第246話 鬼の帝都⑦


 覚醒した鬼の勇者はオリハルコンよりも硬い肉体を誇る。そしてその体表から滲み出る魔力を具現化した鎧すら鋼鉄を遥かに凌ぐのだ。

 ブラハの悪魔が放つ漆黒の弾丸は全て弾き返され、水晶竜の放つレーザーですらビクともしない。ただ覚醒した魔剣士は魔力を魔剣へと注ぎ込む。



『クラリスさん、逃げてください!』

「言われなくても!」



 通信機を通してクローニンから警告されるより早く、クラリスは逃げだした。今から遠くへ逃げたところで範囲から逃れるのは難しい。そこで彼女は上空へと活路を見出し、あっという間に青空の小さな点となる。

 一方でクローニンが召喚したブラハの悪魔は、少しでもダメージを与えようと猛攻撃を開始する。フロリアの矢とコーネリアのチャージショットも次々と迫るが、魔剣士はただ立ち尽くすだけでそれらの攻撃を弾いていた。

 これが覚醒の力だ。

 一時的かつ、発動中は膨大な魔力を消耗してしまう。しかしながら一段階上の力を獲得するのだ。絶望ディスピア級である鬼の勇者が覚醒すれば、僅かとはいえ終焉アポカリプス級にも匹敵する。人間にできることは時間稼ぎで魔導の効果切れを狙うことだけだ。



「グオオオオオオオオオオオン!」



 魔剣が砂漠の大地へと叩き付けられる。

 同時に闇が噴出し、周囲を飲み込み、空にまで昇った。

 ブラハの悪魔、殲滅兵、そして鬼の大軍までもが闇に飲み込まれ物質の均衡を崩される。エネルギーの安定が揺らぎ、腐食し、空気すら死滅した世界へと変貌した。





 ◆◆◆






 青白い燐光と共に斬撃が閃く。

 シンクの一撃が小鬼帝王ゴブリン・エンペラーの魂を切り裂いた。



「これで、終わりだ!」



 聖なる刃は反魔力によって魂すら対消滅させる。それは強力な魔物でも変わりなく、鬼を召喚し続けた小鬼帝王ゴブリン・エンペラーは呆気なく散っていった。

 戦闘時間は本当に僅か。六人の覚醒聖騎士からすれば簡単なことであった。鬼の帝王は保有する膨大な魔力の割に、戦闘力は貧弱だった。



「終わりですね」

「呆気ないわね」



 セルアとアロマの魔力を鎮めつつ様子を窺う。油断をしている様子はないが、もう終わりだと確信しているのだろう。

 魔力も感じられないので、間違いなく消滅している。

 だが懸念があった。



「アロマ殿、『王』がいませんね」

「リヒトレイ、あなたもそれが気になるのね」

「ええ。てっきりここにいると思っていたのですが……」



 ひとまずは小鬼帝王ゴブリン・エンペラーと呼称した魔物も『王』ではない。絶望的な魔力や圧倒的な魔法は一切使ってこなかった。ただ鬼を生み出してきただけである。



「ん?」



 そんな時、シンクの下へと一つの連絡が入った。

 総督としていつでも本陣からの連絡は受け取れるようになっていたのだ。だが、今回はシンクだけでなく、Sランク魔装士全員に通達された情報であった。



「本陣に危機!? 推定で終焉アポカリプスだと!?」

「シンク、すぐに戻りましょう」

「しかしセルア様、来るときは転移できましたが帰りは……それに『王』の捜索と討伐も必要です。一度冷静に考えましょう」



 シンクはセルアを宥めつつ、頭の中で計算する。

 情報にある勇者小鬼ゴブリン・ブレイブは魔導による一時的な能力強化だと推察されている。初めて見る現象ではなく、これまで何度も観測されていた能力だ。初めて魔剣士が覚醒した時は本陣が崩壊し、戦線を大きく下げざるを得ないと判断するほどであった。シンクにも苦い記憶としてこびりついている。



(あれは時間切れを待つほかない……とすると、時間稼ぎできる人に頼むしかない)



