第191話 ハデスとルーメン
神聖歴二百五十六年、神聖グリニアはディブロ大陸への遠征を宣言した。五年以上前から水面下では計画が進んでいたので噂にはなっていたが、改めて発表されたことで国民は沸き上がった。
緋王と不死王を討った発表以来のお祭り騒ぎだ。
しかし必ずしも全ての人間が喜ぶわけではなかった。
「アルケイデス君、我が社の前期の売上はどうなっている? 言ってみたまえ」
「は、はい……三割減、です」
「どうしてこんなことになっているのだ? 我が伝統あるルーメン社がこのような無様を晒しているのは何故だ? 言ってみたまえ、技術部統括官アルケイデス君」
言葉で追い詰められたアルケイデスという男はただ冷や汗を流して思考を巡らせる。
営業のことなど知ったことか。私は技術部なんだ。そんな風に言い返したい。しかし相手は社長であり、また社長の周りにいるのは幹部たちだ。アルケイデスは技術部の統括という立場であるため、社内では幹部という扱いである。しかし今だけはそんな立場も足を引っ張る以外のことをしていない。
「ソーサラーリング」
社長の一言でアルケイデスはびくりと肩を揺らす。
「あのハデスが売り出した新型の装具だ。我が社もあのタイプを生産できないのかね?」
「は……しかしソーサラーリングの核となる魔晶はハデスの企業秘密でして、我々も似た物の開発を進めていますが成果は芳しくなく……そもそも特許技術なので勝手に似たものを使うことはできません」
「……解析はできないのかね?」
「いえ、客に扮したスタッフがソーサラーリングを購入し、私のラボで解析しました。しかしあれが魔力の結晶で内部に緻密な魔術陣が組み込まれているということ以外は全く分かりません。特に電子情報を魔術陣に変換する仕組みそのものも理解不能で、正直なところ三世代か四世代は先の機械という結論にいたり……」
「私はそのような説明を聞きたいわけではないのだよ」
ダン、と強くデスクを叩く音が響く。
社長は非常に機嫌が悪く、他の幹部は我関せずを貫いていた。生贄はアルケイデス一人で充分という思いがひしひしと伝わってくる。
恐る恐る、アルケイデスは再び口を開いた。
「……我が社に蓄積された技術は物理的刻印による魔術陣の補助。それだけです。それと同時に金属加工技術のノウハウもございます。しかし電子情報の分野は全く手を付けておりません。今からそれらの技術を開発してもハデスに後れを取るでしょう」
「ちっ……あの生意気な女社長がここまで……」
魔術業界においてハデスグループ社長のエレボスは非常に有名だ。彼女の偉業は全く別の技術だと考えられていた電子技術と魔力技術を融合させたことである。電子計算機と魔力計算機はそれぞれ方式が全く異なっており、別の技術であると考えるのが通常であった。それぞれにメリットとデメリットがあるので競合することもないだろうと言われていた。
しかしそれを覆したのがエレボスである。
彼女は電子情報を魔力情報に変換する技術を発表したのである。つまり計算機としての魔術陣を開発したのだ。ゼロとイチだけで構成された電子情報を展開する新種の
これと同時にエレボス率いるハデスグループは複数の魔術系企業と電子系企業を買収し、それらが蓄積してきた技術を取り込んで新種魔術装具を開発した。
嵐のように到来し、新しい時代を切り開いた女。
それが魔術師たちがエレボスに与えた評価である。
「……まぁいい。幸いにも我がルーメン社は第一次ディブロ大陸調査隊の随伴を認められた。だがこれで終わりではない。ディブロ大陸でも我が社の技術は通用すると見せつけなければならない。ルーメンの杖は取り回しの良い魔術増幅器だ。同じ増幅器を開発するカーラーンは大型高出力の兵器だから競合することはないとして、やはりハデスが立ち塞がる」
そう告げて社長は幹部を見回した。
「実際のところ、ソーサラーリングを完全に理解している者はどれだけいる?」
この問いは実に意地悪なものだった。
ソーサラーリングは革新的過ぎる。確かにハデスは販売と同時に魔術の電子プログラムを可能とするアプリケーションも販売しており、ソーサラーリングの強みを全面的に押し出している。しかしほとんどの魔術師にとっては魔術を半自動で高速処理してくれる装置という扱いだ。
しかし魔術装具の常識である威力の増幅が見込めない。
この点においては魔術の威力を重視する魔術師に受け入れられないだろう。
ただ、高等技術である詠唱破棄による発動を可能とする技術というだけで魔術師は興味を抱く。魔術士業界に与える影響は計り知れない。
ソーサラーリングの本当の価値が分かっていないが故に、計り切れないのだ。
「アルケイデス君。君はソーサラーリングの価値を真に理解していると信じている。その上で我が社が勝ち残るための技術を開発し、提言したまえ。これは遠征から帰還した後で構わない」
「はっ……」
「君はまず、技術者として遠征隊に参加するんだ。そして他社の最新技術を見てこい。これは我が社とハデスの戦争だと思え」
