第242話 鬼の帝都③
小鬼の勇者。
人間からは魔剣士と呼ばれるそれは、魔物として最上位クラスの実力を得ていた。見た目は醜い小鬼でありながら、その肉体は引き締まっている。また内包する魔力は禁呪を何百と撃っても問題ないほどであった。
引き連れるのは二つの首を持つ異形の賢者。また三本角の回復術師である。更には数十万もの上位種を後ろに控えさせていた。
「ア……?」
魔剣士が首を傾げる。
前方には人類が無限に生産する先兵、殲滅兵が並んでいた。これまで魔剣士が何体も破壊してきたそれを、今更脅威とは思わない。
ただ象徴たる闇の魔剣を引き抜き、横に振るう。
闇の波動が放たれ、それが無数の殲滅兵へと殺到する。物質の均衡を崩すそれは、まるで腐蝕させるかの如く殲滅兵を一撃で滅ぼし尽くした。
物質の均衡を崩すということは、それが形態を保てないということである。闇属性の物理攻撃は腐蝕のような効果をもたらす。殲滅兵も例外なく溶けて消えた。
だが、これで殲滅兵の全てが消滅した訳ではない。
文字通り、無限に現れる。
「ア、ア」
「アア」
だからこそ、魔剣士は二つ首に任せた。
すると二つ首は独立した二つの頭脳によって異なる魔術を同時に発動する。空に広がる大魔術陣はまさに禁呪のそれ。しかし人類の知っている魔術陣ではなかった。
禁呪級魔術が発動する。殲滅兵の並ぶ場所が歪んだ。非常に広範囲な歪みは殲滅兵をねじ切り、圧砕し、内側から破裂させる。圧倒的な魔術であった。
あっという間に殲滅兵が消滅させられる。壁にすらならなかった。
「アア」
だが、それで雄たけびを上げるようなことはない。
静かに、ただ要件を満たしたということだけを態度で表す。魔剣士にとっても、二つ首にとってもこれは予定調和の如き当然の結果であった。
そして鬼の精鋭たちは進軍する。
数十万という上位種は大陸を滅ぼせるほどの軍団だ。
しかしそれを止める存在が現れる。五体の黒騎士が、鬼の勇者の前へと立ち塞がった。
◆◆◆
赤鎧を狙撃するコーネリアだが、何度撃っても仕留めきれずにいた。速度特化の弾丸も弾かれ、威力特化の弾丸も回避される。
徐々に距離を詰められる一方であった。
「ふふん! 苦戦しているようね!」
身体を伏せて狙撃銃を手にするコーネリアに影が落ちる。
現れたのは援軍として寄せられたSランク聖騎士、『光竜』のクラリス・ウェンディ・バークであった。クラリスは自信たっぷりであるが、一方でコーネリアは淡々と告げる。
「あれを引き付けておいて。地上の鬼は殲滅兵が抑え込むと思うから。引き付けてくれたら私が撃ち抜くから」
「必要ないわ! この私が赤鎧? ってのを仕留めてやるわよ!」
「……まぁ、できるならお願い」
言われるまでもないとばかりに、クラリスは相棒の水晶竜を具現化する。同じ竜使いとして、赤鎧には負けられないということだろう。いつもよりも張り切っていた。
美しい竜の上に乗り、空の向こうへと飛び去っていく。
「この私に任せなさいな!」
そんなセリフを残して。
◆◆◆
第六十四拠点と呼ばれるその場所では壮絶な戦いが始まっていた。
ここにやってきた識別名称、黒稲妻は雷撃の嵐を放つ。
「くそ! 変電設備がやられた!」
「拠点の電気設備の四割が作動不能です!」
「落雷で通信にノイズが……魔術通信に切り替える許可を!」
「ええい! 全部切り替えだ! 電気設備を魔力で動かせ!」
砂漠にあるまじき天候のため、拠点の中は大慌てであった。
だが、これでも対策をしているのである。初めて黒稲妻と遭遇した時は電気系設備をことごとく破壊され、拠点ごと放棄するしかなかった。今は対策としてすべての拠点にバックアップ用の魔力運用システムが組み込まれている。ただし、電子機器には魔力機器にはない良さがある。複雑な事象から最適解を導き出すのは魔力計算機の方が優れている一方で、単純な処理能力は電子機器の方が上だ。
