第208話 ハデス社の提案
マギア大聖堂の奥の間では、ある種の喧騒が巻き起こっていた。
その理由は幾つかある。
しかし最大の理由は、やはりルーメン社の不祥事だ。正確にはその社長の関わった大事件である。
「聖騎士にもルーメン社の杖を愛用している者は多い。これは良くない事態だ」
「我々の見る目を疑うきっかけにもなりますからな」
「それは確かに大きな問題だ。大量の出資を受けているし、その成果を認めてディブロ大陸への遠征同行の権利も与えてしまった。かつてない不祥事だ」
「あの会社の社長を裁いて終わりというわけにはいきませんね」
ルーメンの社長は今や大犯罪者だ。
現在進行形で次々と証拠が発見されており、報道は事実であろうという見解が強くなっている。違法賭博程度なら社長一人の責任にして挿げ替えてしまえば良かったが、黒猫との取引がそれを不可能にした。それも魔石という違法物質の取引である。弁護の余地もない。
まだ取引書類のコピーが見つかっただけであり、魔石を所持している証拠は存在しない。しかし今頃は聖騎士や異端審問官がその確認に行っている頃だろう。もしも見つかれば、ルーメンという企業そのものを消滅させる他なくなってしまう。
「民の信仰にも関わることだ。仕方あるまい。聖騎士にも今後はルーメン製の杖を使わないように徹底しなければならないだろう」
「そこまでするべきか? 少々厳しすぎるであろう?」
「何を言うか! 甘いぞ! これだけの事件を赦してしまえば、神の威光が失われる事態になりかねない。我々は恐怖されようと、正しさを実行しなければならないのだ」
「それで民の心が離れてしまっては本末転倒ではないでしょうか?」
「いいや。ここ最近は教会の教えよりも経済を優先する世の流れもある。この辺りで一度厳しく取り締まるのも悪くはない」
魔神教は古くから人を守る集団と教えであった。
予言の神子を探し出し、その力を使うことで人々を管理する。弱い人々は完全に管理されることで神に忠実な人生を送ることができるだろう。人を守るために聖騎士を配置し、異端を懲らしめ、悪を排除する。
それらが魔神教最高意思の考え方だ。
人々を全て管理するという点においては共産主義の思想にも似ているが、魔神教は経済活動を認めている。その理由は人の向上心というものを認めているからだ。
しかし過ぎた向上心は叛意を生むこともある。
その例が闇組織であり、あるいは今回のような事件だ。
「企業を丸ごと一つ生贄にするおつもりか?」
「雇用の問題もある。そう簡単に潰すわけにはいかんぞ。ルーメンが大企業なだけに難しいところが多いのだ。経済的損失は莫大なものになるだろう。昔のようにすぐ制裁とはいかんぞ」
「そういう甘い顔をしているから信仰を捨てる者も増えるのだ。嘆かわしい」
「だからといって力で押さえつけるだけではいけませんよ。それはかつての大帝国と同じです」
「少し前に嘘を見抜く魔装使いの神官が変死してしまったのが痛いですね」
「暗殺の疑いもあるのだろう?」
「睡眠中の急性心臓麻痺というのが公式見解ですよ」
「待て待て。話がずれている」
マギア大聖堂の司教たちは、聖堂の管理者であると同時に魔神教の最高意思でもある。その最高意思機関が神聖グリニアにあるがゆえに、この国は大陸を実質支配している。各地の聖堂を通して他国に干渉することもできるし、民間企業ならば潰すことも容易い。秘匿技術も複数抱えているし、表向きに公表していない内部機関も存在する。神聖グリニアだけ他の国とは一線を画するという状態になっていた。
つまり世界を自由自在に操ることができる者たちがこの場に集まっているということだ。この場に集まった司教たちが決定し、その上で教皇が認めれば禁呪によって国を滅ぼすこともできる。物理的手段に限らず、世論操作や経済操作によって企業一つを潰すことも難しくはない。
しかしそれらを実行するかどうかは司教たちに依存する。大抵の場合、マギア大聖堂の司教たちはバランスよく右翼、左翼、中立の思想を持つ者が選ばれる。そのため滅多に強権が行使されることはなく、今も議論が重ねられていた。
