第218話 無数の豚鬼


 豚鬼という魔物は身体能力とタフネスが強みだ。特別な魔導を持っていることは少なく、強大な種に進化することも珍しい。その代わりに群れを成しやすく、集落を形成すると一気に増殖する。その分だけ必要な食料も急増するのである程度で打ち止めにはなるのだが、やはり『王』が統治していると話が変わる。



(実際に戦ってみるとやはり多過ぎる……予想を遥かに超える!)



 シンクは戦いながら舌打ちしそうになった。

 予想を超えるといっても想定内ではある。苦戦することは分かっていたし、意図的に苦戦することで撤退を演じるのは決まっていたことだ。



「前線を下げる! 怪我人を優先的に下げろ。囲まれるな!」



 人間側がおよそ六百に対し、豚鬼の軍勢は数千だ。またそれは見える範囲だけであり、感知すれば数万にも及ぶ豚鬼が後ろに控えているのが分かる。

 これだけの数の差があれば簡単に包囲されてしまう。そうなれば撤退どころではなくなり、作戦が破綻してしまう。

 これを支えるのがセルアであった。



「聖なる光の効果範囲に入るな! 魔力が枯渇するぞ!」



 そう言って忠告する。

 『聖女』とも呼ばれるセルアの力は魔力崩壊。広範囲にわたって魔力崩壊現象を引き起こし、決して魔物を寄せ付けない。光を浴びた魔物は漏れなく肉体が消滅してしまうからだ。しかしこの力は魔装や魔術にも効果が及ぶので、それらの力を使えなくなってしまう。またセルアが本気を出せば、肉体という殻を貫通して保有魔力すら崩壊させてしまうのだ。

 今のセルアはその気になれば魂すら蒸発させる正真正銘最強の聖騎士なのである。

 彼女は部隊の後方で魔装を発動し続け、魔物の動きを制限している。壁のように展開する聖なる光が魔物の進行を阻むのだ。そのお蔭で少数の人間で魔物の大群を抑えることができていた。



「オオオオオオ! ヒュケ、カエハモウロウダ!」

「オキットレ、ガァ……エッナエスウ」



 一方で豚鬼たちの間には苛立ちが募っている。聖なる光のせいでまともに進めるのは一部だけなのだ。後ろの方はずっと詰まっており、言い争ったりもしている。ただ意外なのは言い争いだけで済んでいるということである。

 一般常識として、魔物は獣同然だ。一部の魔物を除けば、魔物に知性などほとんどない。それは魔物の精神を司る魂の魔術陣が未熟であるためだ。多くの魔力を取り込めばその分だけ発達しやすくなるのだが、逆に言えば中位ミドル級の豚鬼オーク程度であれば知能など大したことがない。トラブルが起これば仲間内で殴り合うことも珍しくないのだ。



(やはり統率されている魔物は別か)



 シンクはそんなことを考えつつ、刀を横薙ぎに振るう。同時に聖なる刃を飛ばし、一直線上に濃密な魔力崩壊の刃が豚鬼を狩っていく。

 光の濃度であればセルアをも超えるのがシンクの魔装だ。飛ばした斬撃には一撃で魔物を切断するだけの威力が備わっている。



「ケタ、ニヌ! スノユサリ!」

「邪魔だ!」



 豚鬼王オーク・キングが大剣を掲げ、それをシンクが切り裂く。オリハルコンの剣に付与した聖なる刃が、そのまま魂を切り裂いた。災禍ディザスター級といわれる豚鬼王オーク・キングも、魂を斬られて無事ではいられない。

 あっという間に朽ちていく。

 まさに瞬殺。

 シンクは攻撃さえ当てることができれば一撃で魂を殺せる。災禍ディザスター級だろうと破滅ルイン級であろうと絶望ディスピア級であろうと変わらない。残念ながら魔法を扱う『王』には通用しないので、暴食王と戦うには足りないのだが。



