第167話 残された希望


「アディバラが消滅した、か」

「不思議なこともあるものですわね。ですがもはやあんな場所は不要。参りましょう?」



 グラディオとロゼッタは空間の歪みに消えていく。

 その直後、失意に沈むセルアと命が尽きようとしているシンクの下にアイリスが現れる。そしてアイリスは時間を巻き戻すことでシンクを元の状態に戻す。



「大丈夫なのです?」

「え、あ」



 全ての痛みが消え去り、呼吸も苦しくなくなった。

 シンクはすぐに体を起こす。そしてすぐにカノンを確認した。しかし既に鼓動も呼吸も止まっており、ピクリとも動かない。徐々に冷たくなっているようにすら感じる。

 セルアは涙を流し、自失茫然となっていた。



「わた、私のせい、で……お父様、お母様、カノン」



 何らかの手段で身体を操られ、カノンを刺し殺してしまったばかりか目の前で故郷が消滅する光景まで見せられたのだ。

 今のセルアは心が折れていた。

 この日に危機が訪れることは分かり切っていたのだ。それでも安全を期して行動した結果がこれである。



(違う。私のこれは……ただの保身だった)



 もっと早く行動していればこんなことになる前に止められたかもしれない。そう思うと余計に後悔が彼女の心を苛んだ。



「それで? どういうことなのです?」

「えっと……」



 アイリスの質問に対し、シンクはどう答えるべきか悩んだ。

 もはや王宮が壊れたとはいえ、皇女セルアがここにいるのは秘密裏のことである。またこれからの目的を話すと王家の秘密についても触れる必要がある。

 真面目なシンクは、取りあえず誤魔化して目的地だけを告げるという方法を取ることにした。

 それが冥王による皇族セルア暗殺をぎりぎり回避することになるとも知らず。



「俺たちはこの先にある……大樹の聖堂に行くつもりです」

「そうなのです?」

「アディバラが無くなった以上、頼れるのはそこだけですから」

「あー……」



 アイリスも多少は罪悪感を覚えたのだろう。

 少しそれを償うことにした。



「それなら私が手伝うのですよ」



 この破壊されつくした道路も、浮遊の魔術があれば簡単に移動できる。そしてアイリスはシュウにも手伝わせようと考えたのだが、先手を取るようにしてシュウからテレパシーが飛んできた。



(俺はさっき消えた二人組を追う。あれが『鷹目』の言っていた空間魔術の手がかりだろうからな。お前もこっちに戻ってこい)

(あー……私はこの人たちを安全なところまで運ぶのです。そう約束してしまったのですよ)

(まぁ、後で合流でもいい。適当なところで切り上げろ)

(はーい)



 珍しく、シュウとアイリスは別行動をとることになったのだった。







 ◆◆◆







 緋王を封印するこの地には、聖騎士が見張りとして常駐している。南の聖堂、東の塔、西の塔、北の塔のそれぞれに五人程度だ。

 そして聖騎士たちは結界の守護者であるロカ族の指示に従う。ここには司教はいないのだ。



「着いたのですよ!」

「すみません。ここまで運んでいただいて」

「問題ないのです」



 アイリスは浮遊の魔術でシンクたちを南の聖堂まで運んだ。すっかり意気消沈したセルアはアイリスが支え、布に包まれたカノンの死体をシンクが抱える。

 聖堂には既に大量の怪我人が運び込まれており、混沌としていた。

 もともとこの聖堂は魔神教の設備というより、ロカ族のための設備という意味合いが強い。そのため神官もごく少数しか配置されておらず、人手が全く足りていなかった。

 本来ならアディバラ大聖堂から応援を呼べたものを、シュウが《光の雨》で消滅させてしまったのでそれも望めなくなっている。



(私も手伝った方がいいですかねー)



 こういった場に出ると、アイリスはつい治療したくなる。後で手伝うことを心に誓い、まずはシンクに尋ねた。



「この人もその辺に寝かせてあげます?」

「あ、いや……えっと……」



 シンクは南の聖堂にいるロカ族の守護者と会うために来たということしか知らされていない。当然ながら伝手などなく、どういった手続きをすればよいのかさっぱり分からなかった。



(えっと……流石に姫様の顔は知っているよな……?)



 どうするべきか悩んでいると、背後からカツカツと杖を突く音が聞こえる。

 振り返る前に声をかけられた。



「来ると思っていたよ。久しいねセルア」



 咄嗟にシンクは振り返る。

 そこには杖を突いた妙齢の女が立っていた。白髪の混じった銀髪を三つ編みにして左から垂らしており、その先に宝石のようなものが結び付けられている。

 赤や緑の布がふんだんに用いられた民族衣装を纏う彼女はアイリスに支えられたセルアへと近づく。



「落ち込むのもわかる。全て見えていたから。まずはお茶を入れてあげよう。こっちに来なさい」

「守護者……エンジ様?」

「うむ。私はエンジだ。最後に会ったのはお前がまだ幼い頃だったが、覚えていてくれたかい?」

「エンジ様ぁ……お父様も、お母様も、カノンも」

「分かっているよ。辛かったね」



 エンジは杖を持たない手でセルアを受け止め、アイリスから引き継ぐ。そして肩を抱きながら聖堂の奥へと歩き始めた。彼女は歩きながらシンクとアイリスに告げる。



「二人も来なさい。これからするべきことを教えてあげよう」



 彼女は止まらず奥へと進んでいく。

 アイリスとシンクは顔を見合わせて互いに頷き、ついて行くことにした。







 ◆◆◆






 守護者エンジに案内されたのは円形の部屋だった。その中心には円卓が置かれ、部屋の壁には幾何学模様が描かれている。アイリスはそれが魔術陣であることに気付いた。

 椅子に座らされた三人の前にお茶が置かれ、エンジも自分の分を別に淹れてから座る。アイリスたちのカップには普通の紅茶が用意されていたが、彼女のだけは薄い緑色だった。



「私のこれが気になるかい? これは薬草茶だよ。好き嫌いが分かれるから私専用みたいなものさ」



 確かに独特の匂いが僅かに漂っており、美味しそうには思えない。少なくともアイリスは好みではなかった。ともかく薬草茶は本題ではないので、セルアが少し落ち着いたのを見計らってエンジが状況の確認を始める。



