第237話 南ディブロ大陸戦線②


 神聖暦三百十年。

 鬼帝国との戦争が始まってから五年が経過した。だが、魔神教の軍勢は未だにその全容すら把握できずにいた。



「来るか」



 盲目のSランク聖騎士、ガストレア・ローが静かに告げる。

 この『凶刃』の二つ名を与えられた男は今、拠点防衛を行っていた。南ディブロ大陸の南東部に位置するこの拠点は重要拠点であり、落とされるわけにはいかない。北上すれば東の海、そして南側は最も激しい最前線がある。つまりここを落とされると回り込まれて最前線で挟み撃ちにされてしまう。



「聖騎士ロー様! 前方に鬼軍団が!」

「分かっている。種類は?」

「前衛に重装小鬼ゴブリン・ホプリス、後方には術師小鬼ゴブリン・マジシャン銃士小鬼ゴブリン・ガンナーが発見されてします。こちらから見て左翼に魔獣を従えた騎士小鬼ゴブリン・ナイトが多数。空には竜騎小鬼ゴブリン・ドラグナイトも数えきれないほど」

「なるほど。よほどここを落としたいらしい」

「それだけではありません。妖鬼オニが三十体以上も確認されています。あれは破滅ルイン級の魔物です。殲滅兵では対処できません!」



 破滅ルイン級ともなれば、覚醒魔装士でぎりぎり討伐できる程度だ。つまり、それが三十体以上もいるとガストレアだけでは対処できない。

 また鬼の軍勢も国を幾つも滅ぼせる戦力が揃っている。

 報告に来た従騎士は特に言わなかったが、一般兵である小鬼ゴブリンの数は百万を超えていた。



「殲滅兵の要請を。ゲートを開け」

「はっ!」



 この広大な土地を征服するために、各拠点へと空間接続ゲートを配置した。これによって殲滅兵を長距離移動させる必要が無くなった。

 だが、これほどの力があっても五年で南ディブロ大陸を征服できていない時点で、鬼帝国の底力を見誤っていたという他ない。



「時間稼ぎを。ここは援軍が来るまで時間稼ぎに徹するのだ」



 ガストレアはそう告げると同時に、鬼の軍勢へと右手を伸ばした。

 念力……いや、空間中に圧力を生じさせる覚醒魔装によって空気を圧縮する。それによって空間中の分子密度を操作し、一種のレンズを作り出した。太陽光がそれによって収束され、鬼軍勢の空が暗く染まる。そして一点に収束された広範囲太陽光が妖鬼オニへと降り注いだ。

 更にはまた圧力によって空を舞う竜騎小鬼ゴブリン・ドラグナイトをプチプチと潰していく。



「いけ! この拠点は死守せよ!」



 彼の先手と鼓舞によって、兵士たちや聖騎士たちの士気が一気に向上した。

 砂の舞う、その地で。






 ◆◆◆






 マギア大聖堂の奥の間で、教皇は渋い表情を浮かべていた。いや、彼だけではない。司教たちも似たような顔である。



「五年で、これか」



 彼らの前には仮想ディスプレイが大きく表示されており、そこには南ディブロ大陸の地図が映っていた。

 ディブロ大陸は第一都市周辺で北ディブロ大陸と南ディブロ大陸が細く繋がっており、その東側には海が広がっている。初めの頃は湾のようなものかと考えられていたが、海は東へと長く続いていた。

 そして南ディブロ大陸の征服においても、南東へと進む形で進められている。

 しかし征服し、人間の領地となった場所として塗り潰されているのはほんの僅かであった。



「まさか殲滅兵を以てしても鬼の軍勢を潰しきれないとは」

「奴らは数が多すぎます」

「噂ではすでに二億は滅ぼしているということだが?」

「いや、儂が聞いた話では五億は滅ぼしていると……」

「どちらにしても数えることすら億劫なほどだな」



 鬼の軍勢はあまりにも多すぎた。

 元は豚鬼の住む土地であった第二都市から東の海、西の海に沿って進撃を続けた。だが、人間たちは地形の変化に苦しめられることになる。

 鬼帝国の大部分は砂漠であった。



「見たこともない種が幾つも確認されて、それに撹乱されているという報告もありましたね」

「確認したところによると、鬼の勇者とか。馬鹿馬鹿しい」

「しかし戦闘力はそれ相応のものだと聞きましたよ」



 鬼系魔物は数が多く、弱い魔物が多いとされている。しかし何億という数が集まれば、その中に相応の上位種も現れるものだ。

 魔神教はその上位種に苦しめられていた。

 その筆頭が鬼勇者パーティである。

 勇者小鬼ゴブリン・ブレイブ賢者小鬼ゴブリン・セイジ聖人小鬼ゴブリン・セイントの三体で構成された少数精鋭部隊は、魔神教連合軍に大打撃を与えていた。幾つもの砦を奪い返され、また時には覚醒魔装士すら撤退を強いられた。当然ながら、殲滅兵など雑草を刈るように潰される。



