第176話 グラディオの奇襲


 西の塔に向かって空の移動を続けるアイリスたちは、これまでの順調な戦いを振り返って上機嫌となっていた。東の塔で強大な魔物と遭遇した時は終わりにも思えたが、剣聖ハイレインの登場によって全てが逆転した。そして偶然仲間になったアイリスのお蔭で移動も楽になっている。



「緋王の討伐も目前ですね。ありがとうございますシンク」

「いえ。それに俺は全然役に立てなくて……」

「それでもこの冒険の始まりはシンクです。私を王宮から連れ出してくれなければ、私は死んでいたでしょうから。それにアイリスさんも死にかけたシンクを助けてくださいました。剣聖様もこうして協力してくださっています。私は本当に幸運です」



 皇女セルアに備わっているのは危機を感じ取るレベルの低い魔装だけだった。だがその魔装を信じて着任したばかりの護衛であるシンクに協力を取り付け、偶然が呼んだ縁によって王家の封印を三つも解除することに成功した。

 このまま西の塔の守護者と会い、最後の封印を解くことでセルアは聖なる光に目覚めるはずだ。



「ん?」



 だが順調に思えた時こそ、気を引き締めなければならない。

 アイリスは前方に違和感を感じ取り、全員を停止した。急停止に伴う慣性力も打ち消したので身体が振り回される感覚もない。



「アイリスさん?」

「危険ですね」

「あなたも感じましたか」



 よく分かっていないセルアは首を傾げ、シンクは師匠の言葉を聞いて慌てて魔装を発動する。すぐにセルアもピリピリとした感覚を覚えた。

 自分に危機が迫っているという証拠である。

 空間が歪み、眼前に二人の男が現れた。一人はセルアとシンクが知る男、グラディオ・ロカ。そしてもう一人はアイリスとハイレインが知る男、シュウ・アークライトである。



「あなたは……グラディオ!」

「ふん。余計なことさえしなければ生かしてやったものを。これ以上は見過ごせんからな。お前たちはここで始末させてもらう」

「させない!」



 シンクはそう言って気を引こうとした。

 今は空中にいるため、シンクの意志で動くことができない。全てアイリスの飛行魔術任せなのである。



「貴様は……ほう、運良く生き延びたらしいな。だがそれを手放すか。愚かなことだ」

「今度はあの時みたいにはいかないぞ」

「先と同じだ。お前は一撃で俺に殺される。いや、今度こそ殺してやろう。お前に俺たちを止められるか? こっちの男は俺よりも厄介だぞ?」

「何だって?」



 グラディオの隣に浮くシュウは何の前触れもなく、その手をセルアへと伸ばし始めた。これは死魔法の前動作である。それを知るハイレインは魔力障壁を足場として生み出し、シュウの懐へと踏み込んだ。そしてその首を狩るつもりで刀を振るう。

 意識の外から放たれる斬撃はシュウの首に届き、そして止まった。シュウの纏う高密度の魔力に止められてしまったのだ。強大すぎる魔力を結合エネルギーとして利用し、自身の肉体強度を極限まで引き上げているのだ。



「っ!」



 止められたと分かった瞬間、ハイレインは下がった。

 ただ死魔法は停止したので、この攻撃にもそれなりの意味はあった。

 そしてアイリスは下方向へと移動魔術を発動し、空中戦を止める。ハイレインとシンクが自由に動けない空中で戦うのは無謀というものだ。下は崩壊した幹線道路なので、そこも戦いやすいわけではない。しかし空中に比べたらまだましだ。



「無駄なことを」



 グラディオは空間転移で地上に先回りする。

 そして魔力による衝撃を体内に叩き込む掌底を繰り出した。狙われたのは無防備なセルアである。警戒しているシンクやハイレインやアイリスと異なり、セルアは姫の感覚が抜けていない。着地した瞬間を狙い、グラディオは掌底を叩き込もうとした。

