第213話 黒猫に迫る
船の甲板で寛ぐシュウは、一冊の本を読んでいた。
そこに『暴竜』ことナラクがやってくる。普段のシュウはここにいるので、会うためにナラクがやってくるのも日常となっていた。
「何を読んでいる? また古代語か?」
「ああ。とはいえ豚鬼系魔物が使っている特別な言語の方だ」
「そんなの勉強する意味があるのか?」
「奴らの会話を聞けば、取り得る行動を予測しやすい。戦術として役に立つ。場合によっては戦略的効果も期待できるだろう。半分ほどは興味本位だがな」
「そんなことを考えていたのか」
シュウは霊系の魔物だが、言語の会得は勉強する必要がある。テレパシーを使えば意思疎通もできなくはないが、暇さえあれば各国の言語を会得していた。
「そろそろ到着のようだ。都市が金色だな」
「オリハルコンの色だ。その辺りの土から錬成できる上に硬い」
「そいつは凄い」
「いくらお前でも殴って全壊させるのは無理だな」
「ほぉ」
『暴竜』としての矜持が疼くらしい。挑戦的な笑みを浮かべていた。
だがシュウは制止の視線を送る。余計なことはするなという意味だ。それが分かるのか、冥王に逆らう気はないのか、やれやれと首を振って諦めたようだった。
シュウは本を閉じ、立ち上がった。
「降りる準備をするぞ」
神聖グリニアによって集められた六千の最精鋭兵士。その第一弾となる船が第一都市に到着した。
◆◆◆
暴食王討伐のために集められた兵士は、時が来るまで総督府が用意した施設に宿泊することとなっていた。勿論、シュウもその中に部屋の一つを与えられていた。
ただし六人部屋だ。寝るためだけの場所で二段ベッドが三つ、机が二つ、椅子が二つ置かれている以外は何もない。
「私室というより寝室か」
シュウが部屋に入ってきたとき、部屋の中には他に二人いた。その二人は椅子に座っており、シュウが入ってくるなり注目する。
今のシュウは白シャツに黒ズボンという非常にシンプルな格好だ。後に神聖グリニアから統一した防具を支給されることになっており、全員が私服でここに来ている。先にいる二人も半袖シャツに半ズボンという楽な恰好だった。
「お、君がルームメイトか。よろしく」
「よろしくお願いします」
随分と若い。
それがシュウの第一印象だった。歳は十代と思われる。ソーサラーリングが主流となった現代において、魔術の腕と年齢はあまり関係ない。それで若くして優秀な者が多く誕生した。魔装はそうもいかないが、魔装を発現するほどの魔力があれば魔術使いとして成功できる。
この二人も魔力の多さは中々のもので、手を見るとソーサラーリングを身に着けていた。
「出身は西方都市群連合。ギルバート・レイヴァンだ」
「僕はキーン。こっちの彼の幼馴染で、護衛です」
「シュウだ。よろしく」
暴食王の討伐戦では六人一組の小隊を組むことになっている。当然、その六人とは同じ部屋に泊まる者どうしのことだ。仲良くしておいて損はない。
ただ、シュウは少し気になった様子でギルバートに聞き返す。
「レイヴァン?」
「んあ? 俺のことを知っているのか?」
「確かその家名は……」
「まぁな。元スバロキア大帝国の貴族らしい。今は都市国家の領主だけどな。俺は三男坊だからこんなところに送られたってわけだ。こいつもその付き添いでな。運が悪い奴だよ」
「まだ死ぬって決まったわけではありませんよ」
普通の者からすれば、『王』と戦えというのは死ねと言われているのと同じことだ。歴史上でも冥王、緋王、不死王によって様々な国や都市が滅ぼされている。
兵士の中には家名のために無理矢理ここに送られてきた貴族の次男以下も少なくない。ギルバートもその一人であり、望まぬままに連れてこられた。英雄になるため自ら志願した者は半分ほどだろう。
「あんたはどうなんだ。自分で望んできたのか?」
「必要だったから来たまでのことだ」
「そうかい」
何かを勘違いしたのか、ギルバートは憐みの目を向ける。
「ま、よろしくなシュウ。お互い死なないようにしよう」
「そうなるといいな」
◆◆◆
スラダ大陸西方のある国で、『黒猫』は報告書を読んでいた。彼もハデス製の指輪型デバイス、トライデントを愛用している。仮想ディスプレイには『鷹目』が持ってきた情報が表示されていた。
「すみませんリーダー。やはりアゲラ・ノーマンの情報は掴めないままです。その代わり、彼が開発した新兵器については情報を仕入れてきました」
「ゴーレム兵、か。また危険なものを」
「設計概念としてはロボットというより、金属生命体ですね。そこにも書かれていますが、魔術で金属を流動的に形状操作するようです。ハデスグループが開発した黒魔晶がコアとなっていますね」
仮想ディスプレイ上には八本足の多脚戦車のイラストが記されている。機械的な機構はほぼ排除されている代わりに、複雑な魔術機構で制御されている。そのコアとなるのが黒魔晶だ。
「自律行動して魔術を発動する兵器……ということになっています。これが量産されれば、兵士が前に出て戦う必要が無くなりますよ」
「もうここまで開発していたのか」
「それと空間魔術の開発も進んでいるみたいです。それともう一つ、何かのプロジェクトを進めていると分かっているのですが、詳細はまだ」
「いや、充分だよ。引き続き情報を集めてくれ。金は幾らでも出すよ」
『鷹目』が調べてきた情報は国家機密級のものばかりだ。シュウは契約により
だが、『鷹目』は首を横に振った。
「いえ、金銭よりも欲しいものがありまして」
「なんだい? 珍しいね」
「そろそろ教えて欲しいのですよ。あなたの目的と、その正体について」
