第161話 光魔術


 いきなり《火竜息吹ドラゴン・ブレス》をぶつけられたシュウとアイリスだが、当然のように無傷だった。普通に魔力障壁を張ったのである。本来は戦略級魔術を完全に防ぐほどの効果はないのだが、そこは魔力量で補った。

 死魔法で消しても良かった。

 しかし《火竜息吹ドラゴン・ブレス》の場合は魔力を注ぎ込むことで長時間の照射が可能であり、一度で魔術を消し切れるとは限らない。そういった一瞬の判断もあって、受け止めることにしたのだ。

 そもそも冥王の死魔法を知っているからこそ、ガイストも《火竜息吹ドラゴン・ブレス》を選択したのだが。



「いきなりでしたねー。どうするのです?」

「この展開も予想はしていた。敵対するなら賢者の石を奪うだけだ」



 王都メルゲートはすっかり死の街となっている。

 傷のない死体は辺り一帯に散らばっており、その全てが苦しみの表情を浮かべている。後にこの街を訪れる者が見れば、悲鳴を上げて逃げるに違いない。



「来たな」



 シュウが目を向ける。

 するとかなりの速度でガイストが空に上がってきた。冥王と敵対したにもかかわらず、随分と余裕である。またアイリスが時間を操るということも既知であるため、正面からやってくるというのはかなりの自信であった。



「さっさと賢者の石を渡せ。お前に勝ち目はない」

「断る。お前たちこそ大人しく命を差し出すのだ」

「そうか。アイリス」

「はーい」



 心得たとばかりに、アイリスは時間を止めた。こうなればガイストは動けず、賢者の石を存分に探すことができる。

 だが予想外のことが起こった。

 時が止まった世界でガイストは動けたのだ。



「私が魔女のことを知らないと思ったか?」

「それも賢者の石の力か」

「その通りだ。今の私はあらゆる魔術を自在に扱うことができる。完成したのだ! 賢者の石は! そして完成した賢者の石はこんなこともできる」



 ガイストの身体が変化する。

 真っ白だった髪が黒くなり、曲がっていた背筋も伸びる。肌からは皴が消え、若々しくなった。肉体年齢を戻したのだ。



「時間遡行……私と同じなのですよ!」

「少々違う。私のこれは若い肉体を作り直したのだ。まさにこれぞ人体錬成。魂をそのままに肉体を操作する魔術だ。今の私ならば死者蘇生すらできるだろう」

「何でもありだな」

「ですねー」

「私はこの世に平等をもたらす。新しい秩序の神としてな。今の私ならば人を死なぬように作り変え、魂すら摩耗することのないようにできるだろう」

「魔神教が黙っていないと思うがな」

「そんなものは問題にならん。魔力は精神……思念すら操作する。思考誘導と洗脳で争いもなく全てが終わるだろう。平和な世に魔物は邪魔なのだ。だから冥王……お前には消えてもらう」



 すっかり若くなったガイストは機敏な動きで宙を移動する。慣性力や体内への負荷も魔術で打ち消すことで通常では不可能な軌道を描いているのだ。更には電撃や灼熱が魔術陣もなく放たれる。

 まるで複数の魔装を同時に相手しているようだった。

 突如として始まる空中戦は熾烈を極める。

 ガイストが放つ無数の魔術をシュウが死魔法で消し去り、シュウは逆に死魔法でガイストを攻撃する。しかし魔法の手応えはあってもガイストが死ぬ様子はない。



(この感じ、覚醒魔装に似ているな)



 魔力を自動回復する覚醒魔装士は死魔法と相性が悪い。生命力を根こそぎ奪おうとしても回復し続ける魔力がそれを補ってしまうのだ。

 今のガイストは賢者の石がその代替をしている。



「賢者の石の恐ろしさはこの程度ではないぞ!」



 そう言ってガイストは手を伸ばす。

 するとシュウは身体から魔力が抜けていくのを感じた。保有する全魔力から見れば微々たるもので気にするほどでもないが、確かに魔力が吸われてガイストへと集まっていく。

 まるで死魔法のようだった。



「ちっ、鬱陶しい」



 シュウはすぐに死魔法を発動して魔力を奪い返す。

 しかし驚くべきことだ。魔法という概念に干渉する力ならば、『死』という概念に沿って術が発動されるため抗う術はない。純粋にこの概念へと耐えられるかどうかの勝負だ。一方で魔術として魔力吸引を再現した場合、対象の支配する魔力をさらなる支配によって奪わなければならない。