ソーサラーリングの真の価値、すなわち魔術開発の易化に気付かれる前に。その前にルーメンは新たな可能性と技術を提供しなければならない。
それが社長の下した決断であった。
◆◆◆
神聖グリニアの首都マギアは大聖堂を中心に広がる大都市である。かつては最も巨大な建物といえば大聖堂だったが、それ以外にも巨大な建造物が次々と建てられていた。
大聖堂の威厳を保つために建造物の大きさを規制する法律こそあるものの、今や高層ビルが立ち並ぶ。
しかしそんなビルの一つに冥王がいるなどとは誰も思わないだろう。
現在、シュウは保有するビルの最上階に拠点を構えていた。
数日前に『鷹目』からの依頼で暗殺を行ったので、そのままここに居座っていたのだ。
「シュウさん、ご飯ができたのですよ!」
「ああ、少し待ってくれ。もう少しでいいところまで終わる」
シュウは身体が沈むような心地のソファに寝ながら作業していた。
空中に実体投影されたディスプレイをじっと見つめながら、同じく実体化させたキーボードを叩いていたのである。ディスプレイには複数のウィンドウにグラフが映され、また大量の記号が羅列されていた。
「またそのプログラムを組んでいるんですか?」
「ああ。空間魔術と光学魔術を組み合わせた監視システムを作っていてな。ソーサラーリングを発表した以上、これから似たような魔術を作る奴も出てくるだろうし先に作っておこうと思って」
「そんなに必要ですか?」
「下手すれば妖精郷が物理的に発見されるぞ。あそこは太陽光を取り入れるために上空の霧を排除しているからな。空から監視するシステムには弱い。だから俺が……というか、エレボスに運営させているハデスに地図システムとして発表させる。勿論、都合の悪い部分は地図から消すように修正してな」
「それで何の意味があるのです?」
「地図のアプリケーションは有能だからな。そして先駆けて発表すればブランドが付く。そうすればほとんどがハデス製を使うようになる。世界の秘密も俺たちがコントロールするってことだ」
そう言いながらも作業を続け、保存して中断した。シュウは首に装着している飾りに触れる。すると実体投影されていたディスプレイとキーボードも消えた。
「それ、便利ですねー。私も欲しいのですよ」
「こいつは賢者の石をコアに使った特別製だからな。魔晶を使ったグレードダウン品ならアイリスも持っているだろ? そもそもアイリスは使いこなせていないから渡す意味がない」
「酷いのですよ!?」
「事実を言ったまでだ。それよりご飯だろ?」
ソファに座り直すシュウの前にアイリスが皿を並べていき、それが終わると彼女もシュウの隣に座る。
料理そのものは凝ったものではなかったが、美味しそうな香りが充分に漂っていた。
「今日はいいお肉を買ってきたのですよ!」
「中は半生……焼き方も上手くなったな。初めの頃は魔術で短縮調理しようとして炭を量産していたってのに」
「それは忘れてくださいよ!」
本来、シュウにもアイリスにも食事は必要ない。シュウは魔物だし、アイリスも時間操作の魔装と無限魔力でどうとでもなる。
しかし娯楽として二人は食事をとることにしていた。
今や料理はちょっとしたアイリスの趣味である。
二人は食事を進めつつ、テレビを付けた。
神聖グリニアがディブロ大陸への遠征を発表した影響か、大抵の番組でそれについて取り上げている。ディブロ大陸についての歴史的な事実を取り上げたり、今の魔神教の戦力を取り上げたり、注目する部分は様々である。
「あと一か月、か」
「ですねー。ディブロ大陸ってどんなところか楽しみなのですよ!」
「まぁ、俺たちはその気になればいつでも行けたけど」
「それを言ったらお終いなのです」
「まぁ、俺も忙しかったからな。会社を立ち上げたり、それを運営するために妖精郷の奴らを教育したり……ああ、それで見つけた
「妖精郷は人型の魔物が多いからこういうのも頼みやすいですよねー」
「全ては計画のためだ。『鷹目』の依頼のな」
シュウが思い出すのは遥か昔。
かつてスバロキア大帝国が存在していた時代だ。その時、シュウは『死神』として暗殺の依頼を受けた。神聖グリニアという国家の暗殺を。
力を手に入れたシュウは、いよいよ本格的に取り掛かっている。
「ソーサラーリングが普及すれば、いずれは全ての魔術技術を俺たちに頼らざるを得なくなる。あれはよくできた道具だが……人間にとっては毒だからな」
「簡単に高度な魔術が無詠唱で使えるようになりますからねー」
「そのためにも邪魔な会社がある」
「ルーメン社ですよね?」
「ああ、俺たちの目的はそこを潰す。今回の遠征で俺たちも参加し、奴らの売り出している杖が役に立たないってことをアピールする」
「誰にですか?」
「当然、魔神教にな」
シュウは肉にフォークを突き刺しつつ、意地の悪い笑みを浮かべた。
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