第247話 滅びの予言者
「う、く……」
目を覚ましたシンクは、自分が倒れていることを自覚した。
そして痛む身体に治癒魔術をかけつつ起き上がる。辺り一帯は黒い影に覆われており、見上げればそこには山があった。
(気を失っていたのは……数秒ほどか?)
地下宮殿で大地震に襲われ、崩れる天井に押し潰されるかに思えた。だが、樹木を操るアロマの魔装に助けられ、地上に出たところまでは覚えている。
しかし勢いよく巻き上がる砂に巻き込まれ、吹き飛ばされてしまったのだ。身体を強く打ち付けたせいか、左足が骨折している。そこでポーチから神の霊水を取り出し、口に含んだ。
同時に再び見上げる。
「はは、嘘だろ」
これは本当に生物なのだろうか、と考えてしまう大きさだった。
地竜系魔物の魔王。
それがまさか山脈に擬態しているなどとは思いもしなかった。必死になって討伐してきた鬼たちは何の関係もなかったのだ。いや、この怠惰王のお膝元で栄えたという点においては無関係とは言えないが。
(こんなもん、誰が討伐できるってんだよ)
遠い、とただ感じた。
シンクの魔装は反魔力によって対象の魂を切り裂き、消滅させることができる。広く展開できるセルアとは対極に、深く作用するのがシンクの魔装だ。
そのシンクが遠いと感じた。
怠惰王の放つ魔力があまりにも圧倒的で、重く、深く、異質だという感覚。それが魂まで刃が届かないということを自覚させる。
(そう、だ……セルア様を)
シンクにとってセルアは特別な存在だ。
それは恋愛感情といったものではなく、自身の始まりという意味で特別なのだ。かつて彼はセルアの騎士として『王』の魔物と戦い、その中で覚醒にまで至った。
彼は今でも、あの時に任命されたままの騎士なのだ。
だからこそハイレン王家の姫であるセルア・ノアール・ハイレンの騎士の象徴を身に付けている。翡翠の耳飾りを大切に付けている。
「くそ、砂煙が邪魔だ」
怠惰王が動くだけで砂煙が舞う。
それは視界を大きく阻害しており、とても人探しができる状態ではない。魔力を辿ろうとしても怠惰王の魔力が邪魔でよく感じ取れないのだ。シンクの中に焦りが募っていく。
「セルア様!」
その叫び声は無情にも掻き消される。
大地の揺れは今も続いており、声は全くと言って良いほど響かない。
ならばとデバイスを起動し、セルアに呼びかける。この時ほどソーサラーデバイスを開発したハデスに感謝したことはなかった。
「セルア様……」
接続中の文字が空中で回転するその時間すらもどかしい。
一秒がその何倍にも感じられた。
また天を衝くほどの砂煙に隠された巨大な影もシンクを焦らせた。今は一瞬でも早くセルアを見つけなければという思いと、一瞬でも早くこの場を離れなければという二つの思いが重なっている。
だが無情にも、セルアは電話に出なかった。
(どうする? どうすればいい?)
万策尽きたことで膝をつく。
このまま一人で逃げる訳にはいかない。だがセルアを見つける方法も浮かばない。
(こうなったら闇雲でも走り回って探すしか……)
そんな彼の背後で砂を踏む音がする。
焦り、必死に頭を動かす今のシンクはそんな近くの音ですら気付けなかった。だが、流石は剣士というべきか、至近距離にまで近づくとその気配には気付く。
まさかと思い、勢いよく振り返った。
「っ! お前は――」
◆◆◆
時は少し遡る。
怠惰王が目覚めた直後、その巨体が起き上がると同時に大量の砂煙が巻き上がった。また地下宮殿から脱出しようとしていた聖騎士たちも、それに巻き込まれて打ち上げられたのだ。
遥か空中にいたシュウとアイリスにも、それが見えた。
「あれは……」
「『聖女』さんですねー。昔助けたのですよ!」
「ああ、そうだな。あんなに打ち上げられるとは……運がない」
シンクが巻き上げられた砂の衝撃で小さく投げ出された一方、セルアは空高く打ち上げられていた。幾ら覚醒魔装士が無意識に魔力を纏って防御力を上げていても、あの高さから自由落下すれば死は免れられないだろう。
意識があれば魔術で落下速度を抑えることもできただろうが、見たところセルアは気を失っていた。
「見捨てるのです?」
