第180話 最後の封印


 シンクの一撃は地面を割り、異魔手巨人ヘカトンケイルに大きな傷を与えた。ただ腕や仮面のような顔も破壊されてはいるが、両断するには至っていない。

 まだ異魔手巨人ヘカトンケイルは生きていた。

 生き残っている顔に膨大な魔力が集まっていく。魔力を使い切った状態でまだ空中にいるシンクでは回避できない。



「シンク!」

「大丈夫なのですよ!」



 セルアは悲鳴を上げるようにその名を呼んだが、アイリスはその対策もすでに実行していた。シンクでは殺しきれない可能性を考え、禁呪級魔術を準備していたのだ。

 天には暗雲が渦巻いており、間もなく術が完成する。

 しかしその瞬間、雲が二つに切り裂かれた。



「え? あ! ちょっと!」



 アイリスはあずかり知らぬことだが、ハイレインの星喰そらぐいが切り裂いたのだ。慌てて術を再構築しようとするも、また雲が切り裂かれる。

 禁呪級魔術は大抵の場合、自然エネルギーを利用している。魔術による操作で物理的なエネルギーを増幅させ、収束するなどして放つというものだ。そのため緻密な計算によって成り立っている。せっかく集めた雲が切り裂かれたとなっては、それは魔術の破綻だ。

 こうしている間にもシンクは落下しており、また異魔手巨人ヘカトンケイルも魔力を溜めている。

 また一から魔術を形成したのでは間に合わない。



(もう! シュウさんの仕業ですね! あとで文句を言うのですよ!)



 全く以って濡れ衣なのだが、あながち無関係ではない。

 こんなときはだいたいシュウのせいだと分かっている辺り、流石はアイリスであった。

 とはいえ今は文句を言っている場合ではない。仕方なく、時間加速を併用して急速に術式を整えた。上空での大気の流れ、湿度、気圧の変化を加速させることで術を強制的に完成させたのである。



「とどめです!」



 大気が渦巻き、雲がうねる。

 その中心から凄まじい圧力が落下してきた。風を集め、渦を与えながら落下させる風の第十三階梯《地滅風圧ダウンバースト》にも似ている。しかしそれよりも遥かに収束させ、圧力を高めたものだ。

 周囲数キロというあまりにも広範囲を破壊する禁呪はある意味で使いにくく、それを改良して威力を高めつつ発動範囲を狭めることに成功した。

 それがこの禁呪級魔術、《颶號槍トリシューラ》である。

 おおよそ地上では存在しえない圧力と渦は容易に気体をプラズマ化させ、異魔手巨人ヘカトンケイルの胴体を木っ端微塵に消し飛ばした。巨体ゆえに全身を消滅させることはできなかったが、飛び散った破片はプラズマの熱によって炭化し、魔力となって散っていく。



「痛っ……」



 落下したシンクは背中と腰を打ち付け、かなり痛そうである。

 そして崩壊しつつある異魔手巨人ヘカトンケイルの中心部が青白く光り、魔術陣が発現した。その魔術陣から若い女が現れる。ロカ族の特徴である銀髪に様々な飾りを付けており、また服装もかなり薄手だった。

 慌ててセルアがそちらに駆け寄り、守護者アクシルを起こす。



「アクシル様、ですか?」

「う……焦げ臭いわね。グラディオ、今度会ったらお仕置きよ」



 取りあえずは無事のようであり、アクシルも起き上がる。

 その間に腰をさするシンクもこちらに向かってきた。アイリスが引き起こした災害を見て頬を引きつらせながら。



「おい、アイリス……これなんて魔術だよ」

「術は《颶號槍トリシューラ》ですね。アポプリス式魔術を改良したオリジナルなのですよ」

「オリジナルって凄いな」



 現代においてもアポプリス式魔術は軍用魔術として使われている。術式をこれ以上最適化するのは不可能とされているのだ。ただ、オリジナルで開発された魔術も幾つか存在しているため、今ではアポプリス式魔術が魔術の基礎にして完成形であるという位置付けだ。

 その完成系の魔術から学び、新たな魔術を開発するのも魔術師の仕事である。それはシンクもよく知る一般常識だった。ただ、アイリスの魔術はオリジナルにしては威力の高すぎる魔術であるが。