 魔物として最上位であるシュウは魔力の塊だ。

 当然ながら支配力も最上級である。

 そこから僅かとはいえ魔力を吸収するガイストの術は驚異的なのだ。



「これならばどうだ!」



 魔力の吸収勝負では勝ち目がないと悟ったのか、二つの魔術を即座に同時発動する。

 一つは水の第十四階梯《深海召喚コール・アビス》。陸上を深海へと変貌させるほどの水を生み出す禁呪だ。そしてもう一つが水の第十五階梯《絶対零度アブソリュート・ゼロ》である。物質の熱エネルギーをゼロとする脅威の神呪だ。

 これにより辺り一帯は水に満たされ、当然ながらシュウとアイリスもその中に閉じ込められた。

 さらに《絶対零度アブソリュート・ゼロ》が全ての水を凍らせ、巨大すぎる氷の檻にしてしまう。

 しかしシュウの死魔法はそれを凌駕する。

 熱エネルギーを奪い取る《冥府の凍息コキュートス》という応用技があるように、シュウは奪うエネルギーを仕分けることも可能だ。つまり氷の質量エネルギーを死魔法で奪う……いや、殺すことができるのである。



「仕返しだ」



 シュウは膨大な氷をすべて消し去り、反撃に《冥府の凍息コキュートス》を叩き込んだ。いかにガイストが不死に近い能力であったとしても、肉体に依存していることに変わりはない。瞬間凍結によって意識を奪えば終わりだ。

 絶対零度へと至ったガイストは血液すら凍り、動きを止める。

 だがその凍ったハズの身体は宙に浮いていた。



「何?」

「シュウさん! 浮遊の魔術がまだ発動しているのですよ!」

「あれで魔術を発動するだけの意識があるってことか。賢者の石にそこまでの力が?」



 その疑問はすぐに解決する。

 凍結して動かなくなったガイストの身体が瞬時に霧散した。人体の全てを、自ら分子レベルに分解したのである。そしてその跡には拳大ほどもある漆黒の球体があった。

 シュウとアイリスの脳内に声が響く。



『私は不滅。この身は賢者の石と融合した。私の魂こそ賢者の石。肉体など殻に過ぎん』

「石と融合……まさか自分を賢者の石の器にしていたのか」

『その通りだ。本来は水銀と魔力を混ぜたものが器としてふさわしい。だが私は魔術儀式によって魂と器をリンクさせ、そして器を肉体に埋め込んだ。賢者の石は器を元に生成され、私の魂は契約によって魔石の支配権を得たのだ。魂こそ魔術の根幹! 肉体など滅びゆく枷よ!』

「なるほどな。だからあんなに体調が悪そうだったのか」



 魔力と混ぜていると言っても水銀は有毒だ。身体に埋め込めば毒素が染み出し、中毒になる。儀式直前のガイストが不調に見えたのはそれが原因だった。



『魂が昇華したからこそ分かる! 私には分かるのだ! 我々の精神、記憶、人格を形成するのは全て魂であり、そして魂とは魔力である。いや、複雑な魔術陣なのだ! 魂も、魂が生み出す思念も全ては魔力。故に私たちは想うだけで魔術を使える。だが賢者の石と融合した……いや支配した私は更に上を行く。普通の人間の魂では処理不可能な複雑な魔術を、この世界を介することなく直接具現化することができるのだ! 私には詠唱も魔術陣も不要! 根源の魔術陣たる魂で全てを発動する! 貴様らに勝ち目はないぞ冥王、そして魔女よ。私は今、神となった!』



 賢者の石は魔力光を発し、周囲に粒子を纏う。

 そして粒子は人の形となり、それはやがて若き姿のガイストとなった。



「世界を滅ぼすことも、再生することも、死者蘇生さえも自由自在。この超越者たる私が新たなる秩序だ。穢れてしまったこの世界を正し、再び創造する。それがこのガイストだと知れ!」



