第177話 魔手の巨人


 シンクに向かって振り下ろされたグラディオの拳は、半透明の壁によって阻まれた。余計な邪魔をしてくれたとばかりに、グラディオは振り返る。

 そこにはセルアも驚く人物が経っていた。



「久しぶりだな。師よ」

「それはこっちのセリフだね、馬鹿弟子が」



 風に靡く三つ編みの銀髪が目に付く。

 南の聖堂で結界を維持するロカの守護者エンジである。



「エンジ様!? なぜここにいらっしゃられたのですか?」

「気にすることはないさ。それよりセルアは大丈夫かい? そこの乱暴で粗雑で女の扱いが分かっていない馬鹿弟子に怪我させられなかったかい?」

「え、はい。私は……それよりもシンクが」

「全く……男どもは情けないね。起きな、剣聖の弟子」



 シンクもゆっくりと立ち上がりつつ、茫然とした様子で事態の把握に努めている。エンジは南の聖堂の守護者でありそこから動けないものだと思っていたのだ。

 そんな疑問を察したのか、彼女は笑みを浮かべつつ告げる。



「元々封印結界は万全な状態なら一人でも維持できるんだよ。起動は四人必要だけどね。馬鹿弟子を止めるためにホイルもハンドラーも協力してくれたのさ」

「あー……」



 言われてみれば納得である。

 緋王ほどの存在を封印している土地を封印するという役目があるのだ。それは四人の内の一人でも欠けると維持できないなんてことでは困る。四人の守護者は互いにバックアップなのだ。

 グラディオのように意図的に術式を暴走させるようなことをされると流石に維持できないが、元から裏切りは想定していないので別問題である。



「行きなさいセルア。急いで最後の封印を解くんだよ。私がこいつを抑えておいてやるさ」

「お姫様、行くのですよ!」

「はい……お願いしますエンジ様!」



 アイリスは飛行魔術を発動し、セルアとシンクを連れて西の塔へと急ぐ。グラディオは邪魔しようとして転移魔術を展開したが、エンジが止めた。

 魔術陣によって編みこまれた結界が周囲を覆う。



「これは……」

「空間干渉を阻害する結界だよ。あんたに教えていないロカの秘術さ」

「ちっ……まだこんなものを隠していたか」



 彼は忌々しそうに西の空を睨みつけるが、もう三人の姿は小さな点となっていた。いくらグラディオでも師であるエンジに背中を向け、結界を解いて追いかけるという手段を取るのは難しい。

 仕方なく、まずはエンジを始末することにしたらしい。

 グラディオは構えた。



「師よ。予定より少し早いが、ここで超えさせてもらう」

「ヒヨッコめ。百年ほど修業した程度で私を超えられると思うなよ」



 やはり師と弟子というべきか、二人は鏡合わせのような構えとなる。

 一歩、一歩と円を描くように向かい合ったまま移動する。



「来な。また格の違いを教えてやるよ」



 エンジの挑発が合図となり、グラディオは飛び掛かった。








 ◆◆◆








 西の塔へと急ぐセルア一行は、アイリスの飛行魔術による加速を受けて風を裂きながら移動していた。もう目前まで塔は迫っている。



「突撃するのですよ!」



 そしてアイリスは防護結界を纏い、自分たちを弾丸として塔に激突した。あまりに高速であるためか、結界は塔の外壁を突き破って内部まで侵入することに成功する。



「気を付けるのですよ! 強大な魔力が……って言うまでもないですねー」



 忠告を飛ばそうとしたアイリスは、塔の内部を確認して止めた。

 塔に入る前から強大な魔物がいることは予想で来ていたし、そもそも魔力も感じていた。故に奇襲されることを警戒して忠告したのだ。しかしまるで意味がない。

 なぜなら塔の螺旋階段は完全に破壊されており、一階には瓦礫の山ができていたのだ。そして瓦礫の上には巨人が立っていたのだ。



「な、なんだよあれ!?」

「腕がいっぱいですね。気持ち悪いですが……あれも魔物ですか?」

「多分、異魔手巨人ヘカトンケイルですねー」



 巨人系と呼ばれる魔物の中でも破滅ルイン級に分類される。人類の討伐記録としては過去に聖騎士によって行われた一件しか存在しない。

 アイリスもその情報を知っているだけであり、実際に対峙するのは初めてだった。



「聖騎士も全滅ですね」



 瓦礫には複数の血だまりが存在している。

 抵抗しようとした聖騎士のものであろうことは容易に予想できた。



「アイリスは姫を!」

「分かったのですよ! 援護するのです!」

「頼む!」



 アイリスはシンクにかけた飛行魔術を解除する。するとシンクは塔の内壁を走りながら下に向かって下り始めた。またアイリスは援護として複数の魔術陣を展開する。

 風の第七階梯《爆風衝撃エア・バースト》が複数発動し、異魔手巨人ヘカトンケイルの全身から生える無数の腕を潰していく。しかし流石は破滅ルイン級の魔物というべきか、第七階梯魔術を喰らってもダメージそのものはなかった。

