第222話 広域の罠


 暴食王の分解魔法は攻撃性の高い魔法だ。

 認識した物質を自由自在に分解できるため、視界に入った時点で終わる。それは覚醒魔装士であろうとも変わらない。この点においては死魔法をも超えているだろう。

 よってこの戦いは如何に暴食王の視界を塞ぐかという点にかかっている。



「アロマさん! 術式を!」



 シンクはそう叫んだ。

 抑え込んでいた暴食王は解き放たれ、味方であるはずの豚鬼すら巻き込んで分解魔法を放った。今の暴食王の周りには何もない空白地帯が広がっている。つまり砦も簡単に目視できてしまう。

 一瞬でも遅ければ分解魔法で砦が消滅する。

 アロマは自分の生み出した樹海や樹木龍が消滅した瞬間、その魔力の全てを仕掛けておいた術式へと向けた。

 暴食王、六体の親衛隊、そして無数の豚鬼を囲むようにして八か所で光の柱が立ち昇った。それは仕掛けられた術式の起点となっている。

 そして次の瞬間、暴食王の率いる豚鬼の軍勢は消失した。






 ◆◆◆





 砦の指揮所はちょっとした騒ぎになっていた。

 その理由は作戦の第二段階が成功したからである。



「やった! 奴らの転送に成功した!」



 地図を眺めていた神官の一人が叫ぶ。

 同じく他の神官や聖騎士も喜びの声を上げたり、安堵で胸を撫でおろしたりと様々だ。一方で『天眼』の聖騎士たるフロリアはへと目を向けていた。あらゆる物体をも透過して遠くを見通す彼女の魔装により、黄金都市とその周辺を眺めていた。



(良かった。これで暴食王と強欲王の戦いが始まる)



 彼女の眼には、暴食王とその軍勢が黄金都市の目の前に現れるのが見えていた。

 これが仕掛けていた罠、空間転送である。

 秘匿技術ではあるが、魔神教は空間を飛び越える術を手に入れていた。今回の作戦はそれを利用して暴食王を黄金都市へと放り込み、二体の王を争わせる。それが目的だ。

 理想は共倒れ、そして片方でも滅びれば予定通りだ。あるいは時間を稼ぐだけでも充分。

 これが準備期間の不足を補うため、シンクとセルアが考えた作戦である。かつて緋王、不死王、冥王がぶつかりあったその場にいたからこそ思いついた案であった。



「王の戦いは、どちらかが倒れるまで終わらない。あの二人だからこそ思いついたことね」



 思わず口に出してしまったのは、自分に言い聞かせるためかもしれない。

 フロリアを初めとした古いSランク聖騎士は、魔物を自分たちの手で滅ぼさなければならないという考えに染まっている。故に七大魔王の討伐も自分たちでするべきと考える節がある。しかし一方でシンクやセルアはそれ以外の方法を提案できる。

