第206話 古代人の目覚め


 シュウたちが会議していた頃、アイリスは古代人の側にいた。彼女は風の魔術を得意としているが、他にも治癒系の魔術を使える。その関係もあって、医療チームに付き添っていた。



「体温の上昇を確認しました。脈動も検知。冷凍睡眠状態から睡眠状態への移行を確認」



 古代人には様々な機器が取り付けられ、目覚めが試みられている。

 アイリスは何かあった時のために備えている。



「っ! 指が動きました!」

「糖液と生理食塩水注射を。それと毛布を増やして体を温めてくれ」

「はい!」



 代謝活動を促進するための処置を施し、とにかく体温を上げる。

 これが今できる治療だ。

 そもそも冷凍睡眠状態など理論上可能であろうと言われているだけで、実現した技術ではない。医療チームスタッフも正直困っていた。魔術という摩訶不思議な技術がなければこんな無茶な復活をさせなかった。

 しかし冷凍保存技術が優秀だったのか、この古代人が頑丈なのか、どちらにせよ復活は上手く行っているように見えた。



「先生、だめです、注射針が入りません」

「なにぃっ!? どういうことだ?」

「針が折れてしまって……」

「仕方ない! 魔術で補助を!」



 治癒魔術の中には肉体にエネルギーを補給するプロセスが存在する。このプロセスがなければ、治癒に必要なエネルギーが賄えないからだ。本来ならば直接傷口にエネルギーを注ぎ込んで治癒したいところだが、魔術の特性上、肉体を一度介する必要があるため仕方ない。

 だが逆に言えばこのプロセスを抽出することで栄養失調状態の人間を即座に治癒することもできる。

 アイリスは医者の言っていることを即座に理解し、魔術を施した。

 肉体を活性化させるためのエネルギーが注ぎ込まれていく。

 また古代人の身体が動いた。



「あ……」



 そして瞼を開く。

 古代人が目を覚ましたのだ。



「すぐに連絡してくるのですよ!」



 アイリスはテントを飛び出し、シュウの下へと駆けていったのであった。






 ◆◆◆






 アイリスの報告を受け、シュウは急いで医療テントに向かった。当然のようにリヒトレイ、クリエラ、スーリヤ、アルケイデスも付き添っており、目覚めた古代人に興味津々といった様子である。

 例の古代人はベッドの上で身体を起こし、医者とコミュニケーションを取ろうとしていた。



「今はどうなっている? そいつの体調は問題ないのか?」

「ああ、あなたでしたか。先程からコミュニケーションを試みているのですが、やはり言語が違うようで……しかし体調の方は良好だと思います。心音も体温も驚くほど安定していますし、今日一晩だけ様子を見て退院で良いでしょう」

「分かった。なら、少し替わってもらえるか?」

「どうぞ」



 医者は一歩下がり、シュウが古代人の前に立つ。

 古代人は黒髪を七三に分けており、真面目な好青年という印象だった。肌は病的に白く、シミ一つない。またこれだけ白いにもかかわらず血管は全く見えず、注射をするには高度な技術と経験が必要となるだろう。

 そのせいか、人間味がないという印象を覚えた。



「……ka katei diek ziek hga aiehtii?」

「何を言っているのか分からん」



 これでは古代人の名前を聞くのも難しい。

 古代の言葉といえど、今使われている言語の原型であるがゆえに少しは理解できるのではないかと期待していた。しかし発音からはまったく原型を感じることができない。これは困難な道のりになると実感させられるだけとなった。

 リヒトレイも進み出て言葉をかける。



「我々の言葉が分かりますか?」

「流石に無理だと思うんだが」

「どうにかして敵意がないということや、協力を願いたいということを伝えたいですね」



 この古代人は貴重な証言者だ。また古代の知識を持っている可能性が高い。何としてでも協力を得たいというのはシュウも理解できた。

 しかし言語が分からない以上、話しかけたところで無意味である。



「ひとまずは絵か何かでコミュニケーションを取るしかないと思う。それか思念をやりとりする魔術か魔装はないのか?」

「本国に連絡して探させましょうか」



 そうしている間に、古代人は周囲を見渡しつつ何かを考えているような態度を見せた。そしてシュウの方を見て口を開く。



「言語、は、通じますか?」

「は?」

「私の言い方、合っていますか? 言語を伝えること、可能、となっていますか?」

「今の一瞬で学習したのか……?」



 この驚くべき事態を前に一同は言葉を失っていた。

 先程までは確かに理解不可能な言語を使っていたし、状況から考えても現代のグリニア語を話すことはできなかったはずだ。つまり、シュウたちの会話を解析することで瞬時に言語を会得したと考えるべきである。

