第194話 海の魔物


 調査隊の航海において最も懸念されたのは海の魔物による襲撃である。

 地上の魔物はほとんど駆逐しつつあるが、やはり海は未知の世界であった。漁も沿岸部でしか行われず、遠洋に出ても命の保証はない。

 生態も特徴も分かっていない魔物が多いとすら言われている。

 そのため、船を守る聖騎士や教会所属の魔術師たちは緊張していた。



「なぁ、今海面に黒いものが出てこなかったか?」

「どこだ?」

「さっきあそこに見えたんだ」

「魚じゃないのか?」



 聖騎士の一人が確認しようと、船のへりから身を乗り出して海を覗き込む。しかしその行為が命取りとなった。

 海面から飛び出してきた何かに喰われ、海へと引きずり込まれたのである。共にいた聖騎士ですら反応できないほど一瞬のことであった。

 全てを目の当たりにしていた聖騎士は一瞬茫然とした後、慌てて叫ぶ。



「魔物だ! 一人やられた!」



 戦いは唐突に始まった。






 ◆◆◆






 魔物の接近にはシュウとアイリスも気付いていた。

 あっという間に警告音が鳴り響き、聖騎士たち戦闘態勢へと移行する。当然、技術者たちを守るために同じ船に乗っていた『穿光』のリヒトレイも動いた。



「船は囲まれています。雷系の魔術や魔装で迎撃しなさい」



 すぐに魔物の数を数え始めるも、現れたり潜ったりを繰り返しているので詳細が掴めない。

 しかし何度も姿を見たことで、敵の姿は確認できた。

 赤、青、緑、黄など様々な鱗を持つ細長い体だ。見た目は蛇のようでありながら、頭部は蜥蜴の特徴が強く出ている。また鱗と同じ色の細長い髭が二本あった。



「気を付けろ! 船から身を乗り出したら喰われるぞ!」

「あれは水龍系の魔物か?」

「とにかく数が多い! 一体ずつ仕留めていくぞ」



 聖騎士たちはそれぞれ魔装を使って魔物に攻撃を仕掛けてくる。

 しかし水の抵抗により、潜ってしまった魔物に対しては攻撃が当たらないのだ。水の粘性は想像よりも大きく、大抵の魔術は海面から少し下までしか届かない。《大隕石メテオ》のような大質量攻撃なら別かもしれないが、そんなものを放てば船も転覆してしまう。

 地道に海面に上がってくる魔物を仕留めるしかない。



「我々も協力します」



 そう言って各企業に雇われている魔術師たちも応戦し始めた。

 特に魔術系企業のハデスとルーメンは専属の魔術師を雇い、開発した魔術装具のテスターとしている。この二つの企業に属する魔術師たちは、常に最新の魔術装具を使っているのだ。

 またこの戦いは聖騎士に対するアピールでもある。

 我が社の製品こそ最高である、ということを見せつけるのもこの遠征における各企業の目的だ。

 まずはソーサラーリングを装備したハデスの魔術師たちが電撃魔術を放つ。風の第三階梯《雷撃砲サンダー・ショット》を元にした電撃魔術で、海の魔物には効果的である。



「無駄撃ちはするな。狙えないと思った時はいっそ《大放電ディスチャージ》を海中に放て!」



 シュウは技術者としての立場だが、一応はハデス代表ということになっている。

 こうなった時の指揮も任されていた。

 また今回の遠征においてはハデスグループの技術力を見せつけるという意図もあるので、専属魔術師に与えられたソーサラーリングのストレージには第八階梯まで込められている。また術式展開能力も最大であるため、ほぼ瞬時に発動可能だ。

 ハデスの魔術師たちは電撃魔術によって魔物を痺れさせ、海面に浮き上がらせる。

 それを見たリヒトレイはチャンスとばかりに魔装を発動した。



「消えなさい」



 魔装の槍を掲げた瞬間、光が降り注いだ。

 太陽光を圧縮した熱光線が次々と魔物を貫き、仕留めていく。

 流石はSランク魔装士と皆が称える。また同時にソーサラーリングの魔術発動速度にも感嘆の声が上がっていた。

 一方で焦ったのはルーメンの技術者たちである。

 特に技術部統括官のアルケイデスはこの流れを不味いと感じていた。



(このままではハデス優位になってしまう……)



 ルーメンが雇っている魔術師たちも杖を使って魔術を放つが、それほど役に立っているわけでもない。確かに魔術は増幅され、強力になっている。しかし海中に潜む魔物には届かず、結局はハデスの魔術師のお蔭で海面に浮かんできたものを仕留めるだけだ。またそれもリヒトレイの熱光線の方がまだ役に立つ。

 またソーサラーリングは術者の技能に関係なく、魔力さえあれば自動で術式を構築してくれる。今までのように魔術師個人の技能に依存しないという強みがある。すなわち、ストレージに術式データさえあればどんな属性の魔術も扱えるのだ。