「やはり社長に制裁を加えて終わりというわけにはいくまい。秘密裏のことならともかく、もう隠しきれないほど広がっている」
教皇や司教たちは唸る。
魔神教が禁じている闇組織との接触というだけでも判断に困る部分がある。特に魔石という禁止物質の取引は絶対に許されない。この時点で社長の処罰は確定だ。しかしそれに加えてルーメンの子会社が闇賭博場の経営に手を染めていたというのが厄介だ。そのせいで責任は一気に広がり、調査も難解になっている。見つかった闇賭博場の顧客名簿も調べて逮捕しなければならない。また他にも何かに手を染めていないか調べる必要がある。
もうルーメンを含む全ての企業グループに教会が手を入れなければならない状況なのだ。
一気に解体するには大きすぎる。
だからといって時間をかければ証拠を消されてしまうかもしれないし、そもそも示しがつかない。
そこが判断に困る部分であった。
「これを機にどこかが買収して下されば……経済損失を最低限にしつつ調査を進められるのですが」
「買収した企業に協力要請という形を取ればいいわけだからな。しかしそんな物好き企業があるとは思えないがね。今回の件で買収額は大きく下がっただろうが……」
「ルーメンの技術を吸収できるという付加価値はあると思いますから、オークションにでもかけましょうか?」
「ふざけている場合か!」
「私は至って真面目なのですが……」
「小規模な企業なら買取主を偽装してこちらで処理するという手もあったが、あれほどの大グループとなると数か月と運用できん。我々の資金も無限ではないのだ。その点ではオークションというのも悪くないかもしれんぞ」
「あるいはルーメンの特許を配布するというのはどうだ? その代わり、関連部署を買い取らせるのだ」
「どれだけ特許があると思っている! 手続きに何年もかかるぞ!?」
彼らの中に焦りもあるのだろう。
中々意見がまとまらない。
教皇は眉間に皴を寄せながら口を閉ざしており、そのせいで余計に進まなかった。こういった時は全ての最終決定権を有する教皇に委ねられるべきなのだが、その教皇が動かない。いや、下手に動けない。
(できればもう少し情報を集め、議論したいところですが……)
昨夜、ディブロ大陸にいるリヒトレイから秘匿通信が届いた。
その内容は大きな成果を上げたこと、そして成果を持ち帰るために帰還を求めること、また自分たちが構築した臨時の港を維持するための追加人員を送ることであった。
教皇としては早くそちらに着手し、一刻も早く増援を送らなければならない。
今回の不祥事だけに注力する暇はないのだ。
タイミングが悪いとしか言いようがない。
教皇がそんな風に胸の内で口を零した時、不意に通信機が鳴った。司教たちは一斉に議論を止めて音の源へと注目する。彼らは魔神教における最高意思であり、緊急の用件が知らされる場合に備えて会議中でも通信機が使えるようになっていた。
「少し、静かにしてください」
教皇はそう断ってから通信機を入れる。
すると備え付けられたスピーカーから畏まった報告が聞こえてきた。
『会議中のところを失礼します。ハデスグループから急を要する連絡が参りまして……』
「ハデス、ですか?」
意外そうな表情を浮かべたのは教皇だけではなかった。
この緊急用の通信に一般企業からの連絡が通されることはまずないと言っても良い。ましてこんな状況であれば、尚更あり得ない。
司教の中には苛立ちを露わにしている者すらいた。
(とはいえ、無視もできませんね)
相手は緊急の連絡だと言った。
気性の穏やかな教皇は素直に許可を出した。
「一体、何ですか?」
『はっ! 実はハデスグループ社長の使いと名乗る方がいらっしゃり、ルーメン社の買収を検討していると言われまして……』
「それは本当ですか!?」
教皇だけでなく司教たちも色めきだった。
期待していなかったことだけに、転がり込んでくれたチャンスだと認識する。司教たちは無言で頷きつつ、要請を受けるべきだという視線を送った。それを受け取った教皇も頷き返し、口を開く。
「分かりました。こちらに連絡してくださったのは配慮なのでしょう。会社の所有権を持つポルネウス元社長はこちらで捕まえていますからね。罪状が確定したら彼の資産を没収し、ハデスに売り渡すとお伝えください。また詳細を詰めるため、近い内に召喚するとも」