 時間稼ぎが得意かつ、終焉アポカリプス級とも少しは戦えるとなれば覚醒した聖騎士の中でも限られてくる。筆頭は万能にして魔力を吸い取る魔装使いであるアロマだ。そしてもう一人は聖なる光で弱体化が望めるセルアであるが、彼女は『王』が見つかった時に活躍してもらう必要がある。



(援軍要請した一般の覚醒魔装士はまだ時間がかかる。ここは……)



 素早く結論を出したシンクは、まずアロマに向かって告げた。



「アロマさん、樹木龍を使って現場に急行してください。魔剣士の覚醒が時間切れするまで粘って欲しいんです」

「いいわよ。私だけかしら?」

「セルア様も連れて行ってください」

「ですがシンク、それは」

「いいのかしら? こっちが大変になるわよ?」

「承知の上です。それに『王』を発見した場合は撤退を視野に入れます。それよりも本陣が潰されるのは不味い。ですので魔剣士をできるだけ早く仕留めてください。今日こそ」



 魔剣士こと勇者小鬼ゴブリン・ブレイブは何度も魔神教連合軍に大打撃を与えてきた。今までも討伐作戦が組まれたことはあったし、実行もされてきた。しかし、いつも覚醒の魔導によって逆転されてしまうのだ。

 シンクは簡単に時間稼ぎをして欲しいと言っているが、それも楽な仕事ではない。覚醒が切れるまで戦線が保たれたことは一度もなかったほどだ。



「寧ろ魔剣士の方が今は危険です。本当は全員で向かいたいところですが」

「いいわ。任せておいて」

「シンクも気を付けてください」

「勿論です。セルア様も、それにアロマさんも気を付けて」



 こうしている時間も惜しい。

 アロマはセルアを引き連れ、さっさと玉座の間を去っていく。

 またシンクはその二人から目を離し、残るリヒトレイ、ラザード、ガーズィンへと向き直った。



「俺たちはもう一度地下宮殿を捜索しましょう。見逃した部屋があるかもしれません」



 シンクたちもアロマとセルアに続いて玉座の間を出て、気の長い捜索を始めようとする。こういったことは本来、下っ端の聖騎士や従騎士、あるいは徴兵された兵士たちの仕事だ。しかしそんな者たちをこのような危険な場所に連れてくることはできないし、そんな余裕もない。

 魔剣士を始めとして、凶悪な鬼系魔物を引き付けている間に『王』を仕留めるという作戦が根底から崩れることになってしまう。

 そもそも、今の時点で崩れかけているのだが。



「はぁ」



 誰にも聞こえないよう、シンクは溜息を吐く。

 しかしその瞬間、セルアが勢いよく振り返った。思いがけないことで身構えてしまうシンクをよそに、セルアが力いっぱい叫ぶ。



「今すぐここから逃げてください! 恐ろしい何かが! 何かが来ます!」



 その瞬間、地面が激しく揺れ始めた。






 ◆◆◆





 大地が脈動する。

 激しく震える。

 それは空気にまで伝わる。

 空から全てを見ていたシュウとアイリスは、時が来たことを悟った。



「来るぞ」



 シュウは告げる。

 アイリスは慌てて高度を上げ始めた。それに続いてシュウもゆっくりと上昇していく。



「シュウさん、山脈が」

「ああ、目覚めた」



 鬼の帝都の側にあった大山脈。その表面に亀裂が走る。またその亀裂は麓の大地に集中しており、煮えくり返るように激しく動いていた。

 それと同時に大地が沈んでいく。

 そして山脈が浮かび上がっていく。



「あれがおそらく世界最大の魔物だろう。砂漠に眠り続ける怠惰の『王』」



 動き始めた山脈は……いや、巨大な魔物は砂煙を上げつつその全貌を晒す。大地から表出していた山脈のような部分は、あくまで魔物の一部である。

 シュウとアイリスは呼吸が困難になるほど高高度を取らなければ、全貌を見下ろすことができない。

 四本の足は地盤を破壊して埋まり、身じろぎするだけで大地が揺れる。

 地竜系魔物の最強、不落峰王竜グランドクロス・デスピア・ベヒモス

 またの名を怠惰王ベルフェゴール。

 七大魔王の最高峰が目を覚ました。






 ◆◆◆






「つ、次から次へとなんですかぁ!?」



 本陣のクローニンは頭を抱えた。

 彼のいる場所からも帝都……いや、目覚めた怠惰王は観測することができた。より正確には目覚めによって生じた大地震と舞い上がった砂を観測し、異変を知ったということになる。