「シンク様、そろそろお下がりください!」

「いや、まだ大丈夫だ。それよりも他の奴らはどうだ?」

「既にほぼ撤退しています。前線後退は可能です! ですから……」

「よし、第三ラインまで下がるぞ!」

「はっ!」



 シンクも聖騎士を伴って下がり、それに沿ってセルアの聖なる光も後退する。それにそれに合わせてまで最前線にいた精鋭たちも下がり始めた。

 しかしただ一人、後退ではなく前進を選んだ者がいた。



「クハハハハハハ! こんな戦いも良いではないかァ!」



 ただ一人、『暴竜』ことナラクは豚鬼の大軍に対して果敢に攻める。身体能力を極限まで磨き上げたこの男は、肉体能力だけで魔物をはるかに凌駕する。腕力で引き千切り、打撃で粉砕し、またあらゆる攻撃を弾き返す。

 これ程シンプルで強い魔装使いは珍しい。

 現代化が進む中で、武器型魔装も剣や槍のような古い武器ではなく銃が主流となっている。そんな中で純粋な肉体強化の魔装で戦う彼は珍しい部類だ。当然、目立つ。色々な意味で。



「あの、馬鹿が!」



 シンクは思わず悪態を吐いた。

 ここでの撤退は作戦であり、できるだけ多くの豚鬼を引き付ける必要がある。特に暴食王と呼ばれる豚鬼の『王』を引き寄せなければならない。

 隣にいる聖騎士も苦い表情で尋ねた。



「どうしますか? ご命令くだされば私が」

「いや、いい。お前はこのまま撤退指揮を続けてくれ。新しい前線を再構築する必要もある。それに怪我人も予想以上に多い。立て直しを優先してくれ」

「はっ! 直ちに!」

「あの男は俺が連れ戻す」



 ナラクという男の噂はシンクにも届いていた。

 大柄で全身に傷のある荒々しい男ということで噂になっていたので、神官の一人がどこかの犯罪者ではないかと疑って調べたのだ。しかしナラクはちゃんとした企業から推薦された男であり、疑わしい部分など何一つなかった。神官程度が軽く調べたところで『鷹目』の情報操作は見抜けない。

 ただ一度でも調べられたという記録は残る。

 当然ながら今回の作戦を任せられているシンクも把握していた。



(素行は悪くないが戦いになると豹変する……情報通りか)



 シンクは近づく豚鬼を滅しつつナラクへと近づいていく。暴れまわる大男は素手でありながら豚鬼を千切っては投げ千切っては投げで戦っている。簡単には近づけない。だがシンクも自分では気に入っていないが『剣聖』と呼ばれる男。その技量を以てすればナラクの側に寄ることなど容易い。

 そして手元に小さな聖なる刃を生み出し、ナラクへと突き立てる。ほんの小さな、針のような攻撃。ナラクの魔装を停止させるほどではないが、正気に戻すには充分だった。



「あァッ!?」

「さっさと引け! これは作戦だ!」

「ちっ……そぉだったなァ」



 普段は『暴竜』と呼ばれるこの男は、荒々しさこそあるが馬鹿というわけでもない。ちゃんと仕事はする男だ。そのため、作戦さえ思い出せば言うことは聞く。



「一旦引け」



 故にナラクはシンクの言葉に従った。






 ◆◆◆






 川の間に作られた砦はひとまずの完成を迎えていた。完成といっても必要なものを最低限設置しただけであり、改良点はまだまだある。しかし砦としては機能する。

 指揮所として設定された部屋には多くの神官、聖騎士、そして勿論Sランク聖騎士が集まっていた。



「ではアロマ殿の方も仕込みが終わったと?」

「ええ、そうね。例のトラップもついでに仕込んでおいたわ。効果範囲はこの地図のとおりよ」



 『樹海』の聖騎士アロマはディスプレイ上を指さす。

 この砦の、川を挟んだ南部一帯には赤色で円形の領域が囲まれていた。そこが彼女によって仕込まれた罠である。



「問題はシンク殿とセルア殿が上手く暴食王をおびき寄せることができるかどうか……ですね」



 ラザードはそう言いながらもう一つのディスプレイに映された地図を眺めた。そこには青色で表示された味方と、赤色で表示された魔物が映っている。現地の観測魔術を送信して表示しているのだ。



「数は圧倒的。しかしこの魔物の動きからしてセルア殿の聖なる光が効いているのでしょう」

「怖いほどの能力ですね」

「そういうフロリアも反則だと思うわよ。大陸のどこにいても狙撃できるんだから」



 現在において最強の聖騎士が誰かと問われれば、皆が『聖女』だと言う。あるいは『剣聖』の名が挙げられることもある。

 その理由はかつて緋王と不死王を滅ぼしたからだ。誰も成し遂げることができなかった『王』の討伐を成し遂げたという事実が追い風となっている。本当のことを言えば事実ではないのだが、世間はこの二人の聖騎士が『王』を討伐したと信じていた。

