第211話 ハデスの世代交代


 スラダ大陸で最も巨大な企業といえば。

 そう問われた時、誰もがハデス財閥であると答える。神聖暦二百四十六年に創業したハデスグループが元となっており、後に西方都市群連合の銀行の一つを買収したことで財閥化への一途を辿った。

 西方都市群連合は旧スバロキア大帝国の貴族たちが自分たちの領地を独立させ都市国家としたことが始まりだ。しかし元は同じ国の貴族ということもあり、彼らは手を組む。それが後に連合国となった。ただし連合化するにあたり、計画的な経済網の構築が必要となったことで、都市群を繋ぐ銀行グループが誕生する。各都市の民間銀行を組織化するために銀行法が公布され、この法律に基づいて運営されている銀行を連合銀行と呼ぶようになった。

 シュウはこれに目を付け、まずはその銀行の一つを買収した。この際に『鷹目』の情報操作と経済操作が行われたのは秘密である。ハデスグループの資金力を投入することで銀行事業を拡大化し、他の連合銀行を弱体化させることに成功する。その後は連合銀行という形は残しつつも、ハデス銀行が西方都市群連合の経済を担うようになった。

 神聖暦二百六十六年にはハデスグループはハデス財閥となり、ハデス銀行を資本中心とした組織に変化した。勿論、そこにはシュウが『死神』として稼いできた資金も全て投入されている。潤沢な資金による失敗を恐れない拡大により、一気に大陸で最大の経済組織となったのだ。総資産は小国の国家予算を軽く上回るとも言われている。

 ハデスグループを立ち上げた初代社長にして財閥グループ初代会長ともなったエレボスは、今や伝説の人物となっている。

 神聖暦三百年、そんな彼女が会長の座を次代に渡すと公表し、世間は大きな騒ぎとなっていた。



『今月を以て私はハデス財閥会長を引退し、娘にその座を渡すことを決めました。今後は全ての権限を彼女が手にするでしょう』



 テレビ画面に映されるのは、老婆となったエレボスの記者会見映像だ。

 そして映像は切り替わり、ハデス財閥の為してきた偉業をまとめたものになる。



『ハデス財閥の前身となるハデスグループは神聖暦二百四十六年に創設され、そのおよそ十年後にソーサラーリングを発表しました。現在では一般的に普及しているソーサラーリングも、当時は画期的なものとして扱われたのです』



 杖を使う魔術師、ソーサラーリングを使う魔術師の当時の映像が流される。

 また発売当初の広告やコマーシャル映像が挟み込まれた。



『ソーサラーリングは魔術師にとって革命的な道具となり、後に魔術使いという言葉まで生まれます。まだ杖が主流だった頃、魔術師はその研鑽を称えて「魔術師」と呼ばれていました。彼らは魔術の改良や開発をも手掛ける学者だったのです。しかしソーサラーリングは魔術師以外でも……それどころか魔力はあれど魔術など使ったことがない者ですら魔術が発動できるように補助してくれます。そのため魔術を使う者という意味で「魔術使い」という言葉が誕生したのです』



 特別な教育もなく、プログラムされた魔術が使えるようになる。

 これは驚くべきことだった。汎用化された武器として一般に認知されていた銃とも並び、各国の軍はソーサラーリングを標準装備とし始めたのだ。また魔装使いの中には魔術よりも魔装を鍛えることに集中する者が多い。つまり時間を魔装に注ぎつつも、それなりの魔術が使えるようになるというのは魅力的である。ルーメン社の不祥事という事件をきっかけに魔神教がソーサラーリングを推し始めたこともあって、どの国もハデス社のソーサラーリングを購入した。

 そこからハデスグループは更なる市場拡大を開始する。



『ハデスグループの画期的な開発は止まりません。魔晶を利用した魔力蓄積技術を開発し、保有魔力が少ない人でも、ソーサラーリングに魔力を蓄積しておくことで魔術が使えるようになったのです。魔術使いや魔装士ほど自由自在に扱えるわけではありませんが、一般人にとっては革命でした』



 魔晶はかつてアルマンド王国の賢者が開発した魔石が元になっている。彼は魔力を蓄積できるよう改良を進めており、この技術の投入はそれほど難しいものではなかった。ソーサラーリングが各国の軍に普及し始めた頃には技術として完成しており、ハデスは一般販売のための生産工場を大陸全土に建設し始める。

 そして神聖暦二百八十六年から、一般用ソーサラーリングの発売が始まった。



『この頃にはハデスグループはハデス財閥の一部になっていました。そして創設四十周年の記念事業としてソーサラーデバイスが発売されたのです。これは今や私たちの生活必需品となっています。発売当初は通話、メール、魔術発動媒体といったシンプルなものでした。しかし技術の進歩は目覚ましく、やがて様々なアプリケーションが開発されます』



 ハデスから発売されたソーサラーデバイスは三種類の機能があったことからトライデントと命名される。ソーサラーリングと同じく指輪型の道具で、魔術による仮想ディスプレイの発生が可能となっていた。このトライデントは後にも新作が発表され、今は第七世代となるトライデント・セブンが発売されている。