 少し離れたところで矢を放っていたフロリアも、その魔装を利用して目覚めた魔王を観測する。そしてすぐにクローニンの下へと駆け寄った。



「私たちは勘違いしていた」

「勘違い!?」

「鬼の帝王は魔王ではなかった。本物の『王』は……あれよ」



 古い伝承に残る七大魔王の情報として、竜に属する魔物が三体いるということが分かっている。その内、怠惰を司る『王』は地竜系魔物だと知られていた。

 フロリアはそのことから、あれこそが本物の魔王であったと知ったのだ。



「と、ということは……あれが最強クラスの魔王?」

「あの巨体は不味いわ。禁呪の効果範囲すら超える魔物なんて想定外よ!」

「でででですよねぇ」



 怠惰王はあまりにも巨大である。

 禁呪の破壊規模が直径五キロから十キロであるのに対し、怠惰王は全長で十五キロ以上もある。またその高さは最大で五キロを超えるだろう。

 対魔王の切り札の一つとして開発された禁呪弾や神呪弾ですら本当に意味をなさない相手。

 そんなものを相手に無策で戦うなど不可能だ。

 まして怠惰王は扱う魔法もよく分かっていないのだから。



「あ、えっと……全ての殲滅兵を出すように指示します。それと全軍の撤退を」

「そうね。それと魔剣士はどうするの? 覚醒状態のままよ?」

「僕のブラハの悪魔も爆散させられましたから、もう止められません。鬼の帝都に転送された方々からは援軍を送ると連絡がありましたけど、えっと、その」

「ええ、期待はできない。そういうことね?」

「そうなるともう撤退……いえ、飾らずに言うならば敗走するしかありません」



 フロリアは一瞬だけ眉をひそめるも、冷静な判断によって言葉を飲み込んだ。彼女も古き聖騎士の一人として、魔物に敗走するというのはプライドを傷つけられる。しかし、確かに今は選り好みしている暇もなければ勝てる秘策もない。

 この距離でも感知できる絶大な魔力が、それを教えてくれた。



「そうね、早くしないと恐慌して動けなくなる兵士も増えるわ。他の拠点の兵士たちはどうするの?」



 それに対し、クローニンは躊躇うような仕草を見せる。

 だが責任感を感じさせる目つきで、ゆっくりと告げた。



「これは……そう、これは敗走です。意味は、分かりますね?」



 フロリアは強く唇を噛んだ。






 ◆◆◆






 覚醒した鬼の勇者を討伐するべく移動していた『無限』のベウラルおよび『凶刃』のガストレアも、目覚めた怠惰王を認識していた。

 そしてデバイスに送信された撤退命令もだ。



「おいおい。どういうことだ? 鬼が『王』じゃなかったのかよ」

「鬼系魔物はあれの支配下にあっただけ、ということかもしれん。強大な力を持つ魔物が、他の魔物を支配することはよくあることだ」

「それで撤退かよ」

「命令には従え」

「ちっ、分かっている。流石にアレを倒せるとは思わねぇよ」



 動く山脈、あるいは生きた大自然。

 そう表現できるほど怠惰王は巨大であった。地竜系魔物が魔物の中でも特に巨大であるということは一般的な認識だったが、ここまで巨大というのは予想外だ。多少の巨大さならばともかく、何をして良いのかもわからないほど巨大なのである。