 だが、動きは鈍っている。

 その隙を突いてシンクが重力を乗せた斬撃を放った。

 選ぶ刀身はダメージ重視の斬馬刀だ。



「うおおおおおああああ!」



 上から下に巨大な傷を負わせる。

 そして切り裂く際の抵抗によってシンクも速度を落とし、異魔手巨人ヘカトンケイルの腰のあたりでその身体を蹴りつつ刀を抜き、瓦礫の山に着地した。



「でかい」



 動きやすさを優先するため、魔装の形状を刀に変える。

 異魔手巨人ヘカトンケイルは傷から魔力を放出させて呻く。だが、その身に秘めた膨大な魔力で徐々に肉体を修復し始めた。



「くそ……反則みたいな再生しやがって!」



 今のダメージは仮に人間ならば死を免れないほどのものだった。

 それでも再生し続ける魔物の生命力にはうんざりさせられる。魔力生命体である魔物は、魂という魔術陣によって肉体を構成し維持しているのだ。高位の魔物は魂だけで肉体情報を再構築できる。肉体という器を有する人間からすれば羨ましい能力だ。



「シンク! 大丈夫ですか?」

「こっちは大丈夫です。姫様はそこに!」



 アイリスの結界で守られつつ宙に浮くだけのセルアは表情に悔しさを滲ませる。力に目覚めていない今、セルアには何の力もない。精々、危機感知で大まかな危険を察知するだけである。またその感知能力もアイリスの疑似未来予知にすら届かない程度のものだ。

 セルアが一人何もできずにいる間、自分を守るアイリスは驚異的な魔術によってシンクを援護している。風の魔術に限定しているが、第七階梯までの魔術を自在に操っている。



(このアイリスさんは……何者なのでしょうか?)



 圧倒的な魔術の腕に加え、風魔術だけでは説明できない飛行魔術もある。また魔術の同時発動や強固な結界魔術など特別な技量も備えている。とても見た目通りの少女とは思えないのだ。

 こうしている間にもアイリスは得意の雷撃魔術を放って異魔手巨人ヘカトンケイルの腕を次々と破壊している。地上からチクチクと攻撃を繰り返すシンクと良い連携をしていた。

 しかし破滅ルイン級を相手に戦えるのは、手加減されている間だけである。

 異魔手巨人ヘカトンケイルも苛立ちを感じたのか、空気が震えるほど唸った。



「シンクさん! 気を付けるのですよ! 異魔手巨人ヘカトンケイルの魔導なのです」

「ど、どんなのだ!?」

「なんかすっごいビームを出します!」

「説明が雑だなおい!?」



 しかし文句を言っている暇はない。

 異魔手巨人ヘカトンケイルの体表がゲルのように泡立ち、全身に無数の顔が現れたのだ。その全てが白塗りの仮面のような形状であり、目や口の奥から青白い魔力光が漏れ出している。

 仮面の顔は合計で四十九。本体の醜い顔も含めれば合計五十となる。

 そして五十の顔が一斉に笑い出し、その全ての口に青白い光を集め始めた。



「まさか、嘘だろ!?」



 狭い塔の中で五十の顔が一斉に魔力光線を放つのだ。ふざけるなとしか言えない。

 アイリスは移動魔術を発動し、シンクを引き上げる。そして入ってきたときに突き破った壁を通り抜け、一度塔の外に出る。

 同時に、西の塔は青白い光を発しつつ爆散した。








 ◆◆◆








 ハイレインの奥義は空間を切り裂いた。

 《冥導》によって殺された空間が更に切り裂かれ、元の空間へと戻った。



「無茶苦茶しやがる」



 これにはシュウも呆れるばかりだった。

 ただの剣技で空間を切り裂くという意味不明な所業をされてしまったのだ。勿論、理論上不可能ではないし、実際に空間そのものを切り裂いたわけではない。空間が切り裂かれたのはあくまでも見かけ上でのことだ。

 しかし人の技ではない。



「剣の道に頂きはなし。私もまだ成長します」

「冗談みたいな存在だな、お前は」

「私のハイレイン流剣秘術は一つの奥義もありません。やはり極みというものには奥義があるべきでしょう。剣の道に頂きがないとしても、一つや二つの集大成はあるものです。歳を取ったところで、私も男だったということでしょう」

「なるほど」



 覚醒魔装士は人間という枠の限界値を突破している。

 ハイレインは大帝国が滅びた後も剣技を鍛え、魔装も鍛えた。元から魔装士ですらなかったハイレインは、剣を極めるという行為によって常人の枠から外れた。無から覚醒魔装を獲得した稀有な人物だ。

 そんな彼ならば、後付けで得た魔装ですら極め、その先へと行ってしまうかもしれない。



「お前ならば、いずれは『王』に届くかもな」

「それは剣士として嬉しいお墨付きですね」

「だがまだ届かないということだ。今の内に殺しておこう」

「そういうわけにもいきません」



 ハイレインは剣を上段に構えた。

 また星喰そらぐいを放つつもりなのである。ただの剣技ではシュウの魔力障壁で防がれてしまう。それを突破するには奥義しかないという、潔い考えだ。

 正面から奥義を放つという言葉なき宣告。

 シュウは正面から受け止めることにした。懐から一本のナイフを取り出す。それは鍔に魔石を組み込んであり、刀身には複雑な魔術陣が刻まれている。



「お前みたいな奴を相手にするため作った特別製だ。試すには丁度いい」

「この私に剣で挑みますか。いいでしょう」



 ナイフの魔石が起動し、刀身の魔術陣が青白く光る。

 僅かな静寂の後、ハイレインが動いた。






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