第165話 ファロン帝国の不穏


 ファロン帝国はかつて緋王シェリーに滅ぼされたファロン聖国の後継だ。当時は無数の不死属のせいで混迷を極めたが、隣国である神聖グリニアはすぐにそれを鎮圧し、新たなリーダーを仕立てた。

 混乱する国家を立て直すのは強い指導者だ。

 神聖グリニアによってみかどの一族、ハイレン王家が制定され、現在のファロン帝国になった。



「はぁ……緊張するな」



 黒スーツを纏った少年が王宮の一室で呟く。

 彼は白手袋に包まれた右手を何度も胸においては深呼吸し、背筋を伸ばして吐き出すという動作を繰り返す。結い上げた金髪を弄って絡まっていないか確認したり、部屋の鏡で服装がおかしくないか確認したりと、とにかくせわしない。



「師匠の頼みとはいえ、こんなことになるなんてな」



 少年がこの場にいることは不本意なことだった。

 しかし紆余曲折あって、王宮にやってくることになってしまったのである。彼はこのような公式の場が初めてであり、なにか粗相をしていないか非常に心配だった。

 そこに扉がノックされ、王宮に仕える侍従が現れる。



「シンク様、就任の儀が整いました。ご入場をお願いします」

「え、は……はい!」



 少年シンクはバネのように勢いよく立ち上がった。







 ◆◆◆






 ハイレン王家は非常に歴史が浅く、その出自は不明とされている。聖騎士が祖先であるとか、亡国の王家の生き残りであるとか、神聖グリニアの実験体として生み出された超人であるとか、さまざまな噂が流れているほどだ。

 しかし歴史は浅くとも王家は王家。

 相応の護衛というものが必要である。

 今日、帝の一人娘であるセルア・ノアール・ハイレンの新しい護衛が就任することになっていた。



おもてを上げよ」



 女大臣の涼し気な声が響き渡り、跪くシンクは顔を上げる。

 目の前には白銀すら霞む美しい姫がいた。透き通る銀髪を彩るのは金のサークレットだ。そのサークレットも額部分に大きな翡翠が嵌めこまれており、これは王家の姫だけが身に着けることを許されている。このサークレットこそハイレン王家を表す装身具なのだ。

 帝、妃、皇子、姫といった立場に応じて額部分の宝石が変わる。

 シンクは思わず見とれてしまった。



「あなたが……あの剣聖様の弟子ですね。そして今日から私の護衛となる」

「え、は、はっ!」

「剣聖様は我が国の建国当時より世話になっているお方です。そのような方を養父に持ち、また弟子であるあなたが護衛として就任くださることを心強く思います。お父様も剣聖様に相当な無理を申したようです。しかし――」

「姫様! この後も予定が押しております。儀は早急に」



 口を挟んだのは女大臣である。

 本来ならば無礼討ちされてもおかしくない行為だ。だが、誰一人として女大臣を咎めなかった。当のセルアですら、溜息を吐くだけである。

 そして気を取り直し、儀を続けた。



「我が新しき剣にして盾、その名によって誓いなさい」

「私の名はシンク……え、あ……我が剣と盾は翡翠の姫のために、我が身は王家のために」



 即席で覚えた口上を何とか宣い、シンクは儀式を乗り越える。

 そして侍女が音もなくセルアの傍まで移動し、その両手に持つ箱を開いた。中に入っているのはセルアのサークレットにも装飾されている翡翠のピアスである。

 セルアが自らの手で騎士となる者にこの特別なピアスを装着し、儀式は完了だ。

 真横にまで迫った美しい姫に緊張するシンクはがちがちに身を固めてしまう。そんな彼に追撃をかけるようにしてセルアは耳元で囁いた。



「今は何も言わないでください。車を用意し、王宮の東門で待機をお願いします。決してあの女大臣……ロゼッタ大臣に気付かれないように」



 え、と声を上げる暇もない。

 セルアはさっさとピアスを付けてしまい、儀式は終了した。そして彼女は澄ました顔で謁見の間から退場してしまう。

 囁かれた言葉の意味を理解するべくぼーっとしていたシンクに、女大臣ロゼッタが嫌味ったらしい声で怒鳴る。



「何をしているのです。早く退場しなさい。騎士シンク、あなたの仕事は明日からです。今日のあなたは王宮から早く帰りなさい」

「え、は、え?」

「全く。姫様もどうしてこのような鈍い男を騎士に選ばれたのか……いくら剣聖の弟子とはいえ、あまりにも鈍い」



 酷い言い分であり、いくら大臣であるからといってもあまりに無礼である。しかし誰一人として大臣を諫める者はおらず、また表情すら変えていなかった。これが当然であるかのように振る舞っていたのだ。

 王宮事情に詳しくないシンクでもこれが異常であることは分かる。



(ロゼッタとかいう女大臣……何かあるのか?)



 珍しくもない黒髪に珍しい赤い瞳、そして病的に白い肌。

 総合的に見てロゼッタは美人に類するだろう。その若さで大臣になったのならば優秀な人物ということである。しかし如何に優秀でも帝の一族であるセルアに口出しすることまで許されるとは思えない。



(やっぱり何かあるわけか)



 セルアの言葉を改めて思い出す。

 本当は明日から仕事のはずだったが、今日から役目を与えられてしまった。そしてシンクの主人は大臣ではなく姫である。帰れと宣う大臣に従う理由などない。

 ただロゼッタに気付かれないようにというオーダーを実行するべく、取りあえずは帰るふりをすることにした。



(車は……俺の持ってるオンボロでもいいのか?)



