第207話 不祥事


 リヒトレイはこの遠征についての認識に危機感を覚えたのだろう。

 改めて全員を集め、ディブロ大陸遠征の意義とリスクを述べた。やはりと言うべきか、魔神教と一般企業ではこの遠征に期待していることが違う。

 教義のために魔物を滅ぼし、人を守るというのが魔神教だ。ディブロ大陸への進出もその一つとなる。一方で企業はディブロ大陸を新たな市場として見ている。スラダ大陸が安定したお蔭か人口も爆発的に増加しつつあり、企業としては今すぐにでもフロンティアが欲しい。増加する人をディブロ大陸へと移し、新たな需要を発生させることで資本強化を図ろうとしているのだ。

 魔神教は何百年もかけてディブロ大陸を平定しようとしている。

 企業はすぐに大陸が欲しい。

 この思想の対立があった。



「――というわけだ」

「へぇー。そんなことになっていたんですねー」

「魔神教の言い分が正しい。今はな。例の豚鬼オークの集落でもリヒトレイの奴が撤退で精一杯だったみたいだから、現段階の戦力ではとても敵わない」

「もしかして『王』が?」

「可能性はあるな。俺が君臨する妖精郷と同じ現象が起こるわけだ。『王』の魔力で配下が強化されるのは実証済みだ」



 豚鬼オークやそれに属する魔物は害獣として有名だ。

 その理由は食料を食い漁るからである。畑を作ればイナゴのように押し寄せて食い荒らし、城壁で囲った街にすら入り込もうとする。とにかく食い意地の張った魔物なのだ。必要とあらば同族食いすらすると言うことでも知られており、魔神教は食糧難の危機を回避するため優先的に討伐した過去もある。そういった経緯からスラダ大陸ではほぼ絶滅した種だ。



「豚鬼系の『王』がいるとすれば、意外と近いかもしれないな」

「どうかするのです?」

「エリュトとかいう果実も気になるからな。妖精郷で育てられそうなら採取するのもいい。とはいえ、ここの座標も記録したから転移でいつでも来れる。後でもいい。それより、先にハデスを立ち上げた本当の理由を果たさなければな」



 ハデスグループは情報収集と金集めのために設立したわけではない。

 また今回のディブロ大陸への遠征は本来の目的を果たすために利用されているに過ぎない。単騎で魔物の集落に突撃し、『王』と戦いを繰り広げるのは面倒を招くだけだ。『王』と『王』の戦いが大惨事を招くことはファロン帝国で思い知ったのだから。



「そろそろエレボスも邪魔なルーメンを没落させてくれている。もう少しソーサラーリングの有用性を教会連中にも見せたかったが、充分だろ」

「杖を時代遅れだと認識させたら成功ですよね?」

「ああ」



 この段階で冥王の……そして『鷹目』の計画に気付ける者はいないだろう。

 ディブロ大陸への第一歩が、終焉への第一歩であることを人類はまだ知らない。






 ◆◆◆






 情報メディアの発達は文字媒体から始まっている。

 元は魔神教の聖堂がそれぞれの街で公開していた掲示板だ。地元の犯罪者情報の他、魔物が出没する危険地帯、危険道路を告知していた。しかしだんだんと情報は多く集まるようになっていき、各地の聖堂だけで整理して公開するのは困難となっていく。そこで魔神教は情報部ともいうべき部署を独立させ、営利組織に変えてしまった。それを倣って一般人も情報を売り物にするという事業を始める。

 これが現代のメディアの成り立ちだ。

 時代は進んで文字媒体から電波放送ラジオ映像放送テレビが主流となりつつある今、あらゆる情報が瞬時に公開されてしまう。

 たとえ嘘に塗れたものであろうと、それらしい証拠があれば真実として報道されてしまう。



「馬鹿な! そんな馬鹿な話があるか!」



 ルーメン社の社長室に怒声が鳴り響く。

 秘書の男は肩を震わせ、しかし声を絞り出した。



「社長……この通り、証拠まで公開されています」

「私はそんな所に行った覚えなどない! こんな……こんな違法賭博だけじゃない。どんないかがわしい店にも行ったことはないぞ!」



 始まりは有名人を中心にスキャンダルを集めることで収益を伸ばしている雑誌だった。

 『魔術系企業の老舗、ルーメンの社長が賭博!?』

 そんなタイトルの雑誌は瞬く間に売れ、多数の市民に知れ渡ることになった。魔神教との付き合いも古く、魔術師を養成する教育機関にも多数の杖を卸している大企業のスキャンダルだ。食いつかないわけがない。

 社長のポルネウスは怒りを露わにしながらデスクに拳を打ち付けた。

 同時にもう片方の手で例の雑誌を握り潰す。



「それだけじゃない。この賭博場をルーメンの子会社が経営していたことになっている! 指名手配されている犯罪組織の幹部と密会している写真まである! それに加えてあの黒猫と取引をした証拠だとぉ!?」



 彼はもう一度、拳を振り上げてデスクに叩きつけた。



「ふざけるなああああっ!」



 実をいえば黒猫との取引……つまり『白蛇』との取引は事実だ。それによって魔石を手に入れた。癪だが認めるしかない。

 しかし子会社に賭博を経営させていた上に、そこに参加して裏社会の人間と面会していたなど記憶がないにもほどがある。雑誌に掲載されている写真を見ても信じられなかった。

 だがこうして報道されてしまえば負けだ。

 巻き返しようがない。

 ポルネウスはこれが捏造されたものであると分かっているが、それを見た者はそう思わないだろう。



「社長がこのようなことをしていないのは私がよく知っています。我が社の顧問弁護団を招集し、現在は時系列を重視しながら無実の証明を始めています。どうか落ち着いてください」