『そのようにお伝えいたします』
まさに天からの助け。神の導き。
この大問題がすんなりと解決してしまったことで拍子抜けなほどだ。彼らは心から感謝する。その導きが絶対の敵対者たる冥王や『鷹目』によってもたらされたのだと知らず。
◆◆◆
マギア大聖堂の奥の間は、高位神官たちの働く場であると同時に聖騎士の詰め所でもある。特に最高位の聖騎士は別の地域に派遣されない限り、この場所で待機する。
このスラダ大陸では強力な魔物がほぼ全て退治されており、Sランク聖騎士ほどの者が動くことはめったにない。そんな経緯で暇を持て余したSランク聖騎士の一人、シンクは鍛練所で一人剣を振っていた。
「……ふっ! ……ふっ! ……ふっ!」
規則正しく息を吐きだし、同時に剣を振り下ろす。
師であるハイレインが到達した極の一閃へと近づくため、基本の型をひたすら練習していた。もはや練習の必要などないほど美しく振るわれているように見えるが、シンクからすれば満足がいかないらしい。額から玉のような汗が流れていることも気にせず、剣を振り続けていた。
『剣聖』シンク。
それが彼に与えられた称号である。だがシンクにとって剣聖とはハイレインのことであり、自分の剣技がその域に辿り着いていないことから引け目を感じていた。
(だめだ。まだ師匠の剣には届かない)
刃を真っすぐに立てて、上から下へと降ろす。
最も単純な振りだ。
その鋭さは音からも察することができるほどで、充分に一流だと言える。
しかし超一流には届かない。ハイレインの見せた世界を置き去りにするような斬撃と比較すると天地ほども開きがあるように思えてしまう。
(いや、雑念は捨てなければ。斬る。それだけを思い浮かべないと)
剣に鋭さが増す。
一切のブレもない、滑らかで速い斬撃こそ追い求めるものだ。空気すら刃が通り抜けたことに気付かぬような、本物を目指す。ただそれだけを思い浮かべる。
彼は目指すべきものがあるだけまだ良い。
先を駆けたハイレインはシンク以上の努力を積み上げたはずだ。先の分からないものを目指し、きっと『ある』のだと信じて進み続けた本物の剣聖に近づかなければならない。
そんな意思を込める。
(――これだ)
ほんの僅か。薄皮のように僅かな進歩があった。
シンクは今までのものよりほんの少し鋭くなった剣技に満足する。この日々の小さな進歩を繰り返し、やがてハイレインに辿り着くのだ。幸いにも覚醒したことで寿命は気にする必要がない。
魔装の剣を消し、今日の修行を終わらせた。
「終わりましたか?」
「っ! セルア様、いたのですね。声をかけて下されば良かったのに」
「あまりにも集中していたものですから」
シンクに声をかけたのはセルア・ノアール・ハイレン。『聖女』とも呼ばれる聖騎士である。元はファロン帝国皇女だったが、国が『王』に滅ぼされたことでその肩書も過去のものとなっている。
「何か用事ですか?」
「教皇様より伝言です。次の大陸遠征は私たちが行くことになりました」
「意外と早いですね」
元からシンクとセルアが次に行くことは決まっていた。聖なる刃、聖なる光は共に魔力崩壊という現象を引き起こし、魔物に対して特効となる。この二人ほどディブロ大陸の調査に向いている聖騎士はいないだろう。
だが二人は切り札でもあるため、第一次調査ではリヒトレイが送られることになった。よって出番は数か月以上先のことであったはずだ。
「理由は聞いていますか?」
「リヒトレイ様が帰還されるそうです。向こうで大きな成果を手に入れたとか。これはまだ極秘ですが、古代人の生き残りを発見したそうです」
「なるほど。それは帰還を優先するわけですね」
「ですからシンクも準備をお願いします。出立は第二次船団の準備が整う三日後です。私の分は今カノンが用意してくれていますから、シンクも」
「分かりました。すぐに行きます」
シンクはセルアと共に鍛練所を後にした。
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