「どうやらあたしを魔物に封じてくれたみたいね。あんたたちが……あら、姫様」

「はい。セルアです」

「久しぶりね。随分と綺麗になったわ……それより、ここはどこなの?」

「西の塔です。すっかり壊れていますが」



 塔は封印の樹海を守るための封印結界の要だ。

 すっかり破壊されているので、これでは封印を張り直すことができない。アクシルは大きく息を吸って、そのまま溜息を吐いた。



「仕方ないわね。即席の陣を設置して……封印の仮止めが必要かしら」

「アクシル様! 封印もなのですが、実は王家の封印を解いていただきたいのです」

「封印を? でもその感じ、もうあたし以外の封印は解いているみたいね。何があったの?」

「はい。グラディオが緋王を復活させようとしています。私たちはそれを止めるために来ました」

「あ、察したわ」



 ロカ族の代表として封印を維持するだけあり、頭の回転も速い。アクシルは全てを理解した。



「緋王を倒すのね。分かったわ。それに他の守護者が封印を解いたのなら異論もないわ」



 セルアはサークレットを外す。

 そしてアクシルが手を翳すと、最後の封印が解かれた。額の紋章が完全となり、次の瞬間セルアの身体から膨大な魔力が溢れる。それが魂という魔術陣に制御され、淡い光となって漏れ出した。

 それを見てアクシルは呟いた。



「まだ眠っているわね」

「眠っている、ですか?」

「そうよ。まだ聖なる光は眠っているわ。完全じゃない」

「どうすれば目を覚ますことができるのでしょうか?」

「実際に使うしかないわ。聖なる光を使いこなし、その身に馴染ませるのよ。姫様の身体は絶大な力を制御するため、今は力を制限しているの。聖なる光を使っている内に、真に目覚めるはずよ」

「分かりました」

「ということは、実戦でいきなり使うのは止めた方がいいかもしれませんね」



 シンクは困惑した様子だ。

 これからすぐに樹海の中心へと赴き、緋王を討伐するハズだった。しかし聖なる光が万全に使えないとすると、それは難しい。

 その間、アクシルは魔術陣を編んでいた。仮だが、封印を復活させるための術式を組んだのだ。あくまでも北と南を繋ぐための最低限の術式だが、それでも封印は機能する。大地が揺れ、術式の通り道である幹線道路も復活した。



「これでひとまず封印は再生したわ。緋王の封印は王家が管理している解樹の鍵で解かれてしまうけど、ロカの封印があれば時間稼ぎにはなるはずよ」

「ありがとうございますアクシル様」

「でもこれはあくまで時間稼ぎ。いいわね? なんなら、緋王が復活する前にグラディオを倒してしまいなさい」

「はい!」



 準備は整った。

 セルアは王家の力を手に入れ、結界も元通りになった。



「行きましょうシンク、アイリスさん」

「はい」

「はーい」



 聖なる光を確かめつつ、三人は樹海の奥へと向かうことにした。






 ◆◆◆






 シュウは死に行く一人の男にとどめを刺すべく、ナイフを振り上げる。

 だがその瞬間、すぐそばの空間が歪んだ。そしてその奥からよく知る男が現れる。



「……『黒猫』か。驚かすな」

「ご苦労だったね『死神』。さっき確認してきたよ。見事なまでの更地だった。報酬の残りはこれだよ」

「それを渡すためにわざわざ来たのか?」

「理由の一つだね」



 そう言って『黒猫』は麻袋を投げ渡した。中には貴金属や宝石が入っている。価値としては都市を滅ぼすに足るものではないが、前金でもっと大量に受け取っているので問題はない。



「で、他の理由は?」

「そこに倒れている剣聖だね。僕は彼が欲しいのさ。今、丁度席が空いている」

「そのコインは……」



 『黒猫』が懐から取り出したものはシュウも持っているものだ。

 つまり幹部の証のコインである。『黒猫』が持っているものは剣と盾が彫り込まれており、そこから『黒鉄』のコインであると分かった。



「ハイレインを『黒鉄』にするのか?」

「そうだね。彼にはその資格がある。何より僕が気に入った。人であるままに、化け物の領域に至ろうとしている彼は貴重な存在だからね」

「だから欲しいと? ここで殺した方が安全じゃないのか?」

「そんなものは君にも言えることだと思うけどね。『死神』」

「……まぁ、それもそうか」



 そもそも危険性でいえばシュウの方が遥かに上である。

 猛者から曲者から危険物まで全てを管理する『黒猫』からすれば今更ということだろう。



「死にそうだが、こいつを生き返らせるのか?」

「僕も色々できるんだよ」



 心臓をナイフで貫かれたハイレインは間もなく死ぬだろう。

 だが、『黒猫』には復活させる術があった。血だまりに倒れるハイレインの傍でしゃがみ、その身体に触れる。すると立体的な魔術陣が発動し、ハイレインの傷を癒した。小さかった呼吸も正常に戻り、初老の剣士は目を覚ました。



