滅亡篇 3章・魔の大陸
第190話 ソーサラー・リング
神聖グリニアは世界で最も技術力の高い国家だ。
その理由は魔神教が徴収した技術を管理して国民に還元しているからである。魔神教は大陸中の国家に対し技術提出を求めており、違法な技術が公的に使用されているのを発見すると取り締まることになっている。
神聖暦二百五十六年、首都マギアは高層ビルの建ち並ぶ大都会となっていた。
「ねぇ、決めた?」
「うーん……やっぱりハデス製にしようかな」
「でもずっとルーメンの杖を使ってきたんでしょ? それにハデスのは変わった形よ?」
「先輩はハデス製がいいって推してくれたのよね。だからちょっと気になるの」
ガラスショーケースの前で悩んでいるのは魔術師学生の少女であった。
神聖グリニアは魔装士の育成に限界を感じ、魔術師の育成に力を入れ始めた。これはおよそ百年前から始まっている。現代では教育カリキュラムも安定しつつあり、また魔術師の就職先の中には聖堂も含まれていることからかなり人気だ。
魔装士ほどの才能は必要ないとはいえ、魔術を扱うにもそれなりの魔力が必要となる。また魔装士であっても魔術師を目指す者すら現れ始めていた。それほど魔術の価値が向上したのだ。
「お客様、お困りでしょうか?」
悩む少女たちに店員が話しかける。
店員はにこやかな笑みを浮かべ、また彼女たちの前にある商品を見て悩みを推察した。
「魔術装具をお求めですか?」
「はい。私、今まではルーメン製の杖を使っていたんですけど壊れてしまって。それで新しいのを買いたいんです。でも学校の先輩からはハデス製が凄いと言われて」
「当店でもそのような悩みのお客様はよくいらっしゃいます。差し支えなければ私の方からそれぞれの商品についてご説明させていただきますが」
「お願いします」
「はい。では」
そう言って店員は白い手袋を嵌め、ショーケースを開けた。
まずは枝のような細い杖を取る。杖は樹脂製であり、表面には複雑な魔術陣が刻まれている。その先端には正八面体の金属が埋め込まれており、そこにも緻密な陣が敷かれていた。
「こちらが昨年で創業八十年を迎えた老舗ルーメンの杖です。先月に発売したばかりのモデルとなっておりまして、性能の向上こそ僅かですが軽量化に成功しております。よろしければ持ってみますか?」
「いいんですか?」
「はい。どうぞ」
「あ、軽いですね!」
「金属部分を必要最低限にまで削ることで軽量化した実践向きの増幅器となっております。ルーメン製は伝統的に魔術威力を増幅する製品ですから、これまでは固定砲台であればよいという考え方でした。しかしハデス製の新型が誕生したことでこういった路線を開発したと言われております」
少女たちは杖を軽く振ってみたりとその軽さを確かめる。
そうして満足したのか、店員に返却した。受け取った店員はショーケースへと戻し、続いて別のショーケースを開く。取り出したのは青白い石の付いた指輪であった。
「そしてこちらがハデス製の新型魔術装具、ソーサラーリングでございます。コンセプトは魔術の増幅ではなく精密で高速な術式処理と発動でして、既存の杖とは全く異なります。言い換えれば魔術発動における精密性と速度を実現したものですね。こちらは一般用にグレードを下げたものですが、教会が採用するソーサラーリングは第八階梯魔術を詠唱なしに発動できると言われております」
「そ、そんなにですか!?」
「流石にこの商品はそこまでの性能ではありません。しかし第四階梯までならば詠唱破棄で瞬時に発動可能であると実証されています」
「すごいですね」
少女たちは小さな指輪にそんな性能があるのかと驚くばかりだった。
実際、彼女たちはハデス製の新型魔術装具を求めてやってきたし、噂には聞いていた。しかし正確な性能を知らされたのは今が初めてであった。
そしてこんなことを聞かされては一つ気になってしまうことがある。
彼女たちも魔術師の端くれとして、何故ソーサラーリングにそんなことができるのか疑問があった。
「どうしてそんなことができるんですか?」
「こんな小さな指輪で表面に術式が彫ってあるわけでもないのに」
「実はソーサラーリングはこれ一つで使うわけではありません。購入頂くとこのストレージという腕輪もお付けすることになっております。そして実はこのストレージこそがソーサラーリングの最も素晴らしい部分です」
店員が見せつけた腕輪は、見た目こそ金属製の普通のものだった。しかしその表面には小さな魔術陣が彫られ、青白い石が取り付けられている。