「しかしあれも『王』ではないのだろう? ならば『王』はどれほどの存在なのか……」

「確か古代より伝わる資料では憤怒王、怠惰王、嫉妬王が竜系に連なる『王』であったな。傲慢王と色欲王は記録が消えているから、そのどちらかだと思われるが」

「鬼の『王』か……もしかすると、それも我らの知らぬ種族に至っているのかもしれない。またあれほどの鬼を揃えるとすると……色欲王か?」

「そんなことを今から考えても仕方あるまい。それよりも民への説明だ!」



 司教の一人が額に青筋を浮かべながら叫ぶ。

 もう鬼帝国と戦争を始めてから五年が経過している。そして戦力を確保するため、徴兵も続けているのだ。実際に戦場に出るのは精鋭や殲滅兵であり、犠牲者が致命的なほど多いというわけではない。しかし拠点を確保し続けるために多くの兵士が必要なのであり、徴兵の数は徐々に増えている。

 魔王を倒すためとはいえ、いつまでも成果がでないのでは民衆にも不満が生じるのだ。



「静かに。こうなってはやり方を変えるしかなかろう」



 教皇アギス・ケリオンが静かに告げた。



「シンク総督から……いや『剣聖』シンクから密かに相談を受けていた。ひとまず侵略を止め、防衛に徹するべきと」

「猊下、しかしそれは」

「分かっている。戦いの長期化を招くと。だがこのままでも変わらない。ならば防衛に徹し、攻め寄せる鬼の軍勢を禁呪や神呪で片付ける」



 それは戦略として正しいものであった。

 実現できるのならば。

 司教の幾人かが疑問を呈する。



「しかし猊下。禁呪クラスを大盤振る舞いすることを世間が許したとしましょう。しかし誰が発動するというのですか? あれは魔力消費量が多過ぎる。それこそSランク聖騎士でもなければ発動は難しいでしょう。そうなると、戦線の全てに彼らを配置することに……いや、拠点の数を考えればそれでも足りないでしょう」

「何か手があるのですか?」

「聖騎士に無理をさせ過ぎになるな」



 彼らの意見は尤もである。

 南ディブロ大陸はあまりに広大で、戦線が広くなりすぎた。殲滅兵がなければ戦力不足で押し返されていたことだろう。全ての拠点に覚醒した聖騎士を配置することはできず、できたとしても彼らを働かせすぎになってしまう。

 無限の寿命と魔力を手に入れた彼らも結局は人間なのだ。疲れもするし、病気にもかかる。

 そんなしょうもないことで失って良い戦力ではない。

 だが教皇は笑みを浮かべながら告げた。



「実はハデスから特別な兵器を提案されました。どうやら聖騎士シンクはそちらに根回ししていたようですね。どこから伝手を手に入れたのやら……」

「猊下、しかしてその兵器とは?」

「禁呪、そして神呪を誰でも使えるよう汎用化した禁忌の兵器。それゆえにハデスが秘匿し、我ら魔神教にのみ公表したそれは……」



 全員がごくりと唾を飲む。



「……その兵器は、禁呪弾だ」



 教皇は仮想ディスプレイに手を触れて操作し、パスワードを打ち込んで機密ファイルを呼び出した。そこから画像と資料が表示され、全員に見せつけられる。

 禁呪弾。

 それは真っ黒な弾頭の弾丸であった。





 ◆◆◆






 シュウとアイリスは久しぶりにディブロ大陸へと訪れていた。

 そして二人がいるのは人類と鬼帝国の戦争の最前線ではなく、それよりもずっと南東だ。つまり、鬼帝国の奥地というわけである。



「砂ばっかりですねー」

「砂漠だからな。だが、鬼帝国……こちらの想像以上に大きい。豚鬼どもの巣が『王』がいる割には小さいと思っていたが、この辺り一帯が鬼系に支配されていたからか。もしかすると、鬼の『王』は暴食王より強いのかもしれないな」



 地上は砂だらけであり、二人は空を飛んでいる。だが同時に光学系魔術によって姿を隠し、魔力制御によって魔力も隠していた。

 鬼は空にも進出しているので、空を飛んでいるからといって見つからないわけではないのだ。



「『黒猫』が言っていたディブロ大陸に現存する帝国……俺はこれのことかと思ったんだが」

「何か気になることでもあるのです?」

「いや、鬼たちの魂に少し違和感があってな」

「違和感、なのです?」

「もう少し詳細に調べられたら分かるかもしれない。だが、取りあえず今は帝国とやらを調べるのが先だな。鬼帝国の規模は予想以上だ」



 鬼帝国は南ディブロ大陸で栄華を極めている。

 いわゆる辺境の田舎であった北西部は大した戦力もなかったが、奥へ行くほどに高度な文明も見られるようになった。それこそ、人間の大都市に匹敵するほどである。砂漠の中に先進的な都市があるというのはシュウをしても違和感でしかなかった。

 しかしこれこそ、知能の低い鬼系ですら時間をかければここまでの文明を築くという証明でもあった。



「ま、鬼帝国の呼び名も人間が言い出したことだ。鬼の皇帝がいるかどうかは知らないが、その辺りも探っていくぞ。何とか帝都を見つける」

「はーい」

「あっちの巨大な山脈の方に大きな魔力を感じる。あっちに行くぞ」



 シュウは南を指さす。

 そこには麓が地平線に隠れた山脈があった。頂上部は遠くからでも見えているので、その高さはかなりのものだと推察される。目印にも丁度良かった。



「あれなら幾らお前でも迷わないだろ」

「当たり前なのですよ」



 案の定、迷子になったアイリスであった。

 もはやわざとやっているのではないかとシュウは疑ったとか、そうでないとか。





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