「助けたいのか?」
「いえ、例の計画に使うと思っていたのですよ」
「まぁ、あの二人……『聖女』と『剣聖』はいてもいなくても別に構わない。『鷹目』の奴は是非とも欲しがっていたがな」
「じゃあ助けるのです!」
アイリスは直感的にそう判断する。
ならばとシュウも頷いた。
「分かった。ちょっと怠惰王と戦闘になるかもしれないが……何とか小競り合いで済ませるとしよう」
そう告げて空間魔術を発動する。
時間魔術と移動魔術の組み合わせによってセルアの体を瞬間的に引き寄せ、抱き抱えた。
「後は『剣聖』だが……」
怠惰王の放つ強烈な魔力が邪魔をして上手く感知できない。
そこでシュウは再び魔術を発動する。魔力から眷属となる魔物を生み出す《眷属召喚》の魔術だ。これによって大量の
するとすぐに報告がやってきた。
「見つけた。転移するぞアイリス」
「はいなのですよ!」
二人はその場から一瞬にして消えた。
◆◆◆
「お前は――冥王にアイリスさん……いや、アイリス? 時の魔女か!」
シンクはかつて不死王と対峙した際、冥王の姿を見た。またその時にアイリスの力を借りたのだが、そのアイリスが時の魔女として知られる女だとは知らなかった。
しかし冥王と共にいるのだとすれば、それは三百年以上指名手配されているアイリス・シルバーブレットに他ならない。
だが、何よりも今大事なのはシュウに抱えられたセルアであった。
「放せ!」
「ああ」
若干の喧嘩腰で言い寄るシンクに対し、シュウはあっさりとセルアを引き渡す。移動魔術で放り投げられたので、シンクは受け止めつつ後ろによろけた。
「何の、つもりだ? それにどうしてここに冥王が?」
「そうだな……少し、話をするにはアレが邪魔か。アイリス」
「なのです!」
アイリスが返事をした瞬間、世界の時が止まる。
舞い上がる砂も、揺れる大地も、恐ろしい怠惰王の唸り声も全て消え去った。この世界ではシュウ、アイリス、そしてシンクだけが動くことを許されている。
ただ、アイリスは少しだけ顔を顰めた。
「シュウさん、早めにお願いします。簡単に破られそうなのですよ」
「時間停止対策もしていたか。まぁいい」
怠惰王を一睨みしてから、シュウは改めてシンクへと向き直る。
「あまり時間がないから手短に話す。アゲラ・ノーマンは信用するな」
「どういう、ことだ? 仲間割れを狙っているのか? そんなことなら……」
「これは冥王アークライトとしての言葉じゃない。黒猫の『死神』としての忠告だ。そのまま、黒猫からの忠告だと思ってもらって構わない。俺たちのリーダーは、随分と奴を嫌っているようだからな」
「……お前の言葉は信用できない」
シンクの思いは尤もなものであった。
彼はあくまでも聖騎士であり、魔物は絶対の敵対者である。また祖国は『王』によって滅ぼされ、また彼の師であるハイレインは冥王と戦ってから行方不明となっている。
簡単にシュウの言葉を信用する方がおかしい。
「まぁいい。ヒントは与えた。あとは自分で調べてみることだな」
「……一体何を」
「お前もあの古代人のおかしなところには気付いているはずだ。俺より近くにいるんだからな」
「……」
心当たりがあるのか、シンクは口を閉ざして何かを考えこむ。
アゲラ・ノーマンという男は数々の技術革新を成し遂げた、今の魔神教の中核を担う人物だ。鬼系魔物との戦争で大いに活躍した殲滅兵も彼の開発したものだし、それを運用する永久機関は歴史に残る大発明だと断言できる。
だが、それだけだ。
あの古代人は古き時代のディブロ大陸についてほとんど語らない。どのような魔王がいたのかも、何一つ語らない。ただ古代に存在した技術を再現し、提供しているだけだ。
何かを隠している、というのはシンクも感じていた。
「冥王、お前の目的は何だ?」
「知る必要はない。それより、さっさと逃げておけ。もう動き出すぞ」
「え?」
シュウが軽く指を鳴らすと、セルアを抱えるシンクは消失した。
強制転移でこの場から離したのである。
そしてアイリスに向かって告げる。
「さて、少しだけ時間稼ぎをするぞ。転移で飛ばした距離もそれほどじゃない」
「直接スラダ大陸に飛ばすと問題になりそうですからねー」