たとえば通信機器も音声処理は電子機器が担当し、対象を選択して最適ルートで送信する部分は魔術が担っている。それらを全て魔力機器で担うとすると、非常に効率が悪くなる。
「ちっ……俺が出る。やるぞガストレア」
「そうだな。黒稲妻は早めに処理する必要がある」
この事態に『無限』の魔装士ベウラルは苛立ちを顕わにしていた。たった一匹の魔物が天候すら変え、環境すら変貌させている。
砂漠の大地は泥沼になり、溢れかえる水に呑まれて溺死する者すらいた。砂漠といっても柔らかい砂の大地というわけではなく、乾ききった硬い地面の場所も多い。そんな荒野では水は地面に吸収されず、濁流となってあらゆるものを押し流すのだ。加えて魔物も襲ってくる。何かの拍子でバランスを崩し、そのまま水の流れに呑まれて訳も分からぬまま溺死する者が多発していた。
殲滅兵もぬかるみで動きを封じられ、感知不良によってまともに攻撃もできない。プログラム上、人間を攻撃しないようにされているからだ。
「あのガラクタは巻き込んでもいいんだよなぁ!」
「ある程度は仕方ないと許可が出ている。好きにしろ、ベウラル」
「それなら……好きにやらせてもらう」
雷撃を放って殲滅兵を破壊する黒稲妻にベウラルが魔装を発動する。生物、無生物を問わずあらゆるものを吸い込む彼の魔装が猛威を振るった。
降り注ぐ雷雨が吸い込まれ、飛び散った殲滅兵の破片が吸い込まれ、黒稲妻の雷撃も吸い込まれ、周囲をきれいに掃除する。勿論、それは黒稲妻の注意を引くことになった。
「オオ……」
しかし吼えるようなことはしない。
小さく唸り、収束した雷を飛ばす。だがベウラルは雷速すら問答無用で捕らえ、吸い込んだ。覚醒した彼の魔装が発動している限り、彼に攻撃は届かない。ブラックホールのようになんでも両手で吸い込んでしまう。
「鬱陶しい奴だぜ。俺には効かねぇってことが分からないのか?」
ベウラルが吸い込んで攻撃を抑え込み、ガストレアが攻撃する。
それがあらかじめ決めていた布陣であった。
聖騎士ガストレア・ローは『凶刃』の二つ名の通り、刃を使う。しかし魔装の本質は念力だ。任意の空間中に圧力を生じさせるという魔装であり、それを薄く展開することで刃となる。黒稲妻は衝撃を感じてノックバックを受けた。
「相変わらず硬い」
ガストレアはそれだけ呟き、今度は圧力を一点に集める。狙うは黒稲妻の顔。普通の魔物ならば頭部を吹き飛ばせる威力にもかかわらず、黒稲妻は少し衝撃を受けた程度にしか感じていない。
ベウラルとガストレアの二人ならば黒稲妻を相手に死ぬことなく戦えるが、それはつまり倒せるということではない。それに黒稲妻以外にも上位種の鬼は大量にいる。
(援軍を呼びたいところだが、他の戦場に既知の特異個体以外が現れたら突破される。ここは二人で抑え込むしかないか)
少し考えた後、ガストレアは決断する。
「ベウラル、そいつは一人で時間稼ぎできるな?」
『俺を誰だと思ってる!』
「ならば任せるぞ」
通信機を通して黒稲妻を任せ、ガストレアはその他に専念する。激しい雷雨のせいで戦場は混乱している。今はSランク聖騎士という旗が必要なのだ。
故に幾つもの圧力を集中させた。
「敵は多い。だが殲滅兵を盾にして、少しずつ削れ。接近戦は避けるのだ」
全軍へと通達し、攻撃を開始する。
不可視の圧力が槍のように射撃され、次々と鬼の頭部が吹き飛ばされていく。また空間中に捻じれを生み出し、上位種だろうと関係なく捩じ切っていた。
◆◆◆
鬼の勇者パーティは強い。