基本的にはソーサラーリングをそのまま大きくしたような見た目であった。
「実はこのストレージに術式を保管することができるのです」
「どういうことですか?」
「ストレージには特定魔術の術式が電子情報で記録されておりまして、ここに座標などの環境情報を入力するだけで自動的に魔術を発動できるようにしているのです。つまり術者の負担は魔力行使と環境情報の入力だけであり、術式を展開する必要がないのです。展開は全てソーサラーリングがストレージから引っ張ってくることで実現してくれます」
「……? どういうこと、ですか? 全然分からないです」
少女たちは首を傾げるばかりだった。
ソーサラーリングが画期的過ぎるが故に、全く理解できていなかった。
「このソーサラーリングの最も優れている部分は、魔術をコンピュータでプログラムできることです。ハデスグループは対応するオペレーティングシステムを開発して公表していますから、一部の魔術師はコンピュータプログラミングによる魔術開発を始めているそうですよ。いえ、魔術師だけでなくコンピュータエンジニアたちも取り組んでいると聞きます」
「つまり、魔術の開発が簡単になったということですか?」
「そうなりますね。ハデス製が画期的と言われている所以です。またコンピュータで入力した電子情報を魔術陣に変換するシステムも素晴らしいと評判です」
「難しいです……」
「えっと、ようするにお勧めということですか?」
「将来は魔術を開発したいとお考えでしたらお勧めです。しかしただ威力の高い魔術を使いたいということでしたらルーメン製の杖がよろしいでしょう」
杖とソーサラーリング。
比べてみれば一長一短に思える。技術的な価値は明らかにソーサラーリングが上だが、使いやすさは杖の方が勝っているだろう。
しかしソーサラーリングは時代を変えるほどの魔術装具だ。
これから魔術の開発が簡単になり、様々な魔術が世に出てくるようになるかもしれない。将来を考えれば選択肢は実質一つであった。
「これを、買います」
少女は小さな指輪を指さした。
◆◆◆
ハデスグループは今年で創立十周年を迎えた若い企業だ。
発足は神聖暦二百四十六年で、初めは小さなコンピュータ関連企業であった。主に電子データを保存するメモリデバイスの開発に力を注ぎ、コンピュータが流通し始めた当時では画期的技術として大いに売れた。ハデスは電子機器に魔術を組み込むことであっという間に小型化を成し遂げ、僅か五年で大企業として君臨したのである。
本社こそ神聖グリニアの首都に置いているが、各国に支社を持つ多国籍企業でもあった。
ハデスはコンピュータの流通に寄与したとも言われ、コンピュータやその他の電子機器を開発している他の企業とも仲が良い。
一方でハデスが台頭したことで潰れそうになった中小企業も多く存在し、それらを吸収することでハデスは一大グループ企業に膨れ上がったのだ。
「本日はお越しくださりありがとうございます。エレボス様」
今やハデスは神聖グリニアになくてはならない企業である。
魔神教もその製品には世話になっており、ハデスグループ社長のエレボスを丁重に出迎えた。それも一介の神官ではなく、最高意思たる司教の一人が。
「カルマン司教、本日は例の出資についてとお伺いしましたが」
言葉は丁寧ながらも威圧的な態度のエレボスは目を見張るほどの美女だ。この世の女が羨望の目を向けるであろうプロポーションに加え、陶磁のように滑らかな肌、そして隠しても隠し切れないと思わせる気品と完璧な女性である。
初めてハデスの社長を見た者は言葉を失うという。
僅か十年で絶対的な地位を手に入れた手腕が天女の如き美貌の女性によってもたらされたものであるという意外性ゆえに、である。
しかしカルマンは慣れたような態度で会話を続ける。
「はい。十二年前、我が国の『聖女』と『剣聖』によって緋王と不死王が討伐されました。そして冥王を撃退したともされています。そして五年前、我々は遂にディブロ大陸へと上陸する準備を進め始めました。ハデスは勿論、オルハ、カーラーン、ルーメンなど名立たる企業に出資していただき、ようやく実を結ぶ時が来ました」
「私たちがしたのは出資と技術提供です。この国に住む者として当然のことをしたまでのこと。しかし時が来たと言われると誇らしく思います」
「はい。そして今回の第一次ディブロ大陸調査隊には、出資して頂いた企業の中で最も貢献度の高い四社にも参加権利が与えられることになっておりました」
