第183話 冥王と緋王
暴走する緋王は絶大な魔力を誇り、ただ存在するだけで周囲を威圧する。圧倒的な力という言葉を体現した存在だ。
来たばかりのセルアとシンクは地面に伏せてひたすら耐え、動けないグラディオもその圧に苦しんだ。
「まさか、あれが緋王なのですか!?」
予想をはるかに超える存在感に、セルアは打ちのめされる思いだった。
あれを倒さなければならないと思うと手足が震える。今すぐにでも逃げなければならないと心が叫んでいた。
シンクは騎士としての役目を思い出し、セルアの前に立った。
グラディオとの戦いで負った傷も癒えておらず、魔力も回復していない。まともに戦えるわけではないが、それでも戦うためにここまできたのだから逃げるわけにはいかない。
「シンク、一度逃げましょう」
「ですが……逃がしてはくれませんよ」
シンクが目を向けた先にいたのは巨大な樹木龍、
そして緋王シェリーの血液魔力は樹海を侵食しつつあり、逃げ場も徐々に無くなっている。樹海全てが緋王の支配領域になるのも時間の問題だ。
このままでは死が確実。
そう思った時、突如として全ての威圧感が消失した。
「いきなり魔力が噴出したと思ったらこれか」
空から現れたのは漆黒に包まれた冥府の王であった。
◆◆◆
時は少し遡る。
ハイレインからセルアとシンクを託されたシュウは、飛行しつつアイリスを探していた。しかしこの時点でアイリスは大陸の南西端まで飛ばされている。全く魔力を感じられず、正直なところシュウは戸惑っていたのだ。
「あいつ、どこ行ったんだ?」
魔力が消えた場合、それは死を意味する。
しかしアイリスは不老不死なのであり得ないことだ。そうなると次に考えられることはシュウの感知の外に行ってしまったということになる。
そこでアイリスに通信しようと首飾りへと触れようとしたが、丁度よくアイリスから通信が届いた。シュウは首飾りに触れて通話を開始する。すると空中に半透明のディスプレイが表示され、そこにアイリスの顔が映った。
「アイリス、か?」
『あ、シュウさん』
「今どこにいる?」
『多分、妖精郷の近くですねー。転移で飛ばされたのですよ。不死王さんの領域だったので取りあえず移動している所なのですよ』
「一応、気を付けておけ。不死王は消失を確認したが、死んだと決まったわけじゃない」
『このまま妖精郷に帰るから大丈夫なのですよ!』
「そうか……」
『シュウさんが帰ってくるのを待っておくのです』
「わかった」
そう返事をしたとき、大樹が崩壊し始めた。同時に重く深い魔力が放出される。大樹の崩壊は封印の解除を意味しており、すなわち緋王の復活だ。
シュウのいる位置からでもその眷属である
「こっちも緋王が復活した。少々問題を片付けてから戻る。転移も会得したからすぐに帰れるはずだ」
『分かったのですよ』
「ああ、それと――」
お前は方向音痴だからそこを動くな、と言おうとして通信魔術は途切れてしまった。アイリス側から切ったのだろう。
「……アレリアンヌに迎えをよこすように言っておくか」
アイリスは動くなと言っても動く女だ。どういうわけか大丈夫と信じて勝手に動くポンコツ方向音痴である。また通信で忠告したところで意味はないだろう。
こうしてひと段落させた後、シュウは緋王のもとに向かったのである。
なお、後に南西の海で迷子になっている所を妖精郷の
◆◆◆
かつてスラダ大陸は同時期に滅亡の危機を迎えた。
東では緋王が誕生し、激しい憎悪と血液魔法によって数々の都市を滅ぼした。しかしある覚醒魔装士がその身を封印に変え、危機を乗り越えた。
一方で西では冥王と獄王が暴れまわり、強大な軍事力を保有した国家が滅亡した。
そんな遠回りな因縁のある『王』の魔物が邂逅したのである。
「なるほどな。あれが緋王か」
血液魔法を死魔法で消し去り、魔力を吸収したことで周囲の圧力は消失した。
息も絶え絶えといった様子のセルア、シンク、グラディオはようやく解放されたからか、大量の汗を流して安堵していた。
「お前も……お前も私を邪魔するのね!」
「悪いが邪魔させてもらう」
緋王の怒りに呼応して
魔力を吸収する能力を持つ
更にシュウは死魔法で緋王の魔力を奪い取ろうとした。
「っ! この程度!」
しかし緋王は血液魔法により周囲の植物を眷属化させ、シュウに襲いかかった。樹木がまるで生物のように暴れまわり、鋭い枝や根で突き刺そうとする。
ここでシュウは手に入れた転移魔術を早速発動する。
空間魔術とはすなわち時間魔術だ。空間を飛び越えるのではなく、三次元上を移動する。ただし、時間を飛び越えるのだ。本来ならば数秒かかったはずの移動が、一瞬で完了する。
緋王の背後に現れたシュウは死魔力を纏った右腕で心臓部を貫こうとした。
だがそこに血液魔法で操られた植物が間に入り、代わりに死ぬ。また反撃として木の枝が鞭のように迫った。シュウはそれによって弾き飛ばされるかに見えたが、再び転移で回避した。
「うああああああ! うおおあああああああああ!」
「ちっ……面倒だな」
「死ね。消えろ。私の前からいなくなれ!」
狂気と悲哀に支配された緋王シェリー。
彼女の中には魔物に転じてまで復活させた恋人の消滅が深い怒りとして刻まれていた。いや、一言に怒りと表現してよいのか分からないその感情に振り回されていた。