 そこだけは心配なシンクであった。







 ◆◆◆








 王宮の東門に面する道路に自動車を止め、シンクは姫を待つ。あの口調ならば秘密裏に王宮の外に出たいということだ。その程度はシンクにも分かる。



「俺が車を持ってなかったらどうやって用意させるつもりだったんだろ……」



 待っている間、シンクにはふとそんな疑問が浮かんだ。

 このファロン帝国は膨大な国費をかけて道路が整備されている。自動車が普及し始めるよりも前からアスファルト舗装された滑らかな道路が敷設され始め、この国の歴史においてもっとも偉大な帝の決断であったと評されるほどだ。

 首都アディバラは緋王を封じた樹海の近くにあるのだが、その樹海を円形に囲む幹線道路が敷設され、その幹線道路から各都市へと一直線に道が敷かれている。故にファロン帝国は高度な輸送機能を有するのだ。当然、人々の生活は豊かになった。投じた税金以上の成果を感じさせられ、満足しない国民はいない。

 それに伴い道路を利用する自動車産業も盛んとなり、ファロン帝国は自動車生産も盛んである。

 ちょっとした金持ちならば必ず一台は持っているのが今の時代だ。

 シンクも師匠である剣聖の運転手役として車を運転するため、自動車免許と自動車を保有していた。



「師匠……俺、大丈夫かな?」



 彼の師である剣聖はたびたび王家に力を貸してもらえないかと要請されていた。養子として弟子として剣聖と暮らしていたシンクはそれをよく知っている。

 もしも王宮にこのような面倒な事情があると知っていたら、師匠の頼みとはいえ護衛就任など了承しなかっただろう。尤も、仕事を紹介するといわれて二つ返事してしまったシンクにも問題はあったが。

 そうして悶々としていると、東門から二つの人影が現れる。

 その二つは丈の長いローブを纏い、フードを深く被って顔を隠している。門を出たフードの二人は何度か周囲を見回した後、シンクの車へと駆け寄ってきた。



「私です、シンク」

「やっぱり姫でしたか」

「乗せていただきますよ」

「はい」



 フードを少しだけ上げて顔を見せたセルアを確認し、シンクは運転席から降りる。そして後部座席の扉を開いた。



「どうぞ」

「ええ、ありがとう」



 まずはセルアが乗り込み、もう一人が軽く周囲を確認してから乗り込む。シンクは扉を閉め、再び運転席へと乗り込んだ。



「車を用意してくださってありがとうございます。詳しい話は移動中にします。なのでまずは車を出してください。目的地は樹海の聖堂です」

「樹海の聖堂……ですか? あの封印の樹海の南側にある、あの?」

「はい。早く」

「かしこまりました」



 シンクはエンジンをかけてゆっくりとアクセルを踏む。姫を乗せているということもあり、安全運転を意識しながら走り始めた。

 緋王を封印した樹海の南側にある聖堂が目的地なので、まずは幹線道路へと向かう。

 その間にセルアともう一人はフードを外し、顔を見せた。もう一人は鋭い目の女であり、耳には翡翠のピアスが付けられている。つまりシンクと同じ、セルアの騎士だったのだ。



「まずは彼女の紹介ですね。私の世話役もしてくださっている騎士、カノンです。私が王宮から脱出するのを手伝っていただきました」

「カノンと申します。シンク殿は今後、同僚となられると聞きました。よろしくお願いします」

「あ、はい。よろしくお願いします。シンクです」



 気の抜けた自己紹介をするシンクに対し、カノンはムッとした様子だった。

 しかしセルアは彼女を目で制する。



「まずは説明いたします。結論から申しますと、この国は危機を迎えます」

「え? は? あ、まさかあのロゼッタとかいう大臣が? ですか?」

「それは分かりません。一番怪しいのは確かですが、私の確信は別のところからきています。私には危機を感じ取る魔装があるのです。これは歴代の王家に引き継がれる魔装……緋王の復活を察知するための魔装であるといわれています。それで今日、この日に何か起こるという確信を得ていました」

「まさか緋王が復活するのですか!?」



 動揺で思わず運転が乱れそうになったが、なんとか冷静を保つ。剣の修行によって心を鍛えていなければそれが表出してしまっていたことだろう。シンクは密かに師へと感謝した。



「驚くのも無理はありません。しかし事実です」

「それは……帝もご存知ですか?」

「お父様には告げました。しかし聞き入れてくださいません。父にもこの危機を感じ取れているはずなのに……どうして……」

「シンク殿、実を言えば今の王宮に姫様の味方はほとんどいません。あのロゼッタという大臣が現れてから、ほとんどの官僚が彼女の言いなりになってしまいました。彼女はあっという間に勢力を伸ばし、今は帝ですらロゼッタを絶対的に信頼する始末。これはおかしいとしか思えません。確実に姫様の味方と言えるのは脱出を手配してくれた執事長と私、そして就任したばかりのお前だけなのです」

「情けないことですが、カノンの言う通りです」



 次々と現れる情報にシンクは混乱するばかりだ。

 やはり剣の修行がなければ運転に支障をきたしていたことだろう。

 セルアは静かに告げた。



「シンク、まずは樹海の聖堂に行きましょう。そこに封印の樹海に結界を張り、緋王を封じ続けているロカ族の守護者様がいるはずです。守護者様なら、おかしくなってしまった王宮もきっと……」



 ともかく、シンクは聖堂へと車を急がせた。



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