『ハデスに続いて他社もソーサラーデバイスを開発しますが、やはりハデス製のトライデントは別格でした。その理由は世界初のソーサラーデバイスアプリ、ワールドマップにあります。ハデスグループはトライデント・ツーにおいて地図アプリを搭載しました。この地図アプリは観測魔術によって自身の位置を地図に表示させるというもので、現在ではなくてはならないGPSを取り入れたものでした。更には周囲に観測できる魔物を表示させることも可能で、これが爆発的な人気を引き起こします。他社のソーサラーデバイスを引き離し、圧倒的普及率トップとなった最大の要因と言えるでしょう』



 実をいえばこの地図アプリの搭載には様々な政治的干渉もあった。

 なぜなら詳細な周辺地形図とは、軍事機密にも匹敵する。その気になればトライデントに搭載されている地図アプリの観測魔術で軍事基地をも探せてしまうというのが問題だった。

 しかしこれを黙らせたのが魔神教である。

 人と人、国と国が争う意味はない。争う必要もない。ゆえに軍事基地を地図で公開したところで何を困ることがある。そうやって黙らせたのだ。

 その背後にハデス財閥の圧力があったという陰謀説もあるが、真偽は定かでない。



『ハデスグループは現在の高度情報化社会の基盤を作り上げた偉大な企業なのです。さらに驚くべきことに、この全ての業績は初代社長であるエレボス氏が成し遂げました。彼女の引退は全世界を驚かせ、そして彼女を引きつぐ二代目エレボスにはこれまで以上の期待があるので――』



 画面が消え、音が消失する。

 今もマギアにあるハデスグループ本社の社長室で、老婆となったエレボスは溜息を吐いていた。高級な革張りソファで背筋を伸ばして座っており、まるで年齢を感じさせない。

 そして彼女の正面のソファにはシュウ・アークライトが座していた。



「随分と持ち上げられてしまいましたわ」

「それだけの業績だったってことだ」

「確かに私が組織を運用してきましたが、その経営方針を決めたのは我らが神……あなた様ではありませんか」

「ふっ……」



 シュウは軽く笑みを浮かべる。

 ここまでの流れは前世の記憶から引っ張り出した技術の流れを資金力に任せて開発したに過ぎず、全てが自分のアイデアだとは思っていない。それゆえの自嘲のようなものだ。



「それより、これでようやくエレボスも元の姿になれるな」

「はい。ずっと幻影を纏っているのは疲れましたわ」



 そう言うと彼女の姿が老婆から美女に変貌する。

 森大妖精ハイエルフであるエレボスには老いという概念が存在しない。しかし人間世界に混じって生活するためには老いが付きまとう。そこで幻影魔術を使い、公表している年齢相応に振る舞わせてきたのだ。

 ハデス財閥が次代に継がれるというのも真っ赤な嘘で、老婆エレボスが元のエレボスに戻るだけである。



「それにしても、ここまでよくやってくれた。ハデス財閥が出資している企業はほぼ全てが妖精郷の奴らに置き換わった。大陸の経済は思うがままだ」

「はっ! ありがとうございます」

「それと神聖暦三百年事業……つまり暴食王の討伐作戦でウチにも推薦権があったはずだな?」

「はい。ご利用ですか?」

「適当に切り捨てていい会社の名前でこいつと俺を推薦しておいてくれ」



 シュウはデバイスを操作し、個人データをエレボスのデバイスへと送信する。彼女も装着しているトライデントの画面を開き、受け取ったデータを閲覧した。



「ナラク……でございますか。一体何者なのでしょうか?」

「黒猫の『暴竜』だ。『鷹目』の情報操作があるとはいえ、どこで正体がバレるか分からないからな。切り捨てられるところから推薦させろ」

「かしこまりました。お任せください。それとシュウ様の推薦も、ですね。アイリス様同伴でよろしいでしょうか?」

「いや、今回は俺だけで行く。『死神』としての仕事だからな。それにあいつは妖精郷で魔装の奥義・・……みたいなものを開発している。上手くいけばアイリスの魔装は魔法級に至れるだろう。あとはブラックホール相転移フェイズシフトの研究監督も任せているからな。賢者の石を量産できる可能性がある技術を完成に導くのは急務だ」



 物質は極限重力において空間中の一点へと収束し、ブラックホールとなる。そして光を含むあらゆるものが脱出不可能となる領域を事象の地平線と呼び、その内側には高密度に情報が蓄積されると考えられている。

 この状態を固相、液相、気相、プラズマ相のような物質状態の一つと考え、ブラックホール相であると定義する。つまり超重力下における物質相転移の一種がブラックホール化であるとしたのだ。

 通常では考えられないほど密に情報蓄積されたブラックホール相を意図的に生み出すのが、ブラックホール・フェイズシフトである。これは魔力にも当て嵌まる現象であり、魔力が高密度において黒く染まるのはそれが原因とされている。

 つまり魔力の色がそのまま出る魔石は魔力積層物質で、黒く染まった賢者の石はブラックホール・フェイズシフトを起こした魔力情報凝縮体ということだ。この仮説に基づいて妖精郷とハデスは何十年も実験を続けており、未だ実験品しか作れない。

 シュウはこの技術に価値を見出し、優先的に研究させている。



「ともかく、推薦の件は頼むぞ。それと前から言っているが、アゲラ・ノーマンの情報が手に入ったら優先的に知らせろ」

「はっ!」



 最後にそう告げて、シュウは転移で消えた。






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