神聖グリニアはディブロ大陸へ渡る準備を始めたが、そのためには金も技術も足りなかった。
そこで考えたのが有力な企業にスポンサーとなってもらうことである。当時から神聖グリニアは最先端の国家であり、優秀な民間企業が多かった。しかし企業ということは利益を追求している。そのため多額の献金と技術提供をしろと言っても道理が通らない。
考えた神聖グリニアは貢献度の高い企業に第一次調査隊の参加権利を与えることにした。
エレボスは笑みを浮かべつつ問いかける。
「その話をなさるということは……?」
「はい。ハデスグループには四社の内の一つに選ばれました。特に御社の開発された魔晶は画期的なものとして教皇猊下からも高い評価を得ております」
「我が社の技術者たちも喜ぶことでしょう。私も誇りに思います。ところで我がハデスグループ以外はどこが参加するか決まっているのですか?」
「ハデスグループの他は先程も申しましたオルハ、カーラーン、そしてルーメンです」
「やはりといいますか、大手企業ばかりですね」
「今回は第一次ですから。しかし第二次、第三次となっていけば他の企業にも枠を設けるつもりです。少なくとも猊下はそのように申しておりました」
今回予定しているディブロ大陸遠征はあくまでも一回目であり、神聖グリニアは二回目以降も既に計画している。
そして二回目以降のことを考えるならば、第一回目はこれ以上にない宣伝のチャンスでもある。これが成功すれば、今後も出資しようとする企業は増えることだろう。出資競争という教会にとっては大変嬉しい形に落ち着くであろうことも予測できる。
逆に出資した企業の地位も確固としたものになるのは間違いない。
あの歴史的な第一回遠征に協力し、同行した企業であるというのはハデスにとって最高の宣伝になる。
エレボスは上品な笑みを浮かべた。
「では我々も最高の魔術師と技術者を送りましょう。きっと聖騎士の方々の助けとなるはずです」
「ハデスグループはソーサラーリングを開発されたばかり。このカルマンも期待しております。それで今後の動きですが……」
カルマンは遠征に関係する資料を提示し、説明し始める。
出発予定日、期間、目的、随行する聖騎士などを細かく記したそれの説明が終わる頃には日も沈んでいたのだった。
◆◆◆
マギア大聖堂から車で出てきたエレボスは、そのまま本社へと戻った。もう日が沈んでいるにもかかわらず、彼女にはやるべきことがあるのだ。
見上げるほどの巨大ビルの最上階に社長室が設けられており、彼女はそこに入ると同時に鍵を閉めた。そしてデスクにあるボタンを幾つか押すと窓の内側に鋼鉄製のシャッターが下りる。あっという間に密室となった。
それからエレボスはまたボタンの幾つかを押す。
するとデスク上にディスプレイが投影され、接続中と表示された。
数秒後、画面から声が聞こえてくる。
『……エレボスか。問題でもあったか?』
「営業には何も問題はございません。先週に送付いたしました報告書の通りとなっております。今回はそれと別件で報告がございまして」
エレボスは先のカルマン司教の時とは異なり、非常にへりくだった口調だった。
よく彼女を知る者が聞けば耳を疑うだろう。
しかしこれは通信の相手が彼女よりも上の存在であるということを示している。
『別件?』
「例の遠征です。無事に我が社も選ばれました。他に選ばれたのはオルハ、カーラーン、そしてルーメンです」
『その中だと競合はルーメンぐらいか』
「オルハは金属材料系の企業ですし、カーラーンも兵器会社ですから。それにカーラーンは昨年も我が社の魔晶を大量購入しています。付き合いとしましてはカーラーンが一番です」
しばらく通信相手は沈黙する。
そして三十秒ほど経った頃、ようやく答えが返ってきた。
『今回の遠征を機にルーメンを潰しておくか。大打撃を与えて杖からソーサラーリングに乗り換えるように世間を操作する。ハデスとルーメンで競合するのではなく、これからはハデス一強の時代にするぞ』
「では……」
『俺たちが技術者として遠征に紛れ込む。手配をしておけ。分かっていると思うが二人分だ』
「かしこまりました」
『ハデスは例の計画のために設立した。それを忘れるなよ』
念を押すような言い方に、思わずエレボスは背筋を伸ばす。
そしてはっきりと返答した。
「必ずや、その意に応えてみせます。我らが神、冥王シュウ・アークライト様!」
いいだろう、と一言聞こえてから通信は途絶えた。
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