第166話 絶望の連続
封印の樹海の周囲に敷かれた幹線道路は上下二車線が確保されている。一車線の幅も広いので、かなりの速度を出しても問題ない。
「シンク。樹海の東、西、北の塔、そして南の聖堂の役目を知っていますか?」
「いえ」
「では緋王の封印伝説は?」
「聖騎士が命を捨てて封印を果たした、としか」
「そうですか。剣聖様も本当に最低限しか教えておられないのですね」
後部座席に乗るセルアは窓の外に目を向け、話を続ける。
「この樹海はかつて神聖グリニアの聖騎士が緋王を封印した際に生じたといわれています。そして樹海の中心にある大樹に、かの『王』は封じられているとか。しかし神聖グリニアはそれで安心せず、この封印に対してもう一つの封印を仕掛けました。つまり二重封印にしたのです」
「二重、ですか?」
「はい。あの樹海には三つの塔と一つの聖堂を要として封印術が常時発動しています。魔力を封じ込める強大な封印です。そして四つの要には封印術に長けたロカ族の守護者が常駐し、封印術を維持してくださっているのです。これは王家にだけ伝わる最重要機密ですので口外しないでください。あ、剣聖様は知っておられます」
「え? そんなの教えてよかったんですか?」
一般に教えられている聖堂と塔の役目は魔物の監視だ。まさかそんな役目があるなどとは夢にも思わない。シンクは王家の秘密などという重大なものを負わされ、最悪の気分だったが。
(マジで恨みますよ師匠ぉぉ)
運が悪かったのか、これも師の仕込みか。
それはシンクにも分からない。
しかし最悪な事態に巻き込まれたのは事実だ。もう引き返せない。
「私の危険感知が激しく反応しています。これほど感じられるのにお父様は動かない。もう頼れる者は王宮にいないのです。仮に緋王が復活するとすれば、守護者様を頼るしかないのです」
「本来はもっと早く王宮を抜け出し、守護者様と接触する予定でした。しかしロゼッタの監視が厳しく、また帝を通して姫様は動きを制限され、今日まで動くことができず……シンク殿が着任する今日を待っていたのです」
「は? 帝に制限? それって……姫を連れ出すと誘拐になるんじゃ……」
たとえそんな意図がなかったとしても、解釈によっては誘拐罪に問われかねない。それも帝の一人娘である姫の誘拐だ。追及されればその場で死刑となっても文句を言えない重罪である。
シンクは顔を青ざめさせた。
そして不幸すぎる今日という日を呪った。
しかし、重なる不幸に追撃をかけるが如く、不幸は振りかかる。
突如として大地震が起こり、幹線道路が次々と割れたのだ。シンクは慌ててブレーキを踏むも、割れた道路で跳ねてしまい、制御を失う。
「おわああああっ!?」
「きゃああああああああ!」
「ひ、姫様!」
シンクの安物車が耐えられるはずもない衝撃により、タイヤは外れて車体も横転してしまった。セルアはカノンが身を挺して守り、何とか無事。そしてシンクも鍛えられていたお陰で何とか無事である。魔力で強化していなければ死んでいた大事故だ。
大地震により破壊された幹線道路は無残に割れており、走っていた車は大事故を起こしている。当然、生きている者はシンクたち以外にほぼいない。
それほどの凄惨な大地震だった。
「御無事ですか姫様!」
「ええ。ありがとうございますカノン。それにシンクも無事のようですね」
脱出して辺りを見渡すと、幹線道路は割れたり沈下したり隆起したりと散々な状態だ。高速で走ることを前提とした道であったので、事故の規模も大きい。
車は次々と燃料に引火して爆発していた。
それを見てシンクもハッとする。
自分たちの乗ってきた車も燃料が漏れていた。
「早くここから!」
最後まで言葉を紡ぐこともなく、シンクは二人を抱えてその場から逃げる。同時に車は大爆発を引き起こし、それを背で受けたシンクも吹き飛ばされた。セルアとカノンも投げ出され、地面に転がる。
「くっ……何度もありがとうございますカノン」
「姫様を傷つけるわけにはいきませんから。それに大部分の爆発はシンクが受けてくださいました」
カノンがシンクへと目を向けると、背中をさすりながら立ち上がっていた。シンクも魔装を会得するだけの魔力を持っているので、自然と纏っている魔力だけでも充分な防御力がある。痛みと衝撃はあるが、それだけである。
しかし、立ち上がったシンクのすぐ傍の空間が歪む。
そして目に傷のある男が現れ、シンクを殴り飛ばした。よほど強い力で殴られたからか、シンクは大きく吹き飛ばされた隆起した地面へと突っ込む。ちょっとした岩山のようになっていたアスファルトが崩れ、大きな音を立てる。
「シンク!」
「姫様! 私の後ろに!」
即座にカノンが庇う位置に立ち、魔装を発動させる。彼女の魔装は風を操るサーベルである。攻守共にバランスの良い力だ。
(この男、どうやって現れた……?)
