第175話 三つ目の封印
討伐され、魔力となって消滅していく
シンクはすぐにハイレインの傍に移動して称賛する。
「流石です師匠。今のは一体? 何をしたのかもわかりませんでした。気が付いたら魔物が切り刻まれていて……」
「シンク、今のは忘れなさい。剣の道として志しても意味のないものです」
「ですが」
「忘れなさい」
「はい」
そんな事情を知らないシンクは首を傾げるばかりだったが。
こんなことをしている間にも魔術陣は発動し、空間が歪む。そして歪みの奥から頭部に僅かな銀髪を残した老人が現れた。頭部と反比例するように顎髭は豊かである。
「む、むぅ……儂は……? そうじゃ! おのれグラディオめ!」
老人……いや北の塔の守護者ハンドラーは意識を取り戻すと同時に激怒する。グラディオによって魔物の内部に封じられてしまったことを思い出したのだ。
セルアはすぐにハンドラーの傍に向かう。
「ハンドラー様! 私です。セルアです」
「む。もしや姫か。そちらの方々が儂を解放してくれたのかな?」
「はい。剣聖ハイレイン様、その弟子のシンク、そして協力者のアイリス様です」
「ほう、そうじゃったか。ん? アイリスじゃと? そっちの小娘は……いや、まさか……気のせいじゃろう。うむ」
若干真実へと至ったハンドラーは、それを気のせいということにする。
世の中には気付かなかったことにする方が良いこともあるのだ。セルアが協力者と言っているのだから、アイリスは協力者なのである。
「事情を説明いたします。ハンドラー様は何があったか覚えておられますか?」
「うむ。グラディオという我が一族の若いのがおるんだが、奴が儂に封印術を仕掛けおったのだ。油断しておった儂も悪いのじゃが……奴め、百年足らずで随分と技量を上げおった」
「実はグラディオは緋王を復活させようとしているのです。私は王家の力を手にするため、守護者様の下を回っております」
「なるほどのぅ。聖なる光で緋王を倒すというわけじゃな。うむ、よかろう……と言いたいところじゃが、お前の父はどうしたのだ? 奴も完全ではないが、聖なる力を引き出せるはずじゃ」
「実は天から光が降ってきて……アディバラは消滅してしまいました。父も……民も……」
「何じゃと? いや、事情は理解した」
ハンドラーは手を翳した。
意図を察したセルアはサークレットを外す。エンジ、ホイルの時と同様に血統に仕組まれた封印が解かれ、王家の力がまた解放される。額にある眼のような紋章に新たな紋様が加わった。
これで四つの封印の内、三つまでが解放されたことになる。
更にハンドラーは塔の封印術も再起動し、それによって術式の主要部である幹線道路も再生した。南から東を回って北までの幹線道路がこれで元通りになる。
「ありがとうございますハンドラー様」
「うむ。封印の樹海の結界も三つが元に戻った。緋王の封印も少しは強固になったことじゃろう。グラディオが緋王の封印を解こうとしているのなら、妨害になるはずじゃよ」
「はい。残りは西の塔ですから……」
「アクシルの奴じゃな。儂らのように魔物に封印されているとみるべきじゃろう。気を付けるのじゃぞ」
「御忠告に感謝します」
サークレットを嵌めつつ、セルアは頷いた。
そして振り返るとアイリス、シンク、ハイレインが先の戦闘について話し合っていた。
「シンク! 次に行きましょう!」
「え? あ、姫様」
「最後の西の塔ですね。アイリスさんもまたお願いします」
「はいなのですよ!」
アイリスはさっさとテラスに出てしまい、魔術で浮いている。それに続いてシンクもテラスに出た。アイリスは順番に浮遊魔術をかけ、ハイレイン、最後にセルアも浮く。
そしてハンドラーも見送るためにテラスへと出た。
「姫、それに従者たちよ。武運を祈っておるぞ」
「はい!」
空を飛び、最後の守護者が待つ西の塔へと向かっていくのだった。
◆◆◆