闇の魔剣士、見たこともない魔術を使う二つ首、ダメージを与えようと回復してくる三本角。それらが連携して襲ってくる。故にSランク聖騎士が連携しても敵わない。何度も人類は辛酸を舐めさせられ、何万人と殺された。
この鬼の精鋭たちに対して人類が取った手段は、聖なる光で追い払うということだけ。つまりセルアだけが頼みであった。流石に殺せはしなかったが、撤退に追い込むことはできた。
しかし今、『禁書』の聖騎士は別の手段を考案する。
歴史に残る最悪の悪魔を召喚することで。
「オ?」
ただ、魔剣士は首を傾げる。
そして闇の魔剣を振るった。しかしブラハの悪魔はどこからともなく闇を具現化し、剣の形状にして防ぐ。更にその剣はぐにゃりと変形し、鞭のようにしなって魔剣士へと迫った。しかしそれを二つ首が魔術で防ぐ。虚空で攻撃が弾かれ、その隙に魔剣士が身を捻って剣を振るう。ブラハの悪魔は斬撃を甲冑で逸らしつつ横へと跳んだ。
射線を空けたことで、その背後から黒い弾丸が飛んでくる。ブラハの悪魔は合計で五体。背後にいた四体は闇を凝縮し、それを分割した弾丸を射出していた。
「ゲ」
「ガ!」
三本角は結界を張り、漆黒の弾丸を全て防ぐ。また二つ首が同時に魔術を発動した。それによって五体のブラハの悪魔は全て動きを止める。また同時に地面から岩石の腕を生み出し、握り潰そうとする。
しかしそれは叶わなかった。
全身から溢れる闇によって岩石の腕が破壊される。闇は針や刃のようにして突き出し、蠢き、鬼の勇者たちへと襲いかかった。
そして次はこちらの番とばかりに、ブラハの悪魔たちは闇を集める。
闇のキューブは均等に二十七分割され、一斉に掃射される。合計で百三十五の魔弾が集中して三本角へと襲いかかる。まずは回復役である三本角から仕留めるということだろう。
しかし魔剣士が超絶的な剣技によって弾くか逸らすかして数を減らし、二つ首が結界で受け止める。流石に百三十五の魔弾を受け止めるのは難しいが、数さえ減らせばどうにかなる。
しかし、それで油断してはいけなかった。
天より何かが飛来し、それが結界を破って三本角へと直撃する。
「ギャッ!?」
それは一本の矢であった。
頭部を狙っていた一撃必殺の矢だが、結界で僅かに逸らされる。三本角は左目を削り飛ばされるだけで済んだ。そして三本角は生きてさえいれば魔術で自己回復もできる。そもそも、この程度のダメージであれば時間はかかるものの自然回復も可能だ。
「ゲ!」
魔剣士は闇属性を強く放射しつつ剣を横薙ぎに振るう。砂漠の大地を舐めるようにして闇の波動が広がり、地面が腐食して溶けていく。巻き込まれたブラハの悪魔たちもすぐに脱出するが、闇がまとわりついて魔力の均衡を崩す。特に地面に接していた足部分の甲冑が溶けており、ブラハの悪魔は動きが鈍ってしまった。
援護するようにして次々と矢が降ってくるも、それが分かっていれば怖くない。二つ首が魔術陣を展開すると同時に、全ての矢が空中で止まった。
◆◆◆
「思ったより強いですね」
本陣でクローニンが呟く。
彼は観測魔術で戦闘の様子を観察していたのだが、予想以上に強い鬼の勇者を見せつけられて自然と溜息の数も増えていた。
「どう攻略します? レイバーンさん」
「あのレベルになると禁呪や神呪でも倒せないわ。まずは他の上位種を仕留めることを優先して」
「ではあれらを他の鬼たちに向けますので」
クローニンは魔装の書物を開き、新しい命令を書き記す。残念ながら生み出したブラハの悪魔は自動で動くようになっている。その理由はクローニンの視界外から操作するのが困難だからだ。これが一体だけならば感覚共有を使って遠隔操作することもできたが、五体同時となると難しい。なので行動パターンを魔装の本に書き記すことで制御している。