 一方で杖は魔術をそのまま増幅させるだけであり、扱う魔術は魔術師が会得しなければならない。



「こ、攻撃を! 早く攻撃してください!」



 アルケイデスは専属魔術師たちに命じる。

 魔術師たちも次々と詠唱するが、そうしている間に魔物は海に潜ってしまう。また詠唱破棄で発動できる程度の魔術を使ってもあまり効果はない。如何に増幅していようと、低位魔術では魔物の鱗が弾いてしまう。

 船団を囲む魔物の数は非常に多く、数十から百程度はいるだろう。

 しかしその内、ルーメンの魔術師が倒した魔物はほとんどなかった。



「お待たせしました。結界を発動します。いったん魔術攻撃を停止してください!」



 カーラーンが派遣した技術者たちのリーダー、スーリヤが拡声器で勧告する。

 この遠征に使われる船団はオルハが建造したが、その装備はほとんどカーラーンが手掛けている。その中の一つが船を守る結界である。ハデス製の魔晶を利用した機械展開の魔術であり、魔術師以外でも魔力供給さえすれば発動できる。

 それが発動したのだ。

 八隻の船にそれぞれ結界が発動し、全ての準備が整う。



「お願いします。リヒトレイ様!」

「うむ。宜しい」



 こうして攻撃を止めてまで結界を張ったのは、リヒトレイの禁呪による余波を無効化するためだ。詠唱と同時に晴天の空へと魔術陣が描かれていく。

 やがて空は曇天へと移行し、積乱雲を形成した。

 その内部に電気エネルギーを蓄積し、一度に放出する魔術。

 アイリスも得意とする風の第十一階梯《龍牙襲雷ライトニング》が発動し、巨大な雷柱が天と海を結んだ。






 ◆◆◆






 ルーメン本社の社長室で次の会議の資料を閲覧していたポルネウスの下に、一本の電話がかかってきた。目だけを動かして通信相手の表示を確認すると、ルーメン社受付となっている。



(面会客か? しかし今日は……いや……)



 彼は通話ボタンを押す。

 すると聞きなれた受付嬢の声が聞こえてきた。



『お忙しいところを失礼します。社長に面会希望のお客様がお越しになっておられます』

「何と名乗っているのかね?」

『はい。ラビットフット社の使いで、企画三号について契約書を持ってきたと』

「……? あ、いや、そうか。すぐに通してくれ」

『かしこまりました。社長室までご案内いたします』



 一瞬だけ何のことか分からなかったポルネウスも、すぐに思い出した。

 忙しさのあまり忘れていたが、今の使いの名乗りは符合だったのだ。



(そうか。ようやく)



 一息ついた後、ポルネウスはデスクの上を片付ける。

 資料をひとまとめにしてファイルに挟み、散乱していたペンを引き出しに収納する。それから立ちあがって近くに設置されている姿見の前に立ち、身嗜みを整えた。

 これは社長としての癖であり、客人と面会する前には必ず行っている。

 そうして準備を整え、着席してから暫く。

 社長室の扉をノックする音が響いた。



「入ってよろしい」



 許可を出すと同時に扉が開かれ、正装をまとった男が入ってきた。

 そして男は入室すると同時に懐から小さなクリスタルの置物を取り出し、軽く触れる。



「何をしている?」

「これは音を部屋の外に漏らさない魔道具ですよ。仕事柄、必要ですので」

「そうか」

「順序が逆になりましたね。私が『赤兎』です。本日は『白蛇』との契約のために使いとしてやってきました。報酬は用意されていますか?」

「勿論だ」



 ポルネウスはデスクの鍵付き引き出しを開けて、中から小さな箱を取り出した。

 それをデスクの上に置く。



「中に口座を開くカードが入っている。勿論、奴が指定した報酬額が入っている口座だ」

「ではこちらを『白蛇』にお届けします。報酬が確認されれば、また私が例のものを持ってきますので、それまでお待ちください」

「どの程度かかる?」

「数日の内にはお届けしましょう。前日までに『鷹目』から連絡が通されるはずです。符合もその時にお伝えすることになるでしょう」



 『赤兎』は箱を預かり、逆に机の上へと封筒を置いた。

 それをポルネウスは開けて中に収められていた書類を確認する。



「……うむ」



 書類は『白蛇』との契約書であった。

 二枚組になっているそれぞれにサインして、一枚を『赤兎』に渡した。このもう一枚は『白蛇』の方に持ち帰られる。闇の組織だからこそ、しっかりとした契約は必要なのだ。

 契約の証拠は残ってしまうが、一般にはバレなければ良いだけの話。むしろ闇組織を相手に口約束だけで契約する方が危険である。



「では私は失礼します」

「ああ、頼む」



 一礼して、『赤兎』は出ていった。







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