別行動していたシュウだが、グラディオたちとの交渉が終わった後はアイリスを探すことにした。
こういった場合、魔力の感知で探すのが普通だ。
特にアイリスはよく知る相手なので、その魔力の流れや性質も分かっている。特に覚醒してからは覚醒魔装特有の魔力があるので分かりやすい。
そして人体という制約に縛られないシュウは、最高級魔力演算システムである魂をフルスペックで使用し、魔力を制御することができる。感知範囲も一都市ならば問題なくカバーできるし、魔術を併用すれば国全体でも感知可能だ。
シュウはアイリスの魔力を感知するための専用術式を構築し、発動する。
術式は思念と呼ばれる魔力波形と反応し、シュウにアイリスの位置座標を知らせた。
「これは……この速度、まさか飛行魔術で移動しているのか?」
遠見の魔術を併用すると、アイリスが他に三人を連れて移動しているのが見えた。光を屈折させて遠くを見るこの魔術はモニターのように空中で表示させることができる。
近くにいたグラディオもそれを見ることになった。
「何をしている?」
「ああ、少しな。北西を飛行魔術で移動しているみたいでな」
「これは……皇女だと?」
モニターに映っていたのはグラディオと面識のある人物であった。解樹の鍵を奪うために先程襲撃したばかりなので流石に覚えている。
そして驚かされたのはシュウもだ。
「皇女?」
「ああ、この女だ」
「そうか」
依頼でファロン帝国の王族は皆殺しとすることに決まっている。これは黒猫としての仕事だ。首都アディバラ諸共消滅させたと考えていたが、まさか生き残りがいたなど予想外である。
(『鷹目』の情報も外れていたか? それとも情報を手に入れた後に皇女の予定が変わった?)
大まかに正解を当てるも、答え合わせをしてくれる者はいない。
とにかくグラディオの言う通り皇女なのだとすれば、シュウとしては生かしておくわけにはいかないのだ。『死神』は一度たりとも依頼を失敗させたことはない。今回も同じだ。
「こいつら一体何を……まさか封印を復活させようとしているのか? いや、塔には
ブツブツと考察するグラディオをよそに、シュウはアイリスと同行している初老の男について首を捻っていた。
「こいつ、まさか
経緯を知らないシュウからすれば意味不明な状況だ。
二百五十年前の因縁であるため、今更それを掘り返すつもりはない。アイリスと争っている様子もないので何かしらの解決があったのだろうと予想はできる。
一方でシュウの呟きを耳に入れたグラディオも別の何かに気付いたようだった。
「ハイレイン? この国の剣聖か。おい、ロゼッタ! 封印の解放はどうなっている?」
「そうですわね。半分……いえ六割といった程度ですわ。先程から解除が上手くいっておりませんの」
「やはりそうか。奴ら、また封印結界を張り直そうとしているな」
「あら? 厄介ですわね? あのバカ姫、せっかく見逃してやったというのに……よほど死にたいと見ましたわ。ねぇグラディオ様」
「ああ。あの皇女め……剣聖の手を借りたか」
グラディオは裏切り者とはいえ、ロカ族の秘術を学んだ男である。ロカ族の重要な役目である樹海の封印結界についてもよく知っており、それを感じ取ることもできる。
今、結界が半分ほど機能していることが分かった。
封印の樹海を囲む術式の通り道、幹線道路は南から東を通って北まで復活している。結界を発動させる要は三つも解放されているが、術式としての完成度は半分でしかない。しかしそれだけの術式が作用していれば樹海の封印は強化されてしまい、解樹の鍵による封印解除も手間取ってしまう。下手をすれば緋王復活を失敗してしまうかもしれない。
これは由々しき事態であった。
「おい。こちらの事情に手を貸すというのならば、手伝ってもらうぞ」
「いいだろう。俺としても皇女を殺しておこうと思ったところだ」
「ならば都合がいい」
グラディオは魔術陣を展開する。