 ベウラルは自分の魔装がどんなものでも吸い込めると自負しているが、あれはどうしようもないと理解できていた。

 ガストレアも同様である。



「せめて近くの者たちの撤退を支援するとしよう」

「仕方ねぇ。だが、ヤバいと思ったら逃げさせてもらうぜ!」

「……好きにすると良い」



 クローニンから送られてきた撤退指示は、実際の所は敗走しろという命令であった。最悪の場合は味方を見捨てろというものである。戦力を考えれば、一般兵が何万と死ぬことより覚醒した聖騎士が一人死ぬ方が損失も大きい。冷徹ながら、総指揮官として正しい指示であるとガストレアも理解できる。

 しかし、だからといって進んで見捨てて良いわけではない。

 二人はワールドマップを開き、近くの部隊の下へと急行した。





 ◆◆◆





 覚醒した魔剣士の一撃から逃れるため、上空へと逃れたクラリスは息を飲んでいた。

 大地を腐らせる闇の一撃に、ではない。

 目を覚ました怠惰王の威容に、である。



(うそ)



 同じドラゴンを操るクラリスだからこそ、圧倒的な格の違いを感じ取っていた。空から見える絶望的なまでに大きな体躯が彼女を震え上がらせる。

 怠惰王の全貌はまさに山脈。

 古き魔王である。



(あれは、死ぬ! 殺される!)



 怠惰王の全貌が見えてしまう・・・・・・距離にいるにもかかわらず、感じ取れる魔力は凶悪そのものであった。

 覚醒した聖騎士である彼女が明確な死を予感するほど圧倒的な魔力。

 山脈だと思っていたものが動き出す恐怖。

 それらが合わさり、目を離せない。

 一瞬でも目を離せば殺される気がして、目を離せないのだ。

 彼女はただ、水晶竜を羽ばたかせて逃げた。






 ◆◆◆






 『赫煉』の聖騎士を打ち破った灼赫妖鬼アカオニは、その周囲にマグマを噴出させながら人類を蹂躙していた。この魔物にとって熱は力の源であり、力そのものでもある。しかし人間にとってそれは即死の物質だ。灼赫妖鬼アカオニはただ歩くだけで人類を消滅させることができる。

 そんな魔物が怠惰王の出現を感じ取り、振り向いた。



「……」



 しかし何かの感情を表出させることはない。

 鬼たちは魔物だが、大都市はおろか国家すら築いてしまう知性を獲得している。故に帝都に危機が訪れたならば、強く感情を顕わにしても不思議ではない存在だ。

 だが灼赫妖鬼アカオニは静かに頷いた。

 そして爆発的に魔力を高め、脈動する大地からマグマを噴出させる。

 いや、大噴火させる。



「……」



 灼赫妖鬼アカオニは言葉一つ発することがない。

 ただ、真なる『王』のために働くのみ。






 ◆◆◆






 零凍妖鬼アオオニは絶対零度には届かずとも、空気を液体化させるほどに広範囲を凍結させる。仮初の帝王から命じられたのは、迫る人間を足止めしろというものであった。

 この鬼と同系統である灼赫妖鬼アカオニ颶雷妖鬼キンオニの魔導はとにかく広範囲だ。とてもではないが帝都の近くで振るっても良い力ではない。故に零凍妖鬼アオオニが広域冷凍で人間の進行を止め、同胞が囲い込むようにして溶岩と嵐で追い立てるというのが当初の予定であった。

 だが、真なる『王』から新しい命令が下った。



「……」



 ただ、零凍妖鬼アオオニは頷いて動き出す。

 凍結領域を広げることだけに集中していた零凍妖鬼アオオニは、自身を中心としてその領域を動かし始めた。

 その目的は人類を滅することである。

 疑問はない。

 可能か不可能かは問わない。

 これが『王』の命令なのだから、ただ従い、実行する。



「……」



 故に零凍妖鬼アオオニは進み続ける。

 逃げ惑う人類を、迫る殲滅兵を、全てを氷像に変えるまで止まらない。

 それが魂に刻まれた生きる意味にして存在意義だからだ。



「……」



 真なる『王』、怠惰王ベルフェゴールは目を覚ました。

 長き眠りを妨げられ、戯れに支配・・していた鬼の帝国が滅ぼされたが故に動き出した。怠惰であるはずの『王』が動くことがどれほどの脅威か。

 今日、人類は知ることになる。




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