滅亡篇 4章・永久機関
第210話 魔王討伐にむけて
聖騎士アゲラ・ノーマン。
彼は『神の頭脳』と呼ばれるほどの男であり、彼を中心とした研究機関は次々と新しいものを開発していた。
その一つが神の霊水と呼ばれる魔術薬だ。
第一次調査隊が発見したエリュトの実から誕生した秘薬であり、ありとあらゆる傷を瞬時に癒す力があるのだ。魔術蓄積効果のあるエリュトに治癒を蓄積させたものがその正体である。
「教皇猊下、ここにおられましたか」
「ああ、君かね」
「もうすぐ会議のお時間ですよ」
ある司教が教皇の姿を見つける。
そこはマギア大聖堂の地下に作られた庭園であった。ガラスドームによって囲まれたこの庭園は空調システムによって温度が一定に保たれ、また人工太陽に照らされて様々な植物が育っている。種々の草花の他、珍しい樹木も植えられていた。そんな中で最も目立つのは庭園中央にある赤い木の実の果樹だろう。
「私はこのエリュトが好きでね。よく見に来るのだよ」
「泉のエリュトですね。確か第一次調査で持ち帰ったエリュトを植えたと聞いています」
教皇の前にあるエリュトは随分と大きかった。
そして幾つもの実をつけており、根本には人工の泉が設置されている。泉の中にはエリュトが落下し、その性質が染み出して水を赤く染める。また泉の底には治癒魔術の魔術陣が設置されているので、魔力を込めることで治癒が発動し、泉に力が溜め込まれる。
「私はここに来るたびに魔力を込めるのだ。趣味……いや、習慣のようなものだね。いつか、私が今日込めた魔力が誰かの役に立つかもしれないと思うと嬉しくなるのだ」
「教皇猊下、そろそろ……」
「ああ、時間だね」
二人は庭園を後にする。
神聖暦三百年。第一次ディブロ大陸調査から四十四年。
調査を重ねた人類は次の段階へと進もうとしていた。
◆◆◆
神聖グリニアの辺境にあるホテルへとシュウは訪れていた。その最上階の部屋には既に二人の男が待っており、シュウが入るなり音を遮断する魔術が行使される。
「待たせたな『鷹目』に『黒猫』」
「そうでもありませんよ」
「そうか」
シュウは適当な椅子に座り、持ち込んだ資料をテーブルに並べる。その資料は主に地図や建物の設計図で、他にはアゲラ・ノーマンの個人情報もあった。
「早速だが報告だ。俺の伝手を使って探してみたが、奴がどこにいるのか分からなかった。一応はハデス財閥の関係グループが手掛けた魔神教施設の設計図は持ってきた。ただ、この中にはいないな」
「私の方でも調べましたが、この男の情報は驚くほど隠されていますね。まさかこの私ですら掴めないとは思いませんでした」
「なるほど。随分と警戒しているようだね。魔神教としても彼が暗殺されるのは困るんだろう」
「そんなわけだ。流石の俺も居場所が分からなかったら暗殺はできない。この神聖グリニアを消滅させるってなら話は別だけどな」
「それは私が困ります」
事の始まりは『黒猫』がシュウに対してアゲラ・ノーマンの暗殺を依頼したことだった。そこでいつも通りシュウは『鷹目』にターゲットの情報収集を依頼したのだが、その段階で『鷹目』がミスをした。より正確には『鷹目』が雇っている潜入工作員が見抜かれてしまったのだ。
別に工作員が見抜かれてしまうこと自体は珍しくないのだが、アゲラ・ノーマンという男は過剰に反応して一切の消息を絶ってしまった。その後も研究成果は発表されているのでどこかで開発を続けているのは間違いない。魔神教上層部はその場所も把握しているのだろう。だが、『鷹目』が工作員を潜入させられるレベルでは情報を集めることができなくなってしまった。
「それでどうするんだ『黒猫』?」
「僕としては早めにあれを消滅させて欲しいね」
「どうするんだ? 戦争でも仕掛けるか? 多少の混乱があれば調べやすくなるだろ」
「時期尚早だよ。今は神聖グリニアも順調にディブロ大陸を調査している。今はどの国も不満が少ない。寧ろ期待している節がある」
「やはり本格的に七大魔王の討伐が始まってからでないと無理か」
今年で神聖暦三百年となる。
つまり神聖グリニアという国が大陸全土を実質支配し始めて三百年目だ。その記念もあり、四十年以上かけたディブロ大陸での準備を完了させて侵攻を開始しようとしていた。
「どうする? 俺が適当に暴れて失敗させてやろうか?」
「『死神』さん。それでは本末転倒ですよ。直接マギアを滅ぼすのと同じです」
「文句が多いぞ『鷹目』」
「それが契約だったでしょう?」
「分かっている」
かつてシュウは『鷹目』と契約し、神聖グリニアを自滅させる手伝いをすることになった。その代価として情報屋としての彼の力を自由に使って良いことになっている。その力を利用してハデスグループを立ち上げ、その後は銀行業も取り込んで財閥化させた。今やシュウが操るハデス財閥はスラダ大陸経済の多くを占めている。
