第196話 海上の恐怖


 ハデス、オルハ、カーラーンによる魔物避けの緊急開発はすぐに各船で伝わった。

 船の周辺に電流の網を形成することで魔物を接近させないという単純で非効率なシステムだが、それを効率化するために三社の技術を融合させたのだ。

 ハードウェアの作成をするオルハ、船のシステムに組み込むカーラーン、そしてメインシステムを構築するハデス。それぞれの得意分野を活かし、即席ではあるが確実な装備を開発していた。

 しかしその開発に参加させてもらえないルーメンは面白くない。



「アルケイデスさん、まるで取り合ってくれません」

「こちらの技術を提供するという旨は強く推したな?」

「ただでさえコストの高い防衛システムになるから、出力強化なんか付けてられないと」

「くっ……」



 それが正論だけにアルケイデスは頭を抱えた。

 ルーメンの誇る技術は杖に搭載されている魔術の増幅だ。しかしこの技術は何もないところからエネルギーを生み出しているわけではなく、余計に魔力を使うことで実行している。つまりできるだけエネルギー効率を高めようとしている魔物避けに取り付ける機構ではない。

 またルーメンも増幅器以外の技術を保有しているが、それらは他の三社の劣化版と言わざるを得ないものであり、やはりルーメンが開発に参加する意味はない。



「こ、このままでは……」



 アルケイデスは身震いする。



「このままでは社長にどんな目に遭わされるか」



 技術部統括官としての立場は剥奪されるだろう。その知識を活かすために技術部に残ることはできると思われるが、もはや何の権力も与えられないに違いない。そして今後の昇進はなくなる。



「そもそもハデスは常識外れだ!」



 彼の叫びは虚しく部屋に響く。

 この場にいた数名の技術者たちはただ黙っていることしかできない。常識外れ、という言葉がどういった意味なのかを聞くこともできない。

 だがアルケイデスは勝手にその先をも口にする。



「その場ですぐに大規模な魔術処理を行うなど……くっ……そんなものに敵うわけがない」



 これまでの魔道具は一つ一つ魔術を付与して特別な処理をする必要があった。物質に対して魔術陣を定着させるのは簡単ではない。

 機械で例えるならば、大量のギアやネジを手作業で組み合わせ時計を作るようなものである。

 つまりこれまでの魔道具作成は職人技だったのだ。

 しかしハデスはそれを覆した。

 あらゆる魔術を実行する総合的システム、魔晶が全てを変革した。魔晶に組み込まれているオペレーティングシステムはストレージに電子プログラムされた魔術を全て発動することができる。魔術陣に合わせて調整をする必要がない。全ての魔術陣を魔晶だけで実行可能なのだ。

 魔晶のオペレーティングシステムに対応した魔術アプリケーションならば、必ず発動できてしまう。

 ルーメンによる技術力の高い製品は、もはや汎用性という革命の前に時代遅れの化石となりつつあるのだ。



「し、しかしアルケイデスさん。確かにここは我々の技術の使いどころはないかもしれません。しかしディブロ大陸で拠点を築くときには必ず我々が……」

「そんなものは一時的だ。教会は我々の技術が時代遅れになりつつあると気付く。きっと……いや、間違いない。もう戦いは始まっている」



 およそ二百年前に蒸気機関が産業革命を引き起こし、手作業による生産から機械工場生産へと移り変わっていった。

 同様に魔晶は魔術や魔道具開発において革命となり、一部の魔術師だけの技術であった魔道具の作成がやはり工業化する。なぜなら一つ一つ付与が必要だったこれまでとは異なり、ストレージに保存された電子データ術式は容易にコピーが可能なのだ。また魔晶さえ搭載すれば、コピーした術式データでも魔術を起動できる。

 今回の場合も本体であるハードウェアさえ八つ作成すれば、内部の魔術式はコピーするだけで八隻全てに搭載できるようになる。

 ルーメンに出る幕はない。



「何とか、何とかしなければ我々の立場は無くなってしまう……」



 しかしいくらアルケイデスが悩んでも、それが解決することはなかった。






 ◆◆◆






 船の周辺に電気の網を張って魔物を遠ざける装置は無事に完成し、開発が始まって翌日には船への取り付けが始まっていた。



『四番艦への設置も完了しました。システムも無事に起動しています』



 通信によってその報告が流れ、艦橋にいる航海士や聖騎士は安堵の息を漏らした。

 現在は技術者によって全ての船に装置の取り付けが行われており、また同時にシステムチェックも行われている。そして今完了した四番艦で五隻目であった。

 ここまでは順調である。

 このまま全ての設置が完了すれば、即座にエンジンを始動させてまたディブロ大陸を目指す。

 流石に航行しながらの設置工事は無理だ。昨日魔物の群れに襲われたばかりであるため、早期にその海域を離脱するべきという意見もあった。しかし航行中の工事は事故の危険性を招き、出資してくれた企業から技術者を預かっているという名目上、危険な真似はさせられない。

