第219話 暴食王


 オブラドの里北方は乱戦と呼ぶに相応しく混迷を極めていた。

 その理由はセルアの聖なる光を無視して襲ってくる強大な魔物のせいである。今のセルアは味方への被害を考慮し、魂まで崩壊させる強度で聖なる光を使っていない。



『なんだあの豚鬼は!?』



 通信上で誰かがそう叫ぶ。

 セルアは後方でその誰かの叫びを聞いていた。彼女は状況に応じて聖なる光を行使する必要があるため、高度通信の権限を有していた。その通信を通しての叫びである。

 彼女の通信相手は聖騎士に限っているため、この悲鳴のような言葉も聖騎士から発せられたものということになる。



『ぎゃああああああああああ!』

『マーシャル殿が……引き千切られ……ぐあああああ!』

『左から巨大な……奴は腕が六本もある!』



 左方に壁として展開している聖なる光が突破されたのだ。

 壁と言っても薄くはなかった。大人の男ならば百歩は歩かなければならないだろう厚さがある。それだけの聖なる光を突破するためには相当な魔力を犠牲にしなければならない。

 だが魔物はそれを実行してきた。

 突破さえすれば人間を殺して魔力を回収できる算段なのだろう。

 セルアは即座にシンクへと通信を繋ぐ。



「シンク、聞いていましたね?」

『向かっています』

「お願いしますね」

『はい。お任せください』


 

 それから数秒後、巨大な魔力反応が消失する。

 シンク一人で討伐できたことから、災禍ディザスター級であったのだろう。だが逆に言えば災禍ディザスター級程度でも聖なる光を突破できてしまうことが分かった。

 あるいは聖なる光で弱体化していた破滅ルイン級なのかもしれないが。

 改めてシンクへと通信を繋げる。



「相手は何でしたか?」

異形豚鬼オーク・ミュータントだと思います。しかし弱体化していました』

「やはり破滅ルイン級でしたか」

『幾つか災禍ディザスター級も見られます。しかし普通の兵士でも倒せるほどに弱体化しているので効いているのは間違いありません』



 それを聞いて聖なる光の強化は必要ないと判断する。

 だがこの作戦はあくまでも撤退がメインであり、倒し過ぎるわけにはいかない。セルアは少しだけそう思案した後、改めて告げた。



「シンク、撤退速度を上げましょう」

『分かりました』

「それと暴食王と思しき個体は発見できましたか?」

『いえ、それどころか親衛隊と思われる個体も未発見です。まだオブラドの里から引きずり出すことができていないのかと』



 撤退速度を上げることを提案したが、暴食王が出てこないのならば意味がない。

 この戦いは『王』を倒すための戦い。

 この作戦の肝である罠を仕掛けた地点まで誘引しなければならない。



「シンク、第五撤退ラインまで急いでください。もう一度、聖なる光を落とします。それ以降は再び戦いが激しくなるでしょう。今の内に前線の再編をします。シンクは一暴れしてください」

『お任せください。それとゴーレム兵を前に出します』



 最前線の激しさは時間とともに増している。

 少しでも間違えれば撤退は潰走になり得るのだ。

 時間さえあればこのような綱渡りをしなくても良いのに、とはセルアも幾度となく考えた。






 ◆◆◆






 暴食王。

 それは豚鬼と呼ばれる魔物の『王』である。伝承においては味方であるはずの同族すら喰らう暴虐の存在であったとされている。

 その名はベルゼビュート。

 オブラドの里は巨大なテントのような建物が並んでおり、『王』の住処であろうとも変わらない。シュウがこれを見ればモンゴルのゲルと同じだと答えることだろう。木で枠組みを作り、そこに巨獣から採取した革を被せるのだ。

 その中で一際大きなテントが、暴食王の住まう場所である。



『アァ……オアア』



 だが、そのテントは呻きに満ちていた。

 セルアの放った聖なる光がオブラドの里を蹂躙した結果、一定以下の魔物が掃討されてしまったのだ。流石に里の全てを覆いつくすほどではないので全滅することはないが、光が落ちた場所は滅び去る。

