第212話 魔王の領域


 七大魔王とは何か。

 実のところ、あまり分かっていない。かつて人類はこれに敗北したとだけ伝えられている。その特徴や名称も伝わってはいるが、魔神教が秘匿しているため一般には知られていない。ただ、七大魔王はディブロ大陸を支配する『王』の魔物であるということが一般に知られている。

 そんな中、初めて魔王の一体が公表された。



「暴食王ベルゼビュート、か」



 シュウは甲板で風に当たりながら呟く。

 手に持っていた本がパラパラとめくれた。

 神聖歴三百年の夏、暴食王の討伐を目的として神聖グリニアから大戦力が送られることになった。大陸全土から集められた精鋭戦士たちが討伐隊としてディブロ大陸に向かっており、シュウもその一人として乗船している。



「どうしたのだ『死神』」



 そんな時、不意に背後から声を掛けられる。

 近づいているのは知っていたが、周囲に正体を知らせるような呼び方に溜息を吐いた。



「その呼び方をするなナラク。今の俺はシュウだ。そしてお前は『暴竜』じゃなくナラク。分かっているのか?」

「うむ。黒猫の仕事だろう?」

「正体がばれたら面倒だから余計なことはしてくれるなよ」

「そう言うな」



 ナラクこと『暴竜』は巨漢の男だ。身体能力特化の覚醒魔装士であり、本気のパンチは街を崩壊させるほどである。これほど『暴竜』の名に相応しい男も少ないだろう。



(普段はこんな風格ある奴なのに、どうして戦闘中はあんなになるのやら)



 彼の本質は戦闘狂だ。

 だが普段はそれが鳴りを潜め、厳格な男であるように見える。話し方は少々堅めで、随分と落ち着いた様子にも見えるのだ。獅子の如き覇気は変わらないものの、戦闘中の狂気を一度でも見たことがあれば驚くのは間違いない。



「それでどうしたのだ?」

「ああ、暴食王についてちょっとな」

「今や珍しい豚鬼オークに属する『王』なのだろう? 俺は楽しみだ」

「噂じゃ、絶望ディスピア級の魔物もごろごろいるらしい。何人生き残れるか分からないぞ?」



 この四十四年間でディブロ大陸の調査もかなり進められた。

 そして第一次調査においてエリュトを発見した東側エリアに豚鬼やその上位種が集落を形成していることが判明した。その時は無茶をせず、まずは拠点の防備を固めることを決定する。その判断は正しく、後の調査で豚鬼たちの集落が随分と巨大なものであると分かったのだ。

 アゲラ・ノーマンの協力によって彼らの言語を解析し、情報収集の効率も高めた。豚鬼たちの言語が古代語をベースにしたものだったこともあって言語解析はすぐに終わったが、そこから勢力規模を調査するために数十年と掛かった。いや、それだけの時間をかけたというのが正しい。神聖グリニアからすれば絶対に失敗できないのだ。慎重に慎重を重ねるくらいで丁度よいという判断である。

 長い調査の結果、豚鬼を統率する存在が確認された。

 伝わっている七大魔王の特徴と照合し暴食王ベルゼビュートであると断定されたが、同じように他の七大魔王の捜索も始まっている。今回の討伐が成功すれば他の『王』の討伐にも手掛けるのだろう。



「最近は仕事がなくて力を持て余していたところだ。苦戦するぐらいがちょうど良い」

「そいつは良かったな」

「『王』に挑戦するなど、中々できることではないからな……冥王よ」

「そっちの名前でも呼ぶな」



 こいつ大丈夫なのか、という疑問が浮かぶ。

 どうか大事な時にボロが出ないようにと祈るしかなかった。



「ところで何を読んでいるのだ?」

「あ? これか?」

「うむ」



 ナラクはシュウの持つ本に興味を示した。

 その理由は見慣れない文字が記されていたからである。



「古代語の書物だ。これまでに発見された遺跡から幾つかのデータがサルベージされていてな。主に古代魔術科学のデータを書籍化したものだ」

「読めるのか?」

「一応な。俺としては歴史とかが記されたものの方が良かったんだが、その手のデータは残っていないらしい。魔神教側の発表ではな」

「ほう。俺は勉学は苦手なものでな。感心する」

「少しくらいは知っておいた方がいいだろ。お前も長いこと生きているなら言語を幾つか会得してきたはずだ」

「それは間違いない」



 ナラクは不敵な笑みを浮かべる。彼も覚醒魔装士であり、様々な時代を生きている。そして必要に応じて言語も会得してきた。



「だがそれは生活に必要だから自然と会得したものだ」

「偶には意図的に勉強するのもいいんじゃないか?」

「ふむ。それもそうかもしれんな。それに古代語ができれば魔物と会話できるかもしれん。それもまた一興というもの」

「く……思考が脳筋すぎる」



 シュウも思わず噴き出した。



「それなら大陸に着く間まで講義でもしてやろうか?」

「では頼もう」

「なら、分かりやすく数字からいくか? 幸い古代語も十進法だからな」

「では一から頼もう」

「アイ、ドン、トレア、テラ、フーム、ゼクト、エプト、オヌ、ノーマン、デア。これが一から十までの数え方だ」



 その後、ナラクは古代語を多少なりとも理解できるようになる。

 学習能力の意外な高さに驚かされたシュウであった。





 ◆◆◆





 ディブロ大陸における唯一の人類生存圏を第一都市という。かつては港を含めた拠点でしかなかったが、四十年以上かけて拡張され、都市と呼ぶのに充分な広さとなっていた。今は開拓民の移植も進み、人口も数万人程度はいる。