 しかしその瞬間にアイリスが時間を止めてセルアを回収する。グラディオの一撃は空振りとなった。



「何? 空間転移だと?」



 まさか時間を止めたとは思わないグラディオ。なまじ空間魔術が使えるということもあり、アイリスの時間停止を空間転移だと錯覚する。

 そこにシュウもゆっくりと下降し、地上に降り立った。

 ハイレインはシュウとの間合いを詰めながらシンクに命じる。



「シンク、姫を守ってあげなさい。この男は私でも抑えきれない」

「師匠でも!?」



 何も知らないシンクは驚くばかりだ。事実、シュウはハイレインの一撃を無意識によって防御している。それはつまり剣聖の斬撃は通用しないということを意味する。

 死魔法という即死攻撃があるため、シュウの相手はハイレイン以外ありえない。覚醒魔装士の彼だけが死魔法による死を免れる。

 とにかく師匠の言いつけ通り、シンクはまずグラディオからセルアを守ることにした。空間を自在に移動するグラディオは確かに脅威だが、同じようにアイリスがセルアを助けてくれることが分かった。これによりシンクは比較的自由に戦うことができる。



「シンク、気を付けてください。強い危機を感じます」

「はい」



 既に一度敗北しているのだ。油断はない。シンクは魔装の形状を刀に変え、まずはグラディオから隙を探し出すことにした。



(思い出せ。あいつの空間移動は無敵じゃない。少なくとも魔術陣が見える)



 シンクは魔術を使うことができない。

 なので互いに魔術を撃ち合うという戦い方ができないのだ。距離を取られ、一方的に攻撃されると防御や回避という選択肢しかなくなってしまう。

 しかし、近接戦闘特化のシンクにも魔術への対処法は存在する。



(魔術陣を斬る。それしかない)



 魔術の発動兆候を感じた瞬間に斬る。

 それがシンクにできる唯一にして最大の対処方法だ。そして魔術陣を破壊した場合、魔術演算をしていた術者は一瞬とはいえ無防備となる。つまりシンクにとって攻撃のチャンスとなるのだ。

 だが問題がある。



(俺では師匠みたいに確実に魔術陣を壊せない)



 シンクは一流の技量を持った剣士だ。また魔装が刃の形状を自在に変化させるという特徴を有するため、様々な状況に対応することができる。しかし彼は同時に未熟者でもあるのだ。

 そもそもシンクがセルアの護衛になったのは、師匠であるハイレインの命令で実戦経験をするためだ。

 単純な剣の技量は修行でも身に付く。

 しかし戦い方、読み、戦闘勘といったものは戦闘回数がものをいう。

 一方でグラディオは才能に恵まれたばかりか、数えきれない実戦を経験している。純粋な強さにおいてどちらが上か、それは明白なのだ。



「この俺を倒せるか?」



 挑発じみた口調でグラディオは構えている。

 その構えからは隙らしいものが見当たらない。いや、実際の戦いにおいては呼吸の間や集中の途切れといった隙が必ず存在する。戦いを極めた武人はこれらを巧みに隠し、誤魔化し、あるいは誘いとしてわざと見せつける。

 この点においてグラディオは巧いのだ。

 少なくともシンクよりも格上であり、隠された隙を見出すことができなかった。

 倒せるのか、と聞かれれば自信がないと言わざるを得ないほどに。



「呼吸が乱れているぞ? 視線も揺れている。重心の傾きもバレバレだ」

「……煩い」

「だからお前は守れんのだ」

「なっ」



 敵は転移魔術を使うという先入観が魔術への警戒を強めた。だがその警戒心すら読まれてしまい、グラディオは普通にシンクに攻撃を仕掛けた。剣聖に鍛えられた反射的行動により、シンクも初撃は防いでみせる。しかしあまりにも中途半端で、刀はシンクの手から弾き飛ばされてしまった。