座標移動術式、慣性系設定、座標変換、固有時間制御、座標逆変換、そのプロセスはシュウが解析した転移魔術そのものだ。術式には特に不備も怪しい部分もないため、シュウも転移を受け入れた。
冥王は『死神』としての矜持ゆえに。
裏切り者のロカ族は悲願を達成するため。
二人はその場から姿を消した。
◆◆◆
大魔術《光の雨》は、首都アディバラを滅ぼし尽くした。
その光景は遠くの街からも観測されており、数時間後には聖騎士が派遣される。そして凄惨な現場を見た聖騎士たちは言葉を失う。
そしてようやく、聖騎士の一人が口を開いた。
「ここは、本当にアディバラだったのですか?」
何を当たり前のことを、と誰もが言いたかったことだろう。
しかしその当たり前の答えを返すことはできなかった。
彼らの前に広がっているのは穴だらけの荒野。あったはずの建造物は木っ端微塵に砕け、凄まじい熱によって融解している。もはや都市の原型など留めていない。
「生存者は……期待できないか。そうだよな。無理だよな」
「しかし、だが、うむ、ああ」
この状況を見せられて生存者がいるとは思えない。
反論する者はいなかった。
「あ、あああ? あ、あれ!」
そんな中で、望遠鏡を片手に周囲を観察していた聖騎士が叫び声を上げる。何のことだと皆がそちらに目を向けるが、荒野が広がるばかりだ。
「どうした?」
「ひ、人が! 人がいる!」
「何だって? 怪我人か?」
「いえ、普通に歩いています」
「……その人物を重要参考人に指定。すぐに確保だ」
こんな場所で聖騎士以外の人物がいるとすれば、明らかに怪しい人物だ。この惨状を引き起こした犯人とまではいわずとも、何かを知っているのではないかと考えるのが普通である。
魔力によって身体強化した聖騎士たちが一斉に移動し、発見した怪しい人物へと近づいていく。そして向こうも接近する聖騎士に気付いたのか、立ち止まって待ち構えていた。
逃げられることも考慮していた彼らからすると、これはありがたいことである。
「協力してくれるといいですね」
「そうだな」
アディバラの調査を聖堂から命令された以上、成果を持ち帰らなければならない。こうして現地調査をした結果、今のところは『何も分からない』ということしか分かっていないのだ。
素直に協力してくれるというのは、それだけでありがたいことなのである。
またこういった場所で何かに接近された場合、人は本能的に逃げてしまうこともある。大人しく待ち構えてくれているということも面倒がないという点で良い。
調査は思ったよりも早く終わるかもしれないという期待が高まった。
「そこの男、我々は聖騎士です。話を聞かせてもらいます」
声が届くほどの距離になれば謎の人物の容姿も明らかになる。
服装から顔から体格から、特徴というものが見当たらない普通の青年だった。分かりやすい特徴といえば、黒髪黒目であること、そして男であることだけである。
「まずあなたはここで何を?」
「僕ですか? 僕は仕事でここに来たんですよ」
「仕事?」
「ええ。少々個人的な理由でこの都市を滅ぼしましたので、その経過観察を」
「な……に……?」
青年は何ということもないように告げた。
しかしその意味を理解した聖騎士たちはまず言葉を失い、そして魔装を展開しようとする。青年の発言は冗談だとしても問題であり、真実だとすれば必ず捕えなければならないというものだ。もう聖騎士たちに逃がすという選択肢はなかった。
だが、あまりに衝撃的な発言だったとはいえ、聖騎士たちは遅すぎた。
青年が溜息を吐き、途端に聖騎士たちは全身をサイコロ状に切り裂かれて崩れ落ちる。辺り一帯に血や内臓が飛び散り、異臭が漂った。
「遅すぎますね。魔装の練度も低い。人類のレベルも随分と低下したものだ」
呆れ果てた、といった様子で青年『黒猫』はその場から去っていった。
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