 また第一都市は防衛を意識して、ほぼ全ての建造物がオリハルコン製だ。土から生成できるという利点もある。都市周辺はオリハルコンの外壁に覆われており、また外壁には重火器まで設置されている。少なくとも防衛においては安心できるだろう設備となっていた。

 そして外壁と隣接するように、直方体の巨大建造物が存在している。これは第一都市における連合軍事基地であり、総合指令所だ。通称、総督府である。



「シンク総督、ようやく観測魔術の補完が完了しました。オブラドの里を完全に網羅しています」



 従軍神官の一人がデバイスを操作して、指揮所の大スクリーンに地図を映し出す。実写ではなくデフォルメした分かりやすさ重視の地図で、魔物が赤い点で示されている。これもハデスグループが開発した観測魔術が元になっているが、通常のトライデントにインストールされているものとは別物の性能だ。

 分かりやすく言えば戦略衛星並の性能を秘めている。

 精密測定用の座標入力に時間がかかったが、その苦労に見合うだけの価値がある。

 調査によって名称の判明した豚鬼系の集落、オブラドの里は第一都市から十数キロ離れた所に位置する。スラダ大陸では記録されたこともないほどの大集落で、暴食王がいると考えられている。



「……これほど広かったのか」

「発見した豚鬼オーク以下の種は二十万を超えます。上位種は数千程度と思われますが、その中には災禍ディザスター級や破滅ルイン級も多く含まれています。しかし分布には偏りがあるようで、地図ではこの辺り……西部と北部に集中しているようです」

「西部か。やはりエリュト果樹園の守りということか? 北に固まっているのは……」

「おそらく北の勢力……牛鬼系に備えるためかと。調査でも豚鬼系と牛鬼系の魔物が争っている様子が何度も確認されています。二つの河川が流れる平原が間にありまして、大規模な移動にも困りません」

「ということは、こちらが戦っている間に牛鬼系の奴らが漁夫の利を狙ってくる可能性もあるわけか。観測魔術をそちらにも割り振れるか?」

「管制室をもう一つ設置すれば、なんとか」

「分かった。総督府直轄第二管制室の設立を許可する。予算の振り分けを任せる。作戦予定日は五か月後だから、できるだけ急いでくれ」

「はっ!」



 ディブロ大陸の開拓において、この第一都市は神聖グリニアの植民地という扱いになっている。そしてSランク聖騎士シンクが総督となってこの都市を統治しており、開拓に関するあらゆる作戦の権限を有していた。

 命令系統としては最上位に位置するシンクだが、実際はマギア大聖堂からの要望に従うことになる。今回の神聖暦三百年記念の作戦もその要望によるもので、シンクの本音としてはもう少し時間をかけたいところだった。



「これからは北の黄金都市を中心に調べてくれ。ただし、絶対に手を出すなよ」

「徹底させます」

「俺は少し席を外す。後は頼んだ」

「はっ!」



 シンクは早足で指揮所を後にした。






 ◆◆◆






 急ぐシンクが向かったのは総督府の最上階である。

 そこは『聖女』のために設置された専用のフロアであり、彼女を守るために多くの聖騎士が配置されている。第一都市にとって『聖女』セルアの力はなくてはならないものなのだ。



「通っていいか?」

「これはシンク総督! どうぞ、総督補佐は執務をされております」

「分かった」



 シンクは第一都市の総督という立場であると同時にSランク聖騎士でもある。一介の聖騎士からすれば天上の存在だ。セルアの部屋の前に立っていた聖騎士からは尊敬と憧れの視線を感じる。



(こんな視線にも慣れてきたよな)



 かつてファロン帝国で三体の『王』と邂逅し、その内の二体を討ち取ったということになっている。Sランク聖騎士の中でもシンクとセルアの名は絶大なものであった。今回のこともその成果があってこそ与えられた役目である。



「セルア様、入りますよ」



 シンクは彼女の部屋に入るなり、執務中の彼女へと早足で近寄る。セルアはデバイスで文書を作成中だったようだが、シンクの姿を確認するなり仮想ディスプレイと仮想キーボードを消してスリープモードにした。