「さて、僕は『黒猫』というんだけど、君を幹部に勧誘しに来たよ」

「私は、死んだはず……いえ、治療されたようですね」

「そういうわけだ。僕は君の命の恩人だよ」



 謎の青年『黒猫』の隣に冥王シュウも確認したので、これが夢でないことはすぐに理解できた。ハイレインは体を起こして傷を確かめるが、致命傷だったはずの胸の刺し傷はすっかり消えていた。

 そして青年が名乗った『黒猫』という名はハイレインもよく知るものである。



「あなたがあの『黒猫』」

「君を『黒鉄』として迎え入れたくてね。どうかな?」

「なるほど。私の命は冥王……いえ、『死神』に奪われ、『黒猫』に拾われたというわけですか。確かに力を貸すのは吝かではありません。しかし条件を付けさせていただきたい」

「どんな条件かな? 僕ならば大抵は叶えられるよ」

「私の子孫と弟子を守らせて欲しいのです。緋王を討伐しようとしているセルアと、シンクを。そうすれば力を貸しましょう」

「つまりもう少し時間が欲しいってことかな? それは許可できないね。君は世から消えて黒猫の一部になってもらうのだから」

「ならば私も抵抗させていただきます。それはあなたの望むところではないでしょう?」

「ふむ。そうだね。ならこうしようか」



 予定調和とでもいった雰囲気で『黒猫』はシュウの方を見遣る。

 あからさま過ぎてすぐに察することができた。



「……なんで俺が」

「黒猫の仕事だと思ってくれ」

「俺は暗殺者だったはずだが……まぁいい。報酬は?」

「君の探している空間魔術について。特に亜空間生成法なんてどうかな?」

「何?」

「あくまでも基礎的なものだけど、これを渡そう。報酬としては充分じゃないかな?」



 『黒猫』が見せたのは指先ほどの大きさの青白い立方体だった。

 魔石にも似ているが、かなり形が整っている。



「この中に術式を入れておいたよ。これでどうかな?」

「分かった……アイリスと一緒にいた男と女のことだなハイレイン?」

「……どういうつもりですか? あの子たちを殺そうとしておきながら」



 あっさりと手の平を返すシュウと『黒猫』には疑いの目を向けざるを得ない。どこまで黒猫の仕業なのか分かっていないが、少なくとも簡単に味方だと受け入れることはできない。

 だが『黒猫』は仮面のような不気味な笑みを浮かべた。



「僕の目的のため、あの皇女には死んでもらう必要があった。けど、君が手に入るならそれは些細なことだよ。それに『死神』は僕の依頼で仕事しているだけだからね。別の仕事を依頼すればいいのさ。『死神』も皇女の殺害に拘っているわけじゃないだろう?」

「まぁな。報酬がある限りは働いてやる。望む報酬ならな」



 シュウはグラディオから空間転移に関する魔術を手に入れたが、これによって亜空間を生み出す術式を手に入れたことになる。特に亜空間生成は道具の持ち運びに便利なので、自作せずとも得られるなら多少の手間は惜しまない。

 渡された立方体に魔力を流し、術式を開く。

 すると立体魔術陣が展開された。

 一通り確認した後、それは閉じられる。



「確かに受け取った」



 シュウは地面を軽く蹴る。

 そうして宙に浮いてどこかへと消えていった後、『黒猫』はハイレインを手招きした。



「君はこっちだ」

「ですが……私も……」

「心配する必要はないよ。全て『死神』……いや、冥王と魔女に任せるといい」

「どういうことですか?」



 ハイレインとしてはすぐにでもセルアとシンクの下に駆け付け、解決に協力したいはずだ。だが『黒猫』は禁じるのではなく、必要ないとだけ語った。



「時の魔女に任せておけば悪いことにはならない。あれはどういうわけか、最適解を選び取っている。一時的には冥王と敵対しているように見える行動にも最終的に見れば合理性がある。僕もあの魔女のお蔭で君を手に入れることができた。そして君の力は最後には冥王の役にも立つだろう。理屈を無視して答えを導き出すさまは……まるで未来予知だね」

「だから私の力は必要ないと?」

「今はね。君には先にしてもらうことがある」

「私はどこに連れていかれるのですか?」

「早速『黒鉄』の仕事がある。何、君もきっと気に入る仕事さ」



 『黒猫』が手を伸ばすと、その先の空間が歪む。

 そして二人はその奥へと消えていったのだった。





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