 そして今、暴食王の住まう場所にそれが落ちてきた。

 しかしそれでも暴食王はテントの中で鎮座している。

 この魔物にとって聖なる光は取るに足らないとまではいわずとも、脅威とならないのだ。



「……」



 故にこの『王』は黙っていた。

 面倒だったので配下に全て任せていたとも言える。

 だが、聖なる光が四度目に落下した時、遂にその重い腰を上げた。



「トク、ケリエ」



 その声は重々しく、聞いただけで伏してしまうような力がある。

 現に暴食王の親衛隊でもある絶望ディスピア級の魔物たちも全員が側に控えていた。高位グレーター級以下であれば問答無用で滅ぼし尽くす聖なる光を受けてもビクともしない。

 そして暴食王に絶対の忠誠を誓っている。

 言葉を発することなく立ち上がった『王』を諫めることもなく、ただ付き従うために次々と立ち上がった。『王』の出陣を華々しく飾るため……自らを飾りとするためだ。



「トクンマワボソ」



 暴君であり、暴虐であり、暴食である『王』が告げた。

 敵を滅ぼせと。






 ◆◆◆







 最前線で戦うシンクは、ナラクと驚くほど連携していた。

 圧倒的身体能力によって迫りくる豚鬼を押し返すナラクに対し、それでも通り抜けてきた豚鬼を切り殺すシンク。二人が噛み合うことで前線は維持されていた。



「ォォオオオオラアアアア!」



 そんな雄叫びと共に衝撃波が発生する。

 ナラクこと『暴竜』は破壊工作を得意とする黒猫の幹部だ。強烈な身体強化の覚醒魔装は人体の限界すら突破し、研ぎ澄まされた一撃となって放たれる。筋肉ちからこそ正義パワーを具現化したこの男を止める術はない。豚鬼という系統が魔導をあまり保有していない、力押しの魔物であることもあって相性が良かった。

 衝撃波は豚鬼オーク高位豚鬼ハイ・オーク程度であれば軽々と吹き飛ばし、砕かれた大地が散弾のように放射されて後続を穿つ。

 彼が暴れまわるお蔭で豚鬼の進軍は抑えられ、撤退速度を上げることができていた。



(あの男、今まで世に埋もれていたのか?)



 あれほどの魔装士であれば聖騎士に抜擢されても不思議ではない。

 シンクは無関係なことを考えることができるほどに余裕を取り戻していた。



(それにこいつも思ったより使える)



 また頼りになるのはアゲラ・ノーマンが開発した兵器もだ。ゴーレム兵器はその巨大さに見合わぬ俊敏さを発揮し、自動的に迫る魔物を駆除してくれる。自動で発動される魔術は第一階梯から第九階梯まであるので、敵単体への牽制から広範囲殲滅までやってくれる。

 この兵器一機で兵士十人分は仕事をしているだろう。



(ここまでは順調だ。もうすぐ第七撤退ラインにも到達する。その後は最終ラインだけだ)



 眼前には見渡す限りの豚鬼。

 その数は数万にも上るだろう。セルアが何度も聖なる光を落としたお蔭で、オブラドの里が危険だと思わせることができた。誘引作戦はほぼ成功だ。

 だが問題も残っている。



(暴食王は誘いに乗ってくるのか?)


 

 未だに感じ取れない『王』の気配。

 かつて目にした三体の王の戦いは今でも覚えている。あの絶望しかなかった相手を忘れる方がおかしい。故にシンクは、まだ暴食王が来ていないことを理解していた。

 一体、いつになれば現れるのか。

 そんなことが気になってくる。この程度のことで気が散って戦いが疎かになるような無様は見せないが、やはり不安であった。



「シンク様! 後方部隊が第七撤退ラインに到達! 前線の再展開を開始しました」

「分かった。慎重に前線と後方を入れ替えろ」

「はっ!」



 伝令の聖騎士が空を飛んで後方へと戻っていく。

 この戦いは二つの大隊を入れ替えつつ、前線を維持することで効率的な撤退戦を実現している。シンクやナラクのような例外を除けば、戦い続けられる者などほとんどいない。故に大隊の一つを前線に並べて豚鬼の進行を抑えている間、もう一つの大隊は休息と立て直しを図る。セルアが聖なる光の壁で数を絞ってくれているお蔭でもあるが、ここまで無事に撤退を完了することができた。

 敗北を演じつつ、豚鬼を聖なる光で焦らせる。

 こうすることでオブラドの里のほぼ全ての戦力を引きずり出すことに成功している。



「クハハハハハハ! 消し飛べェ!」



 ナラクが鋭い蹴りを放つ。

 もはや眼で追うことすら不可能な速度で繰り出された蹴りは、直撃した豚鬼王オーク・キングを一撃で消し飛ばした。災禍ディザスター級であるはずの豚鬼王オーク・キングが消滅させられたことに驚く暇もなく、衝撃波は後方の豚鬼をも粉砕する。