「そんなものは当たり前だ! 私は無実だ! 嵌められたんだ! だから裁判にも勝てる! だがその間に落ちてしまう我が社の評判はどうする? どう挽回する? ただでさえあのハデスの女社長を調子に乗らせているというのに!」

「な、何とか致します!」

「さっさと行け!」

「は、はい」



 秘書は駆け足で社長室から出ていった。ポルネウスの気迫に耐え切れなくなったのだろう。

 礼もなく出ていった秘書に憤慨しつつ、彼は皮張りの椅子に腰を下ろす。



「おのれ……裏切ったな『白蛇』……」



 唯一の真実たる闇組織・黒猫との取引。これだけは誤魔化すのが難しい。なぜならポルネウスのサインを記してしまっているからだ。筆跡鑑定をされたら、間違いなくポルネウスのものであると断定されてしまう。

 そしてこれが真実であるために、裏賭博の件も真実であるとみなされてしまう。

 由々しきことであった。



「おのれ、おのれぇぇ……」



 今ならば憎悪だけで人を殺せるだろう。

 それだけの怨念を発していた。

 怒りは収まらず、何度も何度もデスクへと拳を振り下ろす。彼の力で頑丈なデスクが破壊されることはないが、その度にデスク上の小物が揺れ、あるいは倒れた。

 だが丁度その時、デスクに置かれていた電話が鳴る。その合図の音ですらポルネウスには煩わしく感じられた。見れば発信先は会社の受付だ。叩きつけるように応答ボタンを押し、怒鳴りつける。



「何の用だ! 私は今忙しい! 来客ならまた今度に――」

『しゃ、社長! 聖騎士の方々がいらっしゃいました!』

「なっ……」



 用件は言われずともわかる。

 ポルネウスはその場で崩れ落ちた。






 ◆◆◆






「あらあら……もうここまで落ちぶれたのね」



 ハデスグループ社長のエレボスは笑みを浮かべながら呟く。

 彼女の前には小さなテレビが置かれていた。今朝発売の雑誌で報じられたルーメン社長不祥事について、緊急特集が組まれている。まだ憶測の部分も多いが、ここまで大きく報じられてしまってはルーメン社も終わりだろう。



「やることが本当にえげつないわね」

「それほどでも」



 エレボスの声に応じたのは『鷹目』であった。

 彼はいつもの怪しい格好ではなく、スーツできっちりと決めていた。



「『白蛇』との取引資料はともかく、他は捏造なのでしょう? すぐに判明するんじゃないかしら?」

「問題ありませんよ。他にも証拠を揃えています。そちらの証拠は別のメディアが調べ始めた時に判明するよう仕込みました。勿論、一番初めに雑誌へ情報提供したのは私ですよ」

「アフターケアも完璧というわけね」

「情報操作の基本ですよ」

「その情報操作のせいであなたのところに辿り着かれたりはしないわよね?」

「当然です」



 電波で情報のやり取りをすることも増えてきた現代において、かつて『鷹目』が猛威を振るった転移もそれほど有用とは言えない。遠距離になればまだ転移の方が有利だが、国内の事情であればメディアの情報力も充分だ。

 そこで『鷹目』は情報の扱い方を中心に活動するようになった。

 各国や魔神教のメディアを通じて情報操作するという手法を思いついたのである。この方法の利点は善人を犯罪者に、犯罪者を善人へと塗り変えることができることだ。多数の市民が多くの情報に触れるということは、その情報について議論できるということである。国家上層部が決定したことを鵜呑みにしていた時代とは異なり、民も賢くなっているのだ。教育が行き届いているとも言える。

 だが、こうして市民が情報を知るということは世論が生じるということである。時に世論は国王の決定すら凌駕し、国家の方針ともなり得るだろう。独裁色の強い国ならば世論を無理やり抑えることもできるが、その場合は強い反発を生む。

 文明的な国家であるほど、世論は強くなる。

 今回の件もこれを利用したのだ。



「それよりもエレボスさん。ルーメンを買収する準備を進めてくださいよ?」

「ええ、今日の夕方にある重役会議で提案するわ。これから落ちぶれるであろう会社だから反対されるかもしれないけど……」

「お任せください。その辺りの資料も持ってきました」

「あら、準備がいいのね」

「それはもう。私は『鷹目』ですから」



 気味が悪くなるほどの先読み。

 それが『鷹目』という男の怖いところだ。

 彼は手持ちのカバンから一つのバインダーを取り出し、エレボスに渡す。それを開いて中身をチェックすると、ハデス社がルーメンを吸収した場合の試算結果が示されていた。幾つもの条件分岐によって試算結果は複数出されている、そのほとんどで利益になると記されている。また損失を被る可能性のある流れについても記述されており、それさえ見ておけば回避は難しくない。

 つまりハデスグループによってルーメンとその関連企業をすべて買収してしまうことを否定させないだけの材料が揃っていた。



「これで例の計画も進みますか?」

「ええ。我らが神の御意志が成就されるのも間もなくですわ」

「私の計画でもあるんですが……」

「人間という種は上面だけの進化を喜び、その裏に隠れている退化に気付かない。何と完璧な計画。彼らは百年後か、二百年後に気付くでしょう。全てを失っていたことを後悔しながら」

「聞いていませんねこの人」



 冥王と『鷹目』の立てた計画は、着実に進行している。

 人類が過ちに気付くのは遥か未来のことだろう。






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