念ながらそんな便利な術じゃないよ。言ったよね。僕は実験体だった。そして第三の眼を人間に植え付ける実験は僕を除けばもう一人しか成功していない。数百人……もしかしたら数千人はいたのかもしれない犠牲者の上に、たった二人の成功例しかないのさ」

「そのもう一人というのはロカ族の祖先か」

「察しが良いね『死神』。そうだよ。そもそも外部から覚醒魔装を取り付けるなんて拒絶反応が出て当たり前なんだ。脳組織だって変異させるわけだし。僕みたいに自前の能力で封印して安定させることができれば別なんだけどね」

「なるほど。だからロカ族は空間魔術や封印術に長けているのか」

「うん。残念ながら、古代人でも皆が第三の眼を持っていたわけじゃないんだ。それにロカ族の始祖だって力を封じ込めるだけで、覚醒魔装を扱えるわけじゃなかった」



 シュウは深く頷いて納得……しかけた。



「待て。今、成功例が二人と言ったな? なら、アゲラ・ノーマンはどうなる?」

「うん、まぁ、当然の疑問だね。だけどその前にもう一つ説明をさせて欲しい。この第三の眼は魔装を獲得するというだけじゃなく、もう一つの役割がある。覚醒魔装士の最大の特徴は分かるかい?」

「魔力の自動回復、だろう?」

「うん。だけど不思議に思わない? 無限に湧き出る魔力なんて、エネルギー保存の法則と矛盾している」



 覚醒魔装士は無限に湧き出る魔力によって、どれだけ魔装や魔術を使ってもそれが尽きることはない。また魔力を生命力としているお陰か寿命もない。

 逆に一般人は消耗した魔力を食事や休息によって生命力を回復させ、そして生命力を魔力として蓄えているのだ。

 シュウもかなり昔からおかしいと感じており、またそれについて一つの答えを出していた。



「暗黒物質、あるいは暗黒エネルギーだな」

「む。もしかして発見したのかい?」

「ああ。この世界には観測できない未知のエネルギーが満ちている。それも少しじゃない。質量エネルギーを含む全ての観測可能なエネルギーを合わせても、暗黒エネルギーの一割か二割ほどでしかない。想像もできないほど大量の干渉できないエネルギーが世界に満ちている。覚醒魔装士はそれを魔力に変換する能力を持っている、ということだろう?」

「……まさか自力で辿り着くなんてね。驚いたよ」

「近くに実例がいたからな」



 そっとアイリスの肩に手を置く。

 シュウとて彼女の協力がなければその答えに辿り着くことはできなかっただろう。アイリスは時間停止という莫大な魔力を常時消耗する絶大な魔装を容易く、何度でも発動する。それだけのエネルギーを一体どこから調達しているのか、シュウは調べていた。正確には妖精郷の研究員たちが。

 結果として、次元に満ちている観測不能な謎物質を魔力に変換しているのだろうという結論に至ったのだ。観測できない未知の物質であるため、暗黒物質や暗黒エネルギーと呼称している。

 『黒猫』は少しばかりつまらなそうであった。



「君は手間がかからなさ過ぎてつまらないよ。まぁいいか。僕たちはそれを根源量子と呼んでいる。あらゆる運動量がゼロ……つまりベクトルを持たない物質なんだ。エネルギーとしてスカラー量は持つけどね」

「そしてベクトルを与えると暗黒物質は……根源量子は魔力になる、だろ?」

「……そうさ。覚醒魔装士は次元に満ちている根源量子にベクトルを与え、魔力として受信する能力に目覚めている。魔神ルシフェル・マギア様の持つ力魔法の一部だよ」

「魔法を一部とはいえ技術的に再現したとなると、かなり凄いな」



 しかしだからこそ覚醒魔装士が特別だということも分かる。覚醒には根源量子を魔力に変換する魔法の如き力が魂に備わり、また莫大な魔力を受信するように脳が変異する必要がある。それだけの素質がなければ辿り着けず、また魂が力に目覚めるほどのきっかけも必要だ。数億人に一人の才覚というのも頷ける。

 人工的に覚醒魔装を与える古代の技術でも、時空系能力によって封印し、じっくりと力を定着させなければ拒絶反応で死に至ったというのだから。

 またロカ族の末裔たるセルアでも、何代にもわたって封印し、定着させてきたからこそ覚醒に至る器となり得たに過ぎない。



「さて、話を戻そう」



 『黒猫』は自分の額を指さし、その眼のような紋章を指でなぞる。



「こいつは人間の脳に増設するには厄介な機能だということが分かってくれたと思う。この問題はどう頑張っても解決することができなかったんだ。それなら、どうやってこの技術を安定的に利用するべきかな? 無限の魔力を受信する機能はとても魅力的で、捨てるには惜しい。古代人はどうやってそれを解決したと思う?」



 第三の眼とは、いわばパソコンに原子力発電所を直付けするようなものだ。過剰過ぎる力によって本体であるはずの人間の脳が焼き切れ、魂が摩耗してしまう。それほどの力をどう制御すれば良いのか。

 シュウはまたもや即答する。



「簡単だ。初めからそのように作ればいい。第三の眼を備え、それに耐え得る肉体と魂を持った人造生命体をな」

「……君は優秀だよ。ここに呼んで良かったと思えるほどにね」



 すぐに正解を導き出してしまうシュウを面白く思わなかったのか、皮肉っぽく褒める。

 しかしシュウはそんなことを気にせず話を続けた。



「なら、読めたな。それがアゲラ・ノーマンというわけか」

「そうだよ。正式名称、指揮型九号機アゲラルド・ノーマン。『三つ眼トレスクレア計画』が最後に生み出した兵器……人型魔装兵器中央制御系群トレスクレアが生み出す端末の一つさ」



 そう言って『黒猫』は手を差し伸べる。

 また能力を使って記憶を見せるということだろう。



「ここからはまた、僕の記憶を見て欲しい。今からおよそ千六百年前……始祖が誕生して五千年くらいかな。歴史の転換点となる兵器、トレスクレアが完成したんだ」



 シュウとアイリスは差し出された手を握り返す。

 再び彼女の能力によって何かが伝わってきた。




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