人という生物は魂で思考するが、その思考を受け取るのは肉体である。そして肉体は様々な化学物質を分泌させることで感情を表現している。つまり、その分だけ感情の発露が制限されるのだ。地獄の業火をも凌ぐ怒りすら、感情を表出させる化学反応が消失すれば表現できなくなる。これはある意味でストッパーであった。
しかし緋王は魂だけで魔力の実体を生み出している魔物である。更には普通の魔物と異なり、元は人間であったという強固なアイデンティティを有する。人と同じ感情を抱くと、その感情は人であった時より遥かに強く表れてしまうのだ。
もはや彼女自身ですら感情をコントロールできない。
一人では戻ってこれない。
彼女は封印の果てに狂ってしまっていた。
暴走する血液魔法は大地を侵食し、樹海を飲み込む。血という命を与えられた大地は緋王シェリーの眷属となってシュウを襲い始めた。
「これは……! 流石に不味いか!」
死魔法で命を奪い続けるも、次々と植物が襲ってくる。そればかりか地面からは血管のような模様が目立つ土の槍が飛び出し、シュウを刺し貫こうとする。その攻撃密度は雨を思わせるほどで、回避という選択肢はない。
シュウは死魔法で殺すことで砕け散った土の槍の破片を掴み、即座に立体魔術陣を組み上げた。慣れ親しんだその魔術の名は《
反物質による対消滅エネルギーを炸裂させる神呪級魔術だ。
ふつうはそれを加速魔術で撃ち出すのだが、このような攻撃密度の高い場所でそうすると至近距離で炸裂しかねない。そこで転移魔術を仕掛け、《
緋王は黒く染まるほど高密度な魔力結界で覆われる。ただし、本来の魔力結界よりは小さめだ。一応はハイレインの頼みもあるので、被害を広げるわけにはいかない。
「これでどうだ?」
内部では核兵器数十万発にも匹敵する熱量が発生していることだろう。これが魔術の凄まじいところで、物理現象を理想条件で発動できる。魔術式をしっかりと組めば、理論値通りの結果が生じるのだ。
《
シュウは仕上げとして死魔法により内部エネルギーを殺し尽くした。自身の中へとかなりの魔力が蓄積されるのを感じるが、『王』を殺したにしては少なすぎる。
すなわち、まだ緋王が生きていることを示していた。
「やはり血液魔法で守ったか」
「壊れ、壊れ、て。全部、壊れて、死んで、滅びて!」
「もうまともじゃないな、あれは」
感情コントロールができていないのか、ますます暴走していた。
もはや自我も崩壊しつつあるのだろう。しかし感情に呼応して血液魔法も暴走しており、手が付けられない状況になっていた。再び血液魔法が大地を侵食し、新たな植物まで生み出している。封印されている間に親和性でも生まれたのか、不死属らしくない戦い方でもあった。
シュウは再び立体魔術陣を展開する。
「例の二人も遠くに逃げた……いや逃がされたか。丁度いい」
術式の内容は極小規模魔力結界、加速、加重の三種類。上空から重く速い魔力結界を降り注がせる神呪級魔術、《光の雨》であった。
◆◆◆
セルアとシンクの二人はいつの間にか樹海から遠く離れた場所にいた。遠くと言ってもまだ封印の樹海が小さく見える範囲にはいる。
丁度、空から無数の光が尾を引いて降り注いでいる所だった。
「ここは、どこでしょう?」
しかしそんな位置情報を知るわけもなく、セルアは疑問符を浮かべる。
すると背後から答えは返ってきた。
「樹海から少し離れたところだよ」
聞き覚えのあるその声にいち早く反応したのはセルアだった。すぐに振り返り、その人物を確認する。
そこには思った通り、エンジがいた。
グラディオにやられたと思っていた彼女が生きていた。喜ばしいことである。そして傍らには気絶したグラディオもいた。彼は腹部から大量の血を流しており、エンジはその手当てをしていたのだ。
「御無事だったのですね」
「何とかね。逃げることになったけど、生き残ったよ。何のかんの言って大したやつさ。この私に百年やそこらの修行で勝ったんだからね」
「では、やはり……」
「こいつなりの信念だったんだろうさ。秘めた思いだけは本物だよ。やり方はともかくね」
それはセルアにも納得できるものだった。
グラディオと戦った時、彼は本気で仕留めようとはしていないように感じていた。その気になれば殺せたはずのシンクに対し、ただ問いかけていた。それは何かを確かめるかのようだったと、今になってみれば思う。
「それよりエンジ様、俺たちはどうなったんですか?」
「ああ、そうだったね。私が魔術であんたたちを脱出させたんだよ。あそこからね」
エンジが指を向けた先では、無数の光が雨の如く降り注いでいた。
アディバラを滅ぼした光を彷彿とさせるそれが、暴走する樹海の植物を滅ぼし尽くそうとしている。もしもあの場にいたら、生き残ることはできなかっただろう。
「化け物と化け物の戦いだよ。伝説の緋王がここまでとはね」
「本当に……本当に私で倒せるのでしょうか?」
「さぁね。私も自信がなくなってきたところだよ。緋王と戦っている化け物も気になるけどね」
エンジの疑問は尤もだ。
暴走する緋王は災害そのもので、近づくことすら難しい。そんな災害に災害を以て対抗しているのが何者であるか、非常に気になるところであった。
しかしその答えは意外なところから返ってくる。
「……あれは、冥王だ」
それは目を覚ましたグラディオであった。
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