第205話 赤い果実


 ひとまずは立て直しと防衛強化。

 そこに落ち着いた。

 また南を探索中のカーラーンが帰還し、改めて会議が開催され、情報共有が行われた。



「なるほど。それは危惧すべきことですね」



 カーラーン代表のスーリヤは非常に困ったという分かりやすい表情を浮かべている。実をいえば南側には何も見つからず、戻ってきたらとんでもない事態になっていたという状況なのだ。困惑も無理はない。

 一通りの状況報告が完了し、リヒトレイは改めて口を開く。



「そういえば、まだ北についての報告を受けていませんね。成果があったということは聞いていますが」



 豚鬼オークの件で有耶無耶になっていたが、まだシュウからの報告はされていない。流石にリヒトレイには概要が知らされているらしいが、周知はされていなかった。

 シュウは一斉に注目される。



「この際だから報告しておいた方がいいか。こちらは古代の遺跡を発見した。居住用の区画と研究用の区画は確認している。もう少し探索したかったが、奥で重要なものを発見したから帰還を優先した。休眠状態にあった古代人だ。しかも覚醒魔装士の可能性が高い」

「なっ!?」

「落ち着きなさいアルケイデス殿。シュウ殿、続きを話してくれますかな?」

「続きといっても、これ以上は特に。ただその古代人は封印されていたから俺が解除した。今は医療施設で目覚めるのを待っている。覚醒魔装士の生命力を考えれば、目覚めないということはないはずだ」

「なるほど」



 これは追随を許さないほどの大発見だ。

 仮に古代人が目を覚まし、意思疎通が可能となれば大きな進歩となる。これからの大陸征服計画も躍進することだろう。

 流石に言語が異なると予想されるので楽観はできないが、期待は大きい。

 リヒトレイは続いてクリエラに話を振る。



「ではクリエラ殿、例の果実についても報告を」

「そうですね。ハデスの方の報告を先に聞いてしまうと見劣りするかもしれませんが」

「果実? 豚鬼オークが育てていた果実のことか?」

「はい。実は幾つか持ち帰り、食用に適するかどうかなどの検査をしておりました。幸いにも我が社は錬金術師が豊富ですから、成分分析も得意です。その結果、驚くべき特性を発見したのです」



 そう言って彼女は一枚の資料を配る。

 赤い果実の写真、成分表、そして魔力特性が簡潔に記されている。なぜ果実に魔力の性質が、という疑問が浮かぶ。しかし、これこそが新発見の果実について取り上げた理由だった。



「この果実……仮称ですがエリュトと名付けました」

「ちなみに由来は?」

豚鬼オークたちがそう呼んでいたのです。この果樹を指さしてエリュト、と。もしかすると『守れ』などの意味だったのかもしれませんが、何を言っているのか分からなかったのでおいておきましょう。赤い果実、では分かり辛いですからね」

「それもそうですね」



 クリエラは仮称と言っているが、これが正式名称になることは間違いない。大抵の場合、新種の命名権は発見者に与えられるものだ。東の調査隊はクリエラが責任者の一人であったことに間違いなく、果実の名前は今後もエリュトで固定されるだろう。

 尤も、シュウはそんな名称など気にすることなく資料に目を通す。

 そして驚くべき特性に思わず声を漏らした。



「何? あり得るのか?」



 そんな驚きを声にしてしまったのは仕方のないことだった。

 同じく知識人たるアルケイデスやスーリヤも驚愕を己の内側に留めることができなかったのだから。



「これは驚きました」

「事実なのですか? いや、事実なのでしょうね」

「驚くのも無理はありません。この果実に魔力……いえ構造化している魔術すら蓄積する性質があるなんて荒唐無稽にも思えるでしょうから」



 物質に魔術を留めること自体に不思議はない。

 術式を物質に固定する魔道具もあるのだから。

 ただ、魔道具の場合は物質そのものに魔術を留める力がないため、外側から固定するための細工をする必要がある。例えば術式のガイドを刻み付けたり、単純に魔力場によって固定したりと様々だ。少なくとも物質に魔術をかけると自動的に魔道具になったりはしない。色々と面倒なプロセスが必要となる。

 しかしこのエリュトはそのものに魔術を固定できるだけの仕組みがある。より正確には魔力を蓄積できる性質なのだが、その蓄積はあまりにも正確過ぎた。つまり魔力によって形作られている構造体すら、そのままの形で付与できるのだ。

 非常に非効率だが、爆発する果実、電撃を放つ果実、といったものも作れてしまう。

 しかしこのエリュトの真価が別のところにあることは明白だった。



「治癒魔術を付与すれば、常識を覆す治療薬に変化します」



 クリエラはそう主張する。

 人体の治癒は魔術の中でも難しい部類に入る。まず魔術を人体に作用させるという時点で難しい。どんな人間でも体内に魔力を保有しており、それが阻害してしまうからだ。ただしこの阻害は人体側が自身にとって有害であると判断しているためにおこる現象だ。人間の体が負傷した時、どんな重傷でも体内では治療する方向に動き出している。治癒魔術はそれを助けるように発動するため、人体は阻害する必要がないと無意識で誤認・・してしまうのだ。