 信じられないことだが、それ以外にはあり得ない。



「……これは予想外ですが、好都合ですね。早速話を聞きましょう。これだけの理解力があるのならば期待できます」

「君たちは、私に問うべきことがある?」

「まだ微妙な表現の差異がありますが、それもすぐに直るでしょうね」



 リヒトレイはひとまず医者に目を向ける。

 それは許可を求める合図であり、察した医者は縦に頷いた。



「話を聞く程度なら許可も下りました。早速ですが、聞きたいことがあります。まずはあなたについていろいろと教えてください。私はリヒトレイ・ヒュースという者です。聖騎士という身分にあります」



 まずは自己紹介からだ。

 おそらく固有名詞を羅列したところで理解はされないと考え、リヒトレイは最低限のみを告げた。だが古代人は少し戸惑ったような表情を浮かべた後、数秒ほど間を空けて口を開く。



「私はアゲラ・ノーマン。nhumaを駆除するのが私の使命です」

「それはいったいなんですか? よく聞き取れなかったのですが」

「ふむ。言い換えるとすれば、劣る者、害獣、などの意味でしょうか」

「もしや魔物の……いえ、それは後で良いでしょう。つまりあなたは戦う者だったということですか?」

「それは正しい」



 既にこのアゲラは覚醒魔装士だったことが分かっている。そのため、戦闘に従事していたということは初めから予想できていた。

 ここまでは彼が言語を使いこなしているかをチェックする質問でしかない。



「では、なぜあなたは眠っていたのですか?」

「……それは私の記憶の中に答えがありません」

「そうですか。ではあなたの仲間はどうなったか知っていますか?」

「仲間?」

「同族、目的を一つにする集団、といった意味ですね」

「なるほど。では私には多くの仲間がいた、ということになるでしょう。しかしどうなったのかは分かりません。記録も連絡もないからです。私は私の仲間を知ることができない」

「ふむ、感知できないということのようですね。しかし何も知らない、ですか。最後の戦いの記憶はありますか?」

「私は仲間と共にnhumaと戦い、その途中で肉体を破損させました。回復を実行しているとき、記録が中断されています」



 未だに言い回しが分かりにくいが、その意味は伝わってくる。

 凍結状態で封印されていたこととも矛盾しない。



「おそらくは回復のために永い眠りに就いていたのでしょうね。シュウ殿はどう思われますかな?」

「覚醒魔装士は不老だとして、ゆっくりとした肉体の回復と意識の遮断をすれば……だが……」

「どうかされましたか?」

「いや、なんでもない」



 シュウが気になったのは本当に傷を負ったから眠っていたのか、という点である。確かにリヒトレイの予想も理に適っている。しかし、先に報告された赤い果実エリュトの存在が気になった。

 魔力を構造化して蓄積できるという性質を応用すれば、治癒魔術を蓄積することで超回復を実現させることも夢ではない。死んでいない限り復活可能というふざけた性能も目指せる。

 そして今よりも技術が進んでいた超古代において、それがなかったとは思えない。

 偶然切らしていた、その時代にはエリュトが存在しなかった、などの理由付けは可能だが、エリュトに限らず即時復活可能な魔術があっても不思議ではない。現在ですら死者を蘇生させる光魔術が存在するのだから。

 そこだけは疑問だった。

 とはいえ、何の証拠もない予想であるため、今は口を噤んだ。



豚鬼オークたちの集落の件もありますから、やはり彼を本国に移送するためにも一時帰還を考える必要がありますね」



 元々、神聖グリニアに援軍要請をすることは決まっていた。

 そして援軍の到着と同時に豚鬼オークたちの集落に攻め入るか、取りあえずの成果を持ち帰るかの二択を考えていた。エリュトと古代人という成果があるのならば、第一次遠征としては充分といえる。これ以上をと欲をかいて全てを失っては元も子もない。