カノンが危惧するのは空間の歪みから現れた男の能力だ。もしも転移に準ずる魔装などの力であれば、大切なセルアを守り切ることができないかもしれない。
冷汗が流れ、頬を伝って顎から落ちた。
緊張するカノンは一瞬の気配ですら逃さぬように構えている。
左で砂利を踏む音がした。
反射的に腰の銃を抜き、そちらに照準を合わせる。そこにいたのはセルアもカノンも見慣れた女だった。
「ロゼッタ、大臣……」
「いけませんわ姫様。このような所に来られては」
「あなたはいったい?」
「もっと大人しくされていたなら……今夜眠っている間に痛みもなく殺して差し上げたものを」
ロゼッタの目が怪しく光った。
するとセルアは意識がふわふわと曖昧になる。そして流れるような動作で隠し持っている護身用の短剣を抜き、自分を守っているはずのカノンを刺した。
「え? 姫、様?」
短剣が刺さっている場所は背中の左側。根元まで深く突き刺さっており、心臓を見事に貫いている。セルアがそれを引き抜くと同時に大量の血が噴き出て、彼女を汚した。
魔装も維持できずカノンは倒れ、そのまま死ぬ。
ロゼッタは短剣を持ったまま放心するセルアへと近づき、顔を覗き込んだ。そして目を合わせ、口を開く。
「姫様、あなたのその首にあるものを渡してくださいませ?」
セルアはドレスの襟紐を少しほどき、内側から木製の鍵を取り出した。鍵はネックレスとして首にかけられていたので、それを外してロゼッタに手渡す。
ロゼッタはそれを受け取り、目に傷のある男へと見せつける。
「グラディオ様、これが解樹の鍵ですか?」
「間違いない。ハイレン王家の次期継承者が管理するものだ。そして緋王の封印を解放するための最後の鍵だ」
「鍵の管理者が自ら渡さなければ継承されないなどという忌まわしい呪いさえなければもっと早く奪えたのですが……手間をかけさせられましたわ」
手に入れた木の鍵を自分の首にかけ、ロゼッタは指を鳴らす。
すると虚ろだったセルアの瞳が元に戻った。
「え、あ……カノン? え、私が……あ、あああああああああああ!」
自分の護衛であり信頼できる数少ない従者。それを自分の手で殺してしまった。セルアはその時の感触をしっかりと覚えていた。
夢だと思いたいが、手に持つ血濡れの短剣と返り血こそがその証拠である。
彼女は崩れ落ちた。
「目的のものは手に入れましたわ」
「ならば次は樹海の奥に進む」
グラディオはそう告げて魔術陣を生み出し、空間を歪ませる。
だがそんな二人を逃さないとばかりに瓦礫を破壊してシンクが飛び出す。その手には彼の魔装である武骨な剣が握られていた。
「はっ!」
短く静かに息を吐きだし、同時に剣を振り下ろす。
熱くならず、剣は静かに心で振るう。それが剣聖の教えだ。今のシンクが繰出せる最高速の一撃であり、その剣先を目で追うことなどできない。
だが、グラディオは半歩ほど身を引いて回避した。
剣の速さと間合いを完全に見切っていなければ不可能な完全回避である。そして振り下ろしたばかりのシンクは隙だらけだ。
「お前は強い。だが俺より弱い。相手が悪かったな」
「がっ!?」
掌底で胸を打ち、肋骨を粉砕した。
吐血したシンクはその場で膝を突き、剣を地面に刺して何とか立ち上がろうとする。
「ほう? まだ意識を失わないか。期待外れかと思ったが根性はあるようだ。しかしもう呼吸すらままならんだろう。そこにいる姫の護衛と共にくたばれ」
そう言ってグラディオはシンクの顔を掴み、セルアの方へと投げる。既に息絶えたカノンの傍まで転がり、仰向けの状態で止まった。