 しかしある意味で裏技のようなものであり、術式にはやはり繊細さが求められる。

 これが治癒魔術における常識だ。

 だが、これは他者によって治癒されるときの常識である。自分自身を治療するときは、体内魔力による干渉を無意識的に除外するため、治癒魔術はスムーズに実行されるのだ。尤も、軽傷ならばともかく、重症を負った時に繊細な治癒魔術を発動するのは困難だ。

 その点で、エリュトは革新をもたらす。



「エリュトの性質は魔力とその構造体の保存です。単純に魔力を保存させれば魔力回復薬になりますし、治癒魔術を付与すれば治療薬として期待できます。なぜなら、体内からの干渉であれば自分自身による治癒の発動だと誤認・・されますから」

「なるほど。エルベチャフ博士の実験ですね?」

「よくご存じでしたねスーリヤ殿。そうです。エルベチャフ博士は体内に治癒魔術を発動させるための媒体を埋め込んだ動物を負傷させ、その媒体による魔術の発動で治癒ができたと報告しています。それを利用した改造兵士を提案し、危険思想人物として投獄されたのは記憶に新しいでしょう」

「体内からの魔術発動なら本人の意思であると誤認・・される理論ですね。あれも確か条件が色々と厳しかった気がしますが」



 エルベチャフという理論提唱者はこれを利用した不死身兵士や人間爆弾を提案したことで教会勢力に目を付けられ、投獄された。しかし理論そのものは魔術学問を進歩させるものとして公表され、その後の実験で誤認・・に必要な条件も少しずつ解明されている。

 後の研究から人体を意図的に破損させる魔術などは無意識のフィルターに引っかかってしまい、誤認されないということが分かっている。不死身人間はともかく、人間爆弾などは初めから無理だったのだ。

 シュウも何かの役に立つと考え、この理論については認知していた。



「たしか人体の代謝活動を拡張した程度の魔術ならフィルターに引っかからず、誤認させることができるんだったな? 理論上はあらゆる病気をも治癒することができるとか」

「細菌やウイルス性のものは必ず。遺伝的な病気や老化に伴う病気も条件によっては完全な治癒が可能で、少なくとも進行を遅らせることはできるようですね」

「おや、リヒトレイ殿もご存知でしたか」



 クリエラは意外そうな表情を浮かべる。

 教会の最高峰聖騎士がそんな学術的分野にも興味を抱いていたことが予想外だったのだ。

 しかしこれは意外でもなんでもなかった。リヒトレイは苦笑しながらそれを口にする。



「私たちも病気と無縁ではありませんからね。遺伝子病や老化に伴う病気はともかく、伝染病で死んでしまう可能性もなくはありません。こういった情報は収集しているのですよ」



 最強と呼ばれる聖騎士たちが病気であっけなく死んでは魔神教も困るのだろう。

 人類の生存域の広がりに合わせて、これまでは見つかっていなかった動物や虫を媒介とする伝染病も広がってしまうことがある。またSランク聖騎士の仕事上、秘境に赴くことも少なくはない。病気とは無縁でいられないのだ。

 ここで話が逸れてしまったことに気付いたのだろう。

 クリエラは資料を軽く叩きながら話題を戻した。



「それでこのエリュトなのですが、早めに持ち帰りたいと考えています。栽培方法を研究し、量産することができれば……」

「なるほど、それは良いことです」



 先程シュウが報告した古代人の発見も素晴らしいものだったが、エリュトもそれに負けない可能性を秘めている。ただエリュトは果実であるため、栽培するとしても年単位での実験や検証が必要となる。長期的な計画になってしまうが、価値は計り知れない。

 というより、この二つの成果だけで第一次調査は大成功だ。

 最低限の防衛戦力を残し、一時帰還しても良いほどである。



豚鬼オークの件もある以上、成果を持ち帰る必要がありますね)



 リヒトレイの決断は早かった。

 というよりも、当たり前の判断であった。



「本国と通信し、増援を要請します。そして増援到着を待って帰還します。古代人とエリュトを必ず持ち帰らなければなりません」



 この決定は納得できるものだった。

 しかしアルケイデスはそういうわけにもいかない。あれだけ社長から成果を出せと言われていたにもかかわらず、ルーメン社として出した成果は何一つない。だがここで調査を続行しようと主張できるだけの理由もない。

 だが何も言わなければ流されるだけだ。

 ただでさえアルケイデスはこの会議に呼ばれこそすれ、発言権などないようなものなのだから。覚悟を決めて息を吸ったその時、彼はその覚悟を打ち砕かれた。



「シュウさん! 大変なのですよ!」



 アイリスがテントに駆けこんできたのだ。

 彼女は悪名高い魔女と同じ名前にもかかわらず、誰からもそれを問いただされることはない。尤も、こんな場所に魔女がいるなどと思うはずもないし、そもそも『あなたは魔女ですか?』と聞くのは失礼極まりない。

 そんな理由で、彼女はシュウの側近魔術師として知られていた。このテントに駆けこんでくるのは宜しくないが、相応の理由があれば認められるだけの地位があった。



「どうしたアイリス?」

「大変なのです! 目覚めたのですよ!」



 目覚めた。

 ハデスの一員であるアイリスが目覚めたというならば、それは一つしかない。



「古代人が目を覚ましたのですよ!」



 当然、会議は一時中断となった。






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