第160話 賢者
王都メルゲート全土を使って発動した大魔術陣により、住民は違和感を覚えた。それは背筋が冷えるような感覚であると同時に、全身が熱くなるような奇妙なもの。
魔術によって魂を抜かれる感覚だ。
そしてこれは魔力の多いものほど抵抗が強く、魔装を保有していれば数分は耐えられる。魂の代わりに魔力や魔装が吸われるからだ。
「ぐ、おぉ……」
アルマンド王国軍では最高クラスの魔装士であるアーリーですら、呻き声をあげた。都市そのものを魔術陣に仕立てたからか、その効果は絶大である。抗う方法などほとんどない。魔法のように特別な力があれば別だが、強い魔装士程度ではどうしようもないのだ。
魂を抜き取られ、人々は次々と死に至る。
神聖グリニアが予言した傷のない死体が出来上がったというわけだ。
(月光会の攻撃なのか? だが信者たちも苦しんでいる)
軍の作戦が成功し、多くの信者を誘い込むことができていた。いずれは制圧も成功していただろう。その逆転策かにも思えたが、月光会信者も苦しみ悶えている。
部下も、敵も、無関係のスラム民も、そしておそらくは市民たちも死ぬ。
強制的に魂を抜き取られ、魔術陣によって中心へと集約される。
「陛……下ぁ」
そして最後まで生き残っていたアーリーも、忠誠を誓う主君を呼びつつ息絶えた。
◆◆◆
(馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な)
バルゲートは混乱していた。
今まさに自分の命が尽きようとしていることはすぐに理解できた。自らの根源が引き寄せられ、意識が薄れるような気分がそれを教えてくれる。
(先生が私を裏切ったのか……)
日和るアルマンド王国を変えたかった。
故に魔神教に反旗を翻すという狂気にも協力したのだ。勿論、理想論だけで動いたわけではない。師であるガイストの案を元に協議を重ね、充分に勝算があると判断した上での実行だ。
こうして月光会の討伐作戦の責任者として立場を手に入れ、戦況をコントロールし、聖騎士や軍の魔装士を旧市街地という魔術陣の範囲へと誘い込んだはずだった。
(魔術陣は旧市街地だけではなかったのか……)
バルゲートの護衛魔術師たちが必死に対処しようとしているが、魂を吸われる魔術を前にはどうすることもできない。無系統魔術で防御すれば多少は耐えられるが、時間稼ぎにしかならない。
無念のまま倒れるバルゲートは遂に魂を吸われて死に至る。
やがて残った魔術師たち、そして控えていた使用人、王宮にいるドロファンス王や大臣も含めその全てが傷のない死体となった。
いや、アルマンド王国王都全体が静かなる死の都へと変貌した。
◆◆◆
アルマンド王国の隣国、ロックス王国の王都も別の意味で死の都となっていた。
その原因は都市の真ん中で激戦を繰り広げる『天眼』と『暴竜』である。
「クハハハ! その程度かァ!」
フロリアの放つ矢は尽く『暴竜』の肉体によって弾かれる。フロリアは風の魔術《
そして『暴竜』は空を飛べないことが分かっているが油断することはできない。その太い腕が大きく引き絞られ、フロリアに向かって正拳突きが放たれる。ただの正面パンチは音速を軽く凌駕し、衝撃波を生んでフロリアに襲いかかるのだ。
「まだまだァ! 避けるだけか聖騎士ィ!」
破壊といえば黒猫の『暴竜』と言われるだけはあり、凄まじい力だ。それも魔力というより膂力という意味で驚異的である。また彼の恐ろしいところはその耐久力だ。
覚醒魔装士であるフロリアの矢を受けて傷一つ付かないのだ。元から彼女の魔装は必中である代わりに攻撃力に欠けている。それでも同じ覚醒魔装士の中ではという注釈は付くが。
故にフロリアは攻撃力を補うため、魔術を矢に変換するという手法を考案した。
(《
炎の第十階梯魔術を発動し、それを織り込んだ矢として具現化する。白熱を放射する戦略級魔術は本来ならば人間一人に向けるものではないが、『暴竜』はそれをするに値する。
一度の発動で千人を殺害すると言われる魔術が凝縮され、放たれた。
「ふん!」
しかし『暴竜』は一声で弾いてしまう。人間など炭化させて貫くはずの一撃は、『暴竜』が腕を振るうだけで掻き消された。
あらゆる攻撃が効かず、弾き飛ばされる。
そして空気を叩いて衝撃波を生み出すほどのパワー。
『暴竜』の能力は容易く推察できる。
「身体強化の魔装も極めるとそこまでいくのね」
ありふれた、というより役に立たないとされる魔装が身体強化だ。拡張型として分類されるそれは無系統魔術の身体強化でも補えるものであり、わざわざ魔装として手に入れてもメリットは少ないのだ。
普通ならば。
しかし『暴竜』は極限まで魔装を鍛え上げ、覚醒に至っている。そこから繰り出される肉体強化は人外のそれであり、また頑丈さは竜系統の魔物すら上回る。
「降りてきやがれ聖騎士ィ! 街ごと木っ端微塵にしてやろうかァ!?」
「っ! させないわ!」
「遅ぇよマヌケがよォ!」