 『王』と『王』を喰い合わせ、倒させるという方法だ。



「全員落ち着きなさい。これより作戦は第三段階に移行するわ。黄金都市周辺の監視を強化。それとオブラドの里から追加の豚鬼が出てこないかも見張っておきなさい」



 フロリアの命令は指揮所で一際響いた。

 歓声を上げていた彼らも、次の作戦に向けて動き始める。






 ◆◆◆






 暴食王にとって転移魔術など縁がないものであった。

 それ故、なぜ自分が強欲王とその配下である牛鬼の国、黄金都市の目の前にいるのか理解できなかった。



「ニゼヲロヒササヌウレ。ダロキソテモウソラ」



 故に暴食王ベルゼビュートは親衛隊に問いかけた。何が起こったのかと。

 しかし親衛隊たる喰魔豚鬼エリュト・オークにもその答えを導き出す術はない。顔を見合わせ、首を傾げるばかりだ。

 しかしそんなことをしている暇はない。

 黄金都市の側もいきなり敵対者である豚鬼の軍勢が現れ、驚かされていた。よって牛鬼は黄金都市の外壁に仕掛けられている砲撃を放つ。

 爆発音と共に黄金の砲弾が次々と飛来し、着弾点では大きな爆発が起こる。



「テブソ」



 暴食王は命令する。あれを破壊し尽くせと。

 もはや戦争は止められない。黄金都市からすれば豚鬼の軍勢が現れた時点で迎撃するのは当然だし、暴食王は攻撃されたまま逃げるなどプライドが許さない。

 迫る砲弾に対し、サッと腕を振るう。

 すると分解魔法によりそれらは一瞬で消失した。

 さらには黄金の防壁までも微粒子レベルに分解してしまう。



「テウデダ。マワボソ」



 攻撃された暴食王は黙っていない。

 ついでだからと黄金都市を攻め落とす。そんなつもりで命じた。そして豚鬼たちは暴食王ベルゼビュートの命令に従い、唸りながら突撃する。

 魔物にとって『王』の命令は絶対。

 死地に赴けと命じられたならば、その通りに突撃する。また暴食王が砲台の設置された黄金都市外壁を破壊したことで、降り注ぐ砲弾の雨もない。

 豚鬼と牛鬼の直接戦闘が始まった。






 ◆◆◆






 暴食王とその軍勢が消えた後、砦ではまず立て直しが図られた。

 まずはオブラドの里から豚鬼を引きずり出すために囮役となった部隊の治療である。彼らは最前線を交代しつつ戦っていたが、それでもほぼ一夜中の戦闘であった。怪我はなくとも疲労が溜まっている。

 医療チームは大忙しとなっていた。

 一方、シュウはそんな騒ぎに紛れて何食わぬ顔で砦へと戻る。



「あ、シュウ! どこにいたんだ! 探したんだぞ」

「ギルバートか。ちょっと野暮用でな。どうした?」

「どうしたじゃねーよ。豚鬼どもが消えやがった。どうなってんだ!?」



 ギルバートが驚いているのは、作戦の概要すら一般兵には知らされていないからだ。勿論、中隊長であるシュウにも詳細は知らされていなかった。

 ただ部隊を二つに分け、一つは砦、もう一つは豚鬼を引きずり出して誘引する役目が与えられていたということだけである。

 何が起こったのか理解している者の方が少ないだろう。



「空間魔術でまるごと豚鬼の軍勢を転送したようだな」

「はぁ? 空間魔術? 魔装でしか実例がない術じゃないのか?」

「開発していたってことだろ」



 かなり前から空間魔術を手に入れて使っているシュウからすれば、ようやく使い始めたかといった気持ちである。エレボスからも教会との共同開発で空間接続ゲートを開発したということは聞いていたので、いつかは使い始めると思っていたが。



「空間魔術とワールドマップをリンクさせてどこかに送ったんだろうな」

「どこか……って?」

「それはこの砦の立地を考えればすぐに分かるんじゃないか?」



 そう言われてギルバートは考え始める。

 この砦は二つの川の間に建設されており、南に豚鬼、北に牛鬼、そして西にはディブロ大陸第一都市が位置している。普通に考えれば牛鬼からの奇襲を防ぎつつ、暴食王を砦で迎え撃つという戦術を思いつくだろう。しかしそこに転移による転送が加わると話が変わる。



「魔物どうしで戦わせる、か?」



 ギルバートも流石は旧大帝国の貴族レイヴァン家の三男だ。戦術や戦略にもある程度は詳しかった。



「つまりこの砦は牛鬼からの奇襲を防ぐものじゃなく……」

「豚鬼と牛鬼を争わせ、その戦場に蓋をするためのものだな」



 仮に暴食王と豚鬼が争うことを避けて南下してきたとしても、それを砦で防ぐことができる。これによって暴食王を挟み撃ちにすることができるというわけだ。

 理想は暴食王が黄金都市に戦争を仕掛け、そのまま強欲王と相打ちになることである。しかしどちらかが倒れるだけでも人間にとっては最高の戦果だ。

 しかしリスクもある。



「だが最悪の場合は暴食王と強欲王が同時に襲ってくる」

「そうなったら終わりじゃねぇか」

「あんな破壊の惨状を作れる暴食王がいるわけだし、そもそも暴食王単体ですらこんな砦は意味がないかもな」



 シュウは砦の南側を指さす。

 そこは分解魔法で更地にされた一帯だ。Sランク聖騎士アロマが生み出した樹海を一掃するその魔法を目の当たりにした以上、ギルバートでも暴食王との戦いがどれほど厳しいものになるのか予想に難くない。