 まさに圧倒的だった。



「あいつ、何者だ……?」



 災禍ディザスター級の魔物ともなれば覚醒魔装士でもなければ単独で倒すのは困難な相手だ。それを軽々と一撃粉砕してしまうナラクには疑問を抱かざるを得ない。

 だが、そんな疑問はすぐに感じる暇すらなくなった。

 身に覚えのある、圧倒的な覇を感じたのだ。

 空気が重くのしかかる。

 いや、平伏せとでも言わんばかりの何かが空気を伝って襲ってくるのだ。



「これは……! 不味い!」



 シンクですら鳥肌が止まらないこの感覚。

 前線にいる誰もが動きを止めてしまった。

 これは致命的な隙であり、一気に前線が瓦解しかねない。しかし幸いなことに、豚鬼側も完全に動きを止めていた。そればかりか道を空けるように左右へと移動を始める。



「今の内に下がれ! できるだけ距離を稼げ!」



 来た。

 来てしまった。

 シンクはそう悟るや否や叫んだ。

 誰もがこの恐ろしい圧を感じているのだろう。それでもシンクという絶対の柱がいるお蔭で発狂することなく心を保つことができていた。この場に集められた兵士が精鋭だったということもあるが。

 ともかく撤退速度を上げて、背中を見せることも厭わず走り出す。

 シンクは殿しんがりとして数名の聖騎士を伴い、現れるであろう『王』を待つ。後退しつつではあるが、その姿を必ず目に焼き付けようと考えていた。



(この地響き……来たか)



 豚鬼の大軍の遥か先。

 そこから巨大な地響きと共に獣に乗った豚鬼たちが現れた。

 その獣は馬より遥かに大きく、大型トラックほどもある。そして特徴的な長い首を生やしたそれはシンクも知っている四足歩行獣であった。



「巨獣……飼い馴らしているという予測は当たっていたか」

「シンク様! 巨獣の上に乗っているのは……」

「ああ、目的の『王』とその親衛隊だ」



 その巨獣は首が巨大であるせいで、騎乗する暴食王とその親衛隊は身体のほとんどが隠されている。またそもそも足も長いので見上げる形になってしまう。



(巨獣は魔物じゃないから、セルア様の聖なる光では強度不足か)



 その気になれば聖なる光で魂すら滅することも可能だが、それではここまで誘引した意味がない。巨獣もその巨体に見合った鈍足とはいえ、一歩の幅が広いので意外と速い。

 今の撤退速度では最終撤退ラインに到達する前に追いつかれてしまう。

 シンクの判断は早かった。



「命じる! あの巨獣と魔物を足止めしろ! ぶっ壊れても最後まで戦え!」

『承認しました。術式選択を開始』



 犠牲とするのはゴーレム兵だ。

 所詮は機械兵器なので壊れたところでダメージは少ない。それよりも早く撤退させることが重要だ。

 ゴーレム兵は索敵情報から最適な術式を選択し、それをコアである黒魔晶によって展開した。



『術式選択完了。《地震アースクエイク》』



 術の発動と共に大地が揺れ、地面が割れる。

 固体に急激な収縮運動を与えるというこの大規模術式は制御が非常に難しく、第九階梯でありながら禁呪級の難易度と言われている。しかし機械発動ならば関係ない。激しい揺れのせいで巨獣は倒れ、騎乗していた暴食王と親衛隊は投げ出された。

 しかし流石は最強種の魔物。

 無様に地に落ちるということはなく、綺麗に着地してみせた。



「あれが暴食王ベルゼビュート……強い」



 シンクは初めて生で見るディブロ大陸の王にそんな感想しか出せなかった。

 だが、まだゴーレム兵器の攻撃は終わっていない。着地を狙って次の魔術を構築済みであった。



『発動《大放電ディスチャージ》』



 大エネルギーの電子が空間中を駆けまわる。空気の絶縁性を破壊して飛び散る電流が暴食王とその親衛隊に襲いかかった。またその周囲にいた豚鬼や巨獣までもが被害を受ける。

 だが次の瞬間、電撃は霧散した。



『術式破綻を確認。再構築します』



 ゴーレム兵は再び術を発動させるべく、術式演算を開始し……術が完成する前に停止した。



『術式破綻を確認。再構築します』



 二度目の再構築。

 しかしまたもやそれは強制停止させられる。



『術式破綻を確認。再構築――』



 そして三度目は与えられなかった。

 暴食王は絶大な魔力によって身体能力を強化し、一瞬でゴーレム兵の前に移動していた。そしてゴーレム兵を支える八本足の一つに触れる。

 その瞬間、ゴーレム兵は消滅した。

 また同時に様々な色の炎が発生し、一瞬で消える。



(あれは……!)



 シンクはその攻撃の正体を知っていた。

 魔神教の最奥に保管されているディブロ大陸の資料。それを読んだ時、暴食王の知識も得ていた。



「暴食王の、分解魔法」



 あらゆる物体を部品レベル、分子レベル、素粒子レベル、果てには量子レベルにまで自由自在に分解する魔法。

 その圧倒的な力を前に大量の冷や汗が流れた。





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