新しい命令を受けたブラハの悪魔たちは、鬼の勇者たちを無視して他の上位種を屠り始めた。流石に覚醒魔装士から生まれた眷属だけあって、
「えー、ちょっとこれ、多すぎでは?」
彼の見るディスプレイには五体の眷属が鬼の群れに飲み込まれる瞬間が映っていた。いや、飲み込まれるといっても、応戦はしている。しかし多すぎる鬼のせいで完全に包囲されていた。
流動する闇の刃と無限に射出される魔弾が魔物を寄せ付けない。倒せなくとも弾き飛ばしているのでブラハの悪魔は戦い続けていた。しかしこの悪魔たちは基本的に広範囲攻撃に向いておらず、圧倒的な数を誇る上位種鬼系魔物の群れを抑えることなどできなかった。
「んと、じゃぁ」
クローニンは魔装の本から四ページ分を引きちぎる。それによってブラハの悪魔の内の四体が消滅した。だがこれでクローニンの魔力容量が大部分確保され、その分を残る一体へと注ぐことができるようになる。
残った一ページに記されたブラハの悪魔に関する設定へと、新しく書き込んだ。
「巨大化、っと」
大きさはそのまま力となる。
ブラハの悪魔は魔装の力を受けて巨大化し、クローニンの魔力を一身に受けて暗黒の猛威を振るう。蹴散らすという言葉が正しく機能していた。
一方で『天眼』のフロリアも禁呪を矢に込めて放ち、鬼の勇者一行を食い止めようとしている。
互いに遠隔攻撃を得意としているため、状況を確認しながら作戦を練り直していた。
「その、レイバーンさん」
「どうしたの?」
「やっぱりハイレンさんに来てもらって、その」
「セルアは切り札だから温存よ。それに『王』を発見して魔力を解析する必要がある。十四年前と同じく《
「で、ですよね」
「『王』は見つかったの?」
フロリアの問いかけに対し、クローニンは観測班からの報告をディスプレイに表示する。このデータは常に更新され続けており、本陣の指揮官であるクローニンがいつでも閲覧できるようになっていた。戦闘を自動で任せられるクローニンだからこそ、指揮官という立ち位置を得たのだが。
「今のところはこんな感じです。鬼の帝都周辺を探らせてはいるんですが、その、全く見つからなくて。ただ、まだまだ上位種が残っているとか」
「面倒ね。
「えっと、まぁ、殲滅兵でも限界がありますし」
無制限に魔術を使い続ける殲滅兵は有用だが、鬼はとにかく数が多い。以前に豚鬼を滅ぼした時のようにはいかなかった。数の暴力というものを思い知ったのである。
また
帝都攻めということで苦戦は予想していたが、想定以上だったことにクローニンは何度目かもわからない溜息を吐く。
「指揮官がそんなことしない」
「あ、え、すみません」
「それと戦闘は自動なんだから、全体の情報にも目を通して」
「……はい」
クローニンは能力的に適切だと思われて今回の作戦の指揮官を命じられている。しかし、本人は性格的に苦手であり、それが態度に現れて周囲に不安を与えていた。
フロリアの注意で表情を引き締め、ディスプレイを開きつつ情報を精査する。
各拠点から寄せられるデータを見て必要な戦力を割り振るのもクローニンの仕事だ。
だが、ある情報を眼にして思わず奇声を上げてしまう。
「うえぇ!?」
そんな馬鹿なと思って読み直すも、冗談ではないらしい。
横で弓を引くフロリアは呆れながら尋ねた。
「びしっとしなさい。何があったのよ?」
「第七十三拠点の……デモンズさんのところが突破されました。デモンズさんは生死不明です」
『赫煉』のオル・デモンズ陥落。
北方の戦場は鬼の突破を許していた。
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