 当然、これでグラディオの連撃は止まらない。身体を捻り、強烈な蹴りを叩き込んだ。



「が、あああ!」



 あまりにも鋭い一撃だったためか、ワンテンポ遅れて痛みがやってくる。シンクは何度か地面でバウンドした後、隆起した道路にぶつかって止まった。

 アイリスがすぐに時間遡行で治癒したのですぐに痛みは止まったが、シンクは座り込んだ体勢のまま立ち上がれない。



「弱い。弱過ぎる。弱いお前では何一つ守ることはできん。何も得ることがない。弱者は搾取され、朽ち果てるのみだ」



 セルアはアイリスの腕から逃れ、崩れた道路を伝ってシンクの下へと駆け寄る。いつでも時間停止できるようにしつつ、アイリスも追いかけた。

 そして勇敢にもセルアはグラディオの前に立ちはだかる。



「止めなさい。強いのならば弱い者を守りなさい」

「守る? 恵まれた血統は随分と世界を知らんと見える。他者に命運を委ねるなど愚かの極み。貴様は王家の力を手に入れようとしているな? 貴様も力を望んでいる。何のためだ? 守るためだとでもいうのか? いいや違う。大きな力をさらに大きな力で叩き潰すためだ」

「違います。私は国のために……」

「ハイレン王家は俺たちロカ族から力を掠め取ったのだ。その力が俺を選ばないならば、俺は王家の力と対極に位置する緋王の力を手に入れる。王家は俺が力を手に入れた時、滅ぼそうと決めていた。あの天から降る光がアディバラを滅ぼした時は肝が冷えたが、貴様が生きているなら都合がいい」



 グラディオは大股でセルアへと近づき、無造作に肩を掴んで横に退ける。流石に力負けしてセルアは体勢を崩し、不安定な足元が崩れて道路の窪みへと落ちそうになる。それをアイリスが受け止めて落ちないように支えるも、その間にグラディオは座り込んだままのシンクの前まで移動していた。



「力を持たぬ愚かな最後の王族よ。貴様の弱さ故に失うものを目に焼き付けよ!」

「止めて! 止めなさい!」



 シンクの頭部を爆散させるのに充分な魔力が拳へと集まる。

 止めてと手を伸ばすセルアの叫びも虚しく、グラディオは拳を振り下ろした。






 ◆◆◆






 シュウとハイレインは軽くぶつかり合いながらも移動を繰り返していた。



「まさか『死神』……いえ冥王がこのような所にいるとは」

「こっちもお前がいるとは思わなかったな」

「私は魔女を見つけた時点で予想していました。戦うことになるとは思いませんでしたが」

「俺としては依頼であの皇女を殺すことになっていてな。お前が邪魔をしないなら見逃すが?」

「三百年も生きておきながら命が惜しいとは思いませんよ」

「そうか」



 二人の間にはちょっとした因縁がある。

 シュウには相棒であるアイリスを傷つけられたという借りが、そしてハイレインには故郷と主を消滅させられたという恨みがあるのだ。

 しかし負の感情を長期間維持するのは非常にエネルギーを消耗する。

 二百五十年という年月は互いの因縁をすっかり洗い流していた。



「俺はお前を殺すつもりはなかったが……放っておけば邪魔をするつもりだな?」

「ハイレン王家には思い入れがあるのです。殺させるわけにはまいりませんね」

「そうか。死ね」

「お断りですな」



 シュウは《斬空領域ディバイダー・ライン》を発動するべく魔術陣を展開するが、ハイレインは容易く叩き切った。魔術陣は強度の高い魔力の塊である魔装によって破壊されてしまい、その効果が発動する前に失敗となった。

 しかし不用意に魔術を見せつけるシュウではない。

 その間に《冥導》を準備していた。これは死魔力を凝縮し、ただ一点に集めることで空間そのものを殺すという術だ。

 以前はハイレインも為す術がなく、ただ回避するだけが精一杯だった。

 しかし剣聖と呼ばれた彼がいつまでも不可能をそのままにしておくはずもない。彼は極めた剣の先に新たな極みを見出し、修練を重ね、遂には奥義へと至っていた。



「奥義・星喰そらぐい



 ハイレインは死した空間すら切り裂いた。





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