「正直に話して異端審問にでもかけられたら元も子もないからな。お前の時みたいに」
「他の聖騎士さんたちはどうするのです?」
「知らん。計画に無い奴は勝手に生き残れ」
時間停止が解除され、怠惰王が動き出す。
相手は自力で時間停止を破るほどの強大な『王』だ。これまで戦った『王』とは強さも大きさも違う。そんな魔王に対し、冥王は死魔法を放った。
◆◆◆
転移で飛ばされたシンクは砂漠の真ん中にいた。
腕にはセルアが抱えられたままであり、地面も少し揺れている。振り向くと山のように巨大な魔物が動いていた。残念ながら地平線に隠れて上半分ほどしか見えていないが、むしろそれが怠惰王の巨大さを知らしめる。
(今は、逃げるしかない)
あの場所に置いてきたであろう仲間の聖騎士を気遣う余裕もない。
今はセルアを一刻も早く安全な場所に移動させる必要があると考えた。シンクは急いでワールドマップを起動し、自分の現在位置を確認する。
(場所は……第二十一拠点が近いか)
総督として得られる全軍の情報を利用し、最適な逃走ルートを導き出す。流れてくる情報からは混乱が見えており、指揮系統もまともではないということが分かる。
本陣からも撤退以外の指示は出ていないのだろう。
事実上の敗走だ。
心の内に広がる苦さを押し込め、シンクは走り出した。
◆◆◆
クローニンが発した『敗走』の命令はマギア大聖堂にも知らされた。また同時に鬼帝国を支配していたのが巨大な山脈を思わせる魔物であるという情報も寄せられ、教皇たるアギス・ケリオンは外聞など関係ないとばかりに走り出す。
目的地は神子姫の居室であった。
その扉を守る聖騎士も走ってきた教皇の姿を見て何事かと顔を見合わせる。
「ど、どうなさったのですか!?」
「早く神子に会わせるのだ」
「はっ! 直ちにお伺いします」
慌てているケリオンも女性の部屋に怒鳴り込むような真似はしない。ひとまずはお付きの女性聖騎士を通して神子に入室の許可を取る。
未来を見通す神子姫は教皇が訪れるのを知っていたのかもしれない。
すぐに女性聖騎士は戻ってきて、教皇を案内した。
「待っていたわ」
神子姫セシリアは椅子に座って紅茶を淹れていた。しかもご丁寧にアギスの分まで紅茶と椅子が用意されている。
やはり、という感情を隠すことなくケリオンは苦い表情を浮かべる。
「君は見えていたのかね? 神子姫セシリアよ」
「ええ。厄災によって蹂躙され、為す術もなく潰走する光景が目に見えていた。でも被害はまだましよ。私の見えていた未来の中にはSランク聖騎士が全滅するものもあった」
「なぜ、それを言わなかった?」
そんな未来を知っていたら、という続く言葉はセシリアによって遮られる。
「それを言ったところで未来は変わらなかった。だから私は何も言わなかったのよ。ただ、警告はしていたわ」
「言ったところで変わらないだと!? 何を根拠に!」
「忘れたの?」
セシリアは冷たい言葉を返す。
その眼にも、心を冷えさせるような冷たい何かが宿っていた。アギスは思わず後ずさる。
「私は未来を見通す。私が正確な情報を予言した仮定の未来においても、あなたのすることは変わらなかった。怠惰王ベルフェゴールがいるのならば、それを討伐する作戦を組めばよいのだと言って私の警告に従わなかったわ。その結果、無意味に『王』へと挑み、もっと多くの命が散っていった」
「つまり……何も言わない方が被害が少なかったと言いたいのかね?」
「そうね。クローニン・アイビスはとても賢明な人。だから迷わず撤退命令を出す未来が見えた。あの人に任せておくのが一番被害が少なかった」
「……」
ケリオンは口を閉ざし、しばらくの間黙り込む。
その間にセシリアは紅茶を口にして、小さく息を吐いていた。
停滞したような時がしばらく流れ、ようやくケリオンは口を開く。
「以前、国の滅びを予言したな? どういうことだね?」
「言ったところで意味はないわ。もう決まっていることだもの。今日と同じよ」
それ以降、セシリアは何も言わなくなった。
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