肺を損傷したシンクは朦朧とする意識の中、空を眺める。
(何が……俺、死ぬ)
すぐに治療しなければならない致命傷であることは明らかだ。
空が光る。
夜でもないのに、星のような光が見えた。
(あれが天国からの迎え、てか? はは)
シンクはそれに手を伸ばそうとする。
白、黄、橙、赤に光るそれは尾を引いて落ちてきた。
だがそれは死の間際の迎えでも幻想でもない。本当に星が落ちているのだ。異変に気付いたグラディオとロゼッタも空を見上げて驚き、セルアは茫然とした。
尾を引く無数の星々は雨のように降ってくる。それらは全て、首都アディバラに向かっていた。
「……て」
セルアは涙を流す。
味方はいないとはいえ、王宮には父親である帝も母親である妃もいる。そしてアディバラには数十万の民が暮らしている。
「やめ、てよぉ」
だが無情にも、流星は次々とアディバラに落下した。
◆◆◆
冥王シュウ・アークライトは『死神』として『黒猫』の依頼を完遂した。
神呪級魔術《光の雨》によりファロン帝国の首都アディバラを滅ぼし尽くしたのだ。球状の魔力障壁に加重魔術と加速魔術をかけて落とすだけの魔術だが、その威力は凄まじい。大きな都市ですら軽く滅ぼし尽くしてしまう。隕石を降らせる土の禁呪よりも発動が容易く、威力の調整も簡単なので完全な上位互換といえるだろう。
そしてこの日、暗殺対象である皇族が全員王宮に揃っていることは『鷹目』からの情報で確認済みである。
次々と落下する流星が建造物を砕き、大地を割り、人々を粉砕する。
逃げる余裕など与えない。
この日、アディバラの消滅は確定となったのだ。
「終わったな」
「私、来る意味あったのです?」
「折角だからな。大陸の技術レベルを確認しておきたい。お前も見ておきたいだろ?」
「そうですけどねー。私はあの乗り物に興味あるのですよ」
「自動車か。もうガソリンエンジンも開発されていたとはな」
魔術という自然現象を記述して出力する便利な実験システムが存在するおかげか、自然科学の発達が異常に早い。本来は実験条件が難しいような実験でも、魔術で簡単に整えられる。それもあり、自然科学と魔術が融合した技術も多数生まれているのだ。
自動車も純粋科学というわけではなく、各所に魔術的なシステムが組み込まれている。
「しかし不可解なタイミングで地震が起こったな」
「あの大きな道路もぐちゃぐちゃですねー」
「不可解といえば地震の範囲もだ。あの封印の樹海の範囲だけ強く揺れている。それに地形の陥没や隆起もあの範囲だけだ。いくらなんでもこの規模の地震なら都市が崩壊してもおかしくはなかった。だとすれば魔術的な何かと考えるのが妥当だな」
「シュウさん以外で攻撃を仕掛けた人たちがいるのです?」
「かもしれないな」
二人の予想は実に正しい。
この日、偶然にもファロン帝国を終わらせようとする者たちが二組あったのだ。
一つは『黒猫』の依頼を受けた冥王と魔女、そしてもう一つがグラディオとロゼッタである。
「あ、シュウさんあれ!」
アイリスは偶然にも、そのもう一つの組を見つけてしまう。
また今にも死にそうなシンクの姿も確認した。
冥王シュウは確かに無慈悲で人間のことなど大して考えていない冷徹無情な男だ。しかしアイリスは人間であり、敵でない助けられそうな者がいればそれを厭わない。
「ちょっと行ってくるのですよ!」
「あ、おい、アイリス」
王宮の暗躍事件に、奇しくも魔女が参加することになった。
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