多くの恩恵を手にした分は仕事をするつもりだ。
これは『黒猫』も同じである。
だからこそ『黒猫』は今までのように街ごと滅ぼしてよいとは言わないし、『死神』も都市ごと消滅させるような暗殺をしない。
当初の約束通り、神聖グリニアが自らの愚かさと高慢によって滅びるように演出する。
そんな制約があるためにアゲラ・ノーマン暗殺に手古摺っていた。
「それならいっそ、ディブロ大陸の攻略を速めてやるか?」
「どうするんだい?」
「やり方は幾つかある。だが効果的なのは黒猫から戦力を送ってやることだ。例えば俺、他には『暴竜』みたいな奴をな」
「そういえば最近は『暴竜』も暇を持て余しているからね。それはいい考えかもしれない。何か丁度いいタイミングでもあるのかな?」
「ああ、半年後に大規模侵攻が計画されている。それも計画主導は教皇だ。顧問としてアゲラ・ノーマンが付いている。相変わらず、姿は見せないがな」
それは『鷹目』も知っていることで、深く頷いていた。まだ一般公表はされていないものの、密かに全世界から強者を呼び集めているところだ。知る人ぞ知る計画である。
当然、『黒猫』も把握している。
「やはり一番近いのはそこだね。応募要綱はどうなっているんだい?」
「たとえば
「では頼もうかな」
「書類はこっちで用意しておく。『暴竜』の表向きの情報はあるか?」
「後日『鷹目』を通して渡すよ」
「わかった」
◆◆◆
アゲラ・ノーマンが完全に姿を隠したのは暗殺を警戒したからではなかった。
その理由は最新鋭技術開発の完全秘匿のためである。
「ノーマン博士、試作型ゴーレム兵に搭載する予定の黒魔晶がハデスから届かないと」
「おや。そうなのですか?」
「はい。ハデス社に問い合わせたところ、特注品ゆえに調整に時間がかかっているらしくて」
「ふむ。仕方ありませんね。あれは最新鋭の魔晶ですし、こちらから更にチューンナップを要望しましたから。しかしこれでは自律AIの最終調整もできない……困りましたね」
アゲラは柔らかな革張りの椅子から立ち上がる。
彼の前には幾つものディスプレイが設置されており、画面にはプログラムデータなどが大量に並べられていた。そしてこのコンピュータと有線接続された
このゴーレムは大型トラックほどもある巨大兵器で、その本体を支えるために多足型になっている。見た目は蜘蛛のようだ。
ここはマギア大聖堂地下に存在する秘密の
そしてここでは一つの兵器で国を滅ぼせるようなものまで存在する。
それゆえ、決して兵器情報が漏れだしてはならない。
以前にアゲラについて探る闇組織の潜入工作員が見つかったことで、これほど厳重な情報秘匿を強いていた。
またこの地下秘密工廠も存在を知るのはマギア大聖堂の司教と教皇だけで、ここで働く者とその家族は聖堂内での生活を強いられる。その代わりに技術職員には最高の待遇を与えられるものの、実質監禁状態での生活に耐えられる者は少ない。それでもマギア大聖堂はこれを強行した。そうしなければディブロ大陸の制覇は難しく、研究成果が漏洩すれば世界が終わりかねない。
尤も、アゲラ本人はこの状況をまったく気にしないどころか、随分と喜んでいたが。
「しかしノーマン博士、黒魔晶とはそれほど調整が難しいものなのですか?」
「あれはブラックホール
「それは知っていますが、魔力を自己圧縮させるという単純なものではないのですか? 物質のブラックホールと同じように」
「ただ情報を閉じ込めるだけならそれで構いませんよ。しかし封入した情報は取り出さなければなりませんから。そこに難しさがあるのです」
「ああ、なるほど。すみません、専門ではないものですから。ノーマン博士は随分と物知りですね」
「研究に必要だから調べたまでのことです」
アゲラという男は工廠の研究員からの絶大な尊敬を受けている。その理由は天才的な発想というだけに留まらず、絶えず勉強しているからだ。発表されたあらゆる論文を読み込み、知識として蓄えている。故に彼の知識は一分野に留まらず、ほぼ全てを網羅しているのだ。とても人間業ではないという意味で『神の頭脳』というのもあながち嘘ではないと陰で囁かれている。
実際、ここで開発されている自律ゴーレム兵もほぼ彼だけで設計したのだ。
「ゴーレム兵……半年後に間に合うでしょうか?」
「間に合わせなければ……難しいでしょうね。計画されている暴食王の攻略は」
そう告げて、アゲラは再び作業を再開した。
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