 そして窘めるように指摘する。



「私のことはセルアで良いと言ったでしょう。今のシンクは総督、そして私は総督補佐官です」

「いや、ですが……ねぇ?」



 どうしても皇女という印象があるため、敬称なしで呼ぶのは憚られるのだ。これは何十年経っても変わっておらず、シンクも変えようとはしない。

 だが変わってしまったこともある。



「セルア様、休憩にいたしましょう。紅茶を用意しますね」



 少々しわがれた声の老婆が口を挟んだ。

 彼女は執務室の端で魔道具に触れ、お湯を沸かし始めた。



「そうね。お願い、カノン」



 かつてはセルアの護衛女騎士であったカノンも、今や七十歳の老婆だ。とっくに護衛という立場からは引退し、それ以降は専属使用人としてセルアに仕えている。セルアとしても長く付き添ってくれた友人が側にいてくれるのは心強く、こうして年を取ってからもカノンに甘えていた。

 しかし覚醒魔装士と普通の人の間にある生命力の差は歴然で、若いままの姿を保っているセルアに対し、カノンは顔も皴だらけで髪も真っ白だ。腰も曲がっている。それがセルアには悲しくて仕方がない。普段は表に出さないが、間もなく来るであろうカノンとの別れが心苦しかった。



「それでシンク、どうしたの?」

「ようやくオブラドの里の全容が掴めました。それと五か月後の……例の作戦について。本国が募集した兵はどの程度の規模になりましたか?」

「今のところは六千です。それとノーマン博士が作った試作品兵器も幾つか送ると聞きました。幾つかの船団に分けて五か月後に間に合うよう順次送ると。予定通り、明後日には一つ目の船団が到達するようです」

「結構増えましたね」

「本国もかなり本気で集めたみたいです。色々な国が自分の国の精鋭を推薦したとか」

「これはもう引き延ばすわけにはいきませんか。あと十年……いえ五年は待って欲しかったんですけど」



 長い時をかけた甲斐もあって、第一都市は随分と大きくなった。備えている戦力もかなりのもので、常備戦力ですら小国を滅ぼせると言われている。

 だがこうして順調に力を蓄えることができたのは、セルアのお蔭だ。彼女の聖なる光が結界として第一都市を覆っているため、魔物が近づいてこないのである。ただし、この結界は厚い壁のように第一都市を覆っているだけだ。強力な魔力を保有する魔物は力押しで通り抜けてしまうため、監視は欠かせない。聖なる光の他に危機感知の魔装を持つ彼女はここでも活躍する。



「最近は魔物もこっちに気付いている節があります」

「確かに私の結界に引っかかる魔物が増えていますね。それも北部から」

「黄金都市の方の調査も開始しました。強欲王と思しき拠点なので慎重に慎重を重ねるよう念を押しています。二体の『王』を同時に相手取るなんて……もうこりごりですよ」

「ふふ。そうですね」



 シンクが恐れているのは、オブラドの里を攻略している最中に牛鬼系魔物たちが襲ってくることだ。黄金都市はオブラドの里の北に位置する勢力で、都市全体が黄金であることからそう呼ばれている。牛鬼系魔物の拠点で、その特徴から強欲王の住まう場所だとされている。しかし詳細はまだ分かっていない。分かっているのはオブラドの里と黄金都市が戦争状態にあることだ。小競り合いばかりだが、豚鬼系の魔物と牛鬼系の魔物が頻繁に争う姿が目撃されている。

 大戦力を以てオブラドの里を攻めたは良いが、好機と見た黄金都市が戦力を送ってきた場合に対処できなくなってしまう。

 位置取りが悪かったとしか言いようがない。

 第一都市、オブラドの里、黄金都市の三つの位置が絶妙であるがゆえに、どこかが均衡を崩してしまうと三つ巴の争いになってしまいかねない。それがシンクには悩みであった。



「ですが戦力を二分するわけにはいきません。六千の精鋭と私たち覚醒した聖騎士、そして最新兵器をすべて投入してようやくオブラドの里を壊滅させられるという計算なのでしょう? 少なくともシンクを『王』のところまで送り届けるだけの戦力だと聞いています」

「禁呪で雑魚を一掃した上での話です」

「環境への影響を考えて光属性禁呪で攻撃するんでしたよね」

「教皇様は反対気味でしたけど、最終的には使用しなければ勝てないという判断になりました。ただ禁呪を使っても絶望ディスピア級を倒すのは不可能であると予想されていますし、破滅ルイン級や災禍ディザスター級も弱体化に留まると考えられています。『王』に至ってはダメージを与えられるどころか、禁呪そのものを無効化されかねません。冥王の死魔法のように」

「……できることなら暴食王の魔法も確かめておきたいですね」



 観測魔術で暴食王と思しき魔物は発見されている。

 だがその力までは見えていない。

 準備はいくらしても足りないと思わされるため、五か月後に攻勢をかけるというのは憂鬱以外のなにものでもない。

 互いに溜息を吐き、不足を憂う。

 そこにカノンが紅茶を持ってきた。



「お二人とも、落ち着いて。心を落ち着ける紅茶ですよ。きっと上手くいきます」

「カノン……」

「お二人はかつて三体の『王』を相手取り、二体の『王』を倒したではありませんか。今回もきっと上手くいきます」

「とは言っても、あの時は奴らが勝手に争って削り合ってくれたからで……あ……」

「どうしたのですシンク?」



 名案というほどでもない。

 だがシンクは現状を打破するための作戦を思いついた。






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