 このディブロ大陸は未知の世界だ。

 リヒトレイは四百年ほど生きる覚醒魔装士であり、まだ人類がスラダ大陸すら制覇していなかった時代をよく知っていた。未開の地の危険性も心から理解していた。

 彼は最近の世論を見て思う。

 人類は危機感を忘れつつある、と。

 下手に神聖グリニアが大陸を実質統一し、安全を確保し、大陸の隅々まで調査してしまったことが仇となっている。いや、これ自体は素晴らしいことであり、何一つ責める余地のない偉業だ。一方で民の多くは戦うことを忘れ、魔物の脅威を軽視するようになりつつある。特に都市部の人間は、魔物を歴史の授業で習うものとしか見ていない。

 こうしてリヒトレイが提案する一時帰還に不満気な表情を浮かべる者が多いという現状が、それらを物語っていた。



「……どうやら不満な方が多いようですね」

「僭越ながら、あれだけ投資してあっという間に帰ってしまうのは如何なものかと」



 先の会議でのことを引きずっているのだろう。

 アルケイデスは遠慮なく不満を漏らす。

 しかしSランク聖騎士に配慮しているだけで、本音はもっと調査を深めるべきだと考えている者が大多数であった。既に成果を出したハデスとオルハの中にすら、それを思う者はいる。寧ろ北に遺跡、東にエリュトの果樹園や魔物集落を発見したところなのだから、調査したいという気持ちは他よりも大きい。



「私は慎重になることを提案します。このディブロ大陸の危険性について、私たちは何も分かっていない。無茶をせず、少しずつ解明するべきです。そもそも、初めから住んでいたスラダ大陸の制覇ですら何百年もかかったのです。技術の進歩があるとはいえ、海を隔てた大陸を短期間で制覇するという想定はあまりにも甘い」



 静かでありながら力の込められた言葉に、一同は――シュウやアイリスは除く――肩を震わせた。

 だが容赦なく彼は続ける。



「この大陸を焦土にしてしまうだけならば、我々……つまりSランク聖騎士を含む上位の聖騎士を全員投入し、禁呪や魔装による総攻撃によって成し遂げられるでしょう。しかし、一切合切を消滅させた不毛の大地で何をすると言うのですか? 具体案があるのでしたら述べてください、アルケイデス殿」

「そ、それは……」

「我々はディブロ大陸を滅ぼすために来たのではありません。制覇し、再び人類の生存圏とするためにやってきたのです。まずは地盤を固めることこそが重要。そのために技術力に富んだ一般企業の方々を招いたのです」



 神聖グリニアも出資による恩だけで各企業を遠征に伴わせたわけではない。大陸最高クラスの技術者たちを先んじてディブロ大陸へと送り込み、早急に基盤を確立するためだ。

 必要以上の調査をするぐらいなら、前線基地として建設されたこの港を固める方が優先される。



「皆さんは忘れているようです」

「……一体、何を?」

「この遠征は第一次。続く第二次、第三次があります。そして本国はこの計画を百年単位で想定しているということを今教えておきます」



 本来、これは機密にされるべきことであった。

 長く魔物と戦い、スラダ大陸に平穏をもたらした魔神教だからこそ出した結論だ。まして七大魔王がいるとされるディブロ大陸平定にどれほどの年月がかかるのか、それは予想もできない。だが予想できないなりに、数百年はかかるであろうという心積もりでいた。

 一般からすれば寝耳に水の話である。

 この人類躍進の時という甘言に惑わされていたとも言える。

 だが、まだ人という種が弱小であった頃をよく知るリヒトレイはこう言いたいのだ。『少し、調子に乗っているのではないかね?』と。



「私たちは先人の苦労を目の当たりにしています。それを忘れてはいけませんよ」



 リヒトレイは強く警告する。

 ここに集まった者たちはただ黙ることしかできなかった。





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