 ギルバートは嫌そうな表情を浮かべていた。

 死体も残らないような死に方は遠慮したいのだろう。



「流石に対策くらいはしていると思うが……」



 本当の闘いはこれから。

 そんな未来を暗示されているかのようであった。





 ◆◆◆





 一通り落ち着いた砦の指揮所で、覚醒聖騎士たちが集まっていた。

 そして仮想ディスプレイに表示した地図を眺めつつ、まずはシンクが口を開く。



「予定通り、暴食王を黄金都市に押し付けることができました。後はどれだけ戦い続けてくれるかです」



 シュウが予測した通り、シンクが提案した作戦は二体の『王』をぶつけることであった。そして砦はその戦いを囲い込むために用意された。



「それでこれがマギア大聖堂の書庫に残されている暴食王と強欲王のデータです」



 新しいディスプレイが二つ浮かび上がり、そこにデータ化した古文書が映される。古代から受け継がれている七大魔王についての記述だ。大まかな種族、使用する魔法、主な特徴などの大雑把な記述しかない不安要素のあるデータだが、ないよりはましだ。

 まずシンクは暴食王のデータを拡大しつつ説明する。



「アロマさん、フロリアさん、ラザードさん、そしてセルア様は知っておられると思いますが、今後のために説明します」



 七大魔王をはじめとするディブロ大陸の情報は魔神教の中でも秘匿事項であり、一部の神官や聖騎士にしか閲覧を許可されない。

 今回の作戦にはこれらの禁書を閲覧する権限のない者も従事しているので、説明が不可欠だった。



「暴食王ベルゼビュートの魔法は分解魔法。あらゆる物質を瞬時に破壊し尽くすと言われています。特徴は全身に走る赤色の筋。視界に入った瞬間殺されるので接近戦は禁物です」

「そんな……討伐方法はあるのですか?」

「そのため、暴食王に不利な条件で黄金都市に送り込みました。暴食王と強欲王ならば……まだ強欲王の方が勝ち目がある。そう判断したわけです」



 分解魔法の強大さから、多くの神官は不安を覚えたようだ。

 一方で楽観的な者はもう一つのデータ、強欲王についての記述が映されたディスプレイを眺める。シンクもその雰囲気を掴み取り、説明し始めた。



「強欲王マモンは牛鬼の『王』です。この種は圧倒的な膂力から想像しにくいですが、知能の高い魔物として有名ですね。そして古文書の記述に寄れば、扱う魔法は錬成魔法。あの黄金都市も強欲王が一人で生み出したものといわれています」

「ということは、あれは全て黄金なのですか!?」

「そんな馬鹿な!」

「落ち着いて。あれは予想ですが、魔術の折り込まれた物質と考えられています。オリハルコンに近いものですね」



 神官たちの眼に幾らかの色めきが灯ったのをシンクは見逃さなかった。



(黄金に目を引かれたか……)



 ハデス財閥が頭角を現して以降、資本主義的考えが強くなっていた。その影響は魔神教にも現れ、神官の中には富を独占しようとする者もいる。スラダ大陸の全てに広がる教えである以上、魔神教神官はそれなりの権力を有する。そして権力を得た者はそれ以上をも欲し始める。

 強欲王の黄金に惹かれたのだろう。

 もしもかの『王』を討伐し、黄金都市を手に入れたらどれほどの富を得られるだろうかと考えたのだ。



「俺たちは基本戦術として強欲王を支援します。分解魔法と錬成魔法では相性的に前者の方が強い。なので挟み撃ちで暴食王の軍勢を叩くことにします」



 シンクは再び地図へと目を向け、手元のデバイスを操作した。

 すると砦から北上する矢印と、黄金都市から南下する矢印が現れる。



「豚鬼が南へ逃げようとした場合、こちら側から抑え込む必要があります。ただし強欲王と俺たちでは明らかに俺たちの方が弱い。それは認めるしかない。だから豚鬼たちはこっちを突破しようとする可能性が高いわけです。迎撃はこの砦を拠点として、セルア様とアロマさんを軸に行います。また攻撃は魔術による遠距離攻撃をメインとし、交代で砦に戻って休憩をとる予定です」

「つまり、ここからが本番です。皆さん、心してかかりましょう」

「我々の目的は時間稼ぎと、二体の『王』が戦っている場面を解析することです。真の切り札の準備が終わるまで耐えましょう」



 神官たちが息を呑む一方、聖騎士たちは覚悟を決めたのか気を引き締めている。

 かつて皇女であったセルアですら決意を言葉にするほど。

 この違和感は最も古い聖騎士であるアロマが一番感じていた。



(神官たちも随分と臆病になったのね)



 古き時代では全力で聖騎士を支え、死にゆく聖騎士を悼んでいた神官たちも、今はその姿が見られることは滅多にない。

 それは時代の変化か、それとも堕落か。

 アロマは溜息を吐いた。





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