「まずは地震だね。私たちのロカ族の役目を知っているかい?」

「はい。緋王を封じる結界を維持するためと聞いております。東西南北の要にロカ族の守護者様が力を注ぎ、封印を強力にしていると」

「流石にセルアはよく知っているね」

「しかしエンジ様、どうしてそれが地震と……?」

「封印の要を繋ぐ術式がこの国の幹線道路なのさ。だから道路を破壊すれば術式は壊れるし、術式が壊れたら魔力が行き場を失って道路が崩壊する」

「では……」

「そうさ。今回は術式が壊された。東の塔、北の塔、そして西の塔にいる私の同胞がどういうわけか同時に術式を維持できなくなったんだよ。それで魔力は術式による制御から離れ、術を維持して循環させる役目の幹線道路が壊れた」



 セルアもこれで納得はできた。

 つまり地震は封印術式を制御しているはずの守護者たちに何かあったから生じたのだ。巨大すぎる封印術は暴走し、術式は崩壊する。術式の通り道である幹線道路が物理的に崩壊したのはそれが理由だった。



「次にアディバラを消滅させたあの光だが……」

「やはりそれも封印と関係があるのですか?」

「私にもさっぱりわからん」



 セルアは石のように固まる。

 シンクは椅子から転げ落ちそうになった。

 思わせぶりに言っておきながら何も知らないではそうなっても仕方ない。しかしそれも当然だ。首都アディバラを滅ぼした大魔術は冥王シュウが発動したものであり、ロカ族の封印術とは何の関係もないのだから。



(まぁ、そうですよねー)



 事情を知るアイリスだけは溜息を吐いていたが。



「次はお前たちを襲った男、そしてロゼッタという大臣についてだよ。あなたたちを襲った男の名はグラディオ。私の弟子だったロカ族の男さ」

「エンジ様の弟子、ですか」

「そうさ。才能のある男だった。百年の修行が必要なロカの封印術を僅か数年で会得した。過去未来においてあれほどの男はそういまい」

「それならば、どうして私を……」



 そしてセルアは思い出す。

 グラディオとロゼッタに奪われた大切なものを。



「そうだわ……解樹の鍵」

「グラディオの目的は緋王の復活。そのために樹海の封印を解く鍵が必要だった。その鍵……解樹の鍵を奪ったのはそれが目的さ」

「どうしてそんな恐ろしい真似を」



 緋王はかつて複数の都市を滅ぼし、ファロン聖国を事実上消滅させた。後に誕生したファロン帝国がここまで復興するのに二百年以上の時が必要となったほどだ。

 かつて聖騎士が命を懸けて封印したとされる緋王を監視することがファロン帝国の役目。そして聖騎士の封印を強固にするため封印の重ね掛けをしているロカ族の役目でもある。

 そんな封印をロカ族の天才が破壊した。

 理解不能な事態だ。

 エンジは呆れたような、情けないような表情で語り始めた。



「私の弟子は……グラディオは王家の力を欲したのさ」

「王家の……?」

「そう。ハイレン王家に受け継がれる力。そして代を重ねるごとに完成され、強大となる力。いずれは緋王を討伐するための力だよ。まだセルアは知らないだろうね。帝を継承するとき、その力と真実を継承するんだから」

「知りませんでした。しかしどうしてそれをエンジ様のお弟子様が?」

「ハイレン王家は元を辿るとロカ族と一つだったのさ。元々、ロカ族の中にはエル・マギア神から力を授かる者がいたんだ。だけどそれは不安定でね。力を安定させるために封印を使って定着させようとしたのさ。力を授かった代わりにロカの力は失ったけどね。それが後のハイレン王家だよ」

「神から力を得た……それが私の御先祖様……」

「あの馬鹿な男はかつての御先祖様のように神から力を得たかった。でも得られなかった。その腹いせか、緋王の力を利用しようとしているのか……私にはそこまでしか分からないよ」

「そんなことで! 国も、民も……お父様も!」



 ただ力が欲しいという理由で国を滅ぼされたのでは堪らない。

 ふざけるなというのがセルアの本心だった。

 いや、彼女だけではなく犠牲となった全ての者の代弁に違いない。



「最低です。どうして……どうして」

「すまないね。私の弟子が」



 しかし、もう封印は解かれた。

 樹海の封印を解くための鍵も奪われている。



「もう……手遅れなのでしょうか?」



 セルアは力なく問いかけた。

 だがエンジは立ち上がり、杖を突いてそんな彼女の傍に寄る。そして震える手を握った。



「そんなことはない。解樹の鍵は封印の樹海にかけられた呪いから守ってくれる特別なアイテムでもある。そして鍵を使うには樹海の中心に辿り着き、実際に緋王を封じている大樹と適合させる必要がある。だが私がそんなことさせないよ。私の封印術で多少は遅らせることができるのさ。解放は流石に防げないけどね」

「ですが、それではただの時間稼ぎです」

「そうだね。だから私が時間を稼いでいる間にセルア……あなたが王家の力に目覚めるのさ。緋王を倒すための力、『聖なる光』にね!」



 最後の希望。

 それがエンジから提示された。




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