 また実質的な能力を鑑みても最強は揺るがない。魔力を喰らって成長する種子を生み出す『樹海』の聖騎士も強いが、やはり直接滅ぼす聖なる光が強すぎる。覚醒魔装士という圧倒的魔力保有者から放たれる魔物専用広範囲分解攻撃など誰にも真似できるものではないのだ。また出力の調整次第では人間相手にも有効となる。魔力だけを削ったり、魂ごと蒸発させたりと自由自在だ。それだけ、魔力崩壊という現象が強すぎるのである。

 セルアの魔装に比べれば『天眼』や『穿光』、そして『千手』の聖騎士など路傍の石のようなもの。まだ『天眼』には偵察という役目もあったが、ハデスグループが販売している地図アプリワールドマップのせいで不要になってしまった。

 魔物を滅する光の使い、『聖女』セルア。そして彼女を守護する『剣聖』シンク。

 民衆受けが良いのは間違いなくこの二人だった。

 とはいえ古くからその地位についている最高位のランク聖騎士たちも弱くない。また彼らには生きている時間相応の経験がある。



「ラザード、聖堂からの支援はどうなっているのかしら?」

「医薬品を追加で送っていただいています。そちらの整理も行っていますので問題はありません」

「優秀な後輩ね」

「私は指示を出しているだけで、実際に仕事しているのは部下たちですよ」

「謙遜ね。まぁそれはいいとして、フロリア……北の方はどうかしら? さっきまで調べておいたのでしょう?」



 一応、この砦には観測魔術用の機械が設置されている。そのため周辺のリアルタイムマップは常にディスプレイに映されている状況だ。

 しかしここでアロマが尋ねたのはマップよりさらに北のことである。

 当然、フロリアも分かっていたので頷きつつ答えた。



「数体の牛鬼タウルスを発見しました。おそらくは斥候か何かだと思います」

「まぁ、いきなりこんな砦ができたわけだし、当然よね」



 魔術で無理矢理作り上げたこの砦の役目は、北からやってくる牛鬼系魔物を抑えるためだ。豚鬼の大軍ですら手を焼くのだ。挟み撃ちなどされたら終わりである。

 ならば南側からオブラドの里を攻めるべきではないかと考えるのが普通だが、ディブロ大陸南部には森林が広がっているので軍の展開が難しい。またもしもの時の撤退ルートが存在しないことも問題だ。

 ならばと戦いやすい北側の平原を戦場に選び、また撤退する場所として砦を作るのはおかしなことではない。そして砦は問題となる豚鬼と牛鬼による挟み撃ちを解消してくれる。



「北側の防備は?」

「優先は南側ですので完全ではありません。しかし遠距離攻撃の使い手を多く配備しています。川も挟んでいますし、数百程度ならば攻められても問題ないでしょう。仮に数千、数万と送ってきたならば我々が出れば良いわけですし」

「まぁ、そうね」



 アロマも納得する。

 この砦の設備責任者でもあるラザードは自分の采配が間違っていなかったことに安堵した。彼も限られた時間と資源を上手く使えているか不安だったのだ。同じく彼の下で動いていた神官や聖騎士たちも安堵の息を漏らす。



「この作戦はとにかく不安定ですからね」

「ええ。でも仕方ないわ。本国が神聖暦三百年記念事業と決めてしまったから」



 ここまで不安定で雑な力押し作戦になってしまったのは上層部の我儘に起因している。確かに世間に対しては良いアピールとなるが、実際に動くのは聖騎士や神官だ。批判するつもりはないが、文句の一つは言いたくなる。

 しかし、ここまでは予定通り運ぶことができた。

 成功も視野に入りつつある。



「まずはシンクとセルアの部隊が上手くおびき寄せるかどうかね。本当の勝負は明日の朝から……といったところかしら」



 ディスプレイ上の地図を見る限り、それは間違いない。

 最大の戦いが迫っているという事実を前に、この場の誰もが緊張していた。




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