禁呪にも匹敵するであろう魔力が『暴竜』から放たれ、それが集約して拳へと集まる。身体能力特化の『暴竜』が強大な魔力を注ぎ込んだ時、殴打は都市を崩壊させる。
フロリアが止めるよりも早く地面が殴られ、その瞬間大爆発が起こった。禁呪と同等の威力が叩き込まれたということである。衝撃により大地は抉られ、地殻が揺れ、『暴竜』を中心にありとあらゆる建造物が放射状に薙ぎ倒される。
上空にいたフロリアもその衝撃で吹き飛ばされ《
「なんて威力よ……」
絶句しそうになる光景だった。
王都全体が煙に包まれ、無事な建物など一つもない。更には火薬庫や工場が次々と爆発しており、二次的被害が加速度的に広がっている。砲弾を撃ち込まれても耐えるよう設計された王宮ですら倒壊していた。
そして『暴竜』のいた場所は衝撃波のせいか土煙すら吹き飛ばされ、恐ろしく巨大なクレーターが生じている。
もはや生きている者はいまいと思わせるほどの被害である。実際は生存者も多少はいると思われるが、誤差の範疇だ。故にフロリアは決意できた。
「仕方ないわね」
都市での戦いはフロリアにとって不利でしかなかった。守るべきものを守りながらの戦いで本気を出すことなどできるはずもなく、コンパクトな戦いを強いられていたのだ。
しかし『暴竜』によって破壊されつくした今ならば、禁じていた大規模攻撃ができる。
「本当は研究中の魔術なのだけど……出し惜しみはしないわ」
集中のため魔装の弓を消した。そして彼女を中心に巨大な魔術陣が広がっていく。その規模は破壊された王都を覆うほどである。
「『王』の魔物を殺すために体系化された新系統、光魔術よ」
そう宣告すると同時に、クレーターを白と黒の斑模様が埋め尽くす。そしてそれは波打つようにうねり、激しく点滅した。
「喰らいなさい! 光の第十一階梯《
激しい光が天地を埋め尽くした。
◆◆◆
賢者の石の生成。
そのためにはまず、下位互換の物質である魔石について知らなければならない。魔石は魔装士から魔装の力を抽出し、魔力を含ませた水銀へと移植することで完成する物質だ。魔装が魂という生命の内在で発動する魔術であると仮定し、そのシステムを外部に取り出す法であると言える。
つまり思念を自動的に魔術陣へと変換し、また魔力を供給することで誰でも高度な魔術が発動できるようになる。魔装が思念のみで発動する仕組みを取り入れたのが魔石だ。
ただし、魔装を元にしているだけあって生成された魔石は発動しやすい魔術に傾向が生じてしまう。また魔力を供給することで魔術発動に不足する分を補う仕組みもあるのだが、それも限度があり、戦略級魔術を発動しようものなら必ず失敗するだろう。そもそも複雑な魔術の場合、魔術陣の自動生成も追いつかない。
賢者の石とは魔石の欠点を克服した物質だ。
完成すればあらゆる魔術の触媒になる。
不老不死を望めば、賢者の石はそのような魔術を自動生成するだろう。憎い敵の死を望めば、即死の魔術を自動生成するだろう。術式の知識が皆無の子供でさえ、賢者の石を手にして望めばそれが手に入る。
「ぐお……おおおおおおっ」
術式の中心に立つガイストは呻く。
彼の周りには五人の聖騎士が並べられ、術の発動を補佐する魔石として機能させられている。五つの魔石があっても尚、複雑で困難な術式だ。しかしガイストには成し遂げるだけの力がある。
「ごほっ……が、はぁ」
血を吐きだし、全身に激痛が走ろうとも耐える。
魂が軋むような痛みが意識を何度も奪いかけたが、その度に初めの決意を思い出した。
(私は新たな秩序になる。弱者を救う、真の神になるのだ)
賢者の石は万能な力だ。
望めば何でもできる。
それを神と言わずして何というのだろう。ガイストは自らが神となり、人類を導くことで世界を救済しようとした。
(そのためならこんな痛みなど……)
だから耐えた。
そして彼は耐えきった。
王都メルゲートの全ての人――シュウとアイリスを除く――の命を使って賢者の石を完成させた。
「完成……だ」
魔術陣の光が消える。
それが賢者の石の生成を完了した合図だ。同時に全身を襲っていた激痛も消え去り、身体が楽になる。思わず力が抜けてしまい、ガイストは片膝をついた。
そして生成完了を悟ったのは彼だけではない。
シュウも魔術の発動が消えたことを察知し、死魔力による防護を解いた。
「終わったようだな」
「ああ。その通りだとも冥王。無事に賢者の石は完成した」
「早速だが見せてもらう」
「いいだろう」
そう言ってガイストは立ち上がり、シュウとアイリスに手を向ける。そしてノータイムで《
シュウは一瞬でアイリスを庇う位置に立つが、その後すぐに白い光に埋め尽くされる。
灼熱の光線は一瞬で地下通路すら融かし、そのままぶち抜いたのだ。
光が消えた時、ドロドロに溶けた石材が滴る穴が地上まで続いていた。勿論、そこにシュウとアイリスの姿はない。しかし殺したわけではないことをガイストは感知によって知っていた。
「存分に見せよう。賢者の石の力を」
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