相変わらず表情の抜けたような顔で『黒猫』はジッと視線を向けてくる。対して『鷹目』は絶対に追及してやると言わんばかりに睨み返した。
また同時に話を続ける。
「以前リーダーに教えていただいた遺跡についてずっと調べていました。抽象的な絵画ばかりで困っていたのですが、その中に興味深いものを見つけました。ロカ族と関係が深いとされる洞窟壁画です」
『鷹目』はトライデントを起動し、撮影した画像データを表示する。
それを見せつけ、その中の一部を指さした。
「これを見てください。三つ目の人間です」
「そのように見えるね」
「ええ。そうです。そしてこの三つ目と関連するものとして、ロカ族には特別な力の継承がありました。今のSランク聖騎士……『聖女』のセルア・ノアール・ハイレンが受け継ぐ第二魔装です。ロカ族には聖なる光という力を継承する者たちがいたようですね。そして継承者は例外なく、額に眼のような紋章があった」
「良く調べている。本当にね」
「ここまで調べるのに随分と遠回りしてしまいましたよ。ピンときたのは、リーダーのターゲット……つまりアゲラ・ノーマンの額にも似たような紋章があることです。もしやこの第三の眼とでも言うべき技術は超古代文明の技術なのではありませんか? 人工的に覚醒魔装士を生み出すということが、過去には実現されていたのではありませんか?」
アゲラ・ノーマンは『神の頭脳』と呼ばれるほどの男で、魔装士としてより科学者として見られることの方が多い。しかし覚醒魔装を手にしているという事実は『鷹目』も知っていた。
どう考えても戦う人物でないアゲラが覚醒にまで至っている理由が、人工覚醒魔装にあるのではないかと考えたのだ。
また彼と同じ額に紋章を持つセルアも、危機感知と聖なる光の二種類の魔装を持っている。危機感知が生来のもので、聖なる光は人工的に与えられたものだとすれば辻褄が合うのだ。
セルアがロカ族の関係者で、またロカ族の遺跡に三つ目の人間が描かれていたという事実を結び付け、ようやくここまでの結論を得た。
だが『鷹目』の推理はまだ終わらない。
「それで壁画に話を戻しますが、この三つ目の人間と相対するようにして普通の人間が描かれています。互いに武器を向け合っていますから、友好的とは言えないのでしょう。つまり三つ目は人工的に覚醒した人類であり、彼らは普通の人間と何かの理由で戦争になった。それがディブロ大陸文明が滅んだ理由だと考えました」
「なるほど。だけど、どうして僕の正体と目的を知りたいんだい? 関係のないように思うけど」
「かつてリーダーが『死神』さんに滅ぼさせた国や都市についても調べました。確証はありませんが、人工的に魔装士を生み出す研究をしていたという噂は掘り出すことに成功しました。ここまできて無関係とは言わせませんよ」
「君ほどの男が噂を当てにするのかい?」
「いいえ。ですから聞いているのです。リーダーの目的は? あなたの正体は何者ですか? いえ、そもそも黒猫という組織は何のためにあるのですか?」
そもそも黒猫という組織そのものがおかしい。
十一人の幹部が自由に動いて良いという時点で組織として破綻している。これではリーダーである『黒猫』が好きな時に使える戦力を確保しているだけに見える。
今の段階でも『死神』と『鷹目』の二人がいるだけで世界を自由自在に操れるだろう。シュウは冥王であり『死神』でありハデス財閥の裏の総帥だ。また『鷹目』は全世界に情報網を持つ上に、情報操作によって一国をひっくり返すこともできる。
そして今、『黒猫』はその絶大な二つの力をたった一人の男を殺すためだけに注いでいる。
「そろそろ教えていただきますよ。『黒猫』は数年から十数年ほどで入れ替わっていますが、とっくの昔に同一人物だという確信を持っています。今の身体は人形か何かでしょう? 以前、傀儡の能力があると言っていましたし」
「うん。まぁ、『死神』を含む君たち二人にはあまり隠していなかったからね。バレているとは思っていたよ。確かにこの身体は人形で、僕の本体は別のところにいる」
驚くべきことに『黒猫』はあっさりとばらした。
「だけど僕の個人情報はもう少し明かせないかな。君には時が来れば全て話そう。それと目的は……今は三つ目の撲滅だと考えてくれて構わないよ」
「今は、ですか?」
「そうだね。今の君に全貌を話すことはできない」
「その理由は教えていただけますか?」
「念のため、だね」
「……いいでしょう。今はそれで納得します」
かれこれ三百年以上にもなる付き合いだ。『鷹目』も今は引き下がることにした。
だが疑念が消えたわけではない。
遥か昔、スバロキア大帝国を崩壊させるときは中立の立場を取ったこの男が、今は積極的にある男を殺そうとしている。そればかりか、ここ百年ほどは『黒猫』からの依頼も増えた。
何かが起ころうとしている。
そう考えざるを得ない。
(ロカ族、古代人、古代文明……そして黒猫の歴史。その辺りから再調査する必要がありそうですね)
口を割らないなら別口から探すまで。情報屋としてのプライドが刺激された。
『鷹目』は一歩下がり、転移を発動させようとする。
だがそこで『黒猫』が一言告げた。
「ヒントをあげよう。全てはディブロ大陸に現存する最古の帝国にある」
「現、存?」
「『死神』に伝えておいてくれ」
それはほぼ答えではなかろうか。
だが全て話せないなりの償いということだろう。
(これだから黒猫を捨てられない。厄介なリーダーです)
溜息を吐きつつ、『鷹目』は消えた。
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