 万象一切の支配。

 ガイストは魔術によってそれを可能な領域まで押し上げてしまった。凶悪すぎる魔術演算装置かつ魔力供給源の賢者の石を、魂によって直接支配していることが問題だ。

 賢者の石は、魂が想ったことをそのまま再現してしまうだけの力がある。



「シュウさん。さっきから過去に魔術を撃っていますけど、全部撃ち落とされたのですよ。多分、自動迎撃なのです」

「お前への対策もばっちりか」

「どうするか……」

「死魔力は使わないのです?」

「それを使ったら賢者の石ごと殺してしまうからな。せっかくだから回収したいだろ?」

「ほどほどにしてくださいね」

「何とかするさ」



 殺すのは簡単。

 冥王であるシュウ・アークライトに不可能な殺しはない。たとえ神であろうと死魔法は殺す。概念たる死魔力は全てを殺せる。

 しかし賢者の石は欲しい。

 シュウは敢えて死魔力を使わず、ガイストへと挑むことにした。






 ◆◆◆








 神聖グリニアはかつてスバロキア大帝国を吸収した。しかしそれは戦争に勝ったからではなく、ただ大帝国が自滅したからに過ぎない。秩序の乱れた土地を、丁度手を貸していた革命軍リベリオンと協力することで実質統治したのだ。

 その際、神聖グリニアは魔神教として大帝国の技術を手に入れようとした。

 今も消えない帝都を焼く黒い炎のせいで貴重な資料のほとんどは失われていたが、郊外に隠されていた大帝国の覚醒魔装士の研究所を見つけることはできた。

 万象真理フラロウスという男の研究資料は役に立った。

 彼は体系化が未熟だった陰魔術と陽魔術のほか、魂にかかわる魔術を研究していた。そこから百年以上の時をかけて神聖グリニアが洗練を重ね、新魔術系統を確立したのである。



(光の第十一階梯《聖滅光ホーリー》。凄まじい威力ね)



 光魔術は陰魔術と陽魔術のいいとこどりをした系統だ。

 そもそも万象真理フラロウスは陰魔術を精神や魂に関係する、陽魔術を物質や肉体に関係するとして再定義したのだ。よって光魔術は陽魔術をベースとして精神などへと干渉する術式が組み込まれ、また緋王となった元魔術師シェリーの研究すら取り込んで死者蘇生の術式まで開発した。

 防御、治癒、蘇生とあらゆることができる光魔術だが、本来の物理的な光という意味はまったくない。もはや神聖さを表すための概念的意味として用いられている。その対極に陰魔術の呪いとしての効果を突き詰めたものを闇魔術と称して別に体系化もしている。

 それはともかく、この陰陽魔術を融合して体系化したものが光魔術だ。

 この光魔術を攻撃用に組んだものの一つが、この《聖滅光ホーリー》である。



「流石に死んだと思うのだけど……」



 フロリアがそう思うのも無理はない。

 《聖滅光ホーリー》という魔術は制御を手放して破壊に特化している。物質、精神の両方から破壊する光こそ《聖滅光ホーリー》の正体だ。たとえ肉体が無事でも精神を破壊する。精神を守っても肉体を破壊する。その両方に充分な耐性がなければ確実に死ぬのだ。

 とにかく破壊性能を高めているので魔術陣は無駄に大きく、また制御を手放しているために効果範囲も広すぎる。故に禁呪として定められた。

 暴君ともいえるこの魔術はフロリアの制御能力を以てしても矢に変換することができず、こうして魔術として直接ぶつけることしかできない。そもそも制御不能なこの魔術を発動できるだけでも大したものだ。

 威力だけは折り紙付き。

 いずれは『王』の魔物を屠るための魔術なのだから。

 白と黒の斑がうねり、次々と発光して地上を破壊していく。『暴竜』の一撃から何とか生き残った者たちも、これで確実に死んだことだろう。当然、『暴竜』も。

 やがて消滅の光は止み、地上が晒される。

 そこには何一つ、残っていなかった。



「……いないわね」



 感知をしても付近に大きな魔力は感じない。

 そして目視でも『暴竜』を見つけることはできない。

 当たり前だ。

 王宮も、聖堂も、軍設備も、家々も、道路も全て《聖滅光ホーリー》が消し去ったのだ。残っているのは綺麗にくり抜かれた大地だけである。



「ごめんなさいねリーン。でもあなたの死は無駄にしないわ。任務続行ね」



 犠牲となった従騎士に思いを馳せつつ、また西を向く。そして再び必中の魔装を具現化し、矢をつがえた。『暴竜』という余計な邪魔が入ったせいで教祖を倒したかどうかは分からない。それを確認するため、彼女は再びアルマンド王国を覗いた。









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