 再び魔物に襲われる可能性を考慮しつつ、海上に停止して作業は行われていた。



「あとはこの一番艦を含めて三隻か……早く終わってくれ」



 この一番艦の航行における全ての権限を与えられた男、アイボリー艦長は虚空に向かって呟く。

 特に誰かに向かって話しかけたわけではなかったが、背後にいた聖騎士が答えてくれた。



「もしもの時があっても守ってみせますよ。そのために私たちが配置されているわけですから」

「ははは。心強い」

「いえ。不安にさせて申し訳ないほどです」



 聖騎士は誠実で真面目な男なのか、自分たちの実力不足を恥じていた。

 しかしそれを笑ったり侮ることはない。アイボリーは苦笑しつつ自嘲する。



「私も今回のために百時間ほどの沿岸航行を行っただけの素人。お飾りのようなものだよ。それに比べて君たち聖騎士は心強くも私たちを支えてくれている。自信を持ってくれ」

「はい!」



 アイボリーとこの聖騎士は父と息子ほどの歳の差がある。

 相変わらず艦橋では緊張の監視体制が続いていたが、この二人の間には僅かな緩みがあった。いや、一瞬の安らぎと表現した方が正しかったかもしれない。

 なぜなら、これはすぐに断ち切られてしまったのだから。

 突如として船が大きく揺れる。



「なんだ!?」

「うあああああああ! 沈む! 沈むのか!?」

「また魔物が襲ってきたのか!」



 艦橋にいた航海士だけでなく、聖騎士までもが慌てふためいている。

 それも当然だ。船は転覆するのではないかと思うほど大きく揺れていたのである。左右前後上下と立体的に揺れる船の上でまともに立っていられる者は一人としておらず、アイボリーも床に打ち付けられて全身が痛んだ。

 しかし艦橋はまだマシな方で、甲板で魔物を警戒していた聖騎士たちは一瞬にして海に飲み込まれてしまった。

 ミシミシと嫌な音が艦橋内部で響く。



(まさか……この音は!)



 大型船は嵐に直面した時、壊れるのではないかと不安になる軋みを上げる。

 しかしこの音はそれとはまた違うとアイボリーは感じていた。ジワジワと圧力をかけられ、船そのものが歪んでいくような、そんな気がしていたのだ。



「総員! 退避を――」



 どこへ逃げるというのだろうか。

 だがアイボリーは反射的にそう叫んでしまった。

 次の瞬間、一番艦は底部から裂け、瞬時に真っ二つとなって沈むことになった。






 ◆◆◆






 他の船から見た沈む一番艦は異様であった。

 ディブロ大陸調査隊というのが名目ではあるが、その実情は遠征である。用意された八隻の船は戦艦と評しても間違いではない装備であった。海の経験値が少ないために充分な装備ではないという専門家の指摘こそあったが、神聖グリニアは魔物との戦闘にも耐えうる船であると判断したのだ。

 しかし、その船が今、沈んでいた。



「まさかこれほどとは……」



 リヒトレイはその光景を眺めつつ難しい表情を浮かべていた。

 一番艦は船体下部に食い破られたような穴が開いており、そこから海水が流入して沈んでいる。幸いにも他の七隻は距離をとって待機しているので、沈没の際に生じる引き込むような海水の流れには囚われずに済んでいた。

 しかし安堵することはできない。

 一番艦に異変が起こった直後に見えた海中の巨体。

 角度によって七色に光る鱗を持った水龍系の魔物だった。その見た目から先に襲ってきた水龍系魔物の上位種であることに違いない。ただ、大きさが桁違いであった。



「リヒトレイ様! いつの間にか魔物に囲まれています!」

「分かっていますとも。どうやら我々が感知できない深海で包囲網を構築し、浮上してきたようですね。装備が整っていないのはどこですか?」

「例の装備が間に合っていない船は……はい、六番と八番です」

「私がいきます。新装備のシステムチェックまで終えた船は軌道を維持しつつ応戦しなさい」



 七色に光る鱗を持つ巨大龍を虹鱗竜宮レガリカス

 またそれに従属する大量の水龍を離宮龍カレイド

 名